第2話 涅槃(2)

文字数 3,050文字

ロレンツォがこの町に来たのは、彼が撃たれた日と同じ、雨の日だった。
この時期、この一帯に雨が降るのは珍しいが、特別と言う程ではない。
昼過ぎになり、そんな雨が不意に上がると、空を覆っていたダーク・グレーの雲は早足で消え去り、強い日差しが町を照らした。乾燥した空気が戻ってくるまで、そう時間はかからない。それは彼を見下ろす空の話。
そして、彼が生きる地上の話。商店が疎らに並ぶのが、この町の中心。
北側の線路を超えると登り坂がある。線路と坂は、緑に覆われた大地の大きな傷跡を縫っている様である。
うねる様に続く坂の至る所には、遠目にホワイトの住居が点在している。外の世界から断絶された空間では、人間の数だけの生理現象が許される。すべての事件の根源が眠るのは、このエリアである。
一方の南側はほぼ手付かずの自然。パーム・ツリーに彩られる断崖の時間は、百五十年前から止まっている。そしてその先が、先住民達の世界である。
ロレンツォは、パール・ホワイトのクロスオーバーSUVに乗り、砂漠を横断する国道を通って、東からこの町にやってきた。
三十四時間前に発生した、女子中学生エラ・ベイリー誘拐事件の捜査のためである。
身代金の要求はない。普通なら、女児が姿を消した程度で急ぎはしないが、残された犯行声明と市長の強い要望が、連邦捜査局の重い腰を上げさせた。
派遣されたのは一人だけではない。助手席には、バディのナバイア・ハウザー。
ネイティブ・アメリカンの彼が選ばれたのは偶然ではない。管理官曰く、こう。
“繊細な容疑者が出た場合の備え。”
何なら、ロレンツォは巻き添えである。
知的なロレンツォと比べて、ナバイアは野性的。二人の共通点は、ブルネットと若さとフル・オーダーのスーツ。才能に溢れる二人だが、その最大の武器は外見である。
予想に反して、先住民らしい顔立ちが一つも見えない歩道を抜け、少しだけ坂を登った二人のSUVは、間もなく一軒の民家に着いた。
消えたエラの自宅である。
SUVが三台に、セダンが二台。警察関係者で間違いない。
車道に車を止めたロレンツォは、数時間ぶりの大地に足を着けると、目の前のホワイトの二階建てを眺めた。取敢えず古い。身代金目当てでないのは、分かり過ぎる。
ロレンツォは、背後で車のドアが閉まる音を耳にすると、玄関に向かって歩きながら、リモートで車をロックした。

二人がインターカムを押す前に、ドアは開かれた。既に警察が詰めているので、なくはない反応である。ロレンツォとナバイアは、出てきたダーク・スーツの男にIDを見せると、古びた家の中に踏み入った。
目に付いた警察関係者は、スーツ姿の男女七人と、制服姿の老人一人。皆、基本的に体格はいい。奥でソファに座る、スーツを着ていない男女が、エラの両親。分かり易く乱れた髪は雄弁である。
神経が一瞬だけ震えたロレンツォは、その場で声を発した。この共鳴がなければ、犯罪に巻き込まれる人間のために、人生を浪費することは出来ない。
「連邦捜査官のロレンツォ・デイビーズです。こちらはナバイア・ハウザー。これから、この捜査を担当します。」
反応はない。いつも通り、ナバイアが視線で挨拶するのだけは待つと、ロレンツォは悲劇の二人を見つめながら、順番に手で差した。フクロウの様な二人である。
「エラのご両親。ミスター・ベイリーとミセス・ベイリーですね。」
ミスターはジョナサン、ミセスはマディソン。予め仕入れていた数少ない情報の一つである。
昔は綺麗だったかもしれないマディソンがソファから腰を浮かせると、ロレンツォは言葉を続けた。
「お気になさらず。まだ、警察に話してないことがあれば伺いますが。」
ロレンツォの経験上、事件の発生から三十四時間後に話が残っている被害者の家族はまずいない。
例外ではないマディソンが、顔を横に振りながら腰を下ろすと、ロレンツォはスーツの一団に目を移した。
「州警察と保安官の代表。一人ずつ、僕と一緒に来てくれ。」
ロレンツォは、誰の反応を待つこともなく、信頼するナバイアを残して、玄関を出た。

ついて来たのは二人。ロレンツォの指示通りである。連邦捜査官の願いは意外と叶う。そういうもの。
最初に口を開いたのは、大柄のコケージャンのスーツの男。年齢は五十歳前後に見えるので、かなり年上である。
「保安官のハンク・ベネットだ。ハンクでいい。中にいた髭の爺さん。制服の。あれがヘンリー・パーカーだ。ヘンリーと呼んでくれ。分かるな。担当は俺達二人だ。」
ハンクの握手は硬く、こちらのリードを許さない。目を見つめられたロレンツォが笑顔を返すと、力比べが終わるのを待っていた女が口を開いた。四十歳程度に見えるので、やはり年上である。
「州警察のイザベラ・クルスよ。クルスと呼んで。中に私のスタッフが五人いるわ。州のフロント・ラインは私達。捜査の話は私を通して。」
ロレンツォは、笑顔と握手の相手をイザベラに変えた。クルスはファミリー・ネームなので、彼女は壁をつくったということ。女性だからかもしれないが、大事なことである。
譲ったハンクは、クルスがロレンツォの手を離す前に喋り始めた。
「ジョナサンとマディソンの話は、もうヘンリーが聞いてる。レポートはすぐ渡せる。」
ロレンツォは、小さく頷いた。
「ありがとう。上から捜査協力のことは聞いてるね。」
軽く頷く二人を見てから、ロレンツォは言葉を続けた。
「住民を拘束したら、保安官事務所へ。これは協力なのかな。」
その場に小さな笑いが起きると、ロレンツォは本題に触れた。
「大体は聞いてるんだ。さっきの二人が、売春宿の経営者と大学の非常勤講師の謎の夫婦。」
犯罪の殆どは性に絡んでいる。人類は正しい教育をまだ修得していないのかもしれないが、性から逃げれば、大きな間違いはない。ロレンツォの持論である。
逆にこの夫婦は、犯罪に巻き込まれるべくして、巻き込まれた。市長の声がなければ、確実に無視する案件である。
クルスが鼻で笑うのを一瞥すると、眉を潜めたハンクが口を開いた。
「ジョナサンは悪い奴じゃない。気が小さいから、取り扱い注意だ。」
捜査のキーマンを見つけたロレンツォは、視線の先をハンクに定めた。
「“ジョナサンは”と言われると、ミセスの方はどうかと思ってしまう。」
ハンクは頷いた。
「マディソンは、まあそうだな。まあ、あいつも取り扱い注意だ。ただ、娘を誘拐されていい人間なんていないぜ。」
ハンクの頭の中に、何が過ったかは分からない。隣りのクルスは、ロレンツォに念のために確認をした。笑顔はまだ残っている。
「先生はマディソンの方よ。分かってると思うけど。」
分かり易い冗談と思ったロレンツォは、小さく笑って付き合った。
「それで、容疑者は?」
基本的に笑顔だが、あくまでも捜査に必要な最低限の人間関係を築くのが目的。
連邦捜査官のスタンスを大体把握したハンクは、周囲を見渡すと、元々渋い顔を更に渋くした。
「あいつらは、人の羨む暮らしをしてるわけでもない。狙ったんじゃない。」
「と言うと?」
ロレンツォが言葉を被せると、ハンクは声を低くした。
「こんなことをやる奴は決まってる。」
その言葉にどんな意味があったのか。クルスは、小さく笑うと、名刺を取り出した。
渡す相手は、ロレンツォ。応じない理由のないロレンツォも名刺を差し出すと、クルスは、おそらくはとっておきの笑顔を見せた。
「上手くやりましょう。」
家に戻る様である。ロレンツォは、ファミリー・ネームを選んだクルスに、仕事用の微笑みを返した。
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