第33話 必定(3)

文字数 1,535文字

密林ではないが、林は林である。目印は、日常生活のそれとは明らかに違ってくる。
しかし、ダニエルの指示は的確だった。南に向けて、真っ直ぐ。迷うのは難しい。
途中、茂みをあさる自警団と何度かすれ違うと、ロレンツォは、都度、皆の顔を覗き込んだ。ダニエルはいないが、真剣な顔もチラホラ混ざっている。クロノス事件の記憶のせいかもしれないが、人間の善意に触れることは、確かな幸せである。
微笑んだロレンツォは、その後、幾度か現れたカリフォルニア・ニュートを苦にすることなく歩き続けた。
やがて、地面が湿り気を帯びると、ロレンツォは次の一歩を踏み出すのを躊躇った。それは、ついて来た二人の鑑識も同じ。
ダニエル達が歩いた後だろうが、やはり足跡が気になったのである。
木の根が張っているが、合間に覗く地表の殆どは泥。やや軟らかいが、踏めば、靴のサイズは分かる。そんな地面が、ずっと先まで続いている。確かに、ダニエルが言う通り、警官の出番かもしれない。
大量の宿題をもらい、天を仰いだロレンツォの名を、その時、遠くから誰かが呼んだ。
ジェームズ同様、完全防備のダニエルである。
「ヘイ、ロレンツォ!」
顔を上げたロレンツォは、大きなストライドで歩いてくるダニエルを見つけた。笑顔である。
グループ行動なので、その先にも何人か。ぬかるむのか、転びそうになっているのは、ハーレーの男の一人。聞いた通りである。
ハーレー・ギャングは、林には決して似合わない。何なら、捜す振りをして、証拠を隠滅している様にさえ見える。
小さな不安に駆られたロレンツォの目の端で、間近に迫ったダニエルは、間もなく泥に足をとられて、バランスを崩した。確率論として、間違ってはいない。
普通の人間は、転びそうな人間を見ると、手を差し伸べる。そして、ロレンツォは普通である。不幸だったのは、ロレンツォの脳が、自らの足にその場に留まる様に求めていたこと。
ダニエルは、遠く伸ばしたロレンツォの手を握ることには成功したが、その手を支える肝心の体は、明らかにバランスを欠いている。
次の瞬間、笑顔が完全に消えないダニエルは、物理の法則に倣い、高速で転んだ。ロレンツォも道連れである。
「痛い。」
小さく声を上げたダニエルの両手が向かったのは背中。
一方で、ダニエルの声は、中途半端な良心のせいで、スーツの膝と手を無様に汚したロレンツォの心の声と同じだった。
地面に突っ込んだ手の甲に、小さな刺激を感じたのである。
一目で分かったが血が出ている。切ったのか何か。
久しぶりの自分の血に見入ったロレンツォは、近付いてきた二人の鑑識を手で制した。
「僕はいいから、先に行ってくれ。」
足跡があるとすれば、一点だけで残る筈はないが、急ぐに越したことはない。
従順な鑑識の背中を見送ったロレンツォは、膝をついたまま、隣りのダニエルに微笑んだ。
「証拠隠滅の容疑で逮捕しますよ。」
「その気があったら、呼ばないさ。」
痛みに顔を歪めるダニエルが即答すると、立ち上がったロレンツォは、手の泥と一緒に血をハンカチで拭った。つまり、その程度。
問題はダニエルかもしれない。背中に回した手が離れないのは、痛みが強い証である。
スマートフォンを取出したロレンツォは、ヘンリーに救急車を頼んだ。
さすがに背負う程の縁ではない。
ロレンツォは、救急隊員の到着を待つ間、ダニエルを寝かせたまま、自分なりに周辺を調べた。鑑識に任せるのが一番だろうが、ハーレーの男の存在は、そのぐらいの力を持つのである。
間もなく、ヘンリーが率いる救急隊員を迎えたロレンツォは、結果的に、ダニエルと一緒に病院に向かった。
付き添いではない。
それは、小さな小さな傷を負った手にしびれを感じたから。
カルフォルニア・ニュートの毒を疑ったからである。
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