第52話 瞋恚(1)

文字数 3,683文字

翌日も快晴。隣り町のホテルを早朝に出発したロレンツォとナバイアは、アンヘリートの店を訪ねた。途中、見かけた賑わう朝市は別にして、普通の店なら開いていない時間である。
自宅に出ていたのと同じ看板だけが目立つ平屋は、アンヘリートの仲間の輪の大きさのまま。当たり前にカーテンは閉まっている。
SUVから降りたロレンツォは、辺りを見回しながらピッキング・ツールを取出した。
ハンクの答え方で分かったが、令状は取れそうにない。
クロノス事件が少しでも絡むと、普通に待っていては、この町では何も出来ないのである。
扉の前に立つと、ロレンツォはチャイムを鳴らした。
出てくる筈はないが、必要な儀式である。
想定していた流れが崩れたのは、ナバイアと視線が合い、ロレンツォがピンを手にした時。
声もなく扉が開き、アンヘリートが出てきたのである。明らかに寝起き。
「なんだ、あんたらか。」
開けてもいない店に泊まり込む理由は分からない。怪しさは十分である。
ロレンツォは、表情を変えずに、ピッキング・ツールをジャケットに戻した。
「ミスター・モレノ。大変、申し訳ないんですが、一つお願いがあります。」
アンヘリートは、渋い顔を見せた。
「今度は何だ。」
「この店の中が見たいんです。」
ロレンツォの言葉に、アンヘリートの動きは止まった。
寝起きの彼には考えを整理する時間が必要かもしれない。
「何のために。」
ロレンツォの答えは決まっている。
「エラを探しています。」
アンヘリートを頭痛が襲ったのは、表情と手の動きで分かる。
「なんで、また俺が疑われたんだ。」
口を開いたのは、ナバイア。令状のない捜査に力を添えるためである。
「あなたじゃありませんよ。」
アンヘリートは、ナバイアに視線を移すと黙り込んだ。
子供のいないモレノ家では、それはスーザンに容疑がかかっていることを意味する。
胸が一杯になったのか、少しだけ仰け反ったアンヘリートは、目の前の二人を順に見据えた。
「今日は言わせてもらうぜ。あんたらは、疑うことに責任を持つべきだ。」
ロレンツォの表情は変わらない。
「エラの命がかかっています。」
アンヘリートは鼻で笑った。
「嘘つけ。生きてるなんて、思ってないだろう。」
ロレンツォの答えは早い。
「思ってますよ。」
「嘘だろ。それなら、今、ここから出てきた俺を疑ってないとおかしい。あんたの言ってることは嘘だらけだ。」
一度、大きなため息をついたアンヘリートの頭は、徐々に冴え始めている。
「よく考えてみろよ。犯人が捕まるまで、疑われた人間の無実は証明できないぜ。クロノス事件もそうだ。ジョールはずっと犯人扱いだった。扱いだ。犯人じゃない。あいつは、親父の△△△△を切っただけだ。本当に人を殺したことのある俺はどうなる。うるさいだけじゃない。絶対に逃げられない。そのうち、派手に震える。スープを飲むにも、ドラム・ロールだ。」
ロレンツォが小さな沈黙をつくったのは、アンヘリートの気が静まるのを待っただけ。
「お願いです。店の中を見せて下さい。」
ロレンツォの言葉は変わらない。
自分に向けられた冷めた目を見たアンヘリートは、顔見知りの警官に初めて手錠をかけられた日を思い出した。
小さい頃から優しかった彼は、その日は笑顔一つ見せなかった。
相手が悪い上に、喧嘩が弱かったと言っても、聞いてくれない。
手続きだけをどんどん進めていく。
運ばれるウシの気分。
自分と警官は、絶対に分かり合えない。
それが、あの日のアンヘリートの結論で、今日の彼に当てはまる教訓。きっと、明日の彼にとっても同じである。
「いいぜ。好きにしろよ。」
アンヘリートは、喋りながら扉を大きく開き、店の中に入った。

後に続いたロレンツォとナバイアは、店の中を見回した。
何でも屋に大したスペースは要らない。シンプルに何もない部屋である。
ソファの上のブランケットが、そこが昨夜のアンヘリートの寝床だと教える。
小さな机に置かれた灰皿の草は、彼がここに泊まった理由かもしれない。
ワン・ペナルティ。責めていい日である。
目立つのは、壁にかけられたショットガン。
自覚のあるアンヘリートは、自分から口を開いた。
「害獣駆除も仕事の一つだ。」
ロレンツォとナバイアは聞いていない。探しているのはエラである。
二つある扉のうち、一つの先はトイレ。もう一つは、ガレージである。

ガレージに並ぶあらゆる工具が、人殺しの道具に見えなくはない。
磨き込まれた金属は、手入れが行き届いているのか、何かの証拠を消したのか。
間もなく、大きめのトランクを見つけたロレンツォは、早足で近寄ると持ち上げた。
抵抗はほぼないので、明らかに空。
顔に皺を増やしたのは、アンヘリートである。
一人離れたナバイアは、壁を軽く叩き続けた。音が変わる場所。空洞を探しているのである。
地道に確認を進めるナバイアの脇を通り過ぎたロレンツォは、灰皿の草が消えたのに気付いた。
虚しさに包まれたロレンツォは、板張りの床に目を移した。
「板を剥してもいいですか?」
いい筈がないが、アンヘリートは全てを諦めている。
「俺に修理代を払ってくれりゃあな。」
それが彼の本職。だからこその頼み事である。
しゃがんだロレンツォは、板を眺めながら答えた。
「釘代は払いますよ。」
アンヘリートには、もう驚きでしかない。
「冗談だろう。」
「本気ですよ。自警団の活動だと思って下さい。」
領収書が通らないからである。釘代だけなら、ハミルトンを使うまでもない。
立ち上がったロレンツォは、ガレージに姿を消すと、バールを手に戻ってきた。
草を責める気のない彼は、アンヘリートの返事を待つ気もないのである。
ロレンツォは、隙間の大きそうな一枚を選ぶと、バールを差し込んだ。
解体作業の始まりである。
振返ったナバイアも間もなくガレージに消え、バールを手に戻ってきた。
それは、ロレンツォの行動に、微かな危うさを感じたから。二人は運命共同体なのである。
決して綺麗ではないアンヘリートの店は、ロレンツォとナバイアのせいで、少しずつ廃墟へと変わり始めた。
騒音の中、喋るのはアンヘリート。彼にはその権利がある。
「トランクの辺りで絶対だって思ったぜ。あんた達、エラが死んだと思ってるだろう。」
手元が忙しいロレンツォとナバイアは答えない。
「そうだよな。スーツ・ケースの中で生きてる訳がない。声も出す。この床の下も、さっきの壁もそうだ。俺もここまでされる覚えはない。殺したと思ってるんなら、急がないだろう。令状をとってこいよ。」
それが無理だから、今がある。
無視して作業を進めたロレンツォとナバイアは、やがて、エラが確実にその場にいないことを証明した。
それは、アンヘリートには最初から分かっていたことである。

「どうする、捜査官。」
壁にもたれていたアンヘリートは、立ち尽くす二人の連邦捜査官に声をかけた。
この空気を換えられるのは彼だけ。そんな空気だったのである。
アンヘリートは、言葉を続けた。
「俺は獣を駆除する。あいつらには悪いが、減らさなきゃいけない。皆のためだ。やると決めたら、まずは散弾銃だ。的を外さない様に体を狙う。動きを止めるんだ。追いつけば、首をすぐに切る。楽にしてやらないといけない。」
ロレンツォとナバイアに言葉はない。
「俺も、あんた達にとっちゃ、害獣なんだろう。いくら刑務所に行ったって、人殺しは皆の迷惑だ。いない方がいい。流石に分かってきてる。ただ、俺は人間だ。逃げも隠れもしない。ずっと手を挙げてるのに、弾を撃ちまくられてる。俺は、これ以上、一体どうすりゃあいいんだ。」
多分、アンヘリートの言葉は説教である。
我慢の限界かもしれないが、草を炙っていなければ、ここまでにはならない。
ロレンツォは、アンヘリートを見つめて、静かに口を開いた。
「最初から首を撃てばいいんですか。」

ロレンツォは、犯罪者に対して、何一つとして譲る気はないのである。
目を閉じたアンヘリートが顔を横に振ると、ロレンツォは言葉を続けた。
「奥様に会わせてもらえませんか。」
アンヘリートは、笑いを抑えられなくなった。我ながら、酷い扱いである。
ロレンツォとナバイアが沈黙を守ると、アンヘリートは不意に笑顔を消した。
断っても無視するに決まっている二人に、純粋に腹が立ったのである。
「会いたきゃ会えよ。ただ、場所を選べ。あいつも俺と似た様なもんだ。今は真面目にやってるが、何回か道を間違えてる。」
ロレンツォは確認する男である。
「それは、どこか人目につかない場所に呼び出すということですか。」
聞き返される意味の分からないアンヘリートが首を傾げると、ロレンツォは言葉で頬を張った。
「無理です。逃亡の恐れがあります。」
草を隠して見せたアンヘリートは、ゆっくりとロレンツォに歩み寄った。
二人の距離が縮まらなかったのは、ロレンツォがさり気なく違う方向に歩いたから。
立つ位置だけが変わると、アンヘリートの目は鋭さを増した。
追いすぎないのが彼。それが完全にクリーンではないということ。
ナバイアが小さく笑うと、ロレンツォはアンヘリートに笑顔で語り掛けた。
「奥様は自宅にいらっしゃいますか。」
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