第61話 中道(1)

文字数 2,463文字

“警官になんか、なるんじゃなかった。なんで、こんな思いを僕がしなきゃいけないんだ。”

ナバイアとハンクは、ティモンズ整形外科の前で張り込みを開始した。
最優先はエラの捜索なので、増員は期待できない。
正規の捜査官は一人だけ。
この無茶な捜査が成立したのは、ティモンズ先生の全面協力のお蔭。診察室の盗聴許可と時間外の手術拒否は、確かな武器なのである。
ナバイアが驚いたのは、州外の捜査に関われないハンクが有給休暇をとったこと。
ジョールが絡めば、彼は違う。ハンクは、この張り込みに賭けているのである。
因みに、初日は別々に張り込んだ二人は、次の日にはナバイアが手配したバンに同乗した。
二人の車がジョールにばれていることと、捜査の合理性の問題である。

密室で二人だけ。ひたすら病院の階段を見つめる時間は、あまりに長い。
この機に、ナバイアがハンクについて気付いたことが三つ。
ハンクが饒舌であること。
ハンクの買ってくる昼飯が高いこと。
ハンクがトイレに抜ける回数が多いこと。
付き合いやすい糖尿病予備軍。それがナバイアの診断である。

ある日のハンクの昼飯はロブスター・ロール。ナバイアはキューバ・サンドイッチ。
ハンクは、階段を見つめたまま、口を開いた。喋るためである。
「体を少しずつ切ってく。生かしてだ。どうやったら、そんなことが出来ると思う。」
ナバイアは、サンドイッチを口に運ぶ手を止めた。食事時の話ではない。
「分からないね。」
本心である。ハンクは小さく頷き、ロブスター・ロールを頬張った。
「俺もだ。分からなくてな。毎日、考えた。どうやったら、そんなことを思いつくのか。どんな鬼畜が、そんなことを出来るのか。」
ナバイアは、食べながら喋るハンクの口元を見つめた。喋るのはハンク。
「思ったより簡単だ。何人か、からんでる。まず、最初。手首は何かの理由で切らなきゃいけなかったか、事故で切れた。薬で飛んでたとかな。それから、その手首を誰かが見つける。どうする?」
「警察に言うね。」
即答したナバイアがサンドイッチを口に運ぶと、ハンクは小さく頷き、話を続けた。
「そこに人間関係が入ると、少し話が違ってくる。誰かを助けたくても、自分が通報したと分かるのは嫌だとする。自分と深い仲の人間がやってるんだ。そうしたら、どうする。」
ナバイアは頷いた。簡単である。
「匿名で警察に手紙でも送るかな。」
ハンクの視線を感じると、ナバイアは言葉を付け加えた。
「それが手首かもしれない。」
ハンクは頷いた。
「そうだ。そこで、歯車が狂いだす。次の手首を切るのが自然と思えるぐらいの地獄が、そいつらの間で起きた。」
ナバイアには笑い話に聞こえるレベル。
「どんな地獄だ。そんな無茶に、女が二人いっぺんに巻込まれるか?大人だぞ。」
しかし、ハンクの目は本気である。
「二人とも薬漬けで、訳が分からなくなってたんだ。」
知った様な理由である。ナバイアは、サンドイッチを見ながら、素直な疑問を口にした。
「じゃあ、女がそうだとして、何人かからんでるって?ジョール以外は?」
ハンクは何度か頷いた。
「チッピーで遊んでる医者が、病院の外で、ただで癌の治療をしてやったのを、馬鹿が警察に届けただけとでも言おうか。多分、最初の二回は、医者の手術。それはそれで、プレーかもしれん。知らんがな。だとしたら、そいつを捕まえるか。」
ナバイアにもシナリオが見えてきたが、ハンクを静かに見つめる顔は少しだけ歪んだ。
「アスマンは?」
「チッピーを連れ込んだのは奴だ。あいつの女遊びは酷かった。」
ハンクの答えは早い。
ナバイアは、この時になって、ずっと話から漏れている人物を思い出した。
温かい家庭で育ったナバイアには、決して、忘れられない人物。
もしも、彼がクロノス事件を捜査していれば、早い段階で調べていた筈の人物である。
「ジョールの母親は?一緒に住んでなくても、何かつながりは?」
ハンクは顔を横に振った。
「とっくの昔に終わってる。」
ナバイアは眉を潜めた。
「親子の縁に終わりはないだろう。」
ハンクは眉間に皺を寄せた。
「聞くなよ。そんなもんは最初からなかったんだ。」
ロブスターの塊をジャケットにこぼしたハンクは、拾って口に放り込むと、指を舐めた。
「手首を警察に送ったのはジョール。二回目は、探してまで、肉を送った。地獄の門を開いたのは、あいつだ。」
首を傾げたのはナバイア。
「それじゃあ、犯人でもなんでもない。」
ハンクは苦笑した。
「お前、連邦捜査官なのに、今一だな。手術は最初だけだ。あとは医者以外の奴が切ってる。手首のない女は、相手を切れない。考えろ。別の手が要る。ジョールは親父の体を切ったことがある。元々、おかしいんだ。そこに、体が切られていく女がいる。モルヒネ漬けで、無茶を言い続ける。いいか。ジョールはガキだった。」
ナバイアの視線を受けながら、ハンクは喋り続けた。
「あの馬鹿が幻覚を信じて、言われた通りに切ったんだ。時間をかけて、信じた。体を切られていく女の言うことをな。一回、切っちまえば、あとは〇〇〇〇の世界だ。」
ナバイアが渋い顔をすると、ハンクはまたロブスター・ロールを頬張った。
救われないナバイアは、顔を歪めて、口を開いた。
「他には誰か?」
ハンクは、ナバイアを一瞥した。彼の視線の先は、あくまでも病院である。
「ヘルムートの遊び仲間は、医者以外にいたかもしれん。女もな。何人もだ。とにかく、チッピーを連れ込んでた奴らは、いきなり地獄に放り込まれた。悪い遊びを警察に知られたくない奴らだ。」
「ジョールは、…。」
「誰がどう言おうと、百パーセントやったのはあいつだ。」
ハンクは、口を挟もうとしたナバイアの言葉を遮った。ハンクの話は終わらない。
「女と遊んだからって、刑務所に放り込む程、警察は暇じゃない。〇〇〇〇は死んだチッピーとジョール。それは間違いない。」
ナバイアは冷静である。
「いや、犯罪を通報する義務があるだろう。」
ハンクは、不意にナバイアを見すえた。冷たい目である。
「そんな義務を果たせる星があるんなら、来世で俺も行きたいね。」
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