第21話 即妙(3)

文字数 4,133文字

二人のための代車は、夜のうちに届いていた。昨日とまったく同じSUV。犯罪者からの押収品で成立つ連邦捜査局の車は、高級なSUVと決まっている。
走りに何の違和感もなく辿り着いた保安官事務所には、期待通り、ヘンリーがいた。ハンクが一人で外をうろついている理由は、つまりこういう事。事務処理を押し付けているのである。
ヘンリーが二人を通したのは、綺麗に片付いた会議室。ロレンツォと軽く言葉を交わしたヘンリーが席を外すと、入れ替わる様に、ふくよかな中年女性が部屋に入ってきた。ホット・コーヒー付きの愛嬌のあるおばさん。笑顔でカップを並べた彼女に、ロレンツォとナバイアは、爽やかな微笑みだけを返した。そのぐらいの距離感が正しいと思ったのである。それは、一分にも満たない間の出来事。
部屋に戻ってきたヘンリーは、ラップ・トップをロレンツォの前に置いた。頼まれた品である。
「これで事務所のサーバーにアクセスできるよ。」
眉を上げたヘンリーに向かって微笑んだロレンツォは、ラップ・トップを広げた。
「パスワードは?」
尋ねられたヘンリーは、ロレンツォの隣りに腰かけながら答えた。
「そこに付箋が貼ってある。」
意味はなさないが、よくある流れに頷いたロレンツォは、付箋に書かれたメモ通りにキーを叩いた。口を開いたのはヘンリー。
「さっきの娘は、アンナ・リチャードソンというんだ。」
二人が顔を見合わせると、ヘンリーは穏やかに言葉を続けた。
「名前を聞かれなかったと言ってた。」
ロレンツォとナバイアは声を出さずに笑った。若い彼らには、少なくないイベントである。やはり喋るのはヘンリー。
「いい娘なんだ。この町にいる間に一度飲みに行こう。」
二人は微笑みながら頷いた。明らかに人選を間違えているが、老境にあるヘンリーにこの世はそう見えているということである。
ロレンツォは、ヘンリーの説明を聞きながら、サーバーにアクセスすると、分析用のソフトのインストールにかかった。それは、人の動きが止まる時間。
見た目、明らかに暇そうな二人を、ヘンリーは放っておかない。
「あんた達のお蔭で報われる。ハンクはレポートを読まないから、正直、何のために書いてるのか分からないんだ。」
微笑んだロレンツォは、年長者に敬意を払った。
「彼は職務怠慢ですね。」
ヘンリーは、微笑んだ後、顔を横に振った。
「ハンクは、デスクにはいないが、仕事は出来る。何でも上手くやって、ここぞという時は徹底する。本当に、慈善事業と思うぐらいだ。金に合わないぐらい働く、最高のボスだよ。」
最高の部下に恵まれるハンクの幸せを知ったロレンツォは、インストールが完了したことに気付くと、ルーティンに入った。
まずは、証言の地図へのプロット。
エラは中学校を一人で出た後、用水路沿いを歩いて帰宅し、マディソンと会話してから、家を出た。最後に目撃されたのも用水路沿い。証言のピンが用水路を彩っている。
服装の証言が違うのは、時間的に、途中でパーカーを脱いだのだろう。ロレンツォの記憶と何も違わない。
しかし、笑顔のロレンツォは、間もなく、どこにもプロットできない情報を見つけた。
「ああ、それは…。」
隣りのヘンリーが苦笑すると、ロレンツォは、静かにモニターに顔を寄せた。
先住民居留地との抗争について語った住民がいたのである。記録上は匿名。
「ここに歴史がある。」
速読したロレンツォが感想を口にすると、ナバイアもモニターを睨んだ。
歴史とは、つまり、こう。

“すべては三十年前。先住民居留地のボダウェイ・ステュディという若者から始まった。
アルコール依存症の父親を嫌って町に出た彼は、中高生に草を売り出した。そこまでは、この国のどの町にもある光景。
体格のいい彼は、すぐに町の若者を牛耳り出した。若い彼が町の女と付き合うことを、誰も否定はしなかったが、パトリシア・キングという娘が妊娠し、彼が出産を認めなかったことから、事態が変わり始める。
ボダウェイは、草を止めた後の子供しか認めないと言い、最初から子供をつくるなと言ったパトリシアの兄トーマスとの関係がきな臭くなったのである。
ボダウェイは、町の仲間がすべてを上手く収めてくれると思っていたが、中絶が絡むと、話は違った。悪戯は出来ても、悪になれない町の若者達は、トーマスに助けを求められると結束し、ボダウェイを言葉の力で締め出した。小さな命を守ったのである。
例え、出産を認めても、生活の糧を失うわけにいかないボダウェイは、当然のこととして、町のボス格の若者に喧嘩を仕掛けた。自分達の判断が間違っていたと認めさせるためである。皆が従ってきた理由に嘘はなく、ボダウェイは圧勝した。
但し、勝ったのは喧嘩だけ。
一度、離れた若者達の心がボダウェイの元に戻ることはない。仲間を傷付けられ、二度と勘違いさせないことを誓った彼らは、無敵のボダウェイに拳で説教をした。
やむなく、ボダウェイが先住民居留地に戻り、大けがを負った姿を見せると、一匹狼の彼にも同情が集まる。
ボダウェイに事の顛末を聞いたのは、同年代のホノヴィ・ワティという青年。
ホノヴィは、ボダウェイからジャンキーの女に騙されたと訴えられたが、それを鵜呑みにするほど馬鹿ではない。人望も厚い彼は、仲間を連れて、パトリシアを待ち伏せ、邪魔の入らない場所で事情を聞こうとした。ここで大事なのは、ホノヴィは揉めている本当の理由が知りたかっただけと言うこと。
しかし、パトリシアが連れ去られるところを見た一人の若者が明らかな勘違いをした。
ボダウェイの仲間が、町の娘をさらおうとしている。お腹の子供の命が危ない。
聞きつけたトーマスの根拠のない咆哮と共に、町中の若者が瞬く間に集まると、皆は興奮のままにホノヴィ達を追撃し、パトリシアを連れ戻した。
人間は、激しく殴られれば、血を流し、骨が折れる生き物である。ホノヴィ達の仲間の一人がそうなるべくして病院に入院すると、問題は完全にすり替わる。もう、痴話喧嘩の仲裁ではない。プライドの問題である。
代償を求めたホノヴィ達は、不要に事を荒立てたトーマス一人を襲撃し、病院に送る。一対一。ホノヴィ達の発想としては、イーブン。
しかし、それはホノヴィ達の理屈でしかない。町の若者達は、まったく違う結論に至る。集まった彼らは、町の永久の安全のため、攻勢に出る道を選ぶのである。
ここまで共に戦ってきた彼らの頭に、親に頼ると言う発想はない。バットや火炎瓶を手にした若者達は、居留地のホノヴィが両親と暮らす家に乗り込んだ。
彼らの決死の交渉は、居留地の大人の目には暴力にしか映らない。揉み合いの末、駆け付けた加勢に怯えた若者達は、逃げるために火炎瓶を投げ、火の海をつくった。
放火は、絶対に消せない犯罪の痕跡を残す。奪う財産も人の生涯では最大。消せないケロイドの数だけ、恨み言が聞こえる。
さすがに保安官も無視できない。しかし、税金で雇われる彼らが逮捕した若者達のほとんどは、善良な納税者達が愛情を注いで育てた、情に厚い子供である。町の大人達は、法の裁きを受け入れはしたものの、法に関する議論を始め、グレーな空気だけをつくって終わった。
その後、居留地の住民をこの町で見かけることはなくなり、ボダウェイとホノヴィは、町からも先住民居留地からも姿を消した。町の若者達に前科をつけた償いである。
彼ら二人の名前は、女をさらったという理由で、クロノス事件でも容疑者として上がったが、そもそも付近で生活している痕跡がないという理由で、すぐにリストから消えた。
但し、その判断は間違えている。今回も女の誘拐と言う点では、彼らの位置づけは同じ。彼らの所在を見つけ出し、関係を確認する必要がある。この町にとって、彼らはそういう存在なのである。”

読み終えたナバイアが、待っていたロレンツォと顔を見合わせると、ヘンリーが口を開いた。
「ジェームズの情報だ。ボダウェイに喧嘩で負けた町のボスは、彼の弟のジャックだ。二番目だったかな。今は町を出てる。」
ナバイアは苦笑した。この町で先住民が嫌われるのは分かるが、それを未だに保安官に訴える人間の名前が予想外だったのである。それは、用水路でナバイアに忠告した男。
「ネイティブを嫌ってるのは、ネルソン団長じゃないか。」
ナバイアが呟くと、ロレンツォは、笑いを抑えながら答えた。
「まあ、ミスター・ネルソンの供述には、双方の視点が入ってはいる。取敢えず、ボダウェイを引っ張るか。」
都市伝説を真面目に調べる様なものである。ナバイアは微笑みながら顔を横に振り、ロレンツォは次のルーティンに入った。勿論、冗談だからである。

取敢えず、ジェームズの情報は除外。その上で、他の情報を文章ごとに数値に変換して、グループをつくる。似た証言をしている人間をあぶり出すのである。似た証言をしたのは、同じ時間に、同じ経験をした人間の筈。違和感のある人間を篩にかけるための、崇高な暇つぶしである。
学校関係者、自警団、近所の住人、ライト・ハウスの関係者。
ターゲットは、朝の会話に登場した人間ばかりで、普通に読んでも、証言自体に新規性はない。
ただ、分類した人物を眺めたロレンツォの目は、明らかに浮いている一人の人物を見つけた。
子供の中に混ざる大人。
マディソンである。
マディソンが供述した当日のエラの行動には、エラの友人であるカミラ達が口にした些細な話が幾つも混ざっている。偽らざるエラの行動であるが、その日の情報としては挙げられていない話。
それは、マディソンが、事実ではなく、それらしいことを言った可能性があるということである。
但し、あくまでも可能性。
リスクを冒して、被害者の親を直接問い詰める程ではない。
マウスを持つロレンツォの指が止まって、数秒経つと、ヘンリーが口を開いた。
分析に詳しい筈のないヘンリーにも、画面に映る情報の違和感が伝わったのである。
あらゆる分析は、誰かの経験知と完璧に合致した時にだけ意味を持つが、今がまさにその瞬間。
「エラの中学校のコルトン・ディアスに聞くといい。この間はセラピストがいたんだろう。あいつは、一人で話を聞くと、よく喋る筈だよ。」
ロレンツォとナバイアは、頼れるヘンリーに微笑みを返した。
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