第47話 それぞれの断章#4
文字数 6,551文字
「…… …余計なコトするンじゃねぇ、阿川ッッ。てめェは大人しく、ジジイ共の
「
そう云った阿川の声は其れ程大きくは無かったものの、其の声色には何処か決意するかのような響きがある。
「… …う…… …うるせェえええッッッッツツ!!」
阿川の言葉に触発され、不坐が叫んだ。腹の底から吐き出された低く唸るような其の声は、辺り一面に地鳴りのように鳴り響く。そして其れを契機に、今まで止まっていた不坐の身体が少しずつ動き始めた。
「…… ……!… ……」
不坐が足を上げ、力強く一歩を踏み出した。阿川の
阿川の表情は変わらないように見えたが、不坐の執念そのもののような姿を見るにつけ、其の挙動からは少なからず焦りが見え隠れしていた。阿川が眉間に皺を寄せ、更に集中するように眼を瞑る。阿川の口から唱えられていた念仏が、更に静かに加速してゆくと、一歩ずつゆっくりと歩を進めていた不坐の身体全体に、突如として大きな重力が
「うぅ… …オォオオオオオオオッッ!!」
此の儘不坐は地面に押し潰されて、其れで終わりかと思った。そう思わずには居れない程、阿川と云う奇妙な坊主の
俺は身体と左腕の激痛に耐えつつも、此の男たちの持つ、途轍もない
其れから一時の膠着があった。その間、不坐は
「
「建砂様ッ!… ……我々も加勢しますッ」
声の方を見ると、向こうから阿川と同様の漆黒の着物を来た僧が二人、物凄い速さで走り寄ってくるのが見えた。阿川よりも幾らか若く、まだ表情に幼さが残るような男たちだった。此方は普通の坊主のような恰好をしており、阿川のようなゴテゴテとした下品な装飾品は身に着けては居ない。
「… …! …まさか、此奴は、
片方の
「やめいッッッツッツ!!」
其の一喝によって意気込んで居た
「……お前等は、手を出すな」
「…… …何故です!… …こんな、
「此の男の非道な
感情を止めるコトが出来ないのか、
「… ……。… …分かってる。だが、頼む。此奴は、俺に任せてくれ。此奴の後始末は、俺がつけなきゃならないんだ」
そう云うと、阿川は気絶して地面に倒れて居る水川と、俺に眼を移した。
「
「… … ……」
「…… ……」
阿川の指示を受けても二人の
「動けますか」
「研究所の医務室へ行きます。其れ迄もう一息、頑張って下さい。」
「… …ああ」
其の時、突如として周辺の空気が振動を始め、突風が吹き荒れ始める。俺も二人の僧も其の異変に気が付いた。俺たちは阿川と不坐の方に眼をやった。
其処には、今迄、阿川の圧倒的な
「…… …まさか、そんなバカな。建砂様の法力を… …」
俺を看病していた喜緒が隣でぽつりと呟く。阿川は引き続き眼を瞑り念仏を唱えているが、状況は徐々に不坐へと傾きつつあった。
「此の悪逆めッツ!」
向こうで水川を看病していた
「雑魚は引っ込んでいろッッツ」
不坐は、
「…… …『お前等は手を出すな』、だとォ、…… …なァ、阿川よォ。てめェ、どれだけ人を
「…… … ……」
「ナメてンじゃねェぞ、貴様ッツ。
「…… …
阿川の呟くような声が聞こえた後、ずしんと云う音と共に、不坐へ更なる
「… …グオオオオオオオオオオオオッッツ」
だが恐ろしいコトに、其れでも不坐の歩みは止まるコトが無い。途轍も無い
「ハァアアアアアアアア… …」
不坐の表情には般若のような恐ろしい笑みが浮かんでいた。眼は血走っていて瞳孔は開いている。
「
不坐が突然、正気に戻ったかのように表情を緩めた。戦闘で薄汚れた顔を、声のした方向へと向ける。
其処には、たっぷりとした白髪を
「行くぞ」
老人はそう一言云うと、踵を返して歩いて行った。其方は研究所の駐車場がある方向だった。不坐は老人の言葉を聞いた後、少しの間呆然とした儘だったが、気が抜けるように一つ深呼吸をすると
「…… …… …命拾いしたな。」
「…… … …」
不坐の言葉に対して、阿川は何も答えない。只、抑えるように肩で息をしている阿川の姿が、此の不坐との戦いの過酷さを物語っていた。不坐の方も頭に手を当て、意識を保つかのように何度も頭を振って、老人の居る方へと歩いていく。やがて不坐の姿が遠ざかり見えなくなると、少し間を置いて、一台の車が走り去る音が聞こえた。
阿川の方も不坐同様に大きく深呼吸をすると、ゆっくりと俺と
「意識はあるな。」
俺を見下ろしながら阿川が問いかける。
「ああ。… …アンタは、一体… ……」
「喋るのは後だ。お前は血を失い過ぎている。早く医務室に行き、輸血を受けろ。」
医務室、と云う言葉を聞いた俺は、どうにか生き延びるコトが出来たと云う実感が湧き、心の底から安堵した。雑然とした頭で、水川は大丈夫だろうか?とボンヤリと考えつつ、俺は其処で意識を失った。
まず最初に、医務室の真っ白な天井が眼に入った。
「三四郎ッ!」
視界の中央を陣取るかのように、水川の顔面が現れる。青アザを顔中に浮かべては居るが、其の表情は随分と晴れやかだ。
「… …酷い
俺の軽口に水川は笑いながら鼻をすする。
「るせェよ。… … ……お前が、俺たちを守ってくれたんだってな。ハツコに聞いたよ。… ……有難うな。」
「…… … …俺はなーンもしてねェよ。不坐には手も足も出なかった」
俺はリネンベッドの上で少し上半身を起こし、辺りを見渡した。立っている水川の隣に、
「序開、大丈夫か」
「…… …。
序開が涙声で云い、目尻を指先で少し拭った。
「そうか。…… …其れにしても、なんて無茶苦茶な勤務初日なんだろうな、今日って日は。」
俺が呆れるように云い、序開がふっと笑みを浮かべた所で、左腕に痛みを覚える。
「
眼を落すと左腕にはしっかりと包帯が巻かれていた。そして今気が付いたが、右腕の方には輸血が施されている。
「其処に居る坊さんが、輸血に協力してくれたんだ。俺たちも協力したいと云ったんだが、体力を消耗し過ぎて居るからダメだと、此の坊さんが頑として譲ってくれなかった。すまねェ」
医務室の入口付近に眼をやると、其処には
「おい、アンタ。
水川が阿川に向かって注意を促すが、阿川の方はまるで意に介さない。
「……水川。俺はどれくらい眠っていた」
「そうだな… … …三時間くらいじゃねェか。」
時計を見ると、もう時刻は夜九時を回っていた。郊外の研究所の周りは森林で覆われていて、街灯も殆ど無い。医務室の窓から見える外の景色は真っ暗だ。
「こんな時間まで、付き添ってくれていたのか。」
「当たり前だろ。其れに、
水川はそう云いながら、阿川の方を流し見る。阿川は医務室のあらぬ方向に眼を遣りながら、ゆっくりと煙草を吞んでいた。
「おい」
俺は阿川に向かって声を掛けた。阿川が此方に気づいて無表情に顔を向ける。
「… ……。… …礼を云うよ。本当に助かった。有難う」
「……大したコトじゃない。」
「改めて、名前を聞いても良いか?俺は、竹田三四郎だ。」
「
「… ……後二人、仲間が居たようだが… …」
阿川と一緒に居た
「ああ。先に帰らせた。」
「…… ……。… …俺が目覚めるまで待って居たのは、何も善意からだけじゃ、無いんだろ?」
俺は真っすぐに阿川の眼を見ながら、冷静に云った。俺は此の阿川と云う僧の素性に興味がある。何故、此の僧たちは
「…… ……。何故、お前たちは
俺の言葉に返答するワケでも無く、唐突に阿川が俺たちに問いかけてきた。
「…そんなコト、知るかよッ!俺たちは今日、初めて此の研究所に出勤して来たんだ。研修を終えて、三人で帰ろうとしていた所を、正門の前で待ち伏せして居た不坐に襲われたってだけさ!」
水川が勢い良く阿川に返答する。
「…… … …本当に、其れだけか?」
「其れだけさ!トんだ、トバッチリだッたぜ」
水川が眼を瞑り、腕を組んで気持ちが良さそうに反論する。だが其の水川の隣で、俺は咄嗟に不坐とのやり取りを思い出した。
「…… … …あっ」
「なんだよ、三四郎」
「… ……違う。思い出したぜ。… ……不坐は、何故だかは分からないが、俺たちに『自分と組まないか』と持ち掛けてきたんだ。」
俺は眼を落しながら、記憶を辿りつつ答える。水川も顎に手を当て、思い出すように天井へと眼をやった。
「…… …ああ、確かに。そんなコト、云っていたような気がするなァ」
「…… …其れに、こんなコトも云っていませんでしたっけ。…… …『器として
序開が続けて云う。そうだ。確かに不坐はそう云っていた。だから、俺たちに声を掛けたのだと。
「…… …間違いないか」
其の序開の言葉に、阿川が素早く反応した。
「え?… …ええ。間違いないですわ。」
「器… ……。… …お前たち三人は見たところ、研究員のようだが。」
「ああ、そうだぜ。」
俺を見て阿川が云うので、其れに答える。
「お前たちは誰も、
「そんな凄い力があれば、不坐にこんなに、コテンパンにはやられて無いッての」
水川が阿川の深刻さを茶化すように云った。
「…… …
俺は阿川に向かって、鋭く指摘するように云った。不坐が云った器と云う言葉に対して、此の阿川と云う男は明らかに興味を示していたからだ。だが、其の俺の言葉に対して、阿川は突き放すように云った。
「… …お前等には、関係の無い話だ。」
「そうかな?… …今のアンタだってそうだ。不坐もアンタも、どうやら俺たちのコトを利用できる何かだと考えている。…… …器?一体其の、器とはなんだ。俺たち三人の身体が、何かを受け取る器として機能するというコトなのか?だとしたら、其れは俺たちの身体への重大な危機なのであって、
俺の
「… …ふうー」
右手に
「… ……。… …確かに、お前が云うように、知る権利はあるのかもしれんな。」
阿川は俺との問答に降参したかのように、
「…… … …。俺たち三人の一体何が、アンタ等の御眼鏡に叶ったのかは知らないが、俺たちが自身で身を守る為にも、アンタの知っているコトを教えて貰う必要がある。」
「… ……。… …良いだろう。何が知りたい」
「全てだ。俺たちはまだ、此の研究所について、
「… …。…… …俺にも立場上、云えるコトと云えないコトがある。」
「分かってる。だから、俺たちが自分の身を守る為にも、必要な知識を教えてほしい。」
「… …ふむ。良いだろう。」
阿川は周辺を見渡し、丁度良さそうな椅子を見つけ座った。其れから又、
「まず、アンタたちは一体何者で、此の研究所とどう云う関係なのかを教えてくれ。詳細に、そして正確にな」