第43話 夕暮れに遠雷は閃いて#4
文字数 6,063文字
此方は16畳ほどで、とても広々としている。居間と同様、奥の壁には掛け軸や美しい屏風、其れから天井近くの壁には達筆な筆で書かれた文字が飾られていた。三四郎おじい様の日頃からの手入れが行き届いているのか、襖や畳の隅々まで埃一つ無く、とても清潔感がある。
時刻は10時。まだ三四郎おじい様は居なかったけれど、中央付近には私たち三人の為のものか、分厚い座布団が置かれていた。私たちは誰に何を云うでもなく、各々座布団に座った。竹田さんは胡坐で後ろ手をついて、見るでもなく周囲に眼を向けている。マキちゃんはと云えば、掻いた胡坐の足首にピンと両手を押し当てて所在なさげに身体を左右に揺らしていた。其れがなんだか落ち着かない様子だったのは、私も同じだった。此れから聞く話は一体どんなモノなのだろう。此の一か月、私たちが体験した様々なコトの種明かしを聞くような気持ちで、なんだか妙に気負ってしまう。
其れから直ぐに三四郎おじい様が大広間に現れた。手には自身の座布団を持っていて、其れを自分の足元に静かに置くと、竹田さん等と同様胡坐を掻いた。
「さて。昨日の続きじゃな。其れで雷電。お前たちが遭遇した此の一か月間の経緯は、昨日話してくれたコトが全てかの?」
「あぁ。全部話したぜ。」
「了解した。… ……。では… …。…… …… …まず何から話したら良いのか、あれから色々と考えていたんじゃが。… …… …まず、ワシが知っているコトを語る前に、前段として歴史的な話をする必要がある。」
大広間の両側の襖は開け放たれ、縁側の窓も全て開いている。大広間の中へは麗らかな太陽の光が差し込み、木々で休んでいる野鳥の気持ち良い鳴き声が終始聞こえていた。そんな田舎の古民家の部屋の中で、私たちは外の景色のコト等忘れてしまったかのように話に集中している。
「歴史的な話だって?」
「あぁ。…
三四郎おじい様はそう云いながら、私たちの顔をゆっくりと見渡した。三四郎おじい様の其の漠然とした問いにどう答えて云いのか逡巡していると、隣のマキちゃんが快活な口を開く。
「そんなの、大昔からじゃないの?」
「マキコちゃん。そう、そうじゃ。
「大昔にも
マキちゃんが興味深げに相槌を打ちつつ云う。
「マァ、当時は超能力なんてコトバは存在しないじゃろうから、昔で云えば、
「あー、そっか。なるほど。」
「彼らは、
「…… …… …」
竹田さんは何を考えているのか分からないけれど、
「…… …。そして、其の
「… …。…… … … ……デカい、
竹田さんがぽつりと独り言ちる。三四郎おじい様は其の竹田さんの声に小さく頷いて、淡々と話を紡いでいった。
「… ……
「正道高野… ……」
「正道。其の名が示す通り、高野の中心を成すモノ。此れこそが本来の高野山の姿じゃ」
「… …其の正道高野とか云う集団が、
「歴史では、数々の伝承と共に弘法大師空海が高野山を開いたと云うコトになっておるが、… …其れは或る意味で正しくはあるが、厳密には違う。元々、此の土地には正道高野が存在し集落を形成していた。とてつもない
三四郎おじい様の語り口調はゆっくりとしたモノだった。だけれど、其の情報の全てが私の思考のキャパシティを越えていて、私は話についていくのがやっとだった。マキちゃんも眉間に皺を寄せながら、なんとか理解しようと努力しているようだった。
「…… …なんだか、荒唐無稽で現実感が無い話だな。」
「無理も無い。… ……じゃが、此れは過去から現在まで連綿と続く、疑いようの無い事実じゃ。」
「… …。へへ。信じないと、話が進まない、ってか」
軽口を云うように、竹田さんが云う。私はなんとなく、竹田さんの気持ちが分かるような気がした。三四郎おじい様が話してくれた内容は、今まで私たちが習ってきた歴史とはマッタク違う話で、物云わず延々と聞いていると現実味がなくなりそうだったからだ。そんな気持ちを一旦解きほぐすかのように、竹田さんは軽口を云って茶化したのだと思う。
だけれど次の瞬間、軽口を云った竹田さんの眼が唐突に宙で止まり、何かを思い出したかのように自身のズボンから財布を取り出して中身を漁り始めた。私たちも突然の竹田さんの行動に眼を奪われてしまう。やがて、竹田さんは中から折りたたまれた一枚の紙切れを取り出す。
「此れは、クライン76の事務室で拾ったモンだ。此のレシートの裏に、走り書きがある。」
竹田さんは開いて落書き部分を私たちに見せた。其処には『コーヤに連絡』と書いてあった。
「どうやら、
「うわ、マジで。」
其れを聞いた途端、マキちゃんが胡坐から四つん這いになって竹田さんのレシートに顔を近づけた。レシートの走り書きをじっくりと観察するように見ている。此のレシートがクライン76の店内から見つかったと云うコトは、クライン76が正道高野と関係があると云うコトの物的証拠だ。
「『コーヤに連絡』と云うメモ書きがあったと云うことは、クライン76はどういう立ち位置なんでしょう?クライン76は正道高野の運営している店なのでしょうか。」
私は顎に手を当てながら状況を整理するように口にした。
「クライン76は昔からある店だが、あそこの情報は俺の耳にも
ちょくちょく
入っていた。昔からあそこは只の竹田さんは手の中にあったレシートを、もう此の手掛かりは用済みだと云わんばかりに、くしゃりと潰して畳の上に置いた。
「
竹田さんが視線を三四郎おじい様へ不意に向ける。黙って聞いていた三四郎おじい様は、其の視線を受けて一言だけ口を開いた。
「… ……続けろ。」
竹田さんは小さく頷き引き続き考察を述べる。
「そして、… …此れは今日介の推測もあって断定はできないが、藤巻と狐面はデーモンの戦闘データを共有していた形跡があるらしい。」
「…… …状況的に考えると、クライン76は、正道高野から『
「其の云い方が、一番しっくりくるかもな。」
「じゃあさ、正道高野は一体何の為に、
マキちゃんが矢継ぎ早に疑問を口にするけど、其の点は私も引っかかっている点だ。
「お金なんて、高野山はいっぱい持ってるハズですよね。
「同感だ。俺も金儲けでは無いと思う。…… … …今、現実に起こっている事象だけを捉えて考えてみるならば、
「じゃあ、正道高野は世の中をデーモンでいっぱいにするのが目的なのかな。てゆうか、あの怪物は一体何なんだよ。
マキちゃんが腕を組んで視線を上に向けながら云った。先日遭遇した眼から光を放つデーモンのコトだ。それにしても、世の中をデーモンでいっぱいにするのが目的だなんて。デーモンの蔓延により世界の人々を恐怖のどん底に突き落とす、とか。なんだかまるで漫画とかで見たコトがあるかのような展開を一瞬思い浮かべてしまう。
「じいちゃーん。」
私たちが様々な憶測に思いを馳せながら話をしていると、私たちの後方、大広間の向こうからカズヤ君の声が聞こえてきた。私たちは一旦話を止め、カズヤ君が近づいてくるのを見ていた。
「なんじゃ、カズヤ。朝から外に出ていって遊んでおったんじゃろう。」
私の隣に立っているカズヤ君に、三四郎おじい様は穏やかに話掛ける。
「うん。てかさ、話、まだ終わンないの?」
「ああ。まだもう暫く掛かる。」
「僕さ、お姉ちゃんたちと遊びたいんだけど」
突然のカズヤ君の申し出に、私とマキちゃんは顔を見合わせて驚いた。
「お姉ちゃんたちとも、まだ話があるんじゃよ。終わってから時間があったら遊んでもらえば良かろう。其れ迄、他の友達と遊んで居れ」
「友達となんか、何時でも遊べるし。ねえ、お姉ちゃんたちったら、東京から来たんでしょ?田舎のコト知らないだろうから、僕が色んな所、案内してあげるよ。ねぇ、じいちゃん。何時くらいに終わるのさ」
カズヤ君は東京から訪れた私たちに、自然豊かな自分の村を案内したくて堪らなそうだった。三四郎おじい様は、話の内容が長時間に及ぶコトを予想していた為、とても困った表情をしていた。竹田さんの方を見ると、竹田さんも成す術がないと云うように傍観している。さて、どうしようかなと考えていたところで、マキちゃんが声を上げた。
「そっか。じゃあ、カズヤ君、アタシと遊ぼっか。」
「良いの?」
カズヤ君が眼をきらきらとさせてマキちゃんを見た。
「うん、良いよ。此の村に来たの初めてだからさ、楽しい所、色々教えてよ。アタシも自然大好きなんだ。ヨウコお姉ちゃんは、まだ三四郎じいちゃんと話があるからさ。終わってからあそぼ。」
「ウン!分かった!んじゃ、行こう!」
カズヤ君がマキちゃんの手を取り引っ張っていく。マキちゃんは立ち上がって引っ張られるが儘、私の方を向いた。
「話の内容、後から教えてね」
「ウン、分かった。」
其れからカズヤ君とマキちゃんはドタドタと広間に出て廊下を抜けていった。慌ただしい二人の足音が聞こえなくなった頃、改めて三四郎おじい様が口を開いた。
「… …お前達が云った、其の、デーモンとか云う怪物のコトじゃが。」
「あぁ、俺たちが通称で呼んでいるだけだ。正式にあれがなんて呼ばれてるかは知らねェ。」
「なるほどの。…… …今しがた、お前達が話していた其のデーモンの成り立ちのコトも、此れからの話の中で
「まだ本題じゃないのかよ。」
竹田さんが胡坐に片肘で頬杖を突きながら不満げに云う。
「マァ、待て。もう一点。正道高野の歴史的な立ち位置について、伝えなければならない。」
「へいへい。」
「… …
「… ………」
「だが時は流れ、平穏を保っていたかに見えた関係にも、何時しか変化の兆しが見え始めていた。日本に於いて独自の地位を確立していた正道高野の存在を、幕府、現在で云いかえれば政府、は疎ましく思い始めていたのじゃ。」
「疎ましく?」
「政府が警戒したのは、彼らの持つ
「… ……そういや、じいちゃん。アンタ… …」
其の時、竹田さんが反射的に言葉を発した。何かを唐突に思い出したようだった。
「…… ……じいちゃん。アンタ、昔、何かの研究をしていたとか云ってたな?」
「…… ……。よう覚えておったの。そうじゃ。ワシは大学卒業後、国の研究機関におった。遺伝子工学と云えば分かりやすいかの。じゃが、其処はあまり重要では無い。… …其れから時は昭和二十六年。ワシは或る別の機関に異動するコトになる。そして其の頃、或る大きな事件が起こったのじゃ。マァ、事件と云っても世間では一斉公表されていないモノじゃが。」
「… ………… ……」
「一人の男が、
「男?」
「ああ。そして、其の男の捕獲により、危うくも平静を保っていた国と高野の関係が徐々に崩れていく。」
「… …… ………」
其処まで云うと、三四郎おじい様は大きく息を吸い押し黙ってしまった。私たちも其の間、各々の内側で今まで聞いた事柄を反芻しながら、三四郎おじい様が再び話し出すのを待った。
多分、1分くらいだったろうか。三四郎おじい様の小さな咳で、私は現実に引き戻された。そして、三四郎おじい様は様々な感情が入り乱れたような顔で、静かに男の名前を語った。
「捕らえられた男の名は、