第24話 即妙(6)

文字数 4,234文字

丁寧な質問に、貝になることを選んだシャビーに苛ついたハンクが録画を止めると、ロレンツォとナバイアは部屋を後にした。罵声は、他人に注がれるものでも体に悪いからである。
ソルに戻る訳ではない。向かうのは悲しい家。マディソンの元である。
当然、直接、尋ねる様な段階ではない。
何をするわけでもないが、取敢えず、張り込むのである。
シャビーの逮捕を知れば、犯人が動くかもしれない。ホテルでただ寝るよりはマシ。そのぐらいの冒険である。
玄関がやっと見える程度に離れた路上に停車すると、二人はシートを倒した。
何もすることはないロレンツォとナバイアがするのは、推理ごっこ。
朝の会話とはまた別。マディソンが実の娘のエラを誘拐する理由は、連邦捜査官の彼らにとっても、それなりに刺激的なのである。先手は助手席のナバイア。
「ミスターから娘を逃がしたかったとか。」
ロレンツォは、声を上げて笑った。
「それじゃあ、彼女が生きてても、社会から記録が抹消される。なお、悪いだろう。」
言われてみて、ナバイアも笑った。次はロレンツォ。
「シンプルに金目当てだ。クロノス事件と絡めるために、一か月は隠す。」
言った本人であるロレンツォが、ナバイアと声を揃えた。
「オー。」
但し、ナバイアの頭は回っている。
「誰から金をとる?」
ロレンツォには準備がある。
「国とか市とかからだ。クロノスを放っておいた行政の責任を追及する。」
ナバイアは何度か頷いて、ベイリー家を見た。おそらく、講師と言う肩書が生んだ推理である。
「社会派だな。」
ナバイアが呟くと、ロレンツォも同じ方向を見てから口を開いた。変に肯定されると、違和感が勝つ。
「ない線だな。」
二人で小さく笑うと、ナバイアが真剣な眼差しを見せた。
「これはどうだ。ミセスの頭に宇宙人が電波を送って、…。」
そう言い張った犯人がいた記憶のあるロレンツォは付き合った。
「僕の知る限り、生命体がいるとしても四光年は先にいる。人間をコントロールできるタイムラグで電波を送れる距離まで彼らが来ているなら、人類にとって恐るべき事態だ。」
過去に、その犯人に直接言った言葉である。言い出したナバイアは表情を変えない。
「今度、言ったら十ドルだ。」
ロレンツォは小さく笑った。
「こっちのセリフだ。」
たわいもない無駄話を続ける二人の視線の先のホワイトの家からは、灯りが漏れている。
どんな事件に見舞われた家から洩れる灯りも、暖色系なら温かい。物理現象は、人の心には構わないのである。二人は、万物の法則から置き去りにされた悲しい家を見つめた。

二人の張り込みは何日か続く筈だったが、それから一時間後に急な展開を迎えた。
疲れ果てたジョナサンが、二人のSUVに向かい、千鳥足で歩いてきたのである。
「まずいな。」
気付いたロレンツォは車から降り、スマートフォンを触っていたナバイアはシートを起こした。
一度、後部座席に乗ったことのあるジョナサンは、ロレンツォにゆっくり近づくと、何も言わずにSUVのドアを開け、彼が思う自分の席に座った。
周囲を見渡したロレンツォは、ジョナサンに続いて、後部座席に乗り込んだ。
フクロウの様なジョナサンの目は、初めて会った時より、確実に大きくなっている。痩せたのかもしれない。今日の彼は、加齢臭も強い。
ジョナサンは、今から自分がすることに興奮しているのか、妙な震え方をした。
先に口を開いたのは、流れを変える必要を感じたロレンツォである。
「ミスター・ベイリー。きっと、何か用があるから、見えたんですよね。」
ジョナサンは、視線をロレンツォに向けた。
「あんた達だ。なんでここにいるんだ。」
会話が少しつながっていないが、正しい疑問である。ロレンツォは、ナバイアを一瞥してから、爽やかに微笑んだ。
「詳細は説明できませんが、お二人の身の安全のために、必要と判断したんです。」
フクロウは、ナバイアの顔を覗き込んで、首を傾げた。言葉はない。
「本当ですよ。信じて下さい。」
ナバイアも誠実な言葉を重ねると、ジョナサンの目は更に大きくなった。
「二人殺せるってことだろ。やっぱりクロノスじゃないか。」
それはエラが地獄にいることを意味するので、数秒後のジョナサンのためにも否定する必要がある。ロレンツォは言葉を急いだ。
「確たる根拠はありません。僕達が、何となく見守っている程度です。」
ジョナサンの頭の動きには脈絡がない。
「じゃあ、シャビーは。捕まったって聞いた。あいつは何を…。」
噂は伝わっていた様であるが、期待とは明らかに違う展開である。ロレンツォは、しかし笑顔で答えた。
「彼には、参考に話を聞いてるだけですよ。」
瞬きを忘れたジョナサンは、ゆっくりと顔の向きを変えた。その先にいるのはロレンツォ。
「あんたらがハンクをけしかけてるって。そう聞いた。」
まずは誤解であるが、そのレベルの情報を知っている人間は限られる。かなりの確率で情報源はヘンリー。アンナの線もあるが、ロレンツォはスルーした。事実関係を確認する流れをつくるのは賢明ではない。
感情が高まってきたのか、ジョナサンは、心の声をそのまま外の世界に解き放った。
「おかしい。」
ロレンツォは、ナバイアと視線を合わせた。
二人から見ると、おかしいのはジョナサンであるが、ジョナサンは自らの頭に浮かんだ疑問を吐露し続けた。
「おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。」
助手席のナバイアが座り方を変えると、ロレンツォは思い切って口を挟んだ。勿論、善意しかない。
「ミスター・ベイリー。何が…。」
ジョナサンは言葉を被せた。
「あいつは一人だ。ずっと。皆、知ってる。あいつが捕まったのに、うちを守る理由がない。おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。」
ジョナサンの呼吸が、目に見えて荒くなっていく。
「ミスター・ベイリー。」
助けるつもりのロレンツォの呼びかけは、ジョナサンには決して届かない。何なら、火に油を注いだだけ。
「分かった。俺かマディソンを疑ってるんだ。どっちかが、どっちかを殺すって。」
言われてみて、ロレンツォは感心したが、目の前のジョナサンの心の中では、今まさに小さな事件が起き始めている。
「どうして…。どうして…。」
とうとう、ジョナサンは目の前のロレンツォの腕を掴んだ。大きなフクロウの手は震えている。
「どうして。どうやったら、俺達のことを疑えるんだ。こんな酷い目に遭ってるのに。」
疑問だらけのジョナサンは、力の限り、ロレンツォの体を揺らし始めた。
「俺達は、ずっと、やってきたんだ。幸せだったんだ。本当だ。」
何をやってきたのかが分からないロレンツォは、自分を好きに揺らすジョナサンに微かに苛立った。
「ミスター・ベイリー。何度でも言います。僕達…。」
聞いていないジョナサンは、声量を上げた。
「疑ってるんだ!俺達が楽しかったなんて、信じてない!不幸で!地獄の家みたいだって!狂ってるって思ってるんだ!」
とうとうジョナサンは、車の中でロレンツォを強く押した。
肘を強く打ったロレンツォは、眉間に皺を浮かべて、ジョナサンを見た。
ジョナサンの叫びは、車内の許容範囲を超えている。
「人を仕事で決めつけて!!そうなんだ!!何様なんだ!!自分は何して産まれたんだ!!」
怒鳴られたロレンツォは、三秒だけ考えると、小さな決断をした。
手錠を取出し、流れる様に、ジョナサンの右手首にかける。無駄は嫌いなのである。
「手錠はかけましたが、逮捕じゃありません。気持ちは分かりますから。一晩、拘置所で反省して下さい。」
説明しながら、ロレンツォは唖然とするジョナサンの左手首にも手錠をかけた。これで両手の自由は利かない。
「何でだ!!!何でなんだ!!!」
ジョナサンの声量は、更に上がっていく。初めて会った日を思い出していた助手席のナバイアは、窓の外の動きに気が付いた。悲しい家から、マディソンが近付いているのである。
ロレンツォと視線を合わせたナバイアは、ドアを開けると、マディソンに向かって歩いた。
少し冷たい夜の空気の中、間もなく二人の距離は狭まり、狂っていない二人は足を止めた。マディソンは明らかな薄着。帰ってこないジョナサンが気になって、つい外に出てしまった。そんな感じである。
「何があったの。」
今日のマディソンは、ジョナサンと違って落ち着いている。もう、娘のいない生活に慣れた彼女の声は冷静で、見た目も決してフクロウではない。ナバイアは、言葉を選んだ。
「僕達がお宅の警護のために、この場所に詰めていたんですが、御主人が不快に思われた様です。説明は尽くしたんですが、御主人が興奮して、デイビーズ捜査官に手を上げました。警官の職務として、今から保安官事務所でお話を伺います。」
マディソンは、ナバイアの顔を黙って見つめた後、車の中で叫び続けるジョナサンに視線の先を移した。ロレンツォに詰め寄る姿は、誰が見ても普通ではない。
表情を変えずに、暫くジョナサンを見つめたマディソンは、ため息を吐きながら、言葉を返した。
「明日には帰れる?」
マディソンの中では、ジョナサンに関して、何の事件も起きていない。それがジョナサンの偽らざる姿。ジョナサンは、迷惑をかける生き物なのである。
ナバイアが頷くと、マディソンはナバイアを見つめた。どのぐらいかは分からないが、ナバイアがそれを意識する程度の時間。間近に見る疑惑の人の顔は、瞬きの度に違う色を見せる。
笑顔になれないナバイアを見飽きたのか、マディソンは、何も言わずにSUVに背を向け、悲しい家に向かって歩き出した。
今日は、もうここに留まることは出来ない。
ナバイアは、ジョナサンが叫び続けるSUVに向かった。

数分で着いた保安官事務所。
ロレンツォは、まだ残っていたヘンリーを捕まえた。どちらでもいいが、情報を漏らしたのは先に帰ったアンナの可能性が高い。あの時、名前を聞いていれば、流れた噂は違ったかもしれない。
「ミスター・ベイリーを連れてきた。」
ヘンリーの顔に皺が増える。
「何で?マディソンは?」
頷きながらロレンツォは答えた。
「当てが外れたけど、面白いことを思いついた。」
言葉のないヘンリーに向かって、ロレンツォは微笑んだ。
「シャビーの隣りのゲージに、ジョナサンを一晩入れてほしい。どんな関係か、知りたい。」
ヘンリーは、首を傾けた。
「まさか、そのために…。」
「そんな訳ない。流れだ。」
ロレンツォが言葉を被せると、親の心を知るヘンリーは泣きそうな顔で頷いた。
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