第48話 邪径(2)

文字数 3,504文字

最初に調べたことだが、ベイリー家の不動産は、ジョナサン名義のベイリー邸とライト・ハウスだけである。
マディソンの貯蓄は三千ドルで、ジョナサンの借金が九万ドル。
ジョナサンの借金の理由は、三か月で経営に失敗したレストランの初期投資。
後のライト・ハウスである。因みに、土地を売りつけたのは、ジェームズの三番目の弟。
車は一台だけ。塗装の剥げたセダンは、売れた代物ではない。
二人に貴金属や宝石、絵画の収集癖はなく、保険にも入っていない。
当然、投資も一切していない。
身代金が目当てでないことは、誰の目にも明らかである。
町の過去を知るロレンツォとナバイアは、沼が深そうな怨恨の線にも近寄らず、地元の保安官と数に勝る州警察に丸投げした。
市長の要望にかたちだけ応えるために派遣された二人は、無駄撃ちを避け、目立った話を拾いながら、しりとりを続けるだけ。
当時は、そこまでだった。
しかし、今、マディソンのストーリーは一変した。
それまで耳にしたすべては、ベイリー家が被害者であることが前提だったのである。
あらゆる不幸をクロノスのせいにする筈の住民は、ジョナサンと言う新たな殺人犯が登場すると、聞いていないことまで喋り始めた。
通りで呼び止められるのである。
ロレンツォとナバイアは、目の色が変わった住民達に、ただ爽やかに微笑み続けた。

皆の話が描き出した彼女の人生は、つまりこうである。
マディソン・ベイリー。旧姓ダイアーは、従兄妹同士が結婚した中流家庭の一人娘として生まれた。
幼少期のマディソンは、口数が少ないが決して大人しいわけではなく、所謂、芯の強いタイプだった。一つのことに熱中すると、物事が見えなくなり、訳の分からない言葉を口にすることがあったが、それ以外は、理科が好きなだけの至って平凡な女の子。
リタイアして久しい、当時の担任の情報である。
彼女の生活に一つの事件が起きたのは、小学三年の頃。
父親のジェリーが膵臓がんで他界したのである。それは、丁度、町の若者達が先住民居留地との喧嘩で殺気立っていた頃。
ジェリーの病死は、町の誰にとっても事件ではなく、何一つ変わらない光景が、マディソンにジェリーの死を日常と錯覚させた。姿を消した父親に対し、裏切りに近い感情を抱いた当時の彼女は、彼からもらったものを全て捨て、ゴミ捨て場を騒がせている。
井戸端会議に忙しいプラス・サイズのレディ達がまくしたてたので、多分、事実。
そして、次の事件。
母娘はすぐに引っ越し、新しい生活を始めるが、三年後に母親のサリーも同じ膵臓がんで他界する。一人ぼっちになったマディソンは、サリーの姉夫婦のベイリー家に引き取られ、後に夫となる従兄妹のジョナサンと出会う。その頃のマディソンは、自分が膵臓がんの家系で早死にする幻想に取りつかれ、友人の前で踊りながら泣いている。
その発言をした者の多さに、ロレンツォは眉を上げた。
一方で、ジョナサンを自分の運命の相手の様に語り、性的なことを口にしたため、クラスで孤立したことがある。当時、既に成人していたジョナサンのことも噂になったが、保安官事務所に記録はない。
さすがに懲りたのか、マディソンは、その後、しばらく目立たない学生生活を送ったが、高校二年の時、決定的な事件を起こす。
まずはクラスメートのドロシー・エバンズ。ジェームズからは幼馴染と聞いたが、二人の出会いはその頃。当時の二人は少し会話を交わす程度の関係だったが、ある日、マディソンがドロシーの恋人を奪ったという噂が、子供の世界を越えて、町中に広がった。
真偽は分からないが、彼女の昔を知る者が噂を大きくした可能性が高い。
これはドロシーの父親の情報。娘とは違う生き物の様である。
家での居心地が悪くなった彼女は、育ての親が寝付くまで廃墟に入り浸る様になる。
やがて、家出少女達が集い、FFCと呼ばれる場所の始まり。ロレンツォ達にとっての事件はそれである。
名前の由来は知らないが、マディソンが男にそう言ったという声が一番多い。
当然、噂を聞きつけた町の大人達は、何度もFFCを潰そうとした。
子供がマディソンと同世代のジェームズも、その大人の一人。
しかし、他に居場所のない子供達は、幾ら追い払っても、いつかは戻ってくる。
FFCだけが彼女達の安らげる場所。
獣の様な親を見ないでいいし、誰からも辱められない場所。
彼女達にはそこしかない。
気持ちまで語るのがヘンリー。
しかし、永遠に思われたFFCは、間もなく、思わぬかたちで終焉を迎える。
いくら落ちこぼれても勉強だけは続けたマディソンが、地元を離れて大学に進学したのである。
急にではないが、少しずつ子供達の数は減っていった。
それは、儚い小鳥達の宿木がマディソンだったと言うこと。
町にとっての彼女のイメージはその時に動かぬものになり、大学時代のマディソンの里帰りは寂しいものに変わった。
彼女のクラスメートの殆どが言うのだから、マディソンの苦痛は相当のものだった筈である。
因みに、クロノスの名がメディアを騒がせたのは、それから暫くの事。
そして、次の事件。
数年後、マディソンは教員免許を取得して、地元に戻ると、中学校の教職に就いて見せた。
不屈の彼女は、人生を立ち直したのである。
自分を変えたかったわけではない。地球が一つであることを知る彼女は、逃げなかった。
自分を侮辱した人間を、見返したかったのである。
彼女にチャンスを与えたのは、マディソンの不幸を知る優しい大人。性善説は時に罪をつくる。
結果的に、彼女を敵視していた住民は、子供と言う人質をとられることになった。
不穏な噂に包まれる教員生活が長続きする筈もなく、マディソンは、そうなるべくして、ドロシーと二度目の騒動を起こし、教職を追われる。
ドロシーがたてた噂に苛立ったマディソンの仕返しだという話であるが、直接聞いた者はいない。
これも、皆が口にしたこと。
マディソンが、人間が一人では生きられないことを認めたのはその頃。
生活の糧を失った彼女は、かつて運命の人と呼んだジョナサンと結婚する。言霊である。
この頃のジョナサンは電気屋で働いていたが、新婚生活で披露した料理の腕をマディソンに日々褒められると、一念発起して、レストラン事業に手を出し失敗。
その後、看板だけは何度か変えたが、借金が増えるだけだった。
間もなく、夫の将来性を見切ったマディソンは、大きな一歩を踏み出す。
FFCの人脈を頼りに、人を集めたのである。
出来る商売は決まっている。
脅し紛いの方法で少しずつ客を増やしたマディソンは、仕事が軌道に乗るとジョナサンに後を託し、ライト・ハウスの原型をつくり上げた。ジョナサンは、店の名前を決め、照明で店を飾っただけ。
ライト・ハウスの古株の情報である。
因みに、ほぼ時を同じくして、グッゲンハイムは市長になり、ハンクはヘンリーのボスになっている。
彼女のストーリーはそこでは終わらない。
幾ら生活に困らなくても不幸にしか見えないベイリー家に、商店街のボスであるジェームズが救いの手を差し伸べたのである。
大学の非常勤講師。それは紛いなりにも聖職。
マディソンはまだ奨学金も返済できていない。同じ教員でも正規ではなく、相手は半分大人だから大丈夫。ジェームズはそう説いた。
当然、暫くの間、彼は町の皆から非難されたが、彼が余所の土地に足を踏み入れたのには理由があった。
自分の子供と同世代のマディソンを、高校生の頃に救えなかったこと。
マディソンが中学の教員でいることに、一度は強く抗議したこと。
自分の弟がジョナサンに土地を売りつけ、借金を負わせたこと。
ライト・ハウスが町に根付いていくのに、見て見ぬふりをしたこと。
父親が死に、アルファになった彼が、すべてを丸く収めたいと思ったこと。
それは、ジェームズ本人の情報。
かくして、世間の感情のままに流され、道徳と不道徳が同居する謎の人物、マディソン・ベイリーが誕生したのである。

聞き込みから戻ったSUVの中で、ロレンツォは深い溜息をついた。
「泥の中で、スムージーを飲んでる気分だ。」
同じ話を聞き続けたナバイアの気持ちも変わらない。
「ただの噂話だしな。もう止めるか。」
口を開いたのは、窒息しそうな窓の外を見るロレンツォ。
「それは駄目かな。」
ロレンツォとナバイアは、小さく笑った。
ナバイアは、自分が善人であることを示すために、口を開いた。必要なことである。
「大学時代だ。彼女が立ち直った頃を当たろう。少しは同情できるかもしれない。」
ロレンツォは、両手で顔を擦りながら呟いた。
「僕はずっと同情してる。」
ナバイアがロレンツォを二度見すると、ロレンツォは、小さく微笑み、エンジンをかけた。
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