第25話 彷徨(1)

文字数 1,830文字

翌朝も快晴。宇宙まで何もないその日の空を横切ったのは、カルフォルニア・コンドル。
それは奇跡の様な朝ということである。空を見上げる程、無駄に外にいる子供達が通りに出てくるのは、まだ先。きっと、この世のありとあらゆる奇跡は、地球のどこかで人のいない時間に当たり前に起きている。
他の誰とも違わず、前を向いて歩くロレンツォとナバイアは、そんな奇跡の空に連なる乾いた空気を横切り、ルナに入った。
ウッドストック以外がつくった朝食を食べるためである。
流れていたのは、アース・ウィンド・アンド・ファイアーの例の曲。流れるのは九月だけではない。
懐かしさに微笑んだ二人は、人の疎らな店内に意外な人物を見つけた。
マヤである。
夜の似合う彼女は朝も働いている。それは、彼女の金欠がかなりのレベルということ。
二人は、苦笑しながら、いつものボックス席に座った。
トロピカルな香りから遅れてバニラ。
いつも通りに香るマヤは、今日も笑顔でメニューを差し出した。
「スウィーティー、寝癖が凄いわよ。」
セットを欠かさない二人は、顔を見合わせて笑った。当然、寝癖などない。
「朝もいるとは思わなかった。」
ロレンツォが笑顔を向けると、マヤは、ただ首の角度だけを変えた。苦労話を自分からする趣味はない様である。
ロレンツォは、雑誌の一ページの様なマヤを見たまま、メニューを開かずに注文を口にした。
「いつもの。」
それは、マヤのお気に入り。
マヤは、ロレンツォに得意げな微笑みを見せると、ナバイアに視線を移した。
結果、急かされたナバイアは、メニューを開き、モーニングの一覧から、見たことのある名前を適当に指さした。
「エンチラーダね。ドリンクは?」
「ホット・コーヒー。」
ナバイアが短く答えてメニューを渡したのは、朝食を早く食べるため。何となく、マヤを遠ざけたい気持ちもあったかもしれない。しかし、マヤはテーブルに手をかけ、二人に顔を近付けた。睫毛は長い。
「聞いたわ。ジョナサンが捕まったって。」
住宅街で揉めたので、目撃談はあっという間に広まったのである。ロレンツォには、説明する義務があるかもしれない。
「捜査のことで揉めた。」
嘘のない最低限の情報である。ナバイアも言い訳を重ねた。
「彼は情緒不安定だった。」
マヤのもの言いたげな表情が、ロレンツォの口を動かす。
「気持ちは分かるけど、公務執行妨害だった。一晩反省してもらった。」
理解できる線の筈である。マヤは、小さく顎を上げてから頷いた。
彼女の瞳に輝きが戻らないのは、もう一つの職場のボスを思ってのことかもしれない。
ロレンツォは、おそらくは優しいマヤのために、いずれアンナから広まる噂を教えた。
「前に君に聞いたシャビー。彼の方はハンクが本腰を入れてる。」
マヤの情報のお蔭で捜査が進んでいる。そう教えたつもりだが、マヤの表情は晴れなかった。
少しだけ視線の泳いだマヤは、客のための綺麗な笑顔をつくり直し、香りだけを残して、厨房へ消えた。

四十分後。ロレンツォとナバイアが訪れた保安官事務所には、ハンクとヘンリーが揃っていた。ヘンリーは、見るからに眠そうである。
とにかく強烈な情報を持っていそうなのはハンクだが、今日のメインはヘンリー。
ロレンツォは、ハンクに軽く手を挙げると、ヘンリーのデスクに近寄り、天板に腰かけた。ナバイアは、そこまでの失礼はしない。
「成果は?」
ヘンリーは、子供より年下のロレンツォを見上げて、小さく笑った。
「ないね。シャビーは口を開いてない。ジョナサンは泣いてるだけだ。」
ロレンツォの目が細くなると、ヘンリーは言葉を続けた。
「俺が起きてる間はね。」
正直は大事である。頷いたロレンツォは、念のために確認をした。
「ジョナサンは、泣きながら何か言ってなかったかな。」
ヘンリーは、大きなため息をついてから口を開いた。それは、口にするのも億劫な記憶。
「エラの名前を繰返してた。あとは謝ってたかな。朝、監視カメラの映像は早送りで見たけど、変わりはなかった。音はもう一度聞かないと。顔が見えない角度もあるからね。」
ロレンツォは何度か頷くと、ナバイアに視線を移した。自分の思い付きが生んだ残酷さがどう聞こえたか、気になったのである。
人間の不完全を知るナバイアより先に声を上げたのは、空気が読めるハンク。
「取敢えず、シャビーは温まったろう。あいつが吐くなら今日だな。」
それは、今の四人に必要なポジティブな言葉。
そして、昨夜のロレンツォが何となく思い浮かべた、もう一つの展開である。
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