第48話 それぞれの断章#5
文字数 7,728文字
「… ……まずそもそもだが、アンタの云う、其の、正道高野とは一体何なんだ?アンタは高野山の坊さんなんだろう?」
医務室の白い壁に背中をつけて、腕を組みながら聞いていた
「お前たちが認識している高野山と云うモノは、後から作られた、云わばハリボテだ。俺の云う正道高野とは、昔から
それから阿川は正道高野の歴史的な成り立ちを掻い摘んで話した。現在、俺たちが知っている高野山と云う宗教都市は、弘法大師空海の政治的な思惑により後から作られた都市である。そもそも、此の地には正道高野と云う古来から住む人々が居り、彼等こそが本来の意味での高野山の僧侶だった。そして、其の僧侶たちは皆、強力な
「… ……成る程。で、アンタたち正道高野の僧侶が、
水川の後を引き取って、俺も阿川に質問を投げかけた。
「… …。… ……多少、歴史的な話になる。」
「構わない。教えてほしい。」
「… …… … …古来から大きな
「…… … …」
「だが時は経ち、やがて政府の方も、正道高野が持つような強大な
阿川の話を勘案すると、恐らく正道高野は、政府を脅かす程の権力を持った存在なのだろう。隣人として正道高野と協力関係を維持できている間は良いが、政府側からすれば、其れだけでは何かと不都合も多いハズだ。政府自身がお抱えの
「… …… … ……今の話の中で、一つだけ疑問がある。
所員の
「…… … …其れは、此の研究所の目指す所が、より高度な次元であるコトが原因だ。」
阿川が口から薄く煙を吐いて云った。
「… …より高度?此の研究所が?」
「… … …ああ。 …… …まず、其の話をする前に、俺たち正道高野の僧侶が持つ
俺たち三人は、何時の間にか阿川の話を食い入るように聞いていた。其の姿を見て、阿川は面倒臭そうな表情をして
俺たちが其の阿川の左手を不思議そうに眼で追うと、其の左手が突然、様々な動きを始めて形を作り始めた。其の動きの速さは眼を見張るモノがあった。
「… …… …本来ならば両手で結ぶモノだが、面倒なので片手で
そう阿川は云ったものの、俺と水川はそんな奇妙な手の動きは見たコトもなかったので、顔を合わせて戸惑っていると、隣で
「… …
「正解だ。… ……此れは真言密教による
阿川は俺の顔を見て云った。確かに俺は、阿川と
「ああ、見たぜ。」
「率直に云おう。此の、俺たち法力僧が毎回結んでいる印。何も、俺たちは恰好を付けたり、好き
それから阿川は再び
「… …… … …
「そう、其処。」
吐き出す紫煙と共に、阿川が
「俺たち正道高野の法力僧は、子供の頃から様々な印を身体に叩き込まれる。精神的にも肉体的にも修行をして、神仏の傍らに
「…… … …」
「そして、借りモノであるがゆえ、其の力には自ずと限界がある。此れが俺たち正道高野の法力僧の実態だ。… …マァ、限界があるとは云っても、其の力が大きなモノであるコトには変わりないがね。」
「… …… …」
「他方、其の話とは別に、昔から庶民の中にも
「… …手を伸ばしたり、走ったりするように… …」
「其れが一体、何を意味するのか。…… …… … ……其れは、極めて自己中心的に、
自分の思うが儘、思う存分に際限無く、未知の動力に触れるコトが出来る
と云うコトさ。其処には印や縛り等、何も無い。自然に、呼吸をするコトと全くもって大差ない行為なんだ。」「…… …」
「そして、それらを踏まえて、お前の質問に戻る。詰まり、此の研究所で養成しようとしている超能力者とは、印を結ぶ必要も無く
… …… … ……覚醒に至るまでの
「因みに、此の研究所に未だ見出されて居ないような、類まれな才能を持った超能力者も、巷には沢山居る。だが、其の様な連中の大半は、既に自身の能力で生きる術を見出して居たり、国に管理されるような生き方を望んでいない者等様々だ。結果として、此の研究所へ有望な人材は集まらず、育成に苦慮していると云う負の循環になっている。… …… …えっーと、水川、だっけか?」
唐突に阿川が水川へ顔を向ける。
「… …へ?なんだよ。」
「… ……ちいと、喉が渇いた。番茶を汲んできてくれ。」
「え、えぇー!?…なんで、俺が… ……」
阿川の突然の注文に水川は拒否反応を示すが、直ぐにその後を序開が引き取った。
「… … ……アラ。水川さんを助けて下さったのは、一体どなたでしたっけ?一歩間違えていたら
序開が、つんと小生意気そうに眼鏡を上げて云うと、水川はぐぐぐ、と唸るような声を上げ、やがて観念したかのように医務室を出ていった。
「あはは。アー、可笑しい。今日は
序開が俺と阿川の顔を見てニコリと笑うと、俺も自然と息が漏れた。阿川の方も、ふっと小さく笑みを浮かべ、中々面白い
序開の軽口によって、俺たちは漸く、今日と云うトンデモない勤務初日の終わりに平穏が訪れたコトを実感した。
其れから十分程して、水川が大きな
「おー、待ちわびたぜ。有難う… …」
阿川がお礼を述べるが、何故か水川が不敵な笑みを浮かべて此方を見ている。其の奇妙な行動に俺は思わず声を掛けた。
「…何やってるンだよ、水川」
「… …クックックック……」
「… …?」
訳も分からず、黙って見ていた俺たちの眼の前で、水川が重たそうな
「二人と其処で会ったんだ。そう云えば、三四郎の眼が覚めたら
「… …眼が覚めたようだね。私が此処のかかりつけ医の否末だ。調子の方はどうだい?」
水川と共に部屋に入って来た医師の否末は、医師らしからぬ、ざっくばらんな雰囲気で俺に問いかけて簡単な触診を行った。
「左腕の傷以外は、特に問題無いだろう。若いから直ぐに治る。何か食べるトキは、内臓を労わるように、粥にしなさい。… ……それじゃ、私は此れで失礼させてもらうよ。」
否末はそう云うと溜息を一つ吐き、水川と片倉を見た。良い所で切り上げるんだぞ、とだけ水川たちに云い残し部屋を出て行く。其れから水川は、片倉に眼で合図を送るように見た。片倉が俺たちの前に出てきて唐突に喋り出す。
「… ……こほん。マァ、其の、なんだ。勤務初日から、災難だったなお前等。…… …兎も角、命が助かって良かった。… ……阿川さん、三人を助けてくれて本当に、ありがとう。」
「ああ。大事に至らなくて、良かったよ。」
片倉は俺と水川の傷を眺めながら、心底安堵したかのような表情をして居る。
「… …… … …で?」
其れから直ぐ、水川が片倉に向かって、嬉しそうに声を上げた。
「…… …ああ。…… …其れで、お詫びと云ってはなんだが… …… …此れッ!」
片倉が突然取り出したモノは、まだ封の開いていない一升瓶だった。両手に一本ずつ持っている。其れを見た阿川が、ほうッ!と猿のように叫んだ。
「もう夜も遅いし、竹田は安静の為、今日は此処に泊まった方が良い。
片倉が満面の笑みを浮かべて云う。何が丁度良いのかはとりあえず打っ遣っておいて、どうやら詰まり、此れから盛大な酒盛りが始まろうとしているのだけは理解した。
「流石、片倉サンッ。何時も
「分かってマスって。だからせめて、此処に来たトキはゆっくりしてってくだサイよ」
阿川と片倉はなんだか見知ったように話を続けている。俺たち三人は其の姿を呆気に取られながら眺めていた。情報量が多すぎて処理しきれない。
「えッ…と。… …一応、俺、怪我人なンだけど… …」
俺は一応、確認するように言葉を挟む。
「構わん」
今日一番の毅然とした態度で、阿川が云う。
「大丈夫だってッ!」
続けて片倉。
「行ける行けるッツ」
そして何故か、全力で同意する水川が居た。自信に満ちたような其の顔が少しく
「… …マァ、俺は、問題無いけれど… …」
そう云いながら、俺は伺うように隣の序開を見る。流石にお嬢様と云った雰囲気の序開にとっては、此の男たちの悪乗りに嫌気が差しているのではないだろうか。
「それじゃア、
「そういや、冷蔵庫に
「良いですね!」
…… …。… …… …激しく杞憂だったようである。阿川が云ったように、此の序開は面白い女… …と云うよりは、随分と変わっている人間なのかも知れない。屹度、頭が良いヤツってのは、世間の常識に捕らわれない先進的且つ、柔軟な思考を持っているのだ。と云うコトにしておこうと、俺は心の中で独り言ちた。
そう云うワケで、唐突に始まった宴が思いの外盛り上がりを見せたのは、勤務初日の新人三名と云う恰好の肴が居たのもさるコトながら、片倉と阿川の二人の、其の度を越した騒ぎようも相まって、不図した瞬間にこんなに騒ぎ立てて所内に迷惑が掛からないだろうかと、此方が心配する程の有様だった。片倉は水川や俺の肩を抱きながら、眼に涙を浮かべて軍歌を熱唱したり、阿川と云えば其れに合わせて奇妙な小躍りを披露し、唐突に念仏を唱える等して居た。で、そんな楽しいトキに限って、神様ってヤツはワザと時間を短くしてしまうのだった。何時の間にか宴は深夜に差し掛かり、零時を指しているのだった。
「… …アンタ、坊さんのクセに、ホント良く飲むね。」
俺は阿川が大口を開けて酒の最後の一滴を流し込むのを、酔い目で眺めていた。
「…… あ?…… …… …ズズ…。 ……… …… … ……そりゃアな。… …普段は山の上に引っ込んで暮らしてるワケだからさ。酒飲む機会って云ったら、こんなトキしかないしな。飲めるトキは、必死で飲み貯めしてるンだよ。いっつも酒に手が届く所に居るお前等に比べたら、そりゃア、酒に対する
「成る程ねェ」
「… ………。……おいッ!… …おいおい、竹田ァ。此の
隣から出来上がっている片倉が横槍を入れてくると、グラスに一升瓶を傾けて酒を汲もうとしている阿川が、半眼しか開いていない顔を即座に向けて反応した。因みに云えば、既に一升瓶にはもう酒は残って居ない。
「あ!あーッそう。… …片倉サンッ、アンタ、そんなコト云ってしまうンだね!?こ、此れは営業妨害だよォ。ぼ、僕の人格権の侵害であると、私は裁判所に訴えますからね!?良いですね?」
「良いですトモ!」
何を!何を!とお互いに牽制を張りつつ、だけれども、次の瞬間には和解して馬鹿笑いを始めている。序開は赤い顔をしながら、アテを作ってきます、とまた席を立ち、水川は好い具合に眼を瞑りうつらうつらとして居た。俺は傷が疼くのもイヤでゆっくりと酒を舐めて居たので、まだ其れほど酔い潰れては居なかった。
片倉と阿川が楽しそうに話している所を眺めていると、そう云えば彼等に、一番肝心なコトを聞くのを忘れていたコトに気が付いた。其れは、『器』とは一体どういう意味なのか、そして、正道高野と
「阿川。」
其れは、あまりにも個人的過ぎる話なのかもしれない。だが、酒の勢いもあって俺は其の興味を止めるコトが出来なかった。
「…… …ん?」
不思議そうに阿川と片倉が此方を向いた。
「もう一つ、聞きたいコトがあった。」
「…… …マッタク、お前は、本当に質問が好きだなァ。マァ、其の探求心の強さが、研究者たる
「… …… …アンタと、
阿川は最初、俺のコト等お構い無しに、
「…… … ……片倉サン。良いのか?… …あんまりベラベラ喋るのは、俺は
「…… … …… …良いんじゃないですか?図らずも不坐と関わってしまった以上、此奴等はもうヤツと無関係では居られないでしょう。此れから、
片倉は俺の寝るリネンベッドの端に頬杖をつきながら、阿川に云った。
「…… … …分かった。… …… ……
其の時、俺は戦いの最中、不坐を呼んだ白髪の老人の姿を思い出した。
「そう云えばアンタと不坐の戦いの最中、不坐を呼んだあの老人… ……」
「ああ、そうだったな。アノ男が、国立脳科学技術研究所の所長、
「…… ……其れで、現状はそうなのだが、