第19話 即妙(1)

文字数 1,653文字

風の早いその日の夜空に、月は出ていなかった。幾ら流れても尽きない何層もの雲が覆うのは、いつもなら星を散りばめたミッドナイト・ブルーの空。五百年以上前に放たれたベテルギウスの光が届いたのは、蠢く雲の向こうまでである。
何かを期待させるだけの冷たい風は、地表で勢いを削がれても、木の葉を揺らすぐらいの力は残している。数えきれない木の葉がされるがまま騒めく広大な林。そんな無力なアーケプラスチダの世界に、人の世に愛されない二人の姿があった。
アンヘリートとシャビー。ロレンツォとナバイアが魔法をかけた二人である。
呼び出されたアンヘリートの手に握られたライトは業務用で眩しく、呼び出したシャビーのそれは華奢でほぼ意味をなさない。どちらも、決して丁度良くはない。おそらく、二人にとって、人生のすべてがそうなのである。
アンヘリートは、シャビーが話しながら大きく揺れると、分かり易い苛立ちを見せた。
「そんな風だから、目をつけられるんだ。」
シャビーは、久しぶりの掠れた声に微笑みながら、わざと大きく揺れた。それがシャビー。
「心配ないさ。エラのことを聞かれただけなんだから。」
アンヘリートは眉を潜めた。
「××××のガキ。変な言い方をするな。」
言葉だけで止まらないのが彼。アンヘリートの左手は、シャビーの緩い襟元を掴むと、流れで頭を軽く揺さぶった。アンヘリートの乱暴に慣れているシャビーは、笑顔のまま、ロレンツォの名刺を取出した。
「気になることがあったら、電話しろって。」
シャビーは、アンヘリートの目の前で名刺を揺らした。
「俺、あんたのこと話しそうだ。」
アンヘリートは、黙ってシャビーの顔を睨むと、素早く名刺を奪った。
「言えよ。何を話すって。」
分かり易い脅し文句にシャビーがにやつくと、アンヘリートはシャビーの襟元から手を離した。オイル・ライターで名刺を燃やすのである。余裕を伝えるために、決して慌てない。
そのニュアンスを分かる気のないシャビーは、煙を吸いながら、声を出して笑った。
「そんなもん、ゴミだ。もうテレビでもやってる。どこに言っても、きっと金になる。」
アンヘリートは、表情を変えなかった。
「だから、何を話すって言うんだ。」
勿体ぶるシャビーが視線を逸らすと、アンヘリートは改めて襟元を掴んだ。
「オイ。」
大きく揺さぶられたシャビーは、笑いながら歌った。イントネーションは無秩序。
「人殺しが、ライト・ハウスの常連だって。」
言葉は、聞くタイミングによって、まったく違う意味を持つ。
アンヘリートは、シャビーの顔を暫く見つめると、手を離した。それは、シャビーにとって想定にない展開。
アンヘリートは、忌々しいシャビーを取敢えず睨んだ。伝えなければならないことがある。
「今日、俺の所に連邦捜査官が来た。俺の前のことも、店のことも知ってたぞ。」
それは、シャビーが今更何を言おうが関係ないということ。そして、その話を連邦捜査官にしたのはシャビーではないということ。つまり、アンヘリートに怒る理由はないのである。
しかし、アンヘリートの発した言葉は、シャビーにはまったく違う意味を持った。
「それなら、別のネタがあるぜ。」
“他にもネタがあるから、態度に気をつけろ。”
聞こえてくる様なシャビーの気持ち。すべてを償ったアンヘリートには虚しいだけである。
シャビーから目を逸らしたアンヘリートは、ざわめく木々を睨んだ。隣りの△△△△は別にして、アンヘリートは、慎重に答えを選ばなければならない。
自分の言葉がクリティカル・ヒットを生んだ誤解にとらわれたシャビーが鼻で笑うと、考える人、アンヘリートは視線の先を移した。
コンマ数秒後。
アンヘリートは、取敢えずシャビーの鼻に重い拳を叩き込んだ。
「※△〇◇!」
痛みに身を縮めたシャビーが地面に落としたのは、鼻血とライト。
アンヘリートは、ゆっくり屈んでシャビーのライトを拾うと、スイッチを切った。無駄なライトへの苛立ちではない。アンヘリートは、木々の合間を見極めると、シャビーのライトを遥か遠くに向かって放り投げた。
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