第54話 それぞれの断章#11

文字数 10,014文字

 退社時間の十七時になると、ある程度の所員は退社する。所内には幾らかの所員は残っているものの、其の数は疎らだ。
 序開(ジョビラ)と別れた俺は、自身の研究室には戻らず空きの研修室を探した。まだ終業前であったが、一刻も早く阿川(アガワ)と話をしたかったのだ。直ぐに俺は人気の無い研修室を見つけ出して中に入り、部屋の隅の机に置いてある電話機を手に取る。
 『…… … ……高野山仙掌院(コウヤサンセンショウイン)です。』
 高野山仙掌院とは正道高野(ショウドウコウヤ)の本拠地であり、阿川が在籍する寺院だ。
「…… …国立脳科学技術研究所の竹田(タケダ)だ。阿川建砂(アガワケンザ)は居るか」
 『… …阿川は今、対応中です。』
「急用だ。俺はまだ研究所に居るから、連絡を寄越すよう言伝(コトヅテ)を頼む。」
 『… ……何時終わるかは、分かりかねますが… …』
「構わない。待って居るから、電話を呉れとだけ。」
 『……承知しました。』
 阿川の用事がどれくらい掛かるか分からない。だが、俺はなんとしても今日中に阿川に、岸が云っていたコトを尋ねたかった。そもそも、阿川が研究所の真実を知って居るのかどうかは不明だが、片倉(カタクラ)と懇意な所や、俺たちに研究所の成り立ちを話してくれたコト等を鑑み、阿川も少なからず何かを知っているのではないかと思ったからだ。阿川ではなく同僚や片倉に聞こうかとも考えたが、俺が探りを入れているコトは、所員の人間には極力知られたくなかった。
 誰も居ない研修室の中で思案に耽っていると、何時の間にか時刻は十八時を指していた。不図我に返り、俺は辺りを見回す。所内は昼間の喧騒が嘘のように静まり返り、未だ研究に没頭する幾人かの所員の研究室に灯りがついているのみだ。序開は定刻で上がり水川の様子を見に行くと云っていた。いずれにせよ、動き出すのは明日以降が良いか。そう考えた所で、研修室内の電話機が喧しい音を立てる。俺は跳ね上がるように立ち上がり、電話機に駆け寄った。
「国立脳科学技術研究所、竹田だ。」
 『… ……阿川だ。』
「…… ……阿川。… ……その、此の間は、済まない」
 『一体どうしたって云うんだ。お前の様子、尋常じゃ無かったぞ。』
「…… … …… …」
 『…… …ふむ。…… …大事は無いんだな?』
「…… …あ、ああ。」
 『そうか。なら良いさ。… …其れで、要件はなんだ?』
 阿川は電話口で不思議そうな声を上げる。俺はいざ言葉を発しようとするも、何かが喉の奥につっかえたかのように、うまく言葉に出来ない。俺は生唾を飲み込んで呼吸を整えつつ、ゆっくりと言葉を紡いでいった。
「… ……研究所(ウチ)研修生(プラクティカント)のコトだ。」
 『研修生(プラクティカント)?』
「…… … … …」
 俺の言葉を聞いた阿川が、軽口のように息を吐いて云う。
 『…… …ハッ。…… …其れは一体、何の冗談だよ。何でそんなコトを俺に聞く。研究所のコトなんて、毎日働いて居るお前達の方が、余程詳しいじゃないか。』
 だが、俺は其の阿川の軽口に付き合うコト無く、今日出会った(キシ)と云う男のコトについて話し始める。
「…… …… ………数日前に出征式をした研修生(プラクティカント)の女性の行方が分からなくなっているんだ。そして時期を同じくして、今日、其の研修生(プラクティカント)の夫が研究所に乗り込んできた。其の夫曰く、妻と連絡がとれなくなって一か月程経つらしい。行方を方々へ調べ回り、漸くウチの研究所に辿り着いたそうだ。そして男が云うには、其の研修生(プラクティカント)失踪の原因は軍部では無く、ウチにあるらしい。」
 『…… … …… …』
超能力戦士(サイコソルジャー)として出征式を行ったのならば、彼女は超能力(チカラ)を覚醒させたと云うコトだ。そして、身柄は既に軍部へと移っていると、俺は云った。…… …だが、男は俺に云ったんだ。『

』と。」
 『…… …… …』
「確かに男が云うように、俺達は無知過ぎたのかも知れない。もしかするとお前は、俺のまだ知らない此の研究所に纏わる真実を知っているんじゃないか?… …だったら、其れを教えてほしい。」
 『…… ……。…… ……出征式と云ったな。お前も見たのか?其の… ……研修生(プラクティカント)を。』
「ああ、見た。」
 『…… … …。……どうだった?』
「…… … …」
 どうだった、と云う阿川の漠然とした問い。恐らく普通の会話であれば、其の問いにもならない問いに疑問を抱くのかも知れないが、其のトキの俺は直ぐに阿川の云わんとしているコトが分かった。
「…… … ……普通では無かった。其の研修生(プラクティカント)の女性は、眼の下に大きなクマを作り、眼にはマッタク生気が無かった。にも関わらず、今後の抱負を語る其の声は高らかで、…… …然し、同時に其の口調からは奇妙に機械的な印象を受けた。何かこう、魂を根こそぎ吸い取られたような感じだ。」
 そう。出征式での岸克江(キシカツエ)の演説を聞いたトキ、俺と序開の心にはざらざらとした違和感が残った。勤務初日に見た彼女とは全く違う表情をしていて、一瞬誰だか分からなかったのだ。
 『…… … ……。… ……… …』
 受話器の向こうで阿川が言葉を詰まらせていた。此方にも伝わって来る沈黙に、どうにか耐えながら、阿川が喋り出すのを待つ。
 『…… …… …一つ聞きたい。』
「…… … …なんだ?」
 『お前が、其処までして研究所のコトを調べたいのは何故だ?』
「…… … …何故って、… …」
 『……お前の話を聞いていた所、どうも其の研修生(プラクティカント)の旦那の為、と云うワケでもないらしい。…… …研究所の真実を知りたい、と云う動機だけで行動するには些か弱い気もする。…… …お前が行動を起こしている理由は一体なんだ?お前は恐らく、何か別の動機によって突き動かされているんだろう。』
「…… … …! … …」
 『そして其れは、屋上でお前があれほど取り乱した理由と、無関係では無いハズだ。… …まずは、其の話を聞いてからだ。』
 阿川が畳み込むように俺に言葉を投げかける。其れを聞いたトキ、俺は心を見透かされたような気分になった。超能力(チカラ)を欲する水川。そして、失踪した研修生(プラクティカント)。一件、無関係な此の二つの事象は、超能力(チカラ)の覚醒に纏わると云う点で共通している。俺は水川から超能力(チカラ)を遠ざけようとして、知らず知らずの内に超能力(チカラ)と云うモノの深淵に自ら迫ろうとしていたコトに気づく。
「…… … ……」
 阿川の言葉で自身の心の内を曝け出された俺は、一瞬言葉を失った。だが、だからと云って今更止めるコト等出来ない。初めから俺の動機は、水川を誤った道から遠ざけるコトだ。そして其の為には、此の研究所について無知では居られない。
「…… … …水川が、超能力(チカラ)を欲している。」
 『… ……何?』
 俺は水川と米国(アメリカ)人との揉め事(イザコザ)の件、そして水川の過去と今日迄の経緯を阿川に話した。阿川は黙って聞いていたモノの、其の沈黙がナイフのように張り詰めているのが分かった。
 『…… …。… …… …マッタク、水川のヤツ… ……。…… …そうか。其れでお前は、矢鱈と超能力(チカラ)の移植について、聞いていたんだな。』
「…… …ああ。」
 『……で?… …水川(ヤツ)はどうしている。』
「序開が終業後、水川の様子を見て呉れている。なんとか落ち着いて呉れると云いんだが、まだ何とも云えない状況だ。」
「… …… …其処に此の研修生(プラクティカント)の失踪騒ぎか。確かに、穏やかでは居られないかも知れんな。』
「…… … … ……」
 『…… … …… …ハァー。… …… …… …尋常では居れないよ。そりゃ、考えても見ろ。超能力(チカラ)の歴史自体が、此の国の裏の歴史ソノモノじゃないか。其の歴史の渦の中に存在しているのが、此の研究所だぜ?』
 阿川は絵に描いたような軽口の口調で云った。まるで、どうにか言葉を紡ぐのを回避したいかのような、此の状況に似合わない言葉だった。
「…… … ……」
 『…… … …。… ……… …。… …… …診療録(カルテ)NO.705(ナナマルゴ)
 呟くような阿川の声。
「…… … …え?」
 『…… …… …。… ……其れが、此処で行われ、

だ。』
「…… … … ……どう云うコトだ?」
 『…… …厳重に保管はされて居るだろうが、なあに、警備はザルだ。少し手間はかかるだろうが、所員であれば難なく閲覧出来るだろう。俺が語るより、読んだ方が早い。』
「… …… ……其処に、研修生(プラクティカント)の失踪に纏わる事実が書かれていると?」
 『…… …。ああ、恐らく。…… …。… ……其れで、真実を知ってどうする。』
「……… …。まだ、分からない。」
 『…… … ……知れば、今の儘では居れないかも知れないぞ。知ってからの身の振り方を、考えておくんだ。… … ……そして、呉れ呉れも無茶なコトだけはするな。俺達は只の、小さな一個人でしかないんだ。其れだけを肝に銘じておいて呉れ』
「…… …… …。… ……分かった。」
 阿川の其のあまりに深刻な雰囲気に、俺は息を呑んだ。恐らく部外者である阿川も躊躇する程に、重大な機密なのだろう。だが、あれこれ一人で考え込んで居ても仕方が無い。兎も角、動き出すのは明日からだ。

 ***

「序開。」
 次の日の昼過ぎ、俺は序開の居る研究室へと足を運んだ。昼休憩よりも、就業時間内の方が皆仕事に集中している為、内々の話はし易い。入口から声を掛けると、資料に眼を落していた序開が一瞬辺りに気を配りつつ、席を立って此方に近づいてきた。
「……おはようございます。」
「今一寸(ちょっと)、時間あるか?」
「はい。」
 其れから俺達は屋上に行き、研修生(プラクティカント)や所員から少し距離を置いた所で話をするコトにした。
 俺は屋上をぐるりと囲む鉄柵に凭れかかり、序開は柵に手を掛け遠方の街並みを眺める。俺は昨日、阿川と電話で話した内容を、序開に端的に伝えた。
診療録(カルテ)NO.705(ナナマルゴ)、ですか… …」
研修生(プラクティカント)診療録(カルテ)は全て所内の資料室にあるハズだよな。只、午前中に漁ってみたものの、NO.705(ナナマルゴ)なんてのが何処にも見当たらない。のみならず、岸克江の診療録(カルテ)も同様だった。然も、よくよく調べてみると、歯抜けのように幾つもの診療録(カルテ)に欠番が散見されるんだ。」
 俺は早朝に出勤後、さっそく資料室を調べたのだった。資料室には、此れ迄研究所に在籍した研修生(プラクティカント)達の膨大な診療録(カルテ)が保管してある。だが、管理が杜撰なのか、それとも他の理由があるのか。欠番が目立っていた。
「…… …欠番…」
「ああ。」
「…… …ですが、診療録(カルテ)に欠番なんてあり得ないですよね。ましてや、此の研究所は臨床実験が主なハズ。大事な資料(データ)を破棄するなんて、そんなコト、態々(ワザワザ)するでしょうか?」
「…… …なんらかの理由で、何処か別の場所に保管してあるのかも知れないな…… …」
「…… …何処でしょう… ……」
 研究所内はかなり広くはあるが、既に俺達は所内の施設について殆ど把握していた。間違いなく所内で診療録(カルテ)が保管してある所は、資料室しかない。かなり膨大な量が保管してある為、資料室はさながら図書室のように背の高く大きな棚が幾つも並んでいるのだった。
 俺達は其々に思案を巡らせる。暫くの間俺達は無言の儘、外の景色を眺めていた。が、突然序開が顔を上げ、唐突に俺の腕を掴んで何処かに向かって歩き始めた。
「…… … …お、おい。… ……序開、一体何なんだよ。」
 俺が戸惑いながら問いかけるも、序開は何かに取り憑かれたかのように無言で歩き続けた。其の方向は俺達が居た所とは対角線上、屋上の入口から見て一番奥側を目指している。序開の後ろ姿を見ながら、腕を引かれるが儘に俺は其の方向へとついて行った。
 やがて、俺達は屋上の最奥に辿り着いた。此処は研究所の裏手側に位置して居り、鉄柵の向こうには眼の前まで山々が(そび)え立っている。序開は其処まで来ると、鉄柵の下に足を掛けて、身を乗り出した。
「お、おいッ!序開、危ないだろうッ」
 俺は突然の序開の行動に驚き、発作的に序開の肩を掴んだ。だが序開は気にも留めず、目線を下に向けて一心に何かを見ている。
「… …… … ……竹田さん、アレ。」
 序開は目線を一所に合わせた儘、眼鏡を人差し指の腹で上げながら云った。其の言葉に導かれるように、序開の視線を辿る。
「…… … ……… …」
 屋上から見下ろした其の先には、小さな建物が一つポツンと建っていた。
「…… … ……倉庫?」
 俺は顔を向けて序開に問いかける。此の建物は、所内で使用するあらゆる資材を保管しておく為の倉庫だった。小さいとは云えど、二十畳の研修部屋四つ分程の広さはある。序開は俺の言葉を聞いて小さく笑みを浮かべながら頷いた。
「…… …(わたくし)、お昼休みは基本的に自席でお弁当を食べているのですが、仕事がひと段落したトキは、就業時でも丁度此の辺りに座って、よく休憩しているんです。此の辺り迄はあまり人が来ないもので。」
「…… … …」
 確かに序開が云うように、今俺達が居る、此の屋上の最奥部迄には人がいない。此の研究所は何故か屋上への出入り口が一か所しかないので、どうしても其の付近で休憩する人が多いのだ。
「其れで読書をするコトもあるんですが、時折こうやって、鉄柵に凭れかかって景色を眺めるコトもあるんです。其れで気が付いたコトが一つあって。」
「…… …気が付いたコト?」
「…割と頻繁に、所員が倉庫を出入りしてるんです。」
「其れは日頃、仕事で必要なモノを取りに来てるんじゃないのか?」
「はい。ですが、其の所員の中には、手に幾らかの資料を持って倉庫に入られる方も居て。」
「… …資料を?」
「出て行くトキには、其の所員の手には何も持たれて居なかった、と云うコトが稀にあって。何度かそういう光景を見て、其の時は倉庫にゴミ捨て場でもあるんだな、くらいにしか思って居なかったのですが…… …。でも、ゴミを捨てる為に態々(ワザワザ)倉庫まで行きます?不要な資料なんて、机の下のゴミ箱に捨てちゃえば良いじゃないですか。… ……もしかすると、あそこに別の保管室があったりするのかもしれませんよ。」
 序開はそう云いながら、倉庫迄の導線を辿るように視線を走らせてみるが、生憎其のような所員の姿は見当たらなかった。
「…… ……別の保管室か… …」
 俺は序開の突飛な推理にとても好奇心をそそられた。そうと分かれば今からでも直ぐ行動に移したかったが、そんな俺の心を見透かしてか、序開が言葉を差し挟んだ。
一寸(ちょっと)待ってください、竹田さん」
「… …?」
「… …此処は(わたくし)に、任せてくれませんか?」
「えッ?」
「竹田さんがあんまりウロチョロして居ると、何かと目立つと思うんです。背も高いですしね。だから、あなたは今日一日、大人しくして居て下さい。」
「… …… … …え、イヤ、そ、そういうワケには… …」
「イーエ。こういう探し事は、あなたよりも(わたくし)の方が適任かと。其れに、竹田さんはご存知ないかも知れませんが、意外と(わたくし)、担当の研究室では其れなりに人望も或るんですよ。」
 両手を伸ばしながら鉄柵に掴まった序開が、得意げに云う。
「其れに、女の方がこういうトキ、何かと便利かと。」
 序開が云う便利とは、どういうコトなのか真意は図り兼ねたが、其処まで云う彼女の言葉を断るコトが出来なかった。そういうワケで倉庫内の調査等は序開に任せるコトにし、其の後の幾つかの共有をした後、俺と序開きは仕事に戻った。
 其れから自身の研究室に戻った俺は、一旦倉庫のコトは忘れて仕事に没頭していた。だが、其れが序開の才能だったのか、それとも元々の研究所の警備が杜撰であるのか、其れから三時間程経った頃、序開は唐突に俺の研究室に訪れた。
「… …… …竹田さん」
 予想外の序開の登場に、俺は内心とても焦った。だが同僚も直ぐ近くで働いて居る手前、俺はなんとか取り繕うコトに成功した。小さく深呼吸をして改めて序開の方を見ると、序開が振る手の中で何かが小さく揺れていた。どうやら其れは鍵のようだった。俺は机の上に広げた研究資料を無造作に掴んで序開と共に廊下を出た。
「…… …何故、研究資料を?」
 廊下を歩き始めたトキ、序開が手に掴んでいる俺の資料に眼を落しながら云った。
「…… …。… ……念の為の偽装(カモフラージュ)だ。… ……其れで?……其の鍵は… …」
「… …… …お察しの通りの、戦果です。」
「本当か!?」
「… ……ええ。(わたくし)、まず手始めに、倉庫を偵察しに行ったんです。そうしたら、倉庫の部屋の一番奥、死角になるような位置に、あったんですよ。扉が。」
「…… ……妙に信ぴょう性が出て来たな。」
 序開が眼の前に鍵をかざすので俺が手の平を見せると、序開は其処に鍵を落した。名札も無く、何処の鍵かも記されて居ない簡素な鍵だ。
「… ……準備は整いましたわ。今、時刻は… …アラ。もうこんな時間。後十五分程で、帰宅する人で廊下が溢れ返ってしまいますわ。」
 既に退社の時間が迫っていた。帰宅する人間と鉢合わせするのはマズイ。
「そうだな、其れ迄に倉庫に入ってしまおう。… ……だが、お前はもう帰った方が良いんじゃないか?」
 俺は序開に帰宅を促したが、序開は若干の不機嫌と共に抗議の声を上げる。
「とんでもない。(わたくし)も、モチロン同行させて頂きますわ。でないと何の為に頑張ったのか分からないですもの。」
「水川はどうするんだよ。其れに、子供さんは」
「屹度、大丈夫しょう」
「おいおい… …」
 序開の勢いに気圧された俺は、其れ以上は追及せずに早足で廊下を急いだ。

 研究所の裏手、山々を背に倉庫はぽつんと存在して居た。
 昼間は研修生(プラクティカント)の研修の為に、それなりに所員の出入りがある此の建物も、今は誰も近づくものは居なかった。辺りのしんと静まり返った雰囲気と、斜陽に照らされるもの悲しさも相まって、あまり気分の良いモノでは無い。
一寸(ちょっと)、怖いですね… …」
「…… … …ああ、そうだな。」
 序開も俺も、少しく緊張しながら恐る恐る倉庫の中に入る。何時でも備品が取り出せるように、倉庫の大きな扉自体は常日頃から開け放たれていた。序開から託された此の鍵は何処で使うのだろうか。俺は辺りを見渡しながら保管室の扉を探してみるも、周りには野球ボールや(ほうき)等、研修の際に一体どう云う用途で使うのか不明な備品の数々が、所狭しと置かれていた。
 気が付くと序開が一人、奥へ奥へと進んでいく。俺も遅れないよう後を追いかけると、序開が唐突に此方を向き、隣にある棚の裏を指差した。
「… ……竹田さん、此処です。」
 囁くように云う序開に追い付き、俺は彼女の誘導により棚の間の狭い隙間を覗き見た。
 果たして其処には、ガラクタの間を縫うようにして漸く入るコトが出来る位置に、簡素な扉があった。
「…… …流石に此れは分からんな…… …」
 倉庫の中にこんな扉があったとは、今迄マッタク知らなかった。
「… ……そうですよね。実は、(わたくし)も最初、見つけるコトが出来なかったんです。ですが探している最中、所員が倉庫に来るのが見えたんです。もしかしたら、と直観して、(わたくし)備品の間に身体を小さく丸めて隠れていました。すると運が良かったと云いますか、其の所員が此の扉へ入って行ったんです」
「…… …お、お前ってヤツは… …」
 俺は流石に序開の無鉄砲過ぎる行動に只々呆れ果てた。が、序開は尚も嬉しそうに話を続ける。
「身体の大きい竹田さんでは、恐らく見つかってしまいますよね。(わたくし)だから出来た芸当ですわ。… ……其れに、例え見つかったとしても、適当に誤魔化せば何とかなるでしょ?」
 此処で俺はやっと気が付いた。序開は此の倉庫探索を冒険のように楽しんでいるのだ。
「… ……ああ、ああ。保管室を見つけたのは、まったくもってお前の功績だよ。」
「うふふ。」
「…… ……で、場所は分かったとして、此の鍵はどうやって手に入れたんだ?」
 俺は自身の手の中の鍵をかざして序開に聞く。
「其の入っていった所員の方が、用事を済ませて出て来たところを尾行しました。鍵を戻しに行くと思いましたので。保管室の鍵は他の鍵と同じく庶務室で管理されてたんですが、所員と事務員のやりとりを見ていると、どうやら通常の鍵とは別管理で保管されているようでした。」
「…… …お前、それじゃ、まさか人目を盗んで鍵を拝借したのか?其れは流石にマズイんじゃ… ……」
「人聞きの悪いコトを云わないでください。所員の方が庶務室を離れた後、一寸(ちょっと)だけ間を置いて庶務室に行っただけです。『先刻(さっき)鍵をお借りした者に頼まれてきました。もう一度、鍵をお借りしたいのですが』と。事務員の方はマッタク怪しむコトもなく、鍵を貸してくれましたよ。別管理しているとは云っても、殆ど慣習的に貸し出しているのかもしれませんね。」
「ナ、ナルホド… …」
 序開の意外な程の行動力に、俺は心底感心していた。俺なんかよりも余程要領が良い。そんな探偵序開の隣をなんとか通り抜け扉の前に立った俺は、其の儘無造作に鍵穴に鍵を突っ込んだ。ひと呼吸置いた後ぐるりと鍵を回すと、呼応するように小さく音が鳴った。
「…… … ……」
 俺が序開の顔を見ると、序開も決心したかのように頷いた。ドアノブを回してゆっくりと押すと、扉は音も無く静かに開いていった。
 其処は倉庫の控室とでも云うかのような、窓の一つも無い小さな部屋だった。そして、何もない部屋の真ん中には一組の長机が置いてあり、其処に幾つもの箱が並べられていた。俺は其の箱に近づき、中に入っているモノを手に取る。
「…… ……診療録(カルテ)だ。」
 箱には診療録(カルテ)が入っていた。
 開いた箱の上部側に診療録(カルテ)の見出しが向くよう、整頓されている。見出しには、診療録(カルテ)のナンバーが記載されていた。俺は夢中で見出しに眼を走らせていく。阿川が云った診療録(カルテ)NO.705(ナナマルゴ)。此の診療録(カルテ)研究所(ココ)の秘密が記されている。
「…… … ……」
 見出しに指を沿わせながら、俺は件の診療録(カルテ)を探す。其の隣に現れた序開も、眼の前の箱の中から無造作に診療録(カルテ)を取り出して中を確認し始めた。
「…… …… …。… …… …診療録(カルテ)NO.705(ナナマルゴ)は竹田さんにお任せしますね… ……。(わたくし)は、岸さんの診療録(カルテ)が無いか探してみます。」
「… ……ああ、そうだな。」
「はい。ワケありの診療録(カルテ)が此処に集められているのだとしたら、失踪した研修生(プラクティカント)診療録(カルテ)だって保管されているハズ… ……」
 探偵ごっこのように眼を輝かせながら、序開は診療録(カルテ)を開き、診療結果に眼を走らせていく。
「…… …了解。」
 そう一言呟いて、再び診療録(カルテ)の見出しを追いかけようとしたトキ、静かな部屋の中で序開の声が呟くように響いた。
「… ……!… ……。… ……竹田さん」
「……うん?どうした。」
「…… … ……。…… … ……」
 俺の名を呼んだは良いが、其れから序開は無言で診療録(カルテ)の文字に眼を奪われていた。其の異様な雰囲気に、俺はなんとなく目を奪われてしまう。
 そして序開は其の後、続けて幾つもの診療録(カルテ)を箱から取り出し、或る箇所に注視するかのように乱読していた。
「…… … …。… ……おいおい、序開。どうしたんだよ。一体何が書いてあるんだ。」
 其の序開の様子に興味をそそられた俺は、思わず彼女に質問した。だが、其の俺の声とはまるで正反対の、切迫をともなった序開の声が返ってくる。
「…… … ……… ……竹田さん… ……見出よりも… …… …どれでも良いので、兎に角、診療録(カルテ)の左下の走り書きを見て下さい…… … ……」
「…… … …走り書き?」
 俺は云われるが儘眼の前の箱から診療録(カルテ)を一つ取り出して、序開の云うように左下に眼を向けた。其処には、綺麗に記述された診療記録では無い、後から追記された文字があった。
「…… ……!… ………」


 ●川●男 19××年×月×日処置後、直ぐ錯乱 二週間の経過観察後、死亡


 心臓が唐突に大きな鼓動を立て、急激に体温が上がる。
 俺は其の瞬間、隣に居る序開のコトも頭から消え去り、夢中で次から次へと診療録(カルテ)を引っ張り出した。


 ●住●奈子 19××年×月×日処置後、覚醒する事無く死亡

 ●川●治 19××年×月×日処置後、精神薄弱 問いかけるも応答無し

 ●山●一郎 19××年×月×日処置後、発狂

 ●袖●吉 19××年×月×日処置後、精神薄弱 問いかけるも応答無し

 ●田●子 19××年×月×日処置後、錯乱 取り押さえ施設へ移送

 ●井●介 19××年×月×日処置後、発狂 自我崩壊するも、覚醒の兆候あり

 ●生●信 19××年×月×日処置後、精神薄弱 兆候無し

 ●沖●四子 19××年×月×日処置後、死亡 覚醒無し

 ●宮●美 19××年×月×日処置後、精神薄弱

 ●原●陽彦 19××年×月×日処置後、発狂 自我崩壊の為、観察終了

 ●田●士 19××年×月×日処置後、精神薄弱 覚醒の兆候あり 経過観察

 ●末●郎 19××年×月×日処置後、直ぐ死亡 

 ●藤●成 19××年×月×日処置後、意識があったが、体調急変し、死亡

 ・・・・・



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登場人物紹介

■竹田雷電(たけだ らいでん)

■31歳

■一週間の能力者の一人

■火曜日に電撃の能力を発揮する。二つ名は火曜日の稲妻(チューズデイサンダー)

■繋ぎ止める者(グラスパー)として絶姉妹を使役する。

■武器①:M213A(トカレフ213式拳銃)通常の9mm弾丸と電気石の弾丸を併用

■武器②:赤龍短刀(せきりゅうたんとう)

■絶マキコ(ぜつ まきこ)

■17歳

■炎の能力を持つ。二つ名はブチ切れ屋(ファイヤスターター)

■絶夫婦の娘(養子)であり、絶姉妹のうち姉。

■雷電と死闘を繰り広げた後、死亡。現在は式神として雷電に取り憑いている。

■武器:小苦無(しょうくない)

■絶ヨウコ(ぜつ ようこ)

■17歳

■氷の能力を持つ。潜在的には炎も操る事ができる。

■絶夫婦の娘(養子)であり、絶姉妹のうち妹。

■雷電と死闘を繰り広げた後、死亡。現在は式神として雷電に取り憑いている。

■武器:野太刀一刀雨垂れ(のだちいっとうあまだれ)

■真崎今日介(まさき きょうすけ)

■21歳

■死霊使い(ネクロマンサー)の能力を持つ。五体の悪霊を引き連れる。

■奥の手:影法師(ドッペルゲンガー)

■武器:鉤爪(バグナク)

■W.W.トミー(だぶる だぶる とみー)

■一週間の能力者の一人

■水曜日に水の能力を発揮する。二つ名は水使い(ウォーターマン)

■中学校の英語教師をしている。

■日本語が喋れない。

■武器:無し

■小林マサル(こばやし まさる)

■14歳

■トミーさんの助手。通訳や野戦医療に長けている。

■阿川建砂(あがわ けんざ)

■90歳 ※昭和26年時24歳

■宝石商として全世界を旅する。

■宝石を加工し、能力を向上させる品物を作る技術を持つ。

■山田(まうんてん でん)

■21歳

■死霊使い(ネクロマンサー)の能力を持つ。4体の悪霊を引き連れる。

■雷電を繋ぎ止める者(グラスパー)に設定し、絶姉妹を取り憑かせた。


■竹田三四郎(たけだ さんしろう)

■90歳 ※昭和26年時24歳

■雷電の祖父

■研究者として、かつて国立脳科学技術研究所に所属していた。

■超能力(チカラ)の器としての才能を持つ。

■水川真葛(みずかわ まくず)

■※昭和26年時26歳

■国立脳科学技術研究所所属

■超能力(チカラ)の器としての才能を持つ。

■序開初子(じょびら はつこ)

■※昭和26年時23歳

■国立脳科学技術研究所所属

■超能力(チカラ)の器としての才能を持つ。

■夫を戦争で亡くす。子供が一人いる。

■不坐伊比亜(ふざ いびあ)

■※昭和26年時24歳

■国立脳科学技術研究所所属。所長の用心棒

■研究所設立以来の類まれなる念動力(サイコキネシス)を持つ。

その他

■一週間の能力者…一週間に一度しか能力を使えない超能力者の事。其の威力は絶大。

■獣の刻印(マークス)…人を化け物(デーモン)化させる謎のクスリ。クライン76で流通。

■限界増強薬物(ブースト)…快感と能力向上が期待できるクスリ。依存性有。一般流通している。

■体質…生み出す力、発現体質(エモーショナル)と導き出す力、端緒体質(トリガー)の二種。

■繋ぎ止める者(グラスパー)…死霊使いによって設定された、式神を使役する能力を持つ者。


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