第56話 それぞれの断章#13

文字数 5,601文字

 少しして診療録(カルテ)を読み終えると、男は簡素な手つきで其れを仕舞った。其れからゆっくりと見出しに指を掛け、又一つ別の診療録(カルテ)を引き抜く。男は其の動作を、幾度も繰り返していた。そして、俺達は其の姿を只()っと眺めている。
「… …… … …… …」
 …… … …… … …どうする。今、所内には殆ど人は残って居ない。助けが来るなんてコトは恐らく皆無だ。また不坐のトキのように、俺がなんとか時間を稼ぎ、其の隙に序開を逃がすか?…… ………だが、こんな狭い空間で能力者の超能力(チカラ)を避けるのは不可能だ。例えうまく序開(ジョビラ)を逃がすコトが出来たとしても、拳闘(ボクシング)機動力(フットワーク)も六に使えないこんな場所では、俺は屹度(きっと)瞬きの内に此の男に殺されてしまうだろう。そして奴は直ぐに序開に追いつき、彼女に手を掛けてしまう。一体、どうすれば良い?
 俺は混乱の中、必死に打開策を探す。全身は既にぐっしょりと汗で濡れていた。其の時、男が不意に診療録(カルテ)から顔を上げ、眼鏡の奥の切れ長の眼で俺を捉える。眉間に深い皺を湛えた、嫌悪の表情だった。
「…… … …… …… …お前達は、何時まで、このような愚かな行為を続ける。」
「……! ……………」
 男は侮蔑的な声色で、俺に向かって言葉を吐いた。
 … ……どういうコトだ。此の男は俺と序開を殺す為に現れた刺客では無いのか?不坐伊比亜(フザイビア)のような研究所の用心棒役なのでは?
 然し今、男はハッキリと此の研究所を否定するかのような発言をした。
「…… … …… … ……」
「… …… … ……あ、あなたは、… ……一体、何者なのですか?… ……」
「… ……!…… …序開ッ… …」
 眼に見えて怯えながらも、序開が必死で背広の男に問いかけた。俺は男の意識が序開に向かないよう、慌てて口を紡む。
「…… …あ、あんた… ……。……何故突然、俺達の前に現れた?… …… ……あんたは俺達を始末する為に現れたんじゃないのか?」
 震える言葉を、なんとか絞りだすように吐き出す。俺の言葉を聞いた男は、序開に向けていた視線を再び俺に向けた。
「…… … ………。 ……始末だと?…… ………… …… …確かに、お前達のような外道のヤリクチには、正直、反吐が出る。自らの知的欲求を満たす為に、人の命を塵芥(じんかい)のように扱うお前達のような人間は、皆此の世から消えてしまえば良い… …」
「…… … …… …… …… …」
「… …… ……だが、私は、お前達のような殺人鬼とは違うッ。私は誰彼(だれかれ)構わず、手を掛けたりはしない。…… … ……私は… …… ……私は、

人間であり続けるぞッ」
 そう云った男は少しく感情的になり、手に持った診療録(カルテ)を机の上に叩きつけた。机に跳ね返った衝撃で室内に軽い破裂音が響き、勢いで診療録(カルテ)が床に落ちる。其の音で序開の背中がびくりと跳ねた。が、負けじと序開が口を開く。
「…… …… ……わ、(わたくし)達は、こんな非道な人体実験等していませんッ!」
「…… … ……なに?」
 男が睨みつけるように序開を見た。
「…… ……… …(わたくし)達だって、こんなコトが研究所(ココ)で行われていたなんて、知らなかったんですッ。…… ……(わたくし)達は、此の研究所の真相を確かめる為に、此処で調べていたんですッッ」
「… ……… …… ……」
 何かを思案しているのか、暫くの間、男は押し黙ってしまう。其の間男はまるで、俺達の眼の奥を盗み見るかのように。凝っと視線を合わせていた。
「…… …… …。…… …… …ふん。…… …口ではどうとでも云えるだろう」
 そう云うと男は漸く俺達から眼を離して、部屋の周囲に眼を向けた。俺達に対して何を仕掛けてくるでも無く、一向に此の男の思惑が掴めない。
「…… … …… …… … …其方(そっち)の男。」
 俺が床に視線を落としながら考えていると、唐突に男が問いかけて来た。
「…… …… …… …な、なんだ。」
「…… …… …最近、中学生くらいの男の子が、此処に収容されたりはしていないか。」
「… …… …… …男の子?」
「ああ。」
「… …… … ………此処三ヶ月程は、研修生(プラクティカント)の出入りは無いが」
「…… … …… …ちっ」
 男は舌打ちをしつつ、神経質そう(ヒステリック)に爪を噛んだ。眉間に皺を寄せ、其の顔には苦渋の表情が浮かんでいる。
「…… …其の男の子を、探しているのか?」
 俺は男の心情が気になり、つい口を挟んでしまう。
「… …… ……。…… …… ……お前達の仲間に、私の息子は、勾引(かどわ)かされた。」
「… …… …!」
「… … …… ……軍人共の仕業だ。… ……… …此の国で、最も野蛮で卑劣な奴等… ……」
 人探し…… …岸と同じか。
「…… … ……研修生(プラクティカント)の情報は所内の資料室と、其れから此処にある分で全部だ。」
 俺は咄嗟に、研修生(プラクティカント)診療録(カルテ)の場所を伝える。此の研究所で手掛かりになるのは、恐らく診療録(カルテ)くらいだろう。
「…… ……ああ。資料室には先刻(さっき)迄居て、

。其れに此処の分は粗方把握した。やはり研究所(ココ)には、研修生(プラクティカント)の資料しか無いらしいな。そもそも、俺の息子は能力者では無いから、期待はしていなかったが。」
「… ……… … ……」
「…… … …… …厄介なコトに、息子の居場所はかなり強力な超能力(チカラ)で防壁されているのか、私の眼でも全く見通せない。だから態々(わざわざ)こんな遠方まで足を運んでみたのだが。… …… ……だが、其れもどうやら無駄足だったようだ。…… …… …(トキ)が惜しいので、私はもう行く。… …… …… …邪魔したな。」
 最初(ハナ)から俺達のコト等眼中に無いかのように、男は一方的に云いたいコトだけ云った後、此処を去ろうとしていた。だが男の正体が無性に気になった俺は、瞬間的に声を上げる。
「…… …… …ま、待って呉れッツ。…… …あんたは一体何者だ?…… …名を教えて呉れッツ!」
 自身でも予想外に大きく響いた声。其の声で、男が驚いたように俺の顔を眺めた。
「…… …… …… …」
 其の瞬間、俺を見ていた男の表情が突然変化し、疑惑に支配されたような表情を見せる。
「…… … ……お前… ……… … ……

?」
「…… …え?… ………」
 そして其の儘、男は序開にも顔を向ける。其の表情は明らかに困惑していた。
「…… …… …… …」
「……… …… … ………」
「…… …… …お前達、只の人間では無いな。… ………能力者か?」
「…… ……!」
「…… …」
「…… … …… …(イヤ)、違う。…… …普通の人間だ。」
 俺は答えた後、序開の顔を見た。序開も不安げな表情を浮かべている。男が言い放った言葉は、不坐が云ったコトと同じ、詰まり『超能力(チカラ)の器』のコトなのだろうか。
「… …… …… ……」
「…… ………… …… … …。…… … …… ……そうか。…… ……… …… … … ………ふふ。… …… ……… …

。…… ………… …… …マッタク、神の御手(みて)とは一体何処にあるか分からんモノだな。……  …… ……… …… …或いはまた、お前達とは何処かで、会うコトがあるのかも知れん。」
「…… … …… ……何?」
 其の時、男の身体がゆっくりと透過し始める。俺と序開は其の非現実的な現象に、只眼を奪われていた。
「…… … …… …。…… ………」
 男は俺達を()っと見つめていた。其の眼は、何処か微かに笑みを浮かべているようにも見えた。そして、此の部屋から男の姿が完全に消えてしまう寸前、最後に呟いた男の言葉を、俺はハッキリと聞いた。
「…… ……… …… ……森山… …… …」
「……… … …… …」
「… …… ……… …私の名は、森山我礼(モリヤマガレイ)だ。」


 ***


 『…… ……なんだって!?』
 電話口で、阿川(アガワ)が大声を上げた。
 『……其れでッ、お前も、序開さんも、無事なんだな!?』
「ああ。…… …俺達に対して、危害を加えようとする様子は無かった。」
 森山我礼に遭遇した後所内に戻った俺達は、空きの研究室を見つけて入り、阿川に電話をした。序開は先刻(さっき)の緊張感からか、すっかり憔悴しきった様子で椅子に座っていたが、俺が汲んだ番茶を飲みながら、静かに俺と阿川のやりとりを聞いていた。
「ああ。奴は倉庫奥の小部屋に突然現れたんだ。お前に云われた通り、診療録(カルテ)NO.705(ナナマルゴ)を見つけて読んでいた最中だった。」
 『…… … ……何故、奴は研究所に現れたんだ?…… …研究所の破壊が目的では無いのか?』
「… … ……森山の息子が軍に捕らわれたらしく、其の手がかりを追って、と云うコトらしいが… ……。…… …… ……阿川、お前、何か心当たりはないか?」
 『(イヤ)、全く無い。…… …… …軍が森山の息子を確保しただと…… …』
「…… … …… ……」
 『…… … …… …… …』
 阿川は何かを深く考えるかのように、電話口の向こうで黙り込む。俺はゆっくりと其の長考を待った。
 『…… …… …… …人質か。』
「……人質だって!?」
 『… …… … ……軍と正道高野(ショウドウコウヤ)は、森山捕獲に躍起になっている。……奴は国内の治安を脅威に晒し、もう既に馬鹿にならない程の死傷者が出ているからだ。』
「…… ………… …だが、だからと云って息子を人質に取る、と云うのは、少し度が過ぎていると思うが。」
 『…… …軍の拠点が既に三つ、壊滅的な被害を受けていると聞く。軍ももう、なりふり構って居れなくなったんだろう。』
「…… … ………。… ……… … …… ……」
 『…… …?… …どうした、竹田。』
 俺は何時の間にか、受話器を握る手に力が入っているコトに気がついた。
「…… …… …俺は… …… …森山が、お前達の云うような狂暴な人間には、とても思えなくて。」
 『…… … ……どういうコトだ?』
「…… …… …奴は、俺と序開に云ったんだ。自分は、誰彼(だれかれ)構わず、手を掛けたりはしない、と。… …… …実際、面と向かって奴と言葉を交わしたトキも、俺達と何ら変わらない全うな分別を持ち合わせた人間のように感じた。」
 『…… …… …。…… ……… …そうか。だが、だからと云ってもう俺達にはどうにも出来ない。俺の寺の上層部も何やら最近、妙に浮足立っているようだ。何か軍と共同で画策しているのかも知れん。…… …マァ、俺のようなはみ出し者には、一切情報は入って来ないがね。』
「……… … …… ……」
 俺は森山我礼の印象を語ったものの、其れは答えの出るような類の問いでは無かった。俺達は互いにうまく言葉を見つけられず、少しの間沈黙が続いた。其れから、阿川が話を切り替えるように口を開く。
 『…… … ……其れで、診療録(カルテ)NO.705(ナナマルゴ)の内容は、全部読んだのか。』
 診療録(カルテ)NO.705(ナナマルゴ)前頭葉白質切截術(ぜんとうようはくしつせっせつじゅつ)を応用した施術の、最初の成功例。
「……… …ああ、読んだ。」
 『…… ……… …… …そうか。…… …其れが今、実際に此の国で行われている真実だ。』
「…… …… …… …」
 『…… …… ……研究所で行われた施術は、最早数えきれない程の回数だ。そして、其の中で超能力(チカラ)を覚醒させ軍に入った人数は数える程しか居ない。然も、お前も既に知っている通り、超能力戦士(サイコソルジャー)として入隊しても、不調を(きた)す者が殆どだ。』
 岸克江(キシカツエ)は軍事演習の際に、精神に異常を来した。
「… ……其れで、幾人かは居るのか。今、軍で実際に活動している超能力戦士(サイコソルジャー)は。」
 『…… …いる。……現在、活動している人物は、二人だ。… …… ……一人は、お前も読んだ診療録(カルテ)NO.705(ナナマルゴ)の男だ。名は、刃室茂(ハムロシゲル)。……  … …そしてもう一人は、真願正一(マガンショウイチ)と云う男だ。此の二人は、俺が参加した前回の広島での森山我礼討伐作戦の際に合流していた。刃室(ハムロ)風操り(エアロキネシス)、つむじ風を操る能力者だ。そして真願(マガン)は、千里眼(クリアボヤンス)の一種を使う。』
「…… …… …」
 『… ……… …そして、施術の成功例、と云う意味で云えば、もう一人。… ……お前も知っている男だ。… …… ……不坐伊比亜(フザイビア)。…… … ……此の研究所での正確な超能力覚醒成功例は、此の三名と云うコトになる。』
「…… …… … ……… ……」
 『… ……。… ……お前の中に様々な感情が入り混じっているのは、理解している。… …だが、前にも云ったと思うが… …… … …良いか、決して早まるんじゃないぞ。俺達のようなちっぽけな人間が、一人でどうにか出来るようなコトじゃない。…… …間違っても、早まって此の研究所をどうにかしようなんて、考えるんじゃない。相手は、お前が考えているよりも遥かに巨大だ。』
 其の阿川の言葉を聞いて、俺は不意にある連想が思い浮かぶ。
「…… …… …… ……!… … …… ……まさか、森山は、一人で軍や此処のような研究施設を潰そうとしているんじゃ…… …。」
「…… …何故、そう思う」
「… ……森山は、何処か、此の研究施設に激しい憎悪を抱いていた。其れは勿論、俺達普通の人間が感じるような、一般的な感情なのかも知れないが。…… …軍を相手にするなんて、俺にはそんな大それたコトは不可能だが、森山の力を持ってすれば、或いは」
 『…… … ……其れは、俺にも分からん。…… ……。…… …だが、今後のコトを少し、一緒に膝を突き合わせて話す必要があるかも知れん。…… …… …丁度良い。俺は三日後、東京(そっち)に出張する急用が出来たんだ。其の時に、少し時間を作って会おう。…… …そうだな、序開さんも一緒が良いだろう。水川のコトも気になるが、今は仕方あるまい。』
「…… ……分かった。序開にも伝えておく。」
 『…… …… …兎も角、十分に気をつけろよ。…… …何か、

が良くない方に傾いているような気がする。… ……もしかしたら、お前達三人は既に監視されているかも知れん。… ……此れからは其れも念頭に入れて、慎重に行動するようにしろ。』
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登場人物紹介

■竹田雷電(たけだ らいでん)

■31歳

■一週間の能力者の一人

■火曜日に電撃の能力を発揮する。二つ名は火曜日の稲妻(チューズデイサンダー)

■繋ぎ止める者(グラスパー)として絶姉妹を使役する。

■武器①:M213A(トカレフ213式拳銃)通常の9mm弾丸と電気石の弾丸を併用

■武器②:赤龍短刀(せきりゅうたんとう)

■絶マキコ(ぜつ まきこ)

■17歳

■炎の能力を持つ。二つ名はブチ切れ屋(ファイヤスターター)

■絶夫婦の娘(養子)であり、絶姉妹のうち姉。

■雷電と死闘を繰り広げた後、死亡。現在は式神として雷電に取り憑いている。

■武器:小苦無(しょうくない)

■絶ヨウコ(ぜつ ようこ)

■17歳

■氷の能力を持つ。潜在的には炎も操る事ができる。

■絶夫婦の娘(養子)であり、絶姉妹のうち妹。

■雷電と死闘を繰り広げた後、死亡。現在は式神として雷電に取り憑いている。

■武器:野太刀一刀雨垂れ(のだちいっとうあまだれ)

■真崎今日介(まさき きょうすけ)

■21歳

■死霊使い(ネクロマンサー)の能力を持つ。五体の悪霊を引き連れる。

■奥の手:影法師(ドッペルゲンガー)

■武器:鉤爪(バグナク)

■W.W.トミー(だぶる だぶる とみー)

■一週間の能力者の一人

■水曜日に水の能力を発揮する。二つ名は水使い(ウォーターマン)

■中学校の英語教師をしている。

■日本語が喋れない。

■武器:無し

■小林マサル(こばやし まさる)

■14歳

■トミーさんの助手。通訳や野戦医療に長けている。

■阿川建砂(あがわ けんざ)

■90歳 ※昭和26年時24歳

■宝石商として全世界を旅する。

■宝石を加工し、能力を向上させる品物を作る技術を持つ。

■山田(まうんてん でん)

■21歳

■死霊使い(ネクロマンサー)の能力を持つ。4体の悪霊を引き連れる。

■雷電を繋ぎ止める者(グラスパー)に設定し、絶姉妹を取り憑かせた。


■竹田三四郎(たけだ さんしろう)

■90歳 ※昭和26年時24歳

■雷電の祖父

■研究者として、かつて国立脳科学技術研究所に所属していた。

■超能力(チカラ)の器としての才能を持つ。

■水川真葛(みずかわ まくず)

■※昭和26年時26歳

■国立脳科学技術研究所所属

■超能力(チカラ)の器としての才能を持つ。

■序開初子(じょびら はつこ)

■※昭和26年時23歳

■国立脳科学技術研究所所属

■超能力(チカラ)の器としての才能を持つ。

■夫を戦争で亡くす。子供が一人いる。

■不坐伊比亜(ふざ いびあ)

■※昭和26年時24歳

■国立脳科学技術研究所所属。所長の用心棒

■研究所設立以来の類まれなる念動力(サイコキネシス)を持つ。

その他

■一週間の能力者…一週間に一度しか能力を使えない超能力者の事。其の威力は絶大。

■獣の刻印(マークス)…人を化け物(デーモン)化させる謎のクスリ。クライン76で流通。

■限界増強薬物(ブースト)…快感と能力向上が期待できるクスリ。依存性有。一般流通している。

■体質…生み出す力、発現体質(エモーショナル)と導き出す力、端緒体質(トリガー)の二種。

■繋ぎ止める者(グラスパー)…死霊使いによって設定された、式神を使役する能力を持つ者。


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