第61話 それぞれの断章#18
文字数 8,400文字
「…… … ……。… … ……」
俺の傍らに跪きながら静かに
「… ……良いですね?」
「…… …… …。… …… …… …ああ。」
「…… …傷だらけで大変でしょうが、何とか頑張って下さい。… …… …極力、人に会わないような通路を通って
「…… …… … …。…… …… …何故… ……… …君達は、其処迄して… …… …俺達のコトを助けてくれるんだ… …… … ……
朦朧とする頭で俺は喜緖に向かって問い掛けた。今彼等が行っている行動は、謂わば彼等自身の所属に対する反乱行為だ。隠密行動とは云え、見つかったトキの代償がデカすぎる。だか、俺のそんな無節操な問いを聞いた喜緒は額に小さな汗粒を浮かべながらも、何処か当然のコトを聞かれたかのように、ふっと薄い笑みを浮かべつつ答えた。
「…… …其れも勿論あります。ですが、私達はそもそも昨今の上層部の方針には懐疑的でした。… …… …。… …… …何時からか、
「… ……寂玄?」
「我々の宗主、
「……… …!…… … ……榊…… …だって?」
… ……榊。研究所に異動して以来、事ある毎に聞いた名だ。
「…… …はい。お察しの通り、
「… ……なんだって?」
喜緖から語られる思いがけない其の言葉が、俺の頭を何度も反芻する。其れは、国立脳科学技術研究所と
だがそもそも国と正道高野は、利害は一致して居るものの信頼関係等無いハズだ。阿川曰く、此の二つの勢力は日本における二大勢力として、遥か昔から此の国に君臨していた。そして歴史にも見られるように、彼等は互いに警戒しあっていたのだ。其の証拠に国は正道高野の持つ
「…… …では、今回の
俺は朦朧とした頭の中で様々な憶測を巡らせた。喜緒は周辺に気を配りつつ、俺の身体を起こしながら言葉を紡いでいく。
「… ……話はそう単純なモノではありません。まず前提として、
「…… ……!… ……」
「詳細は分かり兼ねますが、確かなコトは
「…… …… …」
喜緒の肩を貸り、俺はなんとか立ち上がるコトができた。それから互いに呼吸を合わせながら一歩ずつ足を踏み出し、俺達は部屋を出て廊下を歩き始めた。
「…… … …良い。… ……其の調子です、竹田さん。…… …… …焦らずに行きましょう。まだ多少の時間はある。」
「… ……ああ。」
「… ……… ……。… ……ですのでそれらを踏まえると、彼等兄弟が協力し合うと云うのはあり得ません。此れは我々正道高野の僧侶にとっては周知の事実です。… …今回の件は、榊兄弟の人間関係とは別の所で、国と正道高野で利害が一致したのがコトの発端です。詰まり、国も正道高野も『より強大な
「… … ……… …狂ってる。」
俺は小さく独り言ちた。其の言葉を聞きながら喜緒が後を引き取る。
「…… …… …はい。… ……マッタクもって、そう思います。… …… …寂玄様も何時の頃からか、度々、過剰に
「… …… … ……」
「そう云う意味では、私達も同罪です。研究所で行われていた
喜緒が廊下の床に眼を落しながら、悔恨を滲ませながら言葉を紡いでいく。
「… ……私も、尺丸も。もう、此れ以上過ちは犯さない。其の誓いだけが、今の我々を動かしているのです。」
「…… …… …」
「安心して下さい、竹田さん。我々が、あなた達のコトを必ず助けます。寺の外には車をつけている者と共に、後、幾らかの有志がいます。彼等も、機を見て加勢してくれる。其れ迄、少しの間、頑張って下さい。」
「… ……ああ。有難う、喜緒。… …そうだ、阿川は… …アイツから連絡はあったのか?」
「
「…… …阿川…… …まさか、アイツの身にも何かが… …」
俺は阿川の身を案じて、激しく動揺してしまう。其の所為で態勢が崩れそうになる俺を、喜緒は甲斐甲斐しく受け止めつつ、廊下を歩き始めるのだった。
「……残念ながら、そう考えるのが妥当でしょう。…… …ただし、そう簡単に奴等の思うようにはならない。… …
此れほど切迫した状況にも関わらず、直ぐ横にある喜緒の顔は晴ればれとして、ある種の確信を持った表情を浮かべていた。阿川への信頼の証だった。
「…… …… …そう云えば、俺はどれくらい意識を失っていたんだろう」
「…… ……今日は、日曜です。…… …時刻は、午後三時。あなたは昨日の夜、刃室に
確か、俺は片倉に麻酔銃を撃たれたのだった。麻酔の所為で時間の感覚も分からなくなる程に昏睡したのだが、其れが結果的に幾らかの休息をもたらした。まだ頭がぼうっとはするものの、身体中の傷の痛みも少し和らいだ気がする。
「… ……大本堂では現在、数十人の上位僧で構築された
「…… … …… …」
「…… …… … …竹田さん、此方へ」
喜緒の云う方向へ顔を向けると、人気の無い広い回廊の脇、殆ど目につかないような場所に細く薄暗い廊下があった。陽の光が届かない為、奥まで見通すコトが出来ない。
「此の先には階段があり、寺の裏手に続いています。普段は仏門に入ったばかりの修行僧が掃除等、日常業務に使用しています。どうやら、此の通路は軍の人間には知られていないようで、
喜緒の肩を借りながら俺は暗い廊下を進んでいくと、やがて行き止まりとなり、足元に階段が姿を現した。喜緒が俺の肩を軽く押し、先へと促す。俺は幅の狭く急な階段を、一段ずつ確認するように降りて行った。見上げると喜緒はまだ階段には足を掛けず、注意深く後方を警戒しながら、俺が安全に階段を降り切るのを見守っていた。足を踏み外さないよう、気をつけながら歩を進めると、やがて眼下に地上が見えてきた。ぼんやりと陽の光に照らされ、
「……… … ……」
階段を降り地面に素足をつけると、自然の冷気がひんやりと伝わってくる。眼の前には直ぐ其処迄鬱蒼とした森が迫っており、此の寺がとんでもない山奥に建てられているコトが分かった。まだ陽が落ちるには時間あるにも関わらず、背の高い木々の所為で木陰になっていて辺りは薄暗い。
「…… … … …辺りに見張りはいませんね」
後ろから降りてきた喜緒が小さく声を上げた。確かに見渡した所、それらしい姿は見当たらない。
「……よし。其れでは、此方です。急ぎましょう…」
奥深い自然に圧倒されている俺の眼を覚ますように、喜緒が云った。そして俺に対して再び肩を貸そうと、此方に近づいてきた。
「… …
「…… …そうですか。良かった。其れでは、私から離れないようについてきて下さい」
仄かに笑顔を此方に向けながら、喜緒は俺を先導し歩き始める。屋外の明かりの下、浮かんだ喜緒の姿は、正しく言い伝えでしか聞いたコトがない忍者のような服装をしていた。漆黒で包んだ全身に、手足の関節部は鉄板のようなモノで固く保護されている。本来は頭部を包むモノもあるのだろうが、今は装着していなかった。
其れから俺達は暫く草むらを掻き分けながら道無き道を進んだ。三十分程歩いただろうか。やがて、鬱蒼と茂る草むらが終わり、比較的開けた空間に出てた。
「…… …広い… …」
「… ……昔、此の辺りにあった山城の
喜緒はそう云うと、口を薄く開けて小さく鋭い口笛を吹いた。
すると、遥か向こうの草むらから、喜緒と同様の漆黒の姿をした男と、其れに隠れるように出てくる人影があった。
「…… …竹田さんッ」
果たして、其れは序開だった。
「序開ッ!」
漆黒の忍者のような風貌の男は、頭部も隠れるような頭巾を被り目元しか見えない為、一見誰だか分からなかったが、口元の布を無造作にずらすと、その下から見覚えのある顔が現れた。
「…… …大丈夫だったかッ!」
尺丸は俺と喜緒の顔を交互に見つつ、快活そうな笑顔を浮かべて声を上げた。
「… …おい、声が大きいぞ」
喜緒が尺丸のコトを嗜めるが、尺丸は得意げに云った。
「今の所は、大丈夫さ。俺たちが此処について暫く経つが、奴等が探している様子は無い。やはり、此の立地を選んだのは英断だ。土地勘が無いと此処に辿り着くのは困難だろう。流石、
「……ああ。その通りだ。…… …だが、油断するな」
「分かっている。…… …竹田さん、よくぞ、ご無事で」
尺丸が俺に顔を向けて、気遣うように云った。
「… ……ああ、有難う、尺丸。……本当に、君達には感謝している。」
「…… …まだ、礼を云うのは早いですよ。礼は、此処から逃げ抜いてからです。… ……其のトキは、酒でも馳走して下さいよ」
人懐っこそうな笑顔を見せながら云う尺丸の軽口に、思わずふっと笑みがこぼれる。
「…… …ああ、勿論さ。一番好い酒で祝おう」
俺も其れに軽口で返すと、周りで聞いていた喜緒と序開からも、俺の意外な軽口に小さく息が漏れた。
「… ……さて、此処からはもう少し歩かないと
其れから喜緒が切り替えるように、気を取り直して云った。俺と序開は静かに頷いて返事をする。尺丸も其れを見て、決意するように喜緒に目配せをした。
其れから俺達は、喜緒を先頭、尺丸を
「…… …竹田さん。」
直ぐ後ろから、序開の声が聞こえてきた。
「……序開、怪我は無いか?」
「
「……ああ。… …少し、な。只、もう大分血は止まっている。問題無い。」
「… …歩くのが辛かったら、云って下さい。肩を貸しますから」
真剣な眼差しで俺を見る序開。其の眼に対して、俺は躊躇してしまう。水川のコトを云うべきか。俺の説得にもついに応じず、戒約の葬に向かってしまったアイツのコトを。序開の名を聞いて、苦渋の表情を見せたにも関わらず、進むコトを止めなかった、アイツのコトを。
「… ………! … …… …まさかッッ」
小さく鋭い声に、俺と序開は瞬間的に顔を上げた。今、声を発したのは、喜緒だったのか。一瞬誰の声か分からず、俺は後ろを向いて尺丸の方を見ると、尺丸の方も忙しなく辺りを警戒している。
「… ……どうしたんだ?」
俺はどちらに聞くともなく云った。眉間に稲妻のような皺を寄せた喜緒が、目線だけを此方に向けて云った。
「…… … …っくッ。奴等が、追ってきていますッ」
そう云いながら喜緒が苦虫を噛み潰したような表情をしている。
「何故、此の道が分かったンだッ!?軍の人間で
「… …
俺の唐突な呟きに、喜緒と尺丸が一斉に顔を向けた。
「……… …。… … ……成る程。そうかも知れませんね… …」
地面に眼を落し、独り言ちる喜緒。不坐はかつて、正道高野に在籍していた。
「… …… … ……何人、追っ手は居るんだ?」
俺は未だ変化の無い周辺を見回しながら、喜緒に聞いた。だが、喜緒は何かを必死で考えているのか、俺の問いに答える様子が無い。其の無言を引き取って、後ろから尺丸が答える。
「…… ……恐らく、五人」
「五人だって!?」
「真っすぐ、迷い無く此方に向かっている。… … …… ……だが、奇妙だ。こんなに早く追いつかれるなんて。俺と序開さんには絶対に尾行はついていなかった。喜緒の方も同じだ。俺達に気配を悟られずに尾行するなんて、そんなコト不可能だ。…… … ……幾ら不坐と云えども… ……」
尺丸の言葉からは苛立ちと焦りが滲み出ていた。が、そんな俺達に猶予等無いかのように、喜緒の声が再び空気を切り裂いた。
「… ……来ますッツ!!」
先ほど、俺と喜緒が来た方の草むらから、ぞろぞろと人影が現れた。最初に現れた三人は軍服を来た男たちであり、此方に向かって速やかに
「… ……
序開がぽつりと呟いた。俺達は銃を構えた軍人達の間から現れた、其の異質な男に眼を奪われる。
「…… … …… ……見ィーつけたァ… …」
「… ……くくく。もう、逃げられないよ…」
真願は空いた方の手の甲で、口を抑えつつほくそ笑む。喜緒と尺丸が俺と序開の前へと歩み出て、保護するように立った。
「… ……私と尺丸が、奴等の相手をします。お二人は、私達の後ろに居て下さい。離れすぎないように。…… …尺丸、まずは小銃を構えた連中を倒すぞ」
喜緒は庇うように俺達の方へ左手を添えながら、右手を懐に突っ込み数珠を取り出した。
「
喜緒の声に答えつつ尺丸が両腕を身体の外へと開く。伸ばした其の手には其々、数珠が握られていた。其の両手を一気に胸の前で合わせると、周辺に破裂音が響き渡った。合わせた両手が目まぐるしく印を結び始めると共に、尺丸の口から呟くような念仏が聞こえてくる。
「オン・ビロダキャ・ヤキシャ・ヂハタエイ・ソワカ… …」
同時に喜緒の方も、数珠を握った右腕を軍人へと突き出すように構え、一心に念仏を唱え始めた。
「オン・ベイシラマンダヤ・ソワカッ… ……」
「撃てェエッッツ!!」
俺の近くに鳴り響いていた念仏の声をかき消すかのように、山中に真願の号令が響き渡る。其れを契機として、三人の軍人の構えた銃口が、閃くように何度も光った。
「きゃああああああッ!!」
「…… …クッ……」
「おい、喜緒ッ!… …何なんだッ、奴等の
「…… …ああ。厄介だなッ。…… … …だが、無限では無い。… ……何時か、必ず弾は尽きるッ」
防戦一方な状況で、喜緒が尺丸に目線だけを向けて云った。そして喜緒の云う通り、掃射の切れ目があった瞬間。喜緒は腰を下げて駆け出し、鋭く一気に距離を詰める。
「……尺丸ッ!援護頼むッ」
「
離れた喜緒に向かって尺丸が集中するように手を合わせると、喜緒の周辺にも磁場のような防壁が浮かび上がった。
「… ……破ァッ!!」
防壁で守られた喜緒が数珠を持った右手を振り上げると、軍人達の手から
「…… … ………」
直ぐ後ろには、その光景を眺めるように真願が先ほどと変わらず立ち続けている。
「…… …!… … ……喜緒ッ」
「…… … …ああ。」
尺丸と喜緒の視線が、真願の後方へと注がれる。俺も彼等の視線を追いかけると、真願の後ろから人影が現れた。
「…… … ……
無意識に俺の口から言葉が漏れた。白シャツを腕まくりし、
「… ……不坐ッツ!!!貴様ァアッ!!」
尺丸も其の姿を認めた瞬間、抑え切れない言葉を叫びに変えた。不坐がゆっくりと隣に立つ真願に声を掛ける。
「… …… …… …… …やるじゃねェか、
「……… … ……へッ。止めてくださいよ、
真願が
「…… …
「… …… …チェッ、敵わねェな、旦那には。…… …然し… ……」
奴等のやりとりを後目に喜緒と尺丸が再び印を結ぶように構え始めた。だが、不坐と真願はまるで此方を意に介すコト無く、尚も話を続ける。真願がついと此方に眼だけを向けた。
「… …… …追い付けて良かった。
其の抜け目ない目線は、序開を捉えていた。俺は重い身体を何とか動かして、序開の前へ立ち塞がった。
「… …… ……喜緒ッ」
尺丸が神経質そうに直ぐ眼の前に居る喜緒に声を掛けた。
「…… …なんだ」
「……真願正一の
「…… … …… …千里眼の一種、と云うコトしか。」
「……… ……矢張り、其処までの情報か」
胸の前で合掌した儘、尺丸が言葉を紡ぐ。
「… ……建砂様なら、何か知っておられるのかも知れないが… …」
「…… …
「… ……確かに。
喜緒は自身に云い聞かせるように云った。そして、続けて俺たちにも語り掛ける。
「… ……竹田さん、序開さん。…… ………不坐迄が追って来た今、あなた達を庇いながら戦うのは不可能です。… ……私と尺丸が
「…… ……喜緒ッ……。そんな、君達は… …」
「… ……我々は、大丈夫です。…今は、此れが考え得る限りの最善です。… ……どうか。……… …どうか、あなた達だけは、なんとしてでも、生き延びて下さい」