第20話 学徒と水使い#12
文字数 3,631文字
「は、はあ。マァ… …」
私は慣れない外国人との会話に、自分の顔半分が引きつっているのが分かった。未知との遭遇に片頬がひくひくと動く。それにしても、四肢を拘束されている人間に向かって大丈夫かと問うのもどうかと思うケド。
私の返事を聞いて、トミーさんは眉毛を上げてグッドと云うと、顔をゆっくりと前に向けた。
其処には既に水玉の銃撃で疲れ切ったネクラ野郎の姿があった。此処からでも分かる程肩で荒い息を繰り返している。
「ハァッ… …ハァッ… ……ハァッ… …」
其処には、先ほどまでの余裕は少しもなかった。今や奴は眉間に深い
「… …くそッ。まさか、此奴、本当に… …。聞いてないぞ、こんな。」
ネクラ野郎が虚ろな目をしながら、何やら一人でぶつぶつと云っている。一瞬で劣勢となったネクラ野郎は、自身の現状をまだ正しく受け入れることが出来ないようだった。
だけれど、アメリカ人はそんな奴の都合等知ったことではないと云う風に、淡々と作業を進めていた。私を通り超して二三歩前へ出ると、片手を真っすぐ突き出した。そして、前方に見えるネクラ野郎を横からひっぱたくように左から右へ動かす。
「ウォーターブロウ」
瞬間、地面から突如湧き出た猛烈な勢いの鉄砲水が、ネクラ野郎に大量に襲い掛かった。奴の身体は瞬く間に水流に飲み込まれ、其の儘、側面のビル壁に向かって途轍もない衝撃でぶち当たった。鈍く重い音が響く。
「ガ、ハッ… …」
ネクラ野郎が血反吐を吐いて地面に倒れ込んだ。水圧による衝撃は十分に人体にダメージを与えうるのを思い知らされた。私があれだけ苦戦を強いられたネクラ野郎が、まるで成す術もなく無残に崩れ落ちている。私は奴の姿を見ながら只、呆気にとられていた。
トミーさんもネクラ野郎の動向を静かに見守っているようだった。奴はまだ壁に叩きつけられた痛みが続いているのか、地面の上で身悶えている。だが其の内、地面にうずめていた顔を少しずつ此方に向けた。小刻みに震えながら持ち上げた顔は土やゴミで酷く薄汚れていたが、其の眼が鋭く光っている。まだ何かする気だ。
「トミーさん!」
私は思わず声を上げたが、其の声が聞こえているのかいないのか、トミーさんは尚もネクラ野郎を観察するように見ている。
ネクラ野郎が涎を零しながら不敵な笑みを浮かべた。其れを契機に、奴の
「死ねェ…」
ネクラ野郎が小さく呟く。
「トミーさんってば!!」
今にも悪霊共がトミーさんに襲い掛かろうとしているにも関わらず、金髪眼鏡で半袖カッターシャツを着込んだアメリカ人は、まるで意にも介さないかのようだった。
「… …オッオー」
半笑いの外国人が指先を少し上に向けると、また地面から大量の水が発生し、ネクラ野郎の身体を包み込み始めた。
「ガッ、がハッ!…ご、……ごぽッ… …」
ネクラ野郎は大量の流水に身体を包まれ、奴の鼻や口元も塞がれて今や満足に呼吸も出来ないような状態だった。最早、戦える戦えないという話ではない。私やネクラ野郎が一度に発揮できる
「… …ごぽっ」
地上に居ながらネクラ野郎が水の中で溺れている。泳ぐように手足を動かし顔面を庇う等と懸命に足掻くものの、トミーさんの生み出す水の途轍もない水圧には抗う事ができない。やがてネクラ野郎の身体は水流に巻き込まれていき、壁に張り付けされるような状態になっていった。此れではもう身体の自由は効かない。ただでさえ逃げ道の無い裏路地の所為で、奴の命運は決まってしまった。
其れから3分ほど経っただろうか。ネクラ野郎の抵抗が少しずつ弱まっていき、私は其の姿を見てそろそろ死ぬのだなと思う。ネクラ野郎が白目を向いているのが見えた。其処で、私は漸く平静を取り戻し、小林たちの事に思いを巡らせることができた。
「トミーさん!」
トミーさんが肩越しに此方を向いた。
「小林は大丈夫なの?!其れに、竹田とヨウコは… …!」
私は地面にへたりつつも、大声を張り上げてトミーさんに聞いた。
「ファインッ」
そう一言云って、アメリカ人は私に笑顔を向けた。良かった。此れで一先ず安心だ。まぁ、トミーさんが此処に来てくれたってことは、小林たちと連絡が取れたってことか。其れにトミーさんが私の援護を優先したのは、竹田たちがうまくやってるからだろう。
とりあえず、此れでネクラ野郎は死ぬ。予想外の追っ手にかなり手こずったけど、やっと次は目的のクライン76に攻め込むことが出来るのだ。
… …だけれど、攻め込んでどうする?奴等はまだクライン76に居るのか?敵は私たちの動向を最初から把握していたからこそ、ネクラ野郎のような刺客を差し向けたんじゃないのか。
つまり、先手を打ったのは私たちではなく奴等の方だった。だとしたら、もうクライン76は
「ちょ、ちょっと待って、トミーさん!… …ストップッッ!!ストップ!」
私の荒げた声に、トミーさんが再度此方を振り向く。溺れたネクラ野郎がビクビクと痙攣を始めている。
「手がかりッ!此奴を
アメリカ人は、眉毛を寄せながら、マジマジと私の顔を覗き込むように見ている。此の外国人、日本に住んでるクセに、マジで日本語分からないのか。私もトミーさんの眉毛が伝染して、眉間に皺を寄せながら覚束ない英語を言葉にしようとした。
「えーッと!だーかーらァ… …えーっとぉ… …。…ヒ、ヒー… …ヒーイズ、ヒントッ!此奴は、ヒントなんだってば!て、が、か、りなのッ!」
口の形を大げさに動かして、てがかり、という口の形をトミーさんに見せる。トミーさんは、其の私の言葉が分かったのか分からなかったのか、兎に角、オーという間の抜けた声を上げると、直ぐに前を向き、上げていた手を降ろした。
龍のようにうねって暴れ回っていた水流の勢いがなくなると、持ち上げられていたネクラ野郎の身体が重たそうに地面に落ちた。仰向けになったネクラ野郎が、
私は其の姿を見ながら、ゆっくりとネクラ野郎の眼の前まで近づいていく。
四つん這いになっているネクラ野郎が私の足元を見つけると、涙と鼻水に塗れた顔を此方へ向けた。
「… …ハァッ、ハァッ、ハァッ… …」
「… ………。… ………好い様ね。」
「… …ハァ、ハァ… … … ……ハァッ。… ……… …ッせーよッ。」
「… ……… …」
「…… ……。…ハァッ… … ……まさか、… …… …一週間の能力者が、居るなんてな」
涎を零す口元も其の儘に、ネクラ野郎が私に向かって云う。
「… ……。あんた、標的の
其の言葉を聞いてネクラ野郎が苦々し気な表情を浮かべる。
「…… …ハァ… ……。… ……クソ。
「幾ら?」
「100」
「やッす。あたし等ナメてんの?」
「其れは、此方の懐事情の兼ね合いもあってね。…… ……ゴホッ。…… …それに、絶姉妹の名前を久しぶりに聞いて、食指が動いたってのも、ある」
「やっぱりナメてるな。」
「其の俺に
「…ふん」
ネクラ野郎が私の足元で肩肘を突きながら、更にゲホゲホと堰をする。此の様子だと戦う事はもう無理だろう。
「
「警戒すべきは絶姉妹、とだけ。」
「あんたは、クライン76の連中と繋がりはないの?」
「… …たまに
独り言ちるようにそう云うと、漸く落ち着いたのか、ネクラ野郎はゆっくりと身体を起こして胡坐を組んだ。其れから乱れた髪を両手でたくしあげ力を込めて絞ると、水がだらだらと地面に零れ落ちた。