第37話 灼熱(1)

文字数 2,874文字

日付を跨いだ深夜の保安官事務所。
建物は、時間によって、表情を変える。橋と建物の違いは、そこに人の存在を期待するかどうか。普通の建物なら、飾らない建物の表情が見えるのは、人が姿を消すこの時間である。
しかし、保安官事務所に、灯りが消えることはない。
それは、人が常にいるのが、保安官事務所と言うこと。制服の保安官はデザインの一部。あるいは、犯罪者もその一部かもしれない。
その意味で、今まさに保安官事務所に連れてこられたアンヘリートは、デザイナーのイメージを忠実に再現しているだろう。
慣れている彼は、何の抵抗も見せず、州警察と足並みを揃えた。出来ることは、自分がライオンと伝えるために胸を張ることだけ。絵に描いた様な常習犯なのである。

州警察は、一人だけが取調べ室に入ると、残りはモニターの前に陣取った。理由はキャパシティである。
アンヘリートの前に座ったのは、ロレンツォとナバイア、それにヘンリー。連行した張本人のクルスは、立ったまま、壁に体を預けた。
一番に口を開いたのはヘンリーである。
「アンヘリート。我慢しろ。俺達には分かってるから、心配するな。」
ロレンツォに押し切られて、アンヘリートの連行を許したが、ヘンリーの考えは変わらない。
アンヘリートは、渋い表情でヘンリーを見た後、掠れた声を聞かせた。
「俺達って?この偉大な捜査官も俺の味方か?」
ロレンツォは小さく笑った。
「ミスター・モレノ。僕達は誰の味方という訳でもありません。事実を整理して、その結果に従うだけです。」
アンヘリートの鋭い眼光がクルスを捉えると、クルスは顔を逸らした。
相手を探したアンヘリートが話しかけたのはロレンツォ。
「今、あんたの知ってる事実って、何だ。」
ロレンツォは、ヘンリーを一瞥してから答えを口にした。
「シャビーがあなたのことを口にしたと教えたら、あなたは林を出て、州警察を振り切り、その日の夜にシャビーが死にました。その上、あなたは町を出ようとしています。きれいに話がつながっているんです。」
アンヘリートは、まるで他人事の様に呟いた。
「あんたの頭なら、そうなるかもな。」
どこまでも助けるのがヘンリー。
「アンヘリートは、そんなことはしない。仕事もないし、州警察があんまりしつこいから、嫌になって遠くに行きたくなった。そうだろう。」
アンヘリートが、頷きながら後を受けた。
「俺からすると、そうなる。ありがとう、ヘンリー。」
ロレンツォは、口元に笑みをたたえたまま、眉間に皺を寄せた。困った視線は、ヘンリーとアンヘリートを行き来する。
「二人は一体どういう関係ですか。」
ヘンリーは苦笑した。
「町の一保安官と善良な一市民だ。あんたの気持ちはわかる。俺も、アンヘリートのことは、これまでに何度か疑った。ただ、一度だって、この男が悪かったことはない。最後には謝ってばかりだ。」
ロレンツォは、視線をヘンリーに向けたまま止まった。
「何でも最初があります。先入観は捨てて、事実だけを確認しましょう。」
ナバイアが大きく頷き、ロレンツォの言葉に力を添えると、アンヘリートは忌々しそうにナバイアを見た。口を開いたのはロレンツォ。
「なぜ、州警察から逃げたんですか。」
ロレンツォではなくクルスを見たアンヘリートは、静かに覚悟を決めた。
責められ、全てを曝け出すのは、初めてではない。黙っていたら、お決まりの書類をつくって、流されてしまう。
クルスは、確実にそのタイプである。
「朝、あんたに疑われたろ。あの後、州警察があんまりしつこくてな。こいつら、もう慣れてるから、隠れる気もない。ずっと喋ってやがる。それが、全部、聞こえるんだ。」
クルスの反応はないが、ロレンツォは、アンヘリートが呪われていることを知っている。
「具体的には何を聞きましたか。」
ロレンツォの白々しい問いかけを、アンヘリートは鼻で笑った。
「細かい話は止めとく。損しかしない。ただ、あんた達より先に俺を捕まえたいらしくてな。飽きたからとか言ってたが。俺と女房のことを延々言うから、久しぶりに叫びそうになった。この俺がだ。やってるのが警官なら、しばらく町を出るしかないだろう。」
その時、ロレンツォの背後から声が聞こえた。クルスである。
「言われたら叫びたくなるぐらいのことをしたんでしょう。」
アンヘリートは顎を上げた。
「悪口を言われ続けりゃあ、誰でも頭に血が上る。」
「本当にただの悪口?嘘ばかり?」
クルスが言葉を被せると、アンヘリートは目を細めた。
「そりゃあ、何かはしてるぜ。人間に許されることはな。分かるだろう。法が許しても、人に知られるのが嫌なことはある。」
クルスの表情は変わらない。
「否定したかったら、全部話しなさい。自分が蒔いた種でしょう。」
そんな説教の要らないアンヘリートが顔を逸らすと、ロレンツォが口を挟んだ。
「朝も伺いましたが、シャビーとは、どういう関係だったんですか。あの時、素直にあなたが喋っていれば、シャビーは死ななかったかもしれません。そう考えてみて下さい。」
アンヘリートは、苛立ちながら、何度か頷いた。
「喋ることがないから喋らないだけだ。俺に言わせりゃあ、殺される方が馬鹿だぜ。」
ロレンツォは、椅子の背もたれに身を任すと、ため息をついた。
「一緒にシャビーの悪口でもいいましょうか。」
アンヘリートは、逃げ道を探した。
「じゃあ、何を言ったら、あんたが俺を許すのか、もう少し詳しく話してくれないか。シャビーとの関係がどうとかじゃない。いつの何とか、具体的なことが言えるヒントをくれりゃあいい。」
段取りを知るアンヘリートの言葉に、ロレンツォはゆっくり頷いた。
「町の外れの廃墟。行ったことがありますか。」
首を傾げたアンヘリートは、思い出した様に口を開いた。
「FFCか。」
ロレンツォは、目を逸らさない。
「そう呼ぶんですか。」
アンヘリートは、クルスの表情を探ってから、答えを口にした。
「ああ。ファンキー・フィッシー・チキンだ。シャビーはあそこで殺られたのか。」
女性の存在が気になる名前である。ロレンツォは、ナバイアと顔を見合わせて頷いた。
「三日前の夜。シャビーと二人で何を話しましたか。」
鋭い目でロレンツォを見据えたアンヘリートは、間もなくあの夜の二人の会話を正確に再現し始めた。
迷惑を伝えるアンヘリートと、深い墓穴を掘り続けるシャビー。
アンヘリートの朝の説明と大筋は同じ。大きな違いは、シャビーは同じ話を執拗に繰返していたということである。
それは、シャビーの頭の中では自分の話が正しいから。相手が納得しないのは、理解できていないと思うから。絶望的な間違いである。
暫く、アンヘリートの話に耳を傾けたロレンツォは、壁際のクルスの方を振返った。クルスは黙って頷いたので、嘘はない。
ロレンツォは、よく躾けられたライオンを見つめた。
「殺したくなったでしょう。」
アンヘリートは、ロレンツォに鋭い目を見せた。
「それは違いない。」
深夜に同席した五人の大人は力なく笑い、その後も無駄な会話を続けた。
クルス達は、その夜のうちに、今までの捜査が間違いだったことを認めた。
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