第36話 必定(6)

文字数 3,593文字

暗闇を走るSUVが照らす先は、やはり暗闇。夜になれば誰もが知るが、この町の街灯の間隔は広い。車のライトに気付いてからでも、十分に身を隠せる。夜に隠れたい者にとって、これ以上ない道。
やがて舗装が終わると、小さな光が幾つも姿を現した。ホワイトにレッドにブルー。
パトカーである。
音を立てて、砂利の上を進むと、ライトが照らす先にフェンスが現れた。人影は多い。眩し気な目でライトを睨む警官が通り過ぎていく。
ロレンツォとナバイアが電話で呼び出されたのは、警官だらけの夜の廃墟。嫌いなシチュエーションである。
二人は、横たわるシャビーを囲む警官の輪に、ゆっくりと合流した。足が重いのである。
昼のうちに完治したロレンツォが目指した先はハンク。念を押す必要がある。
「僕はやってない。」
挨拶よりも先に出たロレンツォの主張に、振り返ったハンクは渋い顔で答えた。
「何だ。自首しないのか。」
勿論、冗談である。顔を横に振るロレンツォを他所に、ナバイアは他の顔を見渡した。州警察はいない。
「クルス達って、一体、何してんだ。」
ハンクは、呟くナバイアに視線の先を移すと鼻で笑った。
「見るなら、早く見ろ。もう持ってくぜ。」
ハンクは、足元に横たわるシャビーを見下ろすと顔を歪めた。
「内臓まで見せやがる。父親ゆずりだ。」
確実に汚い話から逃げたロレンツォとナバイアは、腰をかがめて、マネキンの様なシャビーに近付いた。
この町に来て、初めての死体。
二人が本気になるべき事態であるが、相手はよりによって、あのシャビーである。
顔の色は、新しい変化を見せている。もう痛そうにも見えない。
シャビーは、大きなホワイトの肉の塊になってしまった。
きっと、シャビーに同情できるのは今である。何も殺すことはないとか。そのぐらい。
それでも、寂しさに心を引き摺られたのはナバイア。ロレンツォも目を細めた時、立ったままのハンクが説明を加えた。
「背中に一か所と、腹を一か所刺されてる。腹の方は横にこうだ。引いてる。防御創はなし。服の汚れ方から見ても、最初は背中からだ。弱るのを待って、腹でトドメ。見てたんだろうな。嫌な奴だ。」
しゃがんだままのロレンツォとナバイアは、可哀そうなシャビーの傷口を静かに観察した。ハンクの見立てを疑う理由はない。
「普段、人が来るところじゃない。呼び出されたんだ。」
ついでの様にハンクが付け加えると、ロレンツォはシャビーを見たまま、口を開いた。
「第一発見者は?」
ハンクは、ブルーのライトが眩しいパトカーを見た。後部座席でヘンリーと話し込んでいるのは、ジェームズである。

ロレンツォとナバイアは、空いていた運転席と助手席に滑り込んだ。
侵入者に驚くヘンリーに微笑んだロレンツォは、照準をジェームズに合わせた。
「邪魔をして、すいません。あんまり意外なので。」
ジェームズは、渋い顔で頷いた。
「俺も驚いた。」
小さく笑うナバイアを一瞥したジェームズは、言葉を続けた。
「もう一度最初から話そうか。」
「そうして頂けると助かります。」
ロレンツォが促すと、当然、ヘンリーは頷き、ジェームズは事の顛末を喋り始めた。
「今夜は寝つけなかったんだ。エラの服が出てきて、悪い想像が止まらなかった。」
まだ、時間は早いが、ジェームズは年寄りである。山の様に出てきそうなギャップを埋めるために、取敢えず、ロレンツォは一番気になることを口にした。
「お酒は?」
ジェームズはロレンツォを見ながら頷いた。
「少しは飲んだ。臭うだろ。」
少しと言うのが嘘と分かる臭いである。ロレンツォは笑顔を返した。
「ええ、まあ。」
ジェームズは、酔っていても、ロレンツォとの会話に間を空けない。
「酒は強いんだ。臭っても、酔っちゃいない。」
「議論したところで、結論は出ませんね。」
「じゃあ、止そう。取敢えず、飲んだ。飲んでも、眠れなかった。それで気になる所を探すことにしたんだ。」
「日が暮れてからですか。」
「眠れないんだから、夜でもやる。」
「調査への協力は他のかたちでも出来ると思います。」
「俺にはこのぐらいしか出来ない。」
「高齢の方が夜に一人で探しても、あまり意味はないでしょう。」
「俺は、あの家族のことをそれなりに知ってるんだ。」
「それは分かってます。では、なぜここを選ばれたんですか。」
「あんたのせいだ。」
「時々言われますが、意味が分かりません。説明をお願いできますか。」
「マディソンのことを聞いたからだ。」
「確かに伺いました。それなら、彼女はここと何かの縁があるんですか。」
ジェームズは、一瞬言葉に詰まった。ロレンツォにとって、二人の会話に意味があるとすれば、今の瞬間である。ロレンツォは、好きなフレーズを口にした。
「どうされましたか。話しづらいことがあるんですか。」
ジェームズは、ヘンリーと顔を見合わせると、顔を横に振った。自分の口からは言いづらい。そんな感じである。
頼られたヘンリーは、小さな助け舟を出した。
「マディソンは高校の頃に少し無茶な時期があってね。ここにはよく巡回に来たよ。」
何となく分かったロレンツォは、ジェームズを見つめた。
「でも、見つかったのはシャビーの死体だったんですね。」
ジェームズの頷き方に疲れを見つけると、ロレンツォは合わせる様に静かに頷いた。
「それでは、形式的な質問をします。あなたはここで何かを見ませんでしたか。」
ジェームズは声を荒げた。
「だから、シャビーを見たから連絡したんだ。お前、酔っ払ってんのか。」
やはり、ジェームズは酔っている。ジェームズ以外の三人は声を出して笑った。喋るのはロレンツォ。
「現場から逃げる人影や車。話し声とかはどうですか。」
ジェームズは、一度、ロレンツォを睨むと、目を瞑って、顔を大きく横に振った。自分の無力さに腹立っている様にも見える。
ロレンツォは、聞き役に徹するナバイアと顔を見合わせた。
「まあ、誰が怪しいかは分かりそうな…。」
今まさに疑っているマディソンのゆかりの地での殺人である。大人のアンヘリートが、このタイミングでここまでの報復をするとは思えない。ロレンツォとナバイアがゆっくりと微笑み始めた時、電話の着信音が鳴った。
それはロレンツォのスマートフォン。クルスからである。
ロレンツォは、ジェームズに小さく手を挙げると、スマートフォンに出た。
「デイビーズだ。何か。」
ロレンツォは、車内の三人を観察しながら話を進めた。彼の耳に届くクルスの声は明るい。
「今、シャビーの隣り?」
馴れ馴れしいとは思うが、クルスは年長者ではある。取敢えず、ロレンツォは笑った。
「さっきまで。」
州警察にもきちんと情報は流れているということである。電話の向こうのクルスは端的に質問を重ねた。
「容疑者は?」
ロレンツォは、見えない相手のために首を傾げた。
「いや。何?」
クルスは言葉を続けた。
「アンヘリートを拘束したの。今から保安官事務所に連れていくわ。」
誤認逮捕の可能性が限りなく高い。ロレンツォは、ヘンリーの顔を見てから、窓の外に目をやった。ハンクもまだいる。
「ハンクもヘンリーもここにいる。代ろうか。」
クルスは知っている。
「私がその二人に言ったって、アンヘリートはやってないって言って終わりよ。何とか言って、事務所にどっちか帰してくれない?じゃなきゃ、市長に言って、ルールを変えて。」
ロレンツォは笑った。
「二人がやってないって言うなら、やってないんじゃないか。」
それはロレンツォの考えでもある。
「町を出ようとしてたのよ。夜に一人で。」
クルスが言葉を被せると、ロレンツォはスマートフォンを一度遠ざけ、目の合ったジェームズに微笑んだ。クルスの言葉は終わっていない。
「私達は、最初からアンヘリートを追ってたの。」
話が長くなる予感に、ロレンツォは早めに義務を果たした。
「僕達も早い段階で彼に行き着いた。そして、違うと判断した。」
ロレンツォの言葉は、クルスには関係ない。
「諦めるのが早いのよ。三日前の夜。二人が林で会ってたの。知ってる?」
ロレンツォは記憶を辿った。朝、アンヘリート本人から聞いた事件が起きたのは、そのタイミングでいい。
「アンヘリートがシャビーを殴った日?」
ロレンツォの発した言葉に、車中の三人は顔を見合わせた。
「そうね。アンヘリートがシャビーのライトを捨てたから、シャビーは朝まで林にいたわ。知ってるじゃない。」
州警察の数の力は、無駄なことに使われている。ロレンツォは、違和感を消すことにした。
「マークしてたんだろう。なんで、アンヘリートはシャビーを殺れたんだ。」
クルスは、小さく笑ってから答えた。
「今日、林を出た後、尾行を振り切られたのよ。そこから追ってたの。そしたら、さっき家に戻って、荷造り。あなたならどうする?」
州警察の答えは、幾つかある選択肢として、間違ってはなさそうである。
ロレンツォは、差し当たっての壁である眠そうなヘンリーの顔を見つめた。
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