第26話 彷徨(2)

文字数 4,182文字

ロレンツォとナバイアが待つ取調室に引きずられてきたシャビーの顔は、昨日よりも腫れていた。新しい傷はないので、連れてきたハンクが何をしたせいでもない。自然の摂理である。
シャビーを椅子に座らせたハンクは、今日の手柄を連邦捜査官に譲り、部屋の隅の椅子に腰かけた。
恩恵を授かるのは、おそらく、シャビーの正面に座ったロレンツォ。
可哀そうな父親にシャビーの隣りで一晩泣かせたからではない。常に発言する憎まれ役の彼には、その資格がある。
「シャビー。端的に聞く。君は、エラ・ベイリーを誘拐したか。」
腫れた顔を歪めたシャビーは、鼻をすすっただけで何も口にしない。不愉快な絵である。
「質問を変える。君は、エラ・ベイリーを殺害したか。」
昨日のハンクと同じ質問をロレンツォに繰返されたシャビーは、無駄を感じたのか、不意に俯いた。喋らない意思表示である。
二十秒待ったロレンツォは、ガードの弱い場所を探し始めた。
「君は、前の大学で、ミセス・ベイリーと関係を持った。それは事実か。」
人生の転機にまで発展した事件の筈だが、恥知らずのシャビーに反応はない。
「君は、その噂が広まると、ミセス・ベイリーの世話で、別の大学に移った。その後も、君とミセス・ベイリーの関係は切れることがなく、彼女の家にも出入りし、ミスター・ベイリーや娘のエラとも行動を共にした。」
ロレンツォは、時間が止まったシャビーの頭頂部をしばらく眺めた後、静かに口を開いた。
「おかしいじゃないか。」
シャビーは、ロレンツォの顔を一瞬見上げると、また俯いた。喋るのはロレンツォだけ。
「恋愛は別として、先生と生徒なら、普通は先生が罰を受ける。ただ、転校したのは君で、君の親は君が悪いと言ったそうじゃないか。」
シャビーの反応は相変わらずだが、ロレンツォの質問は終わらない。
「その後、ベイリー家の皆と君が付き合える理由も分からない。ミスター・ベイリーが奇跡的に君達の関係を知らないとしても、ミセス・ベイリーは何を考えてるんだ。大体、君はどう見てもジャンキーだ。君と娘を一緒に外出させるなんて、どうかしてる。」
椅子が軋む音が聞こえたのは、シャビーが動いたから。ボロボロのシャビーは、少しだけ頭を上げた。
「答えは全部ノーだ。」
ロレンツォは、表情を変えずにシャビーを見つめた。
「よく考えるんだ。ノーだけだと意味が通らない。一つ一つ、自分の口で、ちゃんと説明した方がいい。」
何の反応もないシャビーの頭に向かって、ロレンツォは語り掛けた。
「シャビー。僕達は心配してる。君は誰かに弱みを握られてるんじゃないか。君はその人物の前では奴隷同然で、無茶をやらされてるんじゃないか。」
シャビーは、ゆっくりと頭を上げると、だらしなく首を傾げ、腫れた顔で微笑んだ。
ドライ・フルーツ。
虫唾の走ったロレンツォは、急に大きな音を立てて、腰を上げた。
席を立つのが早いのは、ロレンツォがシャビーを嫌っているから。生理的に受け付けなくなり始めている。
バディを熟知するナバイアは、しかし、ハンクを見た。自分より、今のこの場に適した人材がいるのである。温まった筈のシャビーの脳に、発火点を越えさせる人材。
顔を皺だらけにしたハンクは、ロレンツォと座る場所を換わった。動いた空気が、大人の匂いを拡げる。ベテランの彼は、自分の役割を知っている。
「シャビー。お前が一人でやったなんて言ってない。共犯がいたんだろう。それが誰か教えてくれるだけでいいんだぜ。」
黙ったままのシャビーを、ハンクは許さない。
「次に俺を無視したら、お前の妹にイヌをけしかける。」
ナバイアの口元が緩むと、顔を歪めていたロレンツォも釣られたが、シャビーは夢遊病の様に口を開いた。ハンクはやりそうなのである。
「やってない。」
ハンクは罵声を重ねた。
「だから、共犯は誰かって言ってんだ!聞かれたことに答えろよ!」
「だから、俺はやってないから、共犯なんていない!」
シャビーが叫ぶと、ハンクは机を叩いて、もう一回り大きな声を返した。
「最初からそう言え!!いいか!!聞かれたことに、そのまま答えろ!!」
ロレンツォは、力を出し切った様に見えるシャビーを眺めた。
ちゃんと答えて怒鳴られた彼は、完全に正体不明である。対するハンクは、エンジンがかかったぐらい。
やがて、シャビーは小さく呟き始めた。今更、歌いだす程、綺麗ではない筈なので、悲しい気持ちが勝手に盛り上がったのかもしれない。
「俺を知ってるだろ。共犯なんて。そんなこと、誰も俺と一緒にやるわけない。俺のことなんて、誰も信じる筈がないさ。」
ハンクは、顔の皺を増やした。
「ジョナサンはどうした。お前、よく一緒に居たろ。あいつはお前と似た様なもんだ。」
昨夜、泥沼を見せられたシャビーが、開かない目を見開くと、ハンクは言葉を続けた。
「マディソンはどうだ。お前はあいつの言いなりだ。エラもどうだ。狂言誘拐もある。まだ、ガキだし、お前だって、大人に見える。」
シャビーが天を仰いで絶望を伝えると、ハンクはニヤついた。声は低い。
「冗談だ。そんな筈ない。分かってる。俺には全部分かってるんだ。」
ハンクは、シャビーの視線が戻ってくるのを待って、口を開いた。
「ジョールだ。お前はあいつに金をもらったんだ。あいつは顔を変えるから、お前が裏切っても関係ない。」
揺れていたシャビーの視線の先がハンクの目に留まると、ハンクは目に力を入れた。ロックオンである。
「ヘルムートが死んだから、あいつは完全に自由だ。もう一度、殺りたくなったんだ。」
シャビーは、顔を横に振りながら、口を開いた。あるいは、心の声が漏れたのかもしれない。
「何だよ、それ。なんで、俺がクロノスと。」
譲らないハンクとシャビーの声量は、徐々に上がっていく。
「こっちが勘弁してほしいぜ。なんで、俺がクロノスの仲間と喋らなきゃいけない。」
「だから、俺は仲間じゃない。」
「仲間じゃなきゃ何だ。手下か。」
「関係ない。全然、知らない。」
「嘘つけ。知らなきゃ、何でそんなに反応する。」
「この町にいるんだから、誰だって知ってる。」
「何を知ってるんだ。」
「だから、知らないんだ!」
「さっきは知ってるって言ったぞ!何を隠してる!」
「隠してなんかない!!さっき、言ったことぐらいだ!!」
「何を言った!!何を知ってる!!もう一度言え!!全部だ!!」
更にギアを上げようとしたシャビーは、ここへ来て、我に返った。
「もう一度って…。俺は何を話したんだ。」
ロレンツォとナバイアが、シャビーから顔を逸らして笑うのを見たハンクは、鼻で笑って、シャビーとの距離を詰めた。
「俺達、町の人間は、本当のクロノス事件を知ってる。そうだろう。女が二人いなくなってから一か月して、手首が送られてきた。知ってるだろ。ブリキの箱に入ってた。上からビニル袋。それでも臭ぇんだ。鼻につくんだ。まるで、お前だ。それから次だ。誰でも知ってる。少しして手首がもう一つだ。今度はラッピングが違う。まずはビニル袋で三重に包んで、紙の菓子箱だ。スープ付き。臭ぇのは一緒だ。そこでサプライズだ。腐ってない。組織も壊れてないから、冷凍したわけでもない。いいか。皆が知ってる。治療して、殺さない。生かしたまま、少しずつ切ったんだ。分かるだろう。それが繰返された。手首だけじゃない。人間には、結構、関節がある。女が正気でいたとも思わん。吐き気がするのはここからだ。そうだよな。肉の塊は二人分ある。骨の傷から分かった刃物も最悪だった。一つじゃない。刃物祭りだった。楽しんでる。知ってるだろう。ただ、何よりもだ。女達は互いを見てた筈だ。完全に防音できる部屋を、何個もつくる奴はそうそういない。業者を当たったが、その線はなかった。知ってるよな。」
この町に来た最初の夜、ルナで見たスマートフォンに現れたのは、その手首の写真である。
爪の拡大写真はいいが、断面は許せなかった。
グロテスクなフラッシュ・バックに、ロレンツォとナバイアの顔から、静かに笑顔が消えていく。ハンクは、緊張感を作り直すために、皆が知る共通の悪夢を持ち出したのである。
「治療の度に、生きられると思ったかもな。そうは言っても、そこまで酷い人間はいない。どこかに人間らしさが残っていて、助けてくれる。生きてる限り、人間はそう思うんだ。自分が生きてる世界しか知らないからな。ただ、それは普通の場合だ。目の前のチッピーのかたちが変わっていく。自分と一緒に、鏡みたいにな。歩けない。起き上がれない。飯が食えない。糞が出来ない。見えない。聞こえない。何も分からない。どこかで、死んだ方がいいと思った筈だ。」
ハンクは、シャビーの鼻息を感じると微笑んだ。
「まるで、大金持ちの最期だ。なあ、おい。裏切られたギャングだって、もう少し優しいぜ。せいぜい、三日で殺すからな。治すから、地獄が続いた。」
シャビーの目は、不安を隠せなくなった。
ハンクの話は、ディテールは別にして、シャビーの小さな脳裏にも微かに記憶として残っている。ネタ元は報道か噂話か。
シャビーが怖くなった理由は別にある。そんな地獄に首まで浸かっているハンクから言われる無茶への純粋な恐怖である。
ハンクは、シャビーの予想通りの理不尽を口にした。
「あいつに手を貸すなら、お前は同罪だ。☆☆☆☆・〇〇〇〇。」
シャビーは、自分がやるべきことをした。
「俺は関係ない!!!」
シャビーが涎を垂らして怒鳴っても、ハンクには関係ない。
「今は、そう思えるかもしれん。ただな。チッピーは、最初の一か月は無事だった。少なくとも手首はあった。今のエラがその状態だ。お前は、ジョールに言われて、エラをさらって、渡しただけだろう。あの娘がどんな目にあっても知りやしない。親のせいだと、天罰だと思ってる。何の罪もない子供が地獄を見てるのに、尻でも掻いてるぐらいにしか思ってない。お前を最初に捕まえた時もそうだった。お前は〇〇〇〇で、お前の親も〇〇〇〇だ。〇〇〇〇が〇〇〇〇と出会って、〇〇〇〇をつくって、〇〇〇〇みたいに育てるから、そんな〇〇〇〇になる。〇〇〇〇はどこまで行っても、〇〇〇〇なんだ。」
流石に正念場が分かるシャビーは、体格を超える声を張り上げた。それは声帯の限界。
「俺は関係ない!!!!」
ロレンツォとナバイアは、ハンクが上着を脱ぐと、取調室を後にした。
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