第45話 それぞれの断章#2
文字数 6,176文字
岸と呼ばれた女性は様々なモノを一切触れるコトなく宙に浮かべ、くるくると回転させていた。時には机の上にあるモノを一挙に浮かべるコトもあったが、其れは彼女の
片倉曰く、此の研究所の目的は
勤務初日で確認できた
「見ての通り彼らの
全ての研修部屋の見学を終えた後、俺たちは空いている研修部屋に入り、其処で片倉が総括を述べた。
「其の幾人かの、才能ある超能力者という方々は、もう軍に配属されているのでしょうか?」
序開が
「ああ。此れまで、合わせて十人ほど
「現在も、
序開が
「… ……。… ……ああ。一人だけ居る。」
「…… …… …」
俺たちは何か聞いては
「…… …
「問題?」
「素行に非常に難がある。狂暴でどんな人間にも敵対的であり、且つ狡猾だ。正直な所、何故このような男が
「…… …… …」
「超能力者の中には、生まれたトキから才能に恵まれた者たちが居る。だが、其れは人格とは別問題だ。……。 … ……悪意を持った人間が強大な
「… …其れが、
歪んだ表情で語る片倉の言葉に、俺も思わず口を挟んでしまう。片倉は自身の座る椅子を唐突に両手で引きずると、向かいに座る俺たちに顔を寄せて云った。
「… ……お前等にも共有しておく。…… …此処だけの話だが、
其れだけ守れば、此処は遣り甲斐のある
皆、初日の張り詰めた緊張と目まぐるしい未知の体験の連続で、身体はぐったりと疲れていた。だが、胸の中に灯った興奮はチリチリと
帰り支度をして三人で研究所を出た。研究所の敷地を出て五分程歩いた先に送迎バスの停留所がある為、俺たちは今日の感想を話し合いながら歩いていく。
「… …とんでもない所に来ちまったな、俺たち」
水川が未だ興奮を抑え切れない様子で云った。俺も序開も、少なからず水川と同じ心持ちだった。
「片倉さんは
序開も水川に劣らない情熱を込めて感想を語る。心
「ああ。確かに今日見た全てのモノが信じられない現象の連続だった。此の体験は幾千もの論文にも値するだろう。それと、片倉の口調から察するに、建前は
「…… …ええ、私もそんな印象を受けました。片倉さんのアノ過剰な一連の話には正直、驚きましたし。もう、戦争なんて、私は真っ平ですわ。」
此の研究所の方針について、俺と序開は同じ見解を持ったようだった。研究対象として
「なんでだよ、二人ともッ。片倉サンの云うコトは至極
「…… … …」
突然、声を大にして熱弁する水川に対して、俺と序開は呆気に取られてしまった。どうやら水川も片倉と同様、日本国の復権と云うものについて並々ならぬ思いを抱いていたのだ。
「俺は、片倉サンの云うコトに全面的に賛成だね。此れからの
そう云いながら、水川が俺と序開の肩を抱いて引き寄せる。
「ちょッ、
「
軽口なのか本気なのか分からないような水川の言葉を、序開は半ば呆れ顔で眉間に皺を寄せながら聞いていた。身体の疲れも相まって、朦朧とした俺は自然と笑いが零れてしまう。
「お前ェこそ煩ェよ、水川ッ!」
俺は水川の腕を振り払って思い切り身体をぶつけてやった。よろめきながらも水川は大笑いして、対抗するように身体をぶつけてくる。大の男二人が節操も無く騒ぎ始めたので、序開は巻き込まれないように頭を抱えて脇の方へ避難した。
馬鹿騒ぎをしながら研究所の敷地内を歩き、やがて正門に差し掛かった頃、序開がぽつりと声を上げる。
「…… ……竹田さん、水川さん」
俺と水川は共通の話題で盛り上がっていた所だったが、序開の呼びかけに不図我に返った。
「どうした、ハツコ?」
水川が怪訝そうな顔で序開の顔を見る。序開は正門の方に眼を向けた儘、眉間に皺を寄せ凝視していた。顔を少しだけ前に突き出すようにして、人差し指の背で眼鏡を上げる。今日一日過ごして知った、集中して遠くを見るトキの序開の癖だ。
「…… …、正門に
序開の言葉で俺と水川も正門の方を見た。
其処には筋肉質で身長が大きく、
「… …三四郎…」
「……。… …ああ。」
俺たちは直ぐに気がついた。此の男が
「… …てめェらが、今日入った新人かい。」
威圧的な野太い声に、序開の背中がびくりと跳ねた。俺と水川は歩を止め、険しい顔を
「…… …… …… …」
「… …クク…。… …何も、取って食ったりゃしねェよ」
真っすぐ貫くような不坐の視線に、俺たちは大層肝が冷えた。水川は俺の隣で額に大粒の汗を浮かべながら、恐怖の中、何とか正気を保っているようだった。
「… ……。… …」
「俺のコトは聞いてンのかい」
「…… …ああ。」
俺は腹の底から声を絞り出して答える。
「… …ンじゃ、話が早ェえなァ。… ……其れで、さっそくなんだが、てめェら、俺と組む気はねェか?」
「… … ……組む?」
「ああ。」
「…… …… …断る。」
「マァ、聞けよ。俺は此の研究所で比較的、自由に動ける人間だ。… …
「…… …… ……。」
突然の不坐の提案だった。一体何故此の男は、見ず知らずの新米の人間に対して、このような提案を持ち掛けるのだろう。俺たちを此処で待ち伏せしてまで。… …片倉が初日勤務の俺たちに、
「… …分かった。じゃア、話題を変えよう。今日は中々、てめェらにとって刺激的な一日だったンじゃねェか。
「… …… … …」
「其の研究を存分に続けていく上で、障壁となるモノは全て俺が取っ払ってやる。どうだ?てめェらの研究人生にとって、此れほどに良い環境は他に
不坐は更に、俺たちの興味を惹くような提案を持ち掛けてくる。だが、其の提案が甘美で魅力的で有れば有る程、其の裏に潜む
「… …… … …。… …… …… …所員の片倉は、現在の研究所内に於いて、アンタが一番の
「あ?」
「…… … ……。」
此の男の目的は一体何だ。俺は狂犬にも似た危険な此の男と相対しながらも、何とかヤツの真意が知りたかった。
「… ……そうか。
「…… … ……。… …… … ……そんなアンタが、俺たち三人に
俺は疲れと緊張、そして恐怖も相まって、理性のブレーキが利かなくなっていた。溢れ出るように、ヤツに対しての疑問が口をついて出る。
「お、おいッ。三四郎ッ!」
見兼ねた水川が俺の肩を引っ張るようにして引き留めたコトで、俺は漸く喋るのを止めた。心臓が早鐘を打ち、荒い息が漏れ出る口を右手で無造作に拭う。
「… …… … ……クク。…… … …次から次へと、ベラベラと良く喋る。… ……てめェ、中々良い度胸してンじゃネェか。名は?」
不坐の眼光が一際鋭くなって、此方を睨みつけるように見つめてきた。何時の間にか俺のズボンに掴まるように、序開が後ろについて立っていた。恐怖のあまり俯いて震えている。水川の顔色も
「… ……。……竹田三四郎だ。」
「タケダサンシロウ。… ……覚えておこう。マァ、正確に云えば、組むと云う話は、つい今しがた思いついたコトだ。
「… ……閃いただと?」
「てめェら皆、
器として、相応しそうだったンでね
。つい、」「… …… … ……なンだって?」
器?… …此の男は一体、何の話をしている。
「クク。……詰まり、てめェらも其の気になれば、俺のように権力を握れると云うコトだ。」
次の瞬間、俺たちは不坐の姿を唐突に見失った。声も上げるコトが出来ず、ぎょっと心の中で驚愕している所に、序開の悲鳴が聞こえた。
「きゃっ!」
俺と水川が反射的に振り向くと、其処には序開の顎を無理やり掴み、自身の顔を近づける不坐の姿があった。突然の事態に、身体が反応しない。
「…… … …此の
序開が何とか逃れようと必死に
「…… … …鍛錬によって、
不坐の薄汚れた親指が、藻掻く序開の唇をゆっくりと撫でる。
「
「… ……やッ… …… …… … …止めやがれッ!」
水川が不坐の身体を、両手で力の限り突き飛ばした。不坐は態勢を崩したものの、辛うじて両足を踏ん張り、転倒するのを防いだ。
「… …… ……。… ……」
持ち上がった不坐の顔。其の表情は、明らかに先ほど迄のモノとは違っていた。口角が裂けるほどに上がった笑みは、地獄の底の夜叉を想起させた。水川の立っている所に向かって、不坐の右腕が素早く伸びる。其の瞬間、俺は唐突に危険を察知した。何故だかは分からないが、身体中を鮫肌が烈火の如く駆け巡り、異常事態を検知したのだった。不坐の開いた右手が力の限り閉じる寸前、俺は水川の身体を抱きかかえ、其の場から離れるように死に物狂いで地面を蹴った。
俺と水川の背中の方で、正門の壁が信じられないような音を立てて崩壊した。