第57話 それぞれの断章#14
文字数 7,220文字
其れ迄の間、俺達は特に何をするでも無く研究所での仕事に没頭した。阿川の云うように、只の一研究員の俺に出来るコト等何も無いのだろう。今は一旦落ち着いて冷静になる必要がある。
序開は森山との遭遇に衝撃を受けていたが、其れでも所内では少しも表情には出さず、通常通り仕事を行っていた。定刻迄働きつつ、此れ迄通り
其れから日が経過し阿川との会合を明日に控えた今日、何故か序開が無断欠勤していた。アイツにしては珍しいコトもあるもんだと思っていた。序開の研究室の人間に聞くと、此れから彼女の自宅へ問い合わせ欠勤理由を確認すると云うコトだった。彼女は家庭を持っている。急用くらい入るのは当然だろうと、俺は特に気にするでも無く仕事を行っていた。そんな矢先、突然電話が入る。相手は阿川だった。
「…… … …阿川か。どうした。出張先からか?… …明日、来るんだろう?」
軽い調子の俺の言葉とは裏腹に、阿川の声は酷く切迫していた。
『……… …
「… …人?…… … …研究室に居るから、同僚が幾人かは居るが。」
『……… …… …今すぐ、内密に話がしたい。何処か誰も居ない部屋に移動できないか』
「… …構わないが……」
『…急いでくれ』
其のあまりの阿川の深刻な様子に気圧されつつも、俺は直ぐ様研究室を飛び出した。空き部屋を見つけ、急いで阿川に指定された電話番号を回す。
『…… …阿川だ。』
「俺だ。… …一体どうしたって云うんだ?」
俺が努めてゆっくりと問いかけると、阿川の方もごくりと喉を鳴らして大きく息を漏らした。
『…… …迂闊だった。』
「…… …… … …」
『… …奴等、
「…… … …なんだって?」
『…… …。そして、…… …良いか。落ち着いて聞いて呉れ。…… …寺の上層部の人間と、軍の連中は、共同してある企てを行っていた。』
「…… …企て、とは?」
『…… …… …森山の
「……… … …
『……ああ。奴等は、森山を捉えて、其の膨大な
「…… …… …」
『…… …
「…… … ……其の儀式で、森山の
『……… …俺も伝え聞いたコトで詳しい所は分からないが、
器に移す
。』「… ……!… …器だって!?」
『…… … ……ああ…。…… …マッタク、気づかなかった。お目出度過ぎて、自分自身に頭にくるぜ。… ……上層部の偉いさん方は、秘密裡に計画を進めていたようだ。…… …そして、其の企てに邪魔な人間を極力、排除していたらしい。… …… …俺の今回の出張も、儀式に文句を云い兼ねない面倒な俺を遠ざけたかったってのが、本当の理由らしい。』
「… ……… …… …」
俺の心の奥が、とてつもなく、ざわめいている。
『…… … …そして、それら寺の上層部の動きについて
「…… … …… ……」
『……… … … …… ……水川が、境内で
「…… …!!… ……」
『…… …水川と伊比亜は、何か申し合わせていたかのように、会話をしていたと云う。詰まり其処から推察するに、恐らく水川は自らの意思で、
「…… …… … ……」
あまりの事態に、俺の頭の中でぐるぐると阿川の言葉が反芻している。水川が
「…… … …屹度、水川は
『ああ。勿論、其の可能性はある。だが、問題なのは其処じゃない。……… …今考えなくてはならないのは、既に水川が正道高野に居て、儀式に加わろうとしているというコトだ。…… ……命に係わる儀式になるコトは間違い無いだろう。精神と身体へ途轍もない負担が掛かるコトも十分考えられる。』
「…… … …… …」
『…… …そんな儀式への参加を、水川が決心したのは何故だ?傍らにいる伊比亜が幾らかの助言をしたのは間違いないだろう。では、伊比亜は、水川の抱える耐えがたい
「…… … ………」
『そんなワケは無いだろう。…… …俺はアイツの性質を知っている。アイツは、水川を、
「…… …利用、だって?」
『…… …恐らく、森山我礼の
「…… ……ふざけやがってッ!クソッ!…… ……早く、なんとかしないとッツ」
俺は思わず電話口で叫んでしまう。だが、そんな俺を阿川は諫めるように声を上げた。
『… ……待てッ!… …落ち着けッ!竹田ッ。…… …俺が急いでお前に電話した理由は、お前の安否が一刻も早く知りたかったからだ。境遇的には、お前も器としての才能を有しているから、今回の件に巻き込まれていないとも限らないからな。…… ……そして、正直に云うぞ、竹田。… ……俺は、
「…… ……!…… …阿川、お前、まさか…… ……」
『…… … ……。… ……水川のコトは、諦めろ。なんとかするなんて、変な気を起こして、お前迄、命の危険を冒す必要は無い。』
「……… …そんなッ!それじゃ、アイツを見捨てろって云うのか!?」
『… ……仕方ないだろうッ!…… …せめて、お前と序開さんの安全だけでも、確保しないとッ』
「……!… …… …… …… …」
阿川の言葉を聞いて、心臓がどくんと一つ鳴った気がした。思わず、俺は暫く黙り込んでしまう。
『…… …… … …どうした、竹田』
「… …… ……序開が、……今日無断欠勤しているッ」
『なんだって!?』
「…… ……
『…… ………くっ。…… … …竹田ッ。今直ぐ、序開さんに連絡をとって呉れッ。家に居るのならば、其れで良い。』
「…… …分かった。また直ぐに掛け直す」
俺は電話を切ると同時に、序開の研究室へと急いだ。
序開の研究室の前に立ちゆっくりと扉を開くと、研究室の同僚は、皆忙しなく研究に没頭していた。俺は一番手前に居る所員に序開の欠勤の原因を聞くと、所員は手を止め背伸びをしながら答えた。
「…… …ああ。アンタ、序開と同期の奴か。あんたからも連絡して呉れないか。」
「… ……どう云うコトだ?」
「… …序開の家に電話したら家政婦が出てよ。ホラ、アイツの家、とんでもない金持ちだろう?其れで、アイツの欠勤理由を聞いたんだよ。そうしたらさ、家政婦が云うんだよ。『
お嬢様なら、今朝もいつも通りご出勤されましたが
』だとさ。一応家政婦には、まだ序開が出勤していない旨を伝えておいた。お前の方も、何か心当たりがあるのなら、連絡をつけてくれないか?…… … …あ、おいッ」俺は所員の話が終わる前に研究室を出て、空き部屋へと足を向けていた。
序開は一体何処に行った?なんらかの理由で、朝から水川の家に向かったのか?
「…… ……阿川」
俺は空き部屋に入り電話を掛け直すと、阿川は待ち受けていたのか直ぐに電話に出た。
『……どうだった?』
「… ……序開は今朝、出勤の為、何時も通り家を出たそうだ。家政婦が証言している」
『…… ……そうか…… …』
「… …もしかすると、奴等が『
俺は堪らず、阿川に思って居たコトをぶつけた。
『…… ………。… ……そう考えるのは早計だ。もしかしたら、本当に急用があっただけかも知れない。夜にもひょっこり自宅に帰って来る可能性もある。…… …分かった。俺は今直ぐ、東京に向かう。が、恐らく今からだと、そっちに到着するのは夜になるだろう。其れ迄、お前は序開さんが自宅に戻っているかを逐次確認してくれ。』
「分かった。」
『…… …東京駅に着いた頃、また電話する。』
仕事を終える頃、俺は一縷の望みを賭けながら、研究所から序開の家へ電話を掛けた。だが、願いも空しく彼女は帰宅して居ないとの返答だった。其れから時間を空けて、再度問いかけてみるも返答は変わらない。序開の両親は其の事態に大いに困惑していたが、俺は明日の朝迄に彼女が帰って来なければ、速やかに警察へ連絡するコトだけを念入りに説明して電話を切った。
時刻は既に十九時を回っており、所内には殆ど人はいない。俺は誰もいない研修室で、阿川の電話を只ひたすら待った。
「…… …… …水川ッ。お前は、何故…… …」
序開は就業後の殆どの時間を、水川に会う為に費やした。水川の表情にも笑顔が浮かんでいたと云う。だが、そんな序開との時間等まるで無に帰すかのように。、水川は
『俺は
水川の云った言葉を唐突に思い出す。アイツは此度の戦争に参加しなかったコトに、何か責任を感じているようだった。まるで、次は自身の命を散らす番だとでも云うように。
「…… …水川ッ。」
水川は屹度、過去に囚われている。其の逃れられない記憶に囚われて、序開の愛情にも気付くコトが出来ないのだ。… ……だが、其れでも俺は、水川に生きてほしい。鎖に絡めとられた過去では無く、此れからの自身の未来に手を伸ばしてほしい。そう思ったトキ、俺は何処か心の中に燻っていた蟠りが消えた。俺はやはり、水川を助けたい。
室内を朧気に照らす電灯の中で、俺はそんなコトを考えながら阿川の連絡を待っていた。が、其処で唐突に室内に風が吹いた。其れと共に、奇妙な声が聞こえてくる。
『…… …研究所の広場に出てこい。』
「……… ……!… ……」
俺は立ち上がり、辺りを見渡す。電話の声では無い。明らかに、周辺から聞こえた声だ。
「…… …誰だッ!…… … ……」
得体の知れない緊張の中、俺は室内で声を上げる。だが、当然のように辺りには誰も居ない。何かの聞き間違いかと思った矢先、更に声は語り掛けてきた。
『…… … …
「……ッツ」
疑いようが無かった。声の主は能力者だ。然も、事情を察しているような口調。正道高野の人間か、或いは軍関係者なのか。そう思った瞬間、俺は白衣を脱ぐのも忘れ、既に部屋を出て廊下を駆け出していた。待ち受けているのは、間違いなく
眼の前、およそ五メートル程向こうに、男が一人立っていた。全身を
「…… … …… …」
「…… …
此方に向かって男は正対し、脱力するかのように両腕を身体の横に垂らしていた。だが、無造作に開かれた
「…… …何者だッ!」
俺の問いに対して男は此方を睨みつつ、口角を上げて口を開いた。
「…… …… …俺は、
「……!」
「…… … …序開は…… …序開は何処だッ」
「… …… …… …」
「答えろッ!」
「序開初子は、今頃、正道高野へ向かう車の中だ。」
「…… …!… …」
「… ……そして、俺が此処に現れたのは他でも無い。… ……貴様を迎えに来た。」
「…… …迎えに、だと?」
「貴様も序開初子と同様、正道高野へ連れて行く。」
淡々と男は言葉を紡いでいった。
「…… …… …嫌だ。… …と云ったら?」
「無駄だ。此の会話に交渉の予知は無い。此れは貴様に対する通告であり、情報の開示だ。必要な情報を与えた後、速やかに貴様を正道高野へ送る。」
「…… …… …… …… ……」
「…… … …… …と。… …マァ。」
其処まで云うと、唐突に男は両手を広げ、険しかった顔を幾分か和らげて話を続けた。
「…… … …… ……お堅い話は以上だ。連行するような形にはなるが、貴様は序開初子と
「… …… … …俺達を、一体、どうするつもりだッ」
「… ……どうって、そりゃ、儀式に参加してもらう。自分達がどう云う存在か、粗方は知っているんだろう?其の貴様共の類まれなる才能を、御国の為に役立てて呉れれば良い。」
「…… … ……ふざけるなッ!… …… …
俺は感情が高ぶるのを抑えられなかった。溢れる怒りを吐き出すように、刃室へとぶつける。
「おいおい、何を眠たいコトを云っている。そんな思考なのは、研究者だからか。あるいは、其の若さゆえか。」
「…… …何!?」
「…… …… …
「…… … ……」
「…… …良いか。平和と云うモノは、力の上に成り立っている。此れは真理だ。そして、力のある者は欲しいモノを手に入れ、力の無い者は虐げられ、蹂躙されるのだ。奇しくも、其の実例が今正に此処にある。…… …。… ……貴様には、此の眼の前に広がる風景が見えていないのか?GHQの名の下、
「…… …… … ……」
「… …… … …奴らは少しずつ我々から、牙を奪い取って行く。だが、そうはさせない。」
刃室は何処か自分に言い聞かせるような口ぶりで、地面に眼を落しながら語った。
「…… …だから、…… …… …犠牲になる人々がいるのは、やむを得ないと云うのかッ」
「… …… …犠牲だと?何を云う。
「…… …… …… ……詭弁だッ」
「そうか?なら、どうする。
気が付くと、両拳が力の限り握られていた。… ……刃室の云うコトは絶対に間違っている。本人だって、其の家族だって、犠牲になるコトを望んでいるワケがない。もっと、死なんてモノの前に、考えられる選択が屹度あったハズだ。
そう考えたトキ、俺は何時の間にか白衣を脱ぎ捨て、刃室に対して拳を構えていた。刃室は俺の、
「…… …そうだ。…… …やはり、力を持たなければ、何も得るコトは出来ないんだ。……貴様自身の身体が、其れを十分に理解しているじゃないか。」
突如として刃室の全身を包み込むように、つむじ風が発生した。