第16話 斟酌(4)

文字数 2,554文字

線路沿いをSUVで少しだけ走る。
平日の昼間に、アンヘリートが自宅に戻る確証はない。何でも屋なので、誰かの家に呼ばれている可能性もある。
それでもロレンツォは、ジョナサンの話を頼りにアンヘリートの家を目指した。
坂を登り始めると、数人の子供達が遊んでいるのが目に入る。小学生か、中学生ぐらいだが、大人の姿も混じっている。住宅街のありふれた光景にも見えるが、常識的には過保護。エラの事件のせいと考えるのが正しいだろう。
ロレンツォは、徐行しながらクラクションを細かく鳴らした。
おもちゃの様な彼ら。満面の笑みで車に身構える彼ら。
無駄な動きだらけ。飛び跳ねて掴む視界は、歩く大人のそれより遥かに低い。
こんな無邪気な子供達も、いつか何かが起きればクロノスを疑い、先住民と張り合う様になる。それが、この町に生まれると言うことである。
間もなく、子供達が車道を明け渡すと、ロレンツォはゆっくりとアクセルを踏み、バック・ミラーの中の可愛い小人達の姿を少しだけ見た。

アンヘリートの何でも屋の看板は、確かに分かり易い場所にあった。車道からよく見える場所。店の場所が書いていないのが、その看板の何よりの特徴かもしれない。
まずはアンヘリートがいるか確認するため、ターゲットと距離をとって車を止めた二人は、例によって、見慣れたセダンを目にした。色はシルバー・メタリック。
姿は見えなくても、決まっている。ハンクである。
ハンクのセダンは、二人のSUVを追い越したばかりか、アンヘリートの自宅の前に止まった。
「オイ、連邦捜査局!」
ドアを開けて、大きな声を上げたのには、明らかな他意がある。ハンクは、ロレンツォの電話番号を知っているのである。
苦笑したロレンツォがパワー・ウインドウを下げると、ハンクは大声のまま言葉を続けた。
「今日はよく会うな!」
呆れたロレンツォは、同じぐらいの大きさの声を出した。出してから気付いたが、腹に力が入る程度。
「尾けてるのか!」
笑ったハンクは、車から降りると、上着を払った。
「アンヘリートなら問題ない!そんなところで暇を潰すな!来い!」
ロレンツォとナバイアは、顔を見合わせると、ハンクの提案に従う道を選んだ。

自宅にいたアンヘリートへの質問は、妻のスーザンの同席のもとで行われた。
前科者の妻の人生は厳しいのか、あるいは、彼女自身が腕を彩るタトゥーのままの人物なのか。スーザンは、座り方ひとつにも気を張っている。
汚れたソファに並んだ五人は、短い自己紹介を終えた。
アンヘリートの本名は、ヘンリーのレポートにもあったが、アンヘル・フィリポ・モレノ・グズマン。
用水路ではジェームズの印象に隠れていたが、掠れた声には確かに迫力がある。
行政のボスや商店街のボスには叶わないが、不良達のボス。そんな雰囲気である。
今、起きていることを正しく理解しているのか、用水路で見た時より顔の強張るアンヘリートは、スーザンの視線を一身に受けながら、話を切り出した。
「分かってる。こういう事があると、俺が一番に疑われる。」
決して、一番に疑ったわけではないが、早い段階で捜査線上に上がったのは確かである。
並んだハンクが渋い顔で頷くと、ロレンツォは口を開いた。
「別に疑ってるわけじゃありませんよ。皆さんに話を聞いてます。」
この手の言葉に慣れているのか、アンヘリートの表情は変わらない。ロレンツォの決まり文句は無駄だったということ。罪を償ったとしても、犯罪者が好きではないロレンツォは、敢えて遠慮を避けた。
「あなたは、ミスター・ベイリーが経営するライト・ハウスという店の常連でしたね。」
ロレンツォの目に、最初から諦めているスーザンの無表情が映った。ハンクは、ロレンツォが夫の悪い遊びをばらしたので、笑いをかみ殺している。ロレンツォの上げた狼煙で最初に動いたのは彼。間もなく、アンヘリートが続き、言葉を返した。
「捜査官。俺は何でも屋だ。頼まれて、店に顔を出すのと店の常連とじゃ、聞こえ方が違うぜ。」
ロレンツォは、スーザンのために用意した様な言い訳を聞き流すと、質問を続けた。
「エラ・ベイリーは、大人の世界に足を踏み入れていた様です。倫理教育から解き放たれた放し飼いの人間がいる世界です。」
アンヘリートの眼光は鋭くなった。悪気はないだろうが、目を細めただけでそう見える。親から譲り受けた顔のせいである。
「捜査官。俺は法律を信じてるぜ。罪は償ったんだ。それで終わりの筈だろう。」
遵法は必要であって十分ではないが、決められた期間、この世の最底辺に手を突いたアンヘリートにその意識はない。
そうと知っていても認められないのは、ロレンツォだけではない。口を開いたのはナバイア。
「肉食動物は、肉を食べ続けます。大型なら人間も危ない。一緒に暮らすには、檻に入れる必要があります。死ぬまで。それが肉食動物のためです。勿論、あなたがそうとは言いません。」
アンヘリートは、ナバイアを見ただけで、口は開かなかった。やはり慣れである。
鼻で笑ったハンクがスーザンに向かって小さく頷くと、スーザンは天井を見上げた。ハンクはアンヘリートを守りはしない。そういうことである。
ロレンツォとナバイアは、その後二十分ほど、アンヘリートへの挑発を続けた。
普通に質問して、自白し始める馬鹿はいないので当然であるが、挑発しただけで自白する馬鹿が少ないのも事実。
結果、アンヘリートの返事に、エラにつながる様な情報は一ミリもなかった。
前科者を妻の前で丁寧にいたぶっただけ。
ハンクの言う通りである。声をかけられていなければ、今日一日を無駄にしていたかもしれない。
小さな罪悪感に苛まれた二人がソファから腰を上げると、解放されたアンヘリート夫婦がゆっくりと続いた。最後に立ったのは、予想通りの展開を目にして、優越感に浸るハンク。
但し、犯人が捕まるまで、アンヘリートが無罪である確率は百パーセントではない。
今日の不幸を招いたのは、アンヘリートの過去。自業自得である。
謝罪もせずに外に出たロレンツォは、アンヘリートに背を向けたまま、扉が閉まる間際に口を開いた。
「アンヘリートは悪い奴じゃなかったな。」
前科者の夫婦のための最大限の気遣いをしたロレンツォは、セダンの前で話し始めたハンクとナバイアを後にして、SUVに向かった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み