第27話 彷徨(3)

文字数 3,032文字

取調室から出た二人は、すれ違ったアンナに笑顔で挨拶をすると、ヘッドフォンを着けるヘンリーの元に向かった。
真面目な彼は、昨夜の監視カメラの映像を見続けているのである。
心のオアシスを見つけたロレンツォが、ヘンリーの目の前で手を振ると、ヘンリーはヘッドフォンを外した。
「ただ、泣いてるね。」
ジョナサンのことである。二人が頷くと、ヘンリーは言葉を続けた。
「取り調べは、もう終わったのかい。」
ロレンツォは、後ろを一瞥してから答えた。
「まだ、やってる。」
「何か喋ったかい。」
自らの問いかけにロレンツォが顔を横に振ると、ヘンリーは微笑んだ。
「だろうね。あいつが、証拠もないのに、何か喋るなんて。」
ロレンツォとナバイアは、どこに行っても変わらない常識に、改めて頷いた。口を開くのはロレンツォ。
「折角だから、ミスター・ベイリーを家に送る。少し、話をしたいんだ。」
ヘンリーは笑顔を消した。ロレンツォの行動は、町の人間には少し過激なのである。
「ジョナサンは気が小さい。興奮しやすいんだ。信用できる人間がいないと、何も言わないよ。」
以前、ハンクからも聞いた様な話であるが、ロレンツォに諦めるつもりはない。
「誰が適任ですか。」
記憶を辿ったヘンリーは、自分のデスクを観察し、やがて一人の名を口にした。
「ジェームズ・ネルソンかな。」

ヘンリーに連れてこられたジョナサンは、ロレンツォとナバイアを見ても口を開かなかったが、取り乱しもしなかった。
一晩泣いて、諦めたのである。
ジェームズを呼び出していることも知らず、飼いならされたフクロウは、SUVに大人しく乗り込んだ。隣りに座るのはロレンツォ。昨晩と同じ状況で静かにさせることに意味がある。制圧するのである。
無言のドライブが始まって間もなく、ナバイアは、道路沿いに立つジェームズを見つけて、声を上げた。約束の場所である。
「ミスター・ネルソンだ。」
ナバイアの演技を小さく笑ったロレンツォは、流れでジョナサンに語り掛けた。
「せっかくだから、少し話しませんか。」
ジョナサンは不可解な表情を浮かべたが、二秒で頷いた。彼は全てを諦めているのである。

公園は、どんなに暗い事件に巻込まれた町にも平等に季節を教える。それは、一面の花々に、温度以外は通じないから。人の気持ちを、完全に無視しているのである。
ロレンツォは、ジェームズとジョナサンの三人でベンチに腰かけた。
花の似合わない三人。真ん中はジェームズ。ナバイアは、連邦捜査官の割合を減らすために車で待機である。
一瞥したジェームズの目付きで何かを察したジョナサンは、静かに口を開いた。
「警察に逆らってすいませんでした。」
勘で張り込んだだけのロレンツォは、微かな罪悪感を爽やかな笑顔で隠した。
「敬語はやめて下さい。こちらも配慮が足りなかったんです。」
ジェームズは、ジョナサンの肩を叩いた。
「しっかり頼むぜ。お前が刑務所に入ったら、エラはどこに帰ったらいいんだ。」
ジェームズの言葉に聞き覚えがあるのは、犯罪の関係者によくある光景だから。
娘の名前を聞いたジョナサンは、不器用に瞼を押さえた。泣きそうなのかもしれない。
涙脆くなる年齢に明らかに達しているジェームズは、さっき叩いた肩を強く抱いた。
「頑張れ。皆がエラを探してる。もう少しだ。」
ジョナサンは、大きく息を吸いながら頷き、ジェームズの手を軽く叩いた。
「ありがとう。ジェームズ。」
ロレンツォは、頼れるリーダーを見て微笑み、ジョナサンの気持ちが整うのを待った。
静かに口を開いたのはロレンツォ。
「昨夜、シャビーを見ましたよね。」
ジョナサンは、ジェームズの顔越しにロレンツォの穏やかな笑顔を見た。
「ああ。誰にも言わない。」
シャビーの顔面を思い出したロレンツォは、小さく笑った。おそらく、ジョナサンは警官の暴力を秘密にすると言っている。大きな誤解である。
「いや、そういう意味じゃないんです。彼はあまり素行がよくないので話を聞いていたんですが、本当に何も話してくれないんです。あなたは、彼と付き合いがあったんですよね。」
ジョナサンは、視線を散らしながら、答えを口にした。
「あいつは、あんまり頭がよくないから。」
誘拐事件が起きた後しか知らないが、それはジョナサンも同じである。ロレンツォは、優しく微笑むと言葉を続けた。
「そういう話でもないんです。はっきり言うと、彼は容疑者の一人です。あそこはホテルではありません。前にも似た様なことを伺いましたが、シャビーは、あなたにとって、どういう存在なんですか。」
ロレンツォが一線を越えると、フクロウの眼球は左上を見て止まった。
「友達だ。」
笑顔のロレンツォは質問を重ねた。
「友達?随分、年が離れてますね。」
ジョナサンは、心の底から意外そうにロレンツォを見た。
「関係あるか?」
本心にしか見えないが、それはそれで気味が悪い。ロレンツォは首を傾げた。
「悪くはないですけどね。子供みたいとか?」
ジョナサンは、少しだけ黙ってから口を開いた。
「いや、友達だ。イーブンだ。」
間のジェームズの視線の先は、遠い花畑である。ロレンツォは、ジョナサンの答えを受け入れてみることにした。
「どういう所で、どんなことをして遊ぶんですか?」
百歩譲った質問である。しかし、ジョナサンは、ロレンツォをフクロウの様に見つめた。
「俺がどこで何して遊ぼうと勝手じゃないか。」
シャビーは容疑者なので、勝手ではない。ロレンツォが苦笑すると、視線を落としたジェームズが呟いた。
「馬鹿。シャビーとお前が一緒の時の話だけでいいんだ。」
申し訳なくなったロレンツォは、優しく言葉を付け加えた。
「つまり、人に話したくない様な遊びをしていたということですかね。」
ジェームズの視線に気付くと、ジョナサンは気まずそうに顔を背けた。
それはそれで、一つの答えである。ロレンツォは、質問を変えた。
「すいません。答えたくなければ、結構です。ミスター・ベイリー。それなら、奥様とシャビーはどういう関係なんですか。」
ロレンツォを睨もうとしたジョナサンは、ジェームズと視線が合うと、目を逸らした。
それでも、何か言いたい気持ちは残っていたのかもしれない。顔の向きを忙しなく変えたジョナサンは、とうとう立ち上がった。
「帰るのか。」
ジェームズの声を無視できないジョナサンは、叫びながら歩いた。
「もう沢山だ!もう嫌だ!」
気持ちが分からなくはないジェームズは、隣りのロレンツォを見ると、小さく頷いた。ジェームズが考える限り、これが限界ということである。
ロレンツォは、遠ざかるジョナサンの背を見ながら、ジェームズに謝った。
「無理なお願いをして、すいませんでした。」
ジェームズは頷くだけ。
ロレンツォが知ったのは、シャビーがベイリー家に深く入り込んでいるということ。
家族でも友人でもない、ある種の絆がある。
誘拐の共犯者というシャビーの位置づけは、変える必要があるだろう。
もう一つ。今日の反応で分かったが、ジョナサンのジェームズへの信頼は確かである。
ジェームズなら、マディソンのことも知っているかもしれない。
ロレンツォは、小さな賭けに出ることにした。
「ついでと言っては何ですが、ミセス・ベイリーのことで、何か気になることはありませんか。」
被害者の親を疑うインパクトは大きい。その上、ジョナサンならまだしも、マディソンは教員である。
ジェームズは、威厳のある顔を皺だらけにして、ロレンツォの顔を見た。犯罪を捜査していると、稀に見る顔である。
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