第15話 斟酌(3)

文字数 3,340文字

雲の上から降りたロレンツォとナバイアは、連邦捜査官の日常に戻った。
まずは、気になるシャビーとジョナサンの関係を、ジョナサン本人に聞くのである。
臆病なシャビーが、自分から何かを語るとは思えない。あの男の混ざる人の輪が腐っているのは確かであるが、無理に型にはめるのはまだ早い。
ジョナサンも似た様なものだが、娘を思う気持ちがある分、何か話が聞けそう。間違えてはいない選択である。
二人のSUVは、四十分ほどで悲しい家の前に着いた。
インターカムに出たのは、予め電話したジョナサン。傷付いたフクロウの声は枯れている。
切なさに眉を潜めたロレンツォは、しかし、義務を果たすことにした。
「ミスター・ベイリー。僕達の車で少し話ができませんか。」
ジョナサンが事態を理解している筈がない。
「家に入ってくれ。構わない。」
インターカム越しでも視線を逸らしたロレンツォは、説明を加えた。
「奥さんのいない場所で、僕達だけで話したいことがあります。シャビーのことです。」

一分後、ジョナサンは、ロレンツォと一緒に、SUVの後部座席に座った。ナバイアは助手席。喋るのはロレンツォである。
「すいません。本当にちょっとした確認なんです。ただ、奥さんには聞かれたくないかもしれないと思ったので、車でお話を伺うことにしました。」
前置きは必要である。ロレンツォは、ジョナサンの目の端に目ヤニを見つけたが、無視して話を進めた。気が回らなくても当然である。
「シャビーと会いましたよ。なかなかの好青年です。娘がいたら、是非付き合せたいタイプですね。」
嫌味が正しく伝わったのか、ジョナサンは、一メートルとない場所にあるロレンツォの顔を見て動きを止めた。顔を横に振ってから口を開いたのは七秒後。
「あれは、あれはマディソンのだ。マディソンの学校の子だ。」
ロレンツォとナバイアは、静かにジョナサンの様子を見守った。震える唇が動き続ける。
「卒業できないって、あいつが世話した。」
文法を怪しんだロレンツォは、憔悴した中年を助けた。
「奥様がK大学に所属したことはないので、シャビーが奥様の大学からK大学に転籍したんですね。奥様が人生の転機に立ち会った縁で、シャビーとあなた達一家の関係が続いている。そうですね。」
大きなフクロウは、暫くロレンツォの顔を見た後、首を傾げた。今のジョナサンの頭には、長い言葉は入らないかもしれない。
ロレンツォは、言葉を選んだ。
「あなたとシャビーの二人だけで出かけたことはありますか。」
ジョナサンは、やはりロレンツォの顔を見た後、頷いた。但し、言葉はない。
「お嬢さんとの三人ではどうですか。」
ジョナサンの反応は変わらない。ロレンツォは、瞬きをしないジョナサンから少しだけ顔を遠ざけた。不気味だったのである。
「奥さん抜きで会うとなると、かなり懇意な気がしますが。」
ジョナサンは、自分が言われていることを彼なりに解釈し、彼なりの言葉を選んだ。
「俺だぜ。俺。分かるだろう。」
独特の言い回しだが、ロレンツォはその意図を雰囲気だけは理解した。何となくだが、ジョナサンの自己認識は正しそうである。
ロレンツォは、フクロウが逃げる前に、静かに手を出した。
「ミスター・ベイリー。誤解のない様にはっきりと言います。あなたの周りには、世間一般から見ると、あまり好ましくない人間がいる様です。だから、あなたがどうとは言いません。あなたは、事件になる様な揉め事は抱えていなかった。それは、あなた自身が善人だからです。」
シャビーといる時点で揉め事を抱えている。ロレンツォは、止まったままのジョナサンの様子を観察してから、言葉を続けた。
「今更ですが、僕達の仕事は、お嬢さんの救出です。その観点で、非常に残念ですが、僕達が追うべき人物は、あなたを恨んでいる人間ではなくて、あなたと仲のいい人間かもしれません。」
ジョナサンは、やはりロレンツォの顔を見つめた。話が長すぎたのかもしれない。
助手席のナバイアの表情の変化を感じたロレンツォは、話をシンプルにした。まだ、ナバイアの助けは要らない。
「以前、保安官がお聞きしたと思いますが、今度は仲のいい方も視野に入れて考えて下さい。あなたの周囲に、怪しい人間はいませんか。」
ジョナサンは、黙ったまま首を傾げた。シャビーの名前を出した上の問いかけで、この反応なら、ジョナサンの知る限り、シャビーにトリガーはない。つまり、無駄足と言うことである。
ロレンツォは、次の動きのための要素を求めた。
「あなたの知人に、前科のある人間はいませんか。」
勿論、エラが既に死んでいる前提であるが、前科者だらけのこの町でロレンツォが避けてきた質問である。聞けば、調べなければならないし、波風が立つ。そこには大きな壁があったのだが、市長から釘を差されたせいで、逆に超えてしまった。それがロレンツォである。
静かに笑ったナバイアをロレンツォは目で窘めたが、ジョナサンは気付かない。
ようやく繋がったジョナサンの頭の回路は、間違った回路。
「いや、クロノスだろう。」
疲れたロレンツォは、語気を強めた。
「ミスター・ベイリー。憶測で物を言わないで下さい。いいですか。もう一度質問をします。あなたの店の客に、殺人や傷害事件の前科のある人間はいませんか。」
繰返しの質問に、ジョナサンはとつとつと名前を挙げ始めた。それは一人ではないと言うこと。四人目の名前が挙がったところで、ロレンツォは口を挟んだ。
「数が多い気がしますが、殺人ですか。それとも傷害ですか。」
「喧嘩だ。」
ジョナサンから見れば、大した犯罪ではない。そんな口ぶり。それが、先住民居留地との揉め事が生んだ、この町の文化なのかもしれない。
「人は死にましたか。」
ロレンツォが質問を重ねると、ジョナサンは即答した。
「いや。」
ロレンツォが小さく頷くと、ジョナサンは改めて名前を挙げ始めた。
一人、また一人。とうとう十人を超えた時である。フクロウの大きな目は、機械の様に、水平に窓の外を追った。
「どうしましたか。」
ロレンツォの落ち着いた声に、ジョナサンは我に返った。誰が見ても、そう思う動き。
「アンヘリートだ。今、そこを通った。」
ジョナサンの視線の先を追ったナバイアが見たのは古びたハッチバック。車だけで誰かは分からないが、ジョナサンが口にした名前が正しければ、用水路で見た彼である。ナバイアの記憶する限り、彼とベイリー家の間に、確たるつながりはない。
首を傾げたナバイアと視線を合わすと、ロレンツォも首を傾げた。喋るのはロレンツォ。
「アンヘリートとは、あの何でも屋の彼ですか。彼がどうしました。」
ジョナサンが顔を横に振ったのは、何かを自制しようとしたに違いない。
ロレンツォは、情の力に訴えた。但し、気の小さいジョナサンに、露骨な表現は禁物である。
「お嬢さんの捜査に関わってきますよ。」
ジョナサンは、遠くを見ながら口を開いた。その先には、もうさっきのハッチバックの姿はない。
「アンヘリートはいい奴だ。でも、喧嘩が強いって。ここに来る前に人を殺したって聞いた。」
ジョナサンにはとっておきの秘密かもしれないが、ロレンツォには下らない噂話である。
「本人から聞いたんですか。」
ジョナサンが顔を縦に振ると、ロレンツォは眉を潜めた。確認は要るが、事実の可能性はゼロではない。
「彼は、いつもはどこにいるんですか。」
ジョナサンは、突然、呼び止められた様にロレンツォに視線を戻した。彼の答えの後半が消え入りそうだったのは、多分、どっちでもよくなったから。
「知らない。でも、向こうに家がある。店の看板を立ててるから、…。」
ロレンツォは、小さな違和感を消すことにした。
「住宅街ですよね。家で商売をしてるんですか。」
ジョナサンは、ロレンツォの目を覗き込んだ。それは、頭の中が見える人間の見方であるが、彼にそんな特殊能力はない。
「家だ。店は別の場所にある。看板だけだ。」
ロレンツォが丁寧に礼を言い、ジョナサンに車から降りる様に促すと、ジョナサンは少しだけ腹を立てた。但し、ほんの一瞬。ドアを開けたナバイアが肩に手を添えると、ジョナサンは何度も何度も謝った。それは、気味が悪くなる程の回数。
疲れ果てたフクロウとの会話には、手間がかかるのである。
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