第4話 涅槃(4)

文字数 2,089文字

家に戻ったロレンツォを待っていたのは、見慣れないファイルを持つ笑顔のナバイア。
「ヘンリーが調書をくれた。」
ロレンツォは、ナバイアの指差す先にいた、ハンクの紹介通りの老人を見つけて歩み寄ると、握手をしてから、名刺を交換した。ただ、それだけ。
主役を無視しておかないロレンツォは、ついさっき、話したそうな素振りを見せたマディソンに歩み寄った。
「お嬢さんを無事連れ戻すために、全力を尽くします。犯人は決して許しません。」
ロレンツォは、流れで隣りのジョナサンの肩に手を添えた。言葉よりもスキン・シップが効きそうなタイプに思えたのである。勿論、ハンクの助言もある。
ただ、マディソンはロレンツォとは別の方を見据えて、口を開いた。ロレンツォが追った視線の先には何もなかったので、彼女は宙を睨んでいることになる。
「クロノスがやったに決まってるのよ。」
この町ではジョールをクロノスと呼ぶ様である。ロレンツォは、視界に入ったクルスと視線を合わせた後、口を開こうとしたが、マディソンの思わぬ大声にタイミングを奪われた。
「クロノスがやったに決まってるのよ。」
二度目である。我ながら、白々しいセリフを口にしたので気に障ったのか、あるいは、近所の噂話が地獄耳に入ったのか。ロレンツォは、絶対に疲れているマディソンを、まずは見守った。
間もなく、同じものが聞こえたのか、ジョナサンも俯いたまま、声を発した。
「やったのはクロノスだ。」
発狂の連鎖を嫌ったロレンツォは、気が小さいと聞いたジョナサンを無駄な会話のターゲットに選んだ。
「ミスター・ベイリー。クロノスとは誰ですか。」
ジョナサンは、目を大きく開いた。ロレンツォの想像とは違う反応である。
「誰って。クロノスはクロノスだ。なんで、そんな事も知らない奴が来るんだ。どういうことだ。」
猜疑心に溢れる眼差しで、警官達を見渡したジョナサンに、クルスが答えた。
「ミスター・ベイリー。噂話なら、彼も知ってます。連邦捜査局はプロの集団です。一つ一つ…。」
クルスの当たり前の説明は、マディソンに遮られた。
「時間がないわよね。早くクロノスを捕まえて!」
ロレンツォが口を閉じると、ナバイアが代わった。
ロレンツォとナバイアは常に一緒に行動し、常に一緒に考えるが、仕事で喋るのはロレンツォ。ナバイアは代打と役割を決めている。理由は、ロレンツォは知的だが、気に入らないと黙るタイプだから。因みに、ナバイアを無口と言う友人は、一人もいない。
「捕まえるには、まず、そのクロノスという人物について、情報を整理しないと…。」
ロレンツォは、耳を通り抜けていくナバイアの言葉をうっすらと聞きながら微笑んだ。元々、何でもいいからジョナサンを喋らせ、落ち着かせたかっただけだが、誠実に説明を続けている。ナバイアらしい。
しかし、それはこちらの話である。異常に揺れたジョナサンは、間もなく正しい話し相手を見つけた。
「ヘンリー。あんたなら分かるだろう。やったのはクロノスだ。間違いない。」
ジョナサン曰く、全てを知っているらしいヘンリーは、ゆっくりと頷いた。温厚に見えるのは、性格がいいのか、枯れただけなのかは分からない。
「ハンクもそう思ってる。大丈夫だ。」
静かに場を収めようとしたヘンリーに言葉を返したのは、彼が向き合うジョナサンではない。
「ハンクがそう思ってたら、どうなの。あいつはずっとクロノスを放ってたのよ。警察皆で調べて。お願いよ。そうでしょう。」
叫んだのはマディソン。彼女は部屋中を見回したが、ロレンツォと視線が合わない。
触発されたのか、ジョナサンは更に大きな声を出した。イントネーションも狂い始めている。
「俺だ。俺が変な仕事をしてるからって。警察は助けないつもりなんだ。見せしめにするんだ。お前らはそうなんだ。子供が酷い目に遭ってるのに、俺の子供だから、何とも思ってない。死んだ方がいいと思ってるんだ。チャンスだって。きっと、そうなんだ。」
マディソンの視線は、やっとロレンツォに向けられた。彼女の声は、ますます大きくなる。
「私達の子供。この国に生まれた他の皆と同じ一人の子供よ。お願い、助けて。」
ロレンツォは、当然、生きていれば、助けるつもりである。
「クロノスという人物と、あなた方の関係…。」
「だから!!」
ロレンツォが発した当たり前の質問が、更に大きくなったジョナサンの声にかき消されると、ロレンツォは優しい微笑みを浮かべて、ジョナサンを見つめた。
無理なのは分かっているが、信頼してほしいと念を送ってみる。ちょっとした遊びである。
ただ、今、ロレンツォの目の前で起きていることは、まさに彼が避けようとしていた絶叫の連鎖。おそらく、剥き出しの神経が何かに反応しているのだろうが、手間である。
やがて、ハンクがいないことを思い出したロレンツォは、作り笑いの中に、僅かに本当の微笑みを浮かべた。何なら、ジョナサンとマディソンの思考がドリフトする理由は、ハンクの屋外からの囁きである。
エスカレートしていく二人を、温かい眼差しで見守った警官達は、最終的に、マディソンの方がジョナサンより声が大きいことを知った。
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