第14話 斟酌(2)

文字数 3,465文字

電話をかけてきたのは、市役所の男。
連邦捜査局に応援を要請した市長、ウィリアム・グッゲンハイムの秘書だった。
ロレンツォがスマートフォンで探した写真が加工されていない限り、グッゲンハイム市長のルックスは、誠意を絵に描いた様な老人である。人によっては、セクシーと言うかもしれない。
アッパー・クラスが決して嫌いではないロレンツォは、市長の招待に応えることを最優先した。当然、ナバイアも断らない。それが彼らである。
三十分で到着した市役所は想像より大きく、受付を抜けてエレベーターに乗り、最上階のカーペットを歩く頃には、それなりの気持ちが出来上がっていた。
但し、市長室のウォールナットの扉の向こう、市長のデスクに腰かけていたのは、期待のホットショットではなかった。
他でもないハンク。サプライズである。
「早かったな。」
ハンクの声は今日も低い。ロレンツォとナバイアが小さく笑うと、隣りのソファから別の声が響いた。
「優秀な連邦捜査官の二人。」
スマートフォンで見た人。グッゲンハイム市長である。二人は、吸い寄せられる様にソファを目指した。
「僕が連邦捜査官のロレンツォ・デイビーズ。彼はナバイア・ハウザーです。」
ロレンツォがいつも通りの自己紹介をすると、市長は座ったまま手を差し出した。
指が長くて、包まれる様。温かく、滑らかな肌触り。市長の手は、人の手を握り慣れている。
頼もしさに微笑んだ二人が市長の前に座ると、歩み寄ってきたハンクは市長の隣りに座った。誰がどう見ても、市長の子分である。
「君が選ばれたのは予想外だった。」
市長が微笑みながら話しかけたのはナバイア。僅かに緊張の残るナバイアは照れ笑いを浮かべた。
「ナイーブな容疑者への備えだったんですが、…。」
市長は、ナバイアを見つめながら頷いた。
「今のところ、その心配は?」
「ありません。」
ナバイアの即答に四人で小さく笑うと、市長は笑顔のまま、口を開いた。
「昔のことだがね。先住民居留地と、当時の町の若い子が揉めた。何人も捕まって、大変だった。でも、今じゃ、彼らも年齢的に町を担う立場だ。」
町は先住民を一つの軸として動いている。前科者の取り扱いに注意が必要なことは、事前に聞いていた少ない情報の一つである。
ロレンツォとナバイアは、頷きながら顔を見合わせた。この話の先に、連邦捜査官が公に同意できる展開は待っていない。
「ありがとうございます。注意します。今日は僕達に何か御用ですか。」
ロレンツォが善意で話を遮ると、市長は静かに笑顔を消し、口を挟んだロレンツォを真っ直ぐ見つめた。
「そうだな。本題に入ろう。エラ・ベイリーのことだ。」
それ以外に呼ばれる理由のないロレンツォは頷き、話を促した。それに応えるのが市長。十分忙しい彼に、何かに拘る様子はない。
「端的に言うと、あの町には古傷が二つある。クロノス事件と、今言った先住民居留地だ。」
ロレンツォは、今日のこの場の意味を正確に理解した。
クロノス事件に首を突っ込みかねない連邦捜査官の一人が先住民族の上、昨夜は住民と揉めた。問題が大きくなる前に、市長が直々に太い釘を打ちに来た。そういうこと。
情報源は気になるが、市長の隣りにハンクがいることがすべてである。そして、ロレンツォがどんな表情を見せようと、市長の話は終わらない。
「人種のことはこちらの問題だ。君達が望むなら謝ってもいい。」
手慣れた謝罪は意味を持たない。ロレンツォとナバイアがゆっくりと顔を横に振る中、市長は喋り続けた。
「ただ、クロノス事件は少し違う。ハンクからも聞いたろうが、もう二十年ぐらい前だ。メディアが一人の若者の公開処刑を始めて、皆の頭にデマが擦りこまれた。知っていると思うが、犯人は捕まらなかった。彼が町を出ればよかったのかもしれないが、裕福な父親はこの町に留まることを選んだ。いつかは皆が理解してくれると思ったんだ。でも、結果は違った。父親が死に、長年、町に疎まれてきた者が富豪になった。」
ハンクは隣りで小さく笑った。
「〇〇〇〇ジョールのことだ。」
市長の前で下品な言葉を耳にして、ロレンツォとナバイアは笑ったが、いつものことなのか、ハンクを一瞥した市長は、そのまま話を続けた。
「彼には前科があったが、クロノス事件については無実だった。そんな人間を執拗に刑務所に送ろうとする町を、市長はどう先導するべきか。かなりの難題だった。随分、考えた。なぜ、あんなにも執拗なのか。確かな理由があるとすれば、金持ちへの妬みだ。幼い頃に過ちを犯した者が豊かな生活をしていると、何か言わずにいられない。野蛮だが、それは真理だ。簡単に、皆の口を封じられるものじゃない。じゃあ、どうするか。」
市長に見つめられたロレンツォは、首を傾げた。
「どうするんですか。」
ロレンツォが質問に質問で答えると、市長はロレンツォとナバイアを順に見つめてから口を開いた。
「皆を豊かな生活に導くんだ。他に、あの町を救う方法はない。幸せで腹を満たして、人の心を救う。すべては、そういう方向で考えないといけない。」
ハンクは、ソファに深くもたれたまま、口を開いた。顔は渋い。
「疑われたのはジョールだけじゃない。あんたもそうだったが、父親のヘルムートを疑う奴は結構いた。その時に奴が逃げ切れたのは、この偉大な市長のせいだって噂があるぜ。」
当時の担当のハンクが知らない筈がない。市長は、眉一つ動かさずに答えを教えた。
「友人を庇ったことは事実だ。ただ、彼の立場になってほしい。想像を絶する残虐な殺人事件の犯人だと言われて、何の証拠もない状態だったら。何もないことを立証するのは困難だ。そして、私の立場になってほしい。彼のために証言した後、私も今の様な言われをする様になった。でも、私は、その噂を消すために誠意をもって行動した結果、今の立場に辿り着いた。時間をかけると分かるが、やはり、すべては繋がっている。私が正しかったから、今がある。今では、本当にそう思っている。」
偽証の告白にしか聞こえないロレンツォは、しかし、無駄な争いを避けるために言葉を選んだ。
「殺人鬼は、常にショットガンを持ち歩いているわけではないと聞いています。」
それが、今のロレンツォにできる最大限の抵抗である。
意図を理解した市長は小さく笑った。
「一瞬も後悔しなかったとは言わない。」
急に呼び出された場にしては、ヘビーな会話である。詳しく聞いても、損しか待っていない。ロレンツォはハンクを見たが、ハンクの渋い表情に変化はない。
誰も喋らないと見ると、身を乗り出した市長は、ロレンツォとナバイアの目を、改めて順に見つめた。
「いいか。もう一度言う。あの町には古傷が二つある。クロノス事件と先住民居留地。どこにどう手を突っ込んでも、揉め事が増えるだけだ。解決するには、あの町を豊かにするしかない。政治レベルの話だ。連邦捜査官の応援を頼んだのは、早期解決を望んだだけじゃない。綺麗に解決してくれると思ったからだ。頭を使って、とにかく穏便にやってほしい。分かるな。」
当然、すべては自然にやるつもりであるが、二十年前の猟奇的殺人事件について、こうも語られるということは、二十年間、その類の殺人事件が起きなかったと言うこと。そんな平和な町で重大事件を捜査し、波風を起こさないのは奇跡の業。人種の問題も、今ではない。何なら永遠。
市長は、明らかに無理を言っている。
ロレンツォは、とにかく面倒な今現在をやり過ごすために、知る限りの上品な表情を浮かべて、頷いてみた。

市長から解放されたロレンツォとナバイアは、駐車場まで早足で歩くと、SUVに乗り込んだ。
「クロノスのことを言ってるのはハンクだけだ。」
助手席でシートベルトを締めたナバイアが愚痴をこぼすと、ロレンツォは微笑んだ。
「昨日の話は、保安官事務所からだな。告げ口したハンクが市長にどう言われたか、聞きたかった。」
二人はもう一度小さく笑った。
「でも、俺は市長のファンになった。エリートになった気分だ。」
ナバイアが呟くと、ロレンツォはナバイアを一瞥し、エンジンをかけた。
「本当に?」
「本当さ。お前は?」
ロレンツォは、改めてナバイアを一瞥した。
「冗談だろう。」
ロレンツォの経験に照らすと、犯罪の種類を問わなければ、グッゲンハイム市長はグレー。交友関係の広い利他的なアッパー・クラスの典型である。
同じ時間を過ごしても、ナバイアは真逆のイメージを持ったということ。
ロレンツォは、グッゲンハイム市長が最上階に鎮座する市役所の広大な駐車場を出るために、暫く徐行した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み