第43話 愁情(1)

文字数 2,823文字

翌日も快晴。クルス達が泊まる隣町のホテルに移ったロレンツォとナバイアが目覚めたのは十時過ぎなので、二人はこの町の朝をまだ見ていない。
二人の知らない朝。早くから朝市が賑わい、親に追い立てられた小さな影が住宅街を一瞬だけ賑わすと、八時には歩道がオフィス・ワーカーで溢れる。銀行員か、車のディーラーか。その気で歩く彼らのお蔭で、ホームレスは脇役でいられる。モーニングを食べられる店も多く、リタイアした夫婦がサングラスでテラスに並ぶ。時間が無限にある若者達が目覚めるのはまだ先。
おそらくは、それが町の景色というもので、ロレンツォとナバイアが死ぬまでの殆どを費やし、守る世界である。
そんな世界とはかけ離れた遠くの知らない町で、薄給のために死の淵を見たロレンツォは、誰にはばかることもなく、昼前に行動を開始した。病院に付き添ったナバイアも一緒。
目指したのは保安官事務所である。マディソンが閉じ込められた取調べ室は、ハンクと州警察で定員オーバー。
誰がどう攻めようと、マディソンを逮捕したのはロレンツォとナバイアに違いない。
余裕のある二人は、焼け落ちたソルの検証に向かった。ヘンリーが待っているのである。

火事の中、ロレンツォが考えた通り、火元は二階だった。
焼け落ちた範囲から考えると、二人の部屋の前に油を撒いて放火した可能性が高い。
スヌーピーとウッドストックは、一階にいたので逃げられた。ヘンリー曰く、二人の内縁関係は長い様である。
その日、二階に泊まっていたのはロレンツォとナバイアだけなので、ターゲットは二人のどちらか。あるいは両方。
ロレンツォがホテルの外にナバイアを見つけた理由の確認は、昨夜のうちに済んでいる。
酔ったナバイアは、ロレンツォが潰れて、突然の自由を感じると、前に誘われたライト・ハウスの女と連絡をとったのである。
元々、常に女性といるのが彼。人恋しくなったのだろうが、気の迷いである。
ソルの外で待っている間に火事が起きたのは、二つの意味で幸運だったかもしれない。
火事から逃げることが出来た上、ロレンツォに無視される理由がなくなったのである。

炭の中を好きに歩いていたロレンツォは、改めて近寄ってきたヘンリーを見ると微笑んだ。
喋るのはヘンリー。
「何か、人に恨まれる様なことは?」
ロレンツォは、思い出した様に苦笑した。
車の事故の時にも聞かれたが、今、浮かんだ顔がもう違ったのである。
「この町では特に。ただ、ジョナサンは僕を恨んでるかもしれない。」
ヘンリーは頷いたが、穏やかに否定した。
「ジョナサンは、こんな芸当が出来るタイプじゃない。いきなり、包丁を振り回すぐらいだ。」
いやに具体的だが、おそらくヘンリーはジョナサンを理解している。
ロレンツォは、自虐的な推理を続けた。
「あとはアンヘリート。いくら人殺しでも、苛めすぎたかもしれない。」
ヘンリーが渋い顔をしても、ロレンツォは気にしない。
「それからハーレー・ギャングかな。あいつらは気になる。」
ヘンリーは顎を上げた。
「確かにね。火炎瓶の前もある。人も死んでないし、狙い目だ。」
疲れたロレンツォが首を傾げると、ヘンリーが言葉を続けた。
「後で行こう。放っておいて勘違いされると面倒だ。」
ロレンツォ達と違って、ヘンリーは、この町で暮らし続けるのである。

書類をつくり終わった三人が保安官事務所を発ったのは夕方。
マディソンの取調べは、断続的だがまだ終わっていない。数に勝る州警察の本領発揮である。
昨夜見た男達のうちの一人、スティーブン・ハリスの家は、ソルからそう遠くない場所。
家は古いが、独身と聞く彼が一人で住むには大きい。木造の納屋で煌めくハーレー・フォーティー・エイトとは違い、分かり易くシック。
ミスマッチの答えは、親から譲り受けたものだから。
ボダウェイとホノヴィがいなければ、きっと違う人生が待っていたのである。
パトカーから降りたヘンリーは、後悔しか感じない家のチャイムを、短く押した。
スティーブンが玄関に姿を見せたのは、遅れて到着したロレンツォとナバイアが、直立するヘンリーの姿に疑問を感じた頃。
「なんだ、ヘンリーか。」
だらけたスティーブンは、ヘンリーの後ろにナバイアを見つけると目の色を変えたが、やがて、引きつる様な笑顔を浮かべた。
「何しに来た。」
ヘンリーはお決まりの質問に入った。
「昨日の夜一時ぐらいだ。どこにいた。」
スティーブンの口角は、更に高く上がった。
「ソルからずっと離れた遠い場所だ。」
スティーブンは昨夜の騒動を知っている。
ロレンツォは、ヘンリーの肩を叩くと、スティーブンの前に踏み出した。息を感じる距離である。口を開いたのは、スティーブン。
「生きてたのかよ。」
ロレンツォは、更に一歩踏み出し、スティーブンは一歩下がった。
ナバイアもヘンリーの前に出ると、扉は完全にふさがれた。喋るのはロレンツォ。
「僕らが怖がると思ったら大間違いだ。」
ロレンツォがもう一歩進もうとすると、スティーブンはその場に踏みとどまり、二人の胸は完全に密着した。口を開くのは、やはりロレンツォ。
「法を守る人間と守らない人間の間には高く長い壁がある。僕は、その壁を守る番人だ。忘れるな。犯罪者がいくら騒いだって、どんな手を使っても、壁の向こうに叩き落とす。後で幾ら吠えたって、僕には君の唾の一滴も届かない。」
スティーブンに怯む様子はない。
「お前は、今、俺の家に不法侵入してるぜ。お前の大事な法を守れよ。」
ロレンツォは言葉を被せた。
「ここは犯罪者の家じゃないか。州のものだろう。」
涼しい顔のロレンツォを見ると、スティーブンは眉を潜めた。
五秒の静寂が、ロレンツォの本気を教えると、スティーブンは一歩下がった。
喋るのはロレンツォ。
「もう一度チャンスをやる。保安官の質問に正確に答えるんだ。君は昨日の夜一時、どこにいた。」
スティーブンの顔は、それでも笑顔を取り戻した。何かを思い出したのである。
「ライト・ハウスだ。お前らに追い出されたからな。」
本能のままである。気に入らないロレンツォは、眉間に皺を寄せた。
「それを証明する人間は?」
「女だ。」
「信用できない。」
言葉を重ねると、スティーブンは、笑いを抑えながら答えを口にした。
「お前の後ろのアパッチ。そいつから電話がかかってきて、女が笑ってたぞ。」
引け目のあるナバイアよりも、ロレンツォの言葉が早い。
「女がどこにいたか分からない。外れだ。火をつけたのは、お前だな。」
ロレンツォが手錠に手をかけると、スティーブンの顔から一瞬で笑顔が消えた。
当然、ブラフである。畳みかけるのがロレンツォ。
「女は誰だ。」
ロレンツォの態度に強烈な理不尽を感じたスティーブンの口から出たのは、しかし、怒りの言葉。
「店の女に聞け!その後、俺に謝れ!」
スティーブンは、何をどう考えても、自分は悪くないと思ったのである。
目の前で怒鳴られたロレンツォがゆっくり振り向くと、視線を受けたナバイアは、後ろのヘンリーを振返った。
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