第58話 濫觴(3)

文字数 2,018文字

その夜のうちに州警察が増員され、ローラー作戦が始まった。
舌の回り始めたロレンツォの伝えたジョールの告白が、すべての緊急性を高めたのである。
顔を見せた以上、ジョールは逃亡する。
そして、エラは生きている。
彼女を誘拐した犯人もジョールなら、彼が逃亡した今、エラが飢え死にする可能性もある。
捜査が遅れれば、被害者が死ぬ。
事件の発生直後と同じ緊急事態が、連邦捜査局と州警察、保安官、自警団の揃った状態で生まれたのである。

ナバイアは、ロレンツォを病院に残したまま、一人で住宅街を訪ねて回った。
連邦捜査局の増援は、そう簡単にはいかない。ジョールの不動産を洗う情報部門はいいが、現地に派遣する捜査官はまた別物。じっと、していられないのである。
ナバイアが地味な仕事に手をつけたのは、状況が変わると、見える物が変わるから。
頑なに避けてきたクロノス事件と、少しだけ向き合う気になったということ。
但し、警官が一人で動かないのは危険だから。ハンクは特別である。
確かな油断は、そして、大きく悪い方へと転んだ。

ナバイアにとって、その日、何度目かのチャイムは、中にいた住人には違う意味を持った。
家族の出払った、広すぎる家で動き出したのは、スキン・ヘッドの男。
インターカムの画像で、突然の訪問者がナバイアと知った彼にとって、それは奇跡の瞬間だった。
スキン・ヘッドは物置に走った。彼を動かすのは、ナバイアを逃がしたくない強い気持ち。
戻ってきた彼の手に握られていたのは、レミントンM870だった。

点滅するインターカムに出ず、荒々しく玄関を出たスキン・ヘッドは、ナバイアの眼前にM870を突き付けた。
家ではバンダナを巻かない、ハーレー・ギャングである。
「ヘイ!気分はどうだ!」
一歩下がったナバイアは、その場で足を留めた。早い動きは禁物である。
ナバイアの頭脳が目まぐるしく動いた一秒。
エラを探しているので、何かしらの心の準備はあったが、これは違う。答えは出てこない。
毛穴が開いただけのナバイアに、スキン・ヘッドは銃口を近付けた。
「銃は怖いか!ほら!」
言いたいことが分からない訳ではないナバイアは、ゆっくりと頷いた。
喋るのは、銃を握るスキン・ヘッド。
「俺が気に入らないのはな!警官だって言って威張る!銃を持って威張る!絶対、負けないからって威張る!そういう〇〇〇〇☆☆☆☆だ!」
先住民を詰ってもナバイアの反応がないと見ると、男は声を荒げた。
「分かるだろう!!お前のことだ!!」
スキン・ヘッドが銃を動かすと、ナバイアは本能で仰け反った。
「OK。分かった。俺が間違ってた。確かに卑怯だった。」
ナバイアは呼吸のタイミングを意識した。普通のことが普通に出来ないのである。
スキン・ヘッドの顔に、銃を降ろす心は見えない。目がイっている。
ナバイアは、説得を続けた。
「悪いのは俺だ。もう分かった。撃たないでくれ。頼む。」
謝り続けたという方が正確かもしれない。
ナバイアの体内時計で、きっと二十分。
顔の腫れたナバイアがこれだけ謝ったのである。許せるなら、もう許している。
スキン・ヘッドが動かないのは、あるいは動けないから。
ダブルCの一件で逮捕しなかったせいで、男は早まったのかもしれない。
銃を向けられて、動けなかったのが、堪らなく悔しかった。衝動的犯行である。
過ぎる時間は、彼を追い詰めていく他ない。
勝手に人生を悲観した挙句、引き金を引くのは簡単かもしれない。
腐った想像の溢れるナバイアの目の前で、しかし、次の瞬間、小さな血の華が咲いた。
「◎×☆◇…。」
小さく呻いて、M870を落としたスキン・ヘッドは、肩を押さえてしゃがみ込んだ。
振返ったナバイアの視線の先にいたのはハンク。
スミス&ウェッソンM39を、サムス・フォワードで握る彼である。
銃をホルダーにしまいながらハンクが近付いてくると、ナバイアは足元に転がるショットガンを拾った。まずは安全確保である。
低い声のハンクが話しかけた相手はナバイア。
「この辺りを一人で回ってるって聞いてな。探してた。間に合ってよかった。」
ハンクが渋い顔をしたのは、そうは言っても、同じ町の人間を撃ちたくなかったから。
ナバイアは、心の底から微笑んだ。温かい何かが込上げるのを感じる。
しかし、間にいるナバイアを避けて、的に当てるのは、狙撃手のそれである。
「神業だな。」
明るいナバイアの声に、ハンクは小さく頷いた。
「まあ、射撃はな。州で表彰されたことがある。」
ハンクの思わぬ自慢話にナバイアが笑うと、傷口を押さえていたスキン・ヘッドが、呻く様に口を開いた。
「人殺し…。」
声を出せば痛む筈だが、黙っていられなかった。ハーレー・ギャングは、自分の気持ちに正直なのである。
ハンクは、どっちでもよさそうに笑った。
「アホ。本当に殺すんならな。首を狙うんだ。血も出るし、声が出せないから助けも呼べん。忘れるな。」
他のどこでも役に立たない知識である。ナバイアは、笑顔のまま、顔を横に振った。
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