第45話 愁情(3)

文字数 2,193文字

三人が向かった先はライト・ハウス。
SUVのハンドルを握ったロレンツォは、スマートフォンをナバイアに託すと、アクセルを限界まで踏み込んだ。パトカーのヘンリーは、保安官事務所に現況報告である。
マヤとの電話はつながったまま。
サイレンの鳴り響く中、ナバイアはマヤの名を呼び続けたが、やがてマヤの声は聞こえなくなった。
代わりに聞こえ始めたのは、どこかで聞いたことのある男の声。何かを呟いている。
虚ろな目をしたロレンツォは、顎を上げると大きく息を吸った。
ナバイアも気持ちは同じ。
その声もやがて静まると、ナバイアは、ロレンツォを一瞥してからスマートフォンを切った。

先住民居留地の近く。周囲に何もない草原。完全な暗闇の中に、ライト・ハウスは不意に現れる。
目印はライトと急なカーブ。オレンジのストリング・ライトが張り巡らされた建物。
幼い日に見た夜の遊園地の回転木馬。あるいは漠然としたUFOのイメージ。
砂利道に車を停めた三人は、連なる平屋に待つ扉を目指した。
一番近くの扉である。向こうに受付があるのは分かっている。
ロレンツォは、扉に手をかけると、勢いよく開き、店に踏み込んだ。
汚物の臭いから遅れて血。
三人がよく知る、死んだばかりの死体の臭いである。この間の甘い香りも負けている。
目を引いたのは、床一面に広がる血。
視界に入った壁に血しぶきを見つけたロレンツォは、天井を見上げた。やはり、血が散っている。
改めてだが、受付に人の姿はない。
ロレンツォは、血だまりの上を歩き、受付の中を覗き込むと、濡れた床に倒れるマヤを見つけた。
想像していた通りである。
腕の向きは、物理的に意味不明。行き過ぎた防御創。
マヤが着ているのは、多分、いつか見たホワイトのドレスである。
確信が持てないのは、血で色を変えた布切れが、原形さえ留めていないから。
めった刺しである。
大きく開かれた瞳に瞬きはなく、美しい顔に痛みは見えない。
マヤは、誰がどう見ても死んでいる。
さっきまで喋っていたマヤは、ロレンツォと喋りながら刺され、抜け殻になったのである。
それは、今更どうしようもない事実。
心の整理のつかないロレンツォは、静かにマヤを見つめた。

固まったロレンツォから離れ、周囲を見渡したナバイアは、廊下に連なる血の動きを見つけた。引きずる様な跡である。
分かり易く、包丁も落ちている。何を切るためだったのか、刀身は長い。
近付いたナバイアは、刃先が欠けているのを見つけた。マヤの骨のせいかもしれない。
とにかく、犯人の行方は、この先に決まっている。
ナバイアが大きなストライドで足を進めると、この世に心が戻ってきたロレンツォは、ヘンリーと後に続いた。

血痕は長くは続かず、一番近い部屋の前で止まっていた。血の手形がつく扉も半開き。
絶対にここにいる。
犯人の目星もついている。あいつしかいない。
ナバイアは、シグ・ザウエルP220を握ると、静かに扉を押した。過剰な気もするが、一応の備えである。
そこには、頭に思い描いたままの人物がいた。
ベッドに腰かけ、煙草を吸う血だらけのフクロウ。
ジョナサン・ベイリーである。
不自然なまでにレッド。全身の色が変わるのは奇跡。
言葉を失ったナバイアの前で、ジョナサンは煙草を吸い続けた。
ただ、それもロレンツォが来るまでの短い時間。
ナバイアを避けたロレンツォは、ジョナサンに近寄ると、煙草を持つ手に静かに鋼の輪をかけた。
二度目である。
ジョナサンは慌てなかったが、ロレンツォがもう一方の手をとろうとすると、小さな抵抗を見せた。
煙草を吸おうとしたのである。
ロレンツォは逆らわず、ジョナサンが煙を深く吸い、煙草を持つ手を降ろすと、流れる様に目的を果たした。両手首に、手錠をかけたのである。
ジョナサンは、静かにロレンツォを見ると、指の間から煙草を落とした。心は見えない。
ロレンツォは、当たり前の様に煙草を靴で踏み、火をもみ消した。
靴の裏に残っていたマヤの血が広がっても、ロレンツォの表情は変わらない。
ロレンツォもナバイアも、ジョナサンが煙草を吸うのを見るのは初めてである。
彼の中で何かが変わった。きっと、長生きを祈る理由がなくなったのである。
ジョナサンは、声を荒げる訳でも暴れる訳でもないが、立ち上がる訳でもない。
ロレンツォは、静かに語り掛けた。もう敬語は不要である。
「まだ、ここにいたいのか。」
ジョナサンが沈黙を守ると、ロレンツォは言葉を続けた。
「なんで殺した。噂話に腹が立ったか。」
ジョナサンは、ロレンツォの顔を一瞥すると、自分の手を見つめた。
マヤの血は乾き始めているが、臭いは消えない。喋るのはロレンツォ。
「歩けないなら、ここで話を聞いてやる。僕達も暇じゃ…。」
「家族を守った。」
掠れた声である。
ジョナサンは、ロレンツォの言葉が終わるのを待たなかった。待てなかったのかもしれない。
ロレンツォは俯くジョナサンを見つめたが、話の続きは見えない。
大きく息を吸ったロレンツォは、小さく何度か頷いた。彼自身もやっとだが、心の整理がつき始めたのである。
「マヤが警察にデマを吹き込んで、君達を罠に嵌めてると思ったのか。」
戸口に立つナバイアは、ヘンリーと顔を見合わせた。
やはり、ジョナサンが沈黙を守ると、ロレンツォは、落ちるところまで落ちたフクロウの背中に、優しく手を添えた。
「駄目じゃないか。我慢しなきゃ。」
ロレンツォは、自分で口にした言葉に絶望した。
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