第26話 クライン76へようこそ#2

文字数 5,034文字

「私たちをほっといて、みんな美味しそうなもの飲んでる!」
 気が付くと、何時の間にかマキコとヨウコがバーカウンターに座って小林君のカクテルを珍しそうに眺めていた。
「綺麗な青色ね」
 ヨウコが覗き込むようにグラスの中を見ていると、小林君が頬を桜色に染めながらカクテルをヨウコに近づけた。
「の、飲みますか?美味しいですよ」
「良いの?じゃあ、遠慮なく…」
 ヨウコは両手で丁寧にグラスを掴むと、グラスを()っと見た後、くいと一口飲んだ。
「あー!あたしも欲しいッ」
 ヨウコの隣からマキコが恨めしそうに云う。
「仕方ないですね。良いですよ。」
「ありがと!」
 思いがけない人気に、何故か小林君は誇らしそうだ。其のやりとりを嬉しそうに見ながら、今日介が何か思い出したように動き出す。
「兄貴、一寸(ちょっと)話するの、待っててくれな」
 今日介は奥の棚に置いていたカクテル二つを手に取って、マキコとヨウコの眼の前に持ってきた。
「ほら。お前らの分だぜ。此の赤のは、マキコのだ」
 燃えるような赤色をしたカクテルをマキコ眼の前、そして真っ白い雪のようなカクテルは、ヨウコの眼の前に置いた。
 自身の眼の前に置かれた赤色の液体にマキコが声を上げる。
「うわぁ。真っ赤だ」
「へへ。有り物で作ったんだぜ。此れはマキコのカクテル。名前は勿論『爆炎(ファイヤ)』だな」
「何それ、真崎。やっぱ、アンタって気障(キザ)ね。」
 笑いながら、其れでも悪い気はしないようで、マキコが嬉しそうな顔でカクテルに口をつける。
「其れは先刻(さっき)、兄貴にもこっぴどく怒られたよ」
 決まり悪そうに俺を見る今日介。
「… …ふん。別にもう怒っちゃいねェよ」
 其の俺の言葉に気を良くした今日介が、ヨウコにも作ったカクテルについて話し始めた。
「で、其れがヨウコのカクテルさ。」
 ヨウコは今日介に云われるまでもなく、既に眼の前にある真っ白いカクテルに眼を奪われている。
「雪のように真っ白…。… …其れに、何かキラキラしたものが浮いてますね」
「綺麗だろ。ふふ。ヨウコのは、結構イイ感じに作れたんだ。」
「そうなんですか?」
「浮いてるのは、金粉だぜ。ゴールドワッサーって金粉が入った酒さ。テーマは雪。ヨウコの氷から着想したのさ。… …名前はずばり『白銀雪(プラチナスノウ)』ってとこかな」
白銀雪(プラチナスノウ)… …」
 カクテルの抜けるような白色と、白銀雪という美しい響き。ヨウコは両手で頬杖をついてうっとりとカクテルを眺め、一人の世界に入っていた。其の今日介の説明を隣で一緒に聞いていたマキコは、氷をバリバリと噛み砕きながら、ねぇ、飲まないの?と何度もヨウコに尋ねていた。
「今日介」
 ひと段落したのを見計らって、続けて今日介に聞きたい質問を投げかける。
「なんだい?」
「もう一つ教えてくれ。獣の刻印(マークス)の事だ」
「ああ。そうだな。」
獣の刻印(マークス)をクライン76で(さば)いてたって云ったよな。流通経路や顧客、そんな物が作られた経緯、知ってる事があれば何でも教えてほしいんだ。」
 獣の刻印(マークス)。人をデーモンに変えてしまう正体不明の(ブツ)。其の製造に狐面の男は関わっているのか。奴等の目的は一体何なのだろう。
「了解。まずは… …、そうだな。流通経路についてだ。まずそもそものところだが、獣の刻印(マークス)の流通量は多くない。一つ100mlの小瓶が1ケース40本入っている。それが月に2ケースほど。2回に分けて納品される」
「ふーん。確かにあんま多くないね。」
 マキコが片手で頬杖をついて云った。ヨウコもストローでカクテルを混ぜながら此方の話を聞いている。
「値段は?」
「5本」
「は?!500万かよ。勿論1つの値段ってことだよな」
「ああ。」
「ご、500万?!」
 マキコが目を見開いて驚く。俺もそんな高額な(ブツ)、今まで聞いた事がない。
「そんなブツ、買う奴なんて居るのか?」
「勿論、こんなモノ普通の奴の手には届かねェし、そもそも薬中(ヤクチュウ)が求めているモノじゃねーんだ。だって、幾ら快感と力が得れると云っても、食ったら化け物になっちまうんだから。同じように薬を食うなら限界増強薬物(ブースト)で充分だ。じゃあ、こんな化け物になっちまうような危険な獣の刻印(ブツ)を好んで買う理由は何か。」
「……。…… …なるほど。戦力か。」
「ご名答。此の平和な日本国に()いても、単純な戦力を欲しがる奴等ってのは居る。企業(コーポ)裏社会(アングラ)、そして富裕層(ウェルシィ)。奴等は、自分に都合の悪い連中が居るならば、どんな事をしてでも排除するんだ。そして自身の利権を堅守する為には、奴等は金に糸目をつけない。」
「ホント、世の中、どうしようもない奴ばーっか。」
 マキコがグラスに残った最後の氷を指でつまみ上げて、大きな口を開きながら放り込んだ。
 確かに俺もそう思う。関わるのも面倒だが、其々の世界には色んな思惑があり競争があるのだろう。其の駒の一つとして、獣の刻印(マークス)を保有しておく。十分有りうる話だ。人間の姿の(まま)魑魅魍魎(ちみもうりょう)になっちまった奴等が、魑魅魍魎(ちみもうりょう)同士、何時までも飽きる事なく共食いしてやがる。
「世の中がどうしようもないかどうかは分からないケド、此れが現実だ。現実に需要があるからクライン76は、そういう奴等に獣の刻印(ブツ)を売ってる。需要と供給ってのは自然の摂理だろ」
「それで、ヴァレリィは、何処に絡んでくるんだ?」
(アイツ)自らが、クライン76に獣の刻印(マークス)を持ってくるんだよ。此れだけは誰にも頼む事が無い。其処の役割は確実に決まっているらしい。」
「ふーん。奇妙だな。」
「あぁ。だから薬の出どころは、俺たちは全く知らない。ブツがブツだから、何かの研究所で作られたモンじゃないか、なんて暗殺稼業(どうぎょう)とウワサしてたモンだが」
 研究所、か。確かに人間がデーモンに変身するなんて、遺伝子を(いじ)らないと出来ない芸当だろう。
「…… …只、獣の刻印(マークス)なんて物騒なモノを作る動機が分からねェんだよなぁ。単純に金儲けしたいだけで、態々(わざわざ)こんな面倒なモン開発するか?」
 俺は大きく伸びをしながら云った。絶姉妹は俺たちの話が長くて飽きたようで、二人で別の話題に没頭している。
「あぁ。確かに其の通りだ。別に他所みたいに限界増強薬物(ブースト)(さば)いてても、普通にやっていけるはずだ」
「奴等が本当に、とてつもない金が必要だから獣の刻印(マークス)なんてモノを開発して売り(さば)いているのか。其れとも、他に理由があるのか… …」
「… ……あ。」
 斜め下の一点を見つめながら考え続けていた今日介が、思いついたように一言云った。
「どうした?」
「兄貴と話していて、今、不図思い出したんだ。そう云えば、大分前の出来事なんだが、気になる事があった。昔、暗殺稼業(シゴト)が終わってクライン76を出て、暫く歩いた後、忘れ物した事に気が付いたんだ。面倒だったけど戻ってから事務室に入った。そうすると、先刻(さっき)迄外出していた藤巻が戻っていて、机に向かって何かの資料に目を通していた。俺が部屋に入ると藤巻は『どうした?』なんて何気なく云ったが、俺は其の藤巻の声にほんの少しの焦りを感じたんだ。だが、だからと云って態々(わざわざ)その事について追及しようとは思わなかった。そりゃ、バーを経営する店長が、従業員に対して隠し事の一つや二つだってあるだろう?だから俺はまるで何も知らないと云った風に、忘れ物のライターと小説を取って出て行こうとしたんだ。でも、気になるモンは気になる。だから俺は部屋を出るついでに一瞬、奴の資料を覗いてやったんだ。其処には、何かの実験結果のようなグラフや数値が幾つも書いてあった。… ……で、此処からは完全に俺の想像だが、其の時は全く考えもしなかったが、あれってもしかしたら、獣の刻印(マークス)を使った人間の戦闘記録なのかもしれない。」
「戦闘記録?」
「あぁ。藤巻がクライン76を空ける時って云うのは、決まって獣の刻印(マークス)を売った太客と外部で会うときなんだ。おそらく其の時も、客と会ってたはずだ。獣の刻印(ブツ)を売った後、時期を見て藤巻は、必ずそうやって客と会見している。そして俺が知る限り、外部から帰って来た奴は決まって長時間事務室に籠っていた。だから、奴が見ていた資料は会見時に客から受け取った成果物である可能性が高い。」
 戦闘記録なんて、なんでそんな物を収集する必要がある?俺は今日介の想像は少し行き過ぎているとも思った。…… …だがもし、奴等がデーモンの戦闘記録を取っているのだとしたら、未だデーモンの力は開発途上にある、という事になる。だとしたら、例えば芥次郎やメガネザル野郎のデーモン化についても説明がつくような気がした。
 俺が出会ってきた其れまでのデーモンは、単純に馬鹿力で襲ってくるような、単なる野生動物のような化け物だった。だが、例えば芥次郎は車椅子に身体を同化させて常軌を逸した力を発揮したし、昨日のメガネザル野郎はデーモンでありながら強力な超能力(チカラ)を発揮していた。明らかにこれまでのデーモンよりも進化していたのだ。
「あのー」
 カウンターの向こうから此方に向かって声がして、俺と今日介が振り向いた。小林君が綺麗な姿勢で右手をすっと挙げている。
「はい、小林君」
 今日介が左手を前に伸ばして返事をした。
「あのー、おトイレは、何処でしょうか?」
「あ、トイレね。あのDJブースの後ろらへんにあるでしょ。暖簾(のれん)で隠れてるトコ。あすこのドア開けたらトイレあるから。」
「有難うございます」
 中学生が小走りにトイレに向かっていくのを少し見送って、俺はまた今日介に話題を戻した。
「まぁ、結局、手掛かりって云える物と云えば、此のレシートぐらいなモンなのかねェ」
 俺はもう一度財布からレシートを取り出して眺めてみるが、だからと云って此れ以上何も得る物はない。
「そうだね。連れて来といてなんだケド。なんだから悪いね…」
「お前の所為じゃねぇよ、別に。色々話聞けたし、大層有益だったさ。後、もう一杯くれよ」
 俺が空になったグラスをカウンターの上で揺らすと、今日介が、毎度、と声を上げて其のグラスを取った。
 とりあえず目的のクライン76には来たものの、またもや此処で行き止まりになった。どうしようかな、と考えているところで、叫び声。
「ぎゃあああああああああああああああ!!」
 小林君の声だ。俺は椅子から飛び出すように走り出し、其の儘、ズボンに突っ込んでいた護身用のトカレフを取り出す。其の横からトミーさんも続いた。だが、其れよりも早く絶姉妹の二人が小林君の入っていった暖簾(のれん)(くぐ)る。
「マキコ!ヨウコ!」
 遅れて俺も暖簾を手で払って中に入ると、其処には腰を抜かした小林君が床に仰向きで倒れており、トイレに向かって指さして、必死に何事かを訴えかけていた。
「あ、あ、あれ。し、し、し、死んでる。人が、死んでる」
 小林君を守るように、彼の両脇にマキコとヨウコが立っている。
「何があった?」
 俺はトイレを凝視している二人に聞いた。
「見てみなよ、あれ」
 マキコに云われた通り開け放たれたトイレの中を見ると、何者かが様式便器に(もた)れかかっている。此方に背を向けているので顔は確認できないが、薄くなった頭部に白髪が混じっている所を見ると、かなりの老齢男性のように見えた。
「死んでるのか?」
「わかんないケド、全然動かないね。見たところ、外傷はないように見えるけど」
 俺とマキコが話している最中も、小林君はひいいいい、や、ぎゃああああ、と云った奇声を放ち続けた。小林君を落ち着けようと、ヨウコが対応に腐心している。
「ちっ。死体だと面倒だな。見つかる前に、とっととズラかるか」
 俺が云った其の時、其の死体がぐらりと少し動いた。
「いやぁあああああああああああああああ」
 小林君の心のテンションが、いよいよもって最高潮に達する。
「… ………。… …やかましいのう、まったく」
 俺と絶姉妹はぎょっとして声の方を見る。声の主は、まさしく目の前の老人だった。
 声の主はこめかみを指でマッサージしながら、ゆっくりと此方を向いた。
 半そでのアロハシャツに半パンという、(おおよそ)そ老人とは程遠い、若々しい恰好をしている。立ち上がった背丈は低く、160センチ程の絶姉妹よりももう少し低い身形だ。薄くなった頭髪を後ろで綺麗にまとめている。
「… …二日酔いの頭に響くんじゃ。あんまり、でかい声を出すな、バカモンが」
 どうやら死人ではないらしい。敵意もなさそうなので、俺は護身用のトカレフをズボンに突っ込んだ。其れにしても、此のじいさんは一体ナニモンだろう。なんて思っていると。
「あ、じじいッ!居たのかよ」
 今日介が俺たちの後ろで声を上げた。
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登場人物紹介

■竹田雷電(たけだ らいでん)

■31歳

■一週間の能力者の一人

■火曜日に電撃の能力を発揮する。二つ名は火曜日の稲妻(チューズデイサンダー)

■繋ぎ止める者(グラスパー)として絶姉妹を使役する。

■武器①:M213A(トカレフ213式拳銃)通常の9mm弾丸と電気石の弾丸を併用

■武器②:赤龍短刀(せきりゅうたんとう)

■絶マキコ(ぜつ まきこ)

■17歳

■炎の能力を持つ。二つ名はブチ切れ屋(ファイヤスターター)

■絶夫婦の娘(養子)であり、絶姉妹のうち姉。

■雷電と死闘を繰り広げた後、死亡。現在は式神として雷電に取り憑いている。

■武器:小苦無(しょうくない)

■絶ヨウコ(ぜつ ようこ)

■17歳

■氷の能力を持つ。潜在的には炎も操る事ができる。

■絶夫婦の娘(養子)であり、絶姉妹のうち妹。

■雷電と死闘を繰り広げた後、死亡。現在は式神として雷電に取り憑いている。

■武器:野太刀一刀雨垂れ(のだちいっとうあまだれ)

■真崎今日介(まさき きょうすけ)

■21歳

■死霊使い(ネクロマンサー)の能力を持つ。五体の悪霊を引き連れる。

■奥の手:影法師(ドッペルゲンガー)

■武器:鉤爪(バグナク)

■W.W.トミー(だぶる だぶる とみー)

■一週間の能力者の一人

■水曜日に水の能力を発揮する。二つ名は水使い(ウォーターマン)

■中学校の英語教師をしている。

■日本語が喋れない。

■武器:無し

■小林マサル(こばやし まさる)

■14歳

■トミーさんの助手。通訳や野戦医療に長けている。

■阿川建砂(あがわ けんざ)

■90歳 ※昭和26年時24歳

■宝石商として全世界を旅する。

■宝石を加工し、能力を向上させる品物を作る技術を持つ。

■山田(まうんてん でん)

■21歳

■死霊使い(ネクロマンサー)の能力を持つ。4体の悪霊を引き連れる。

■雷電を繋ぎ止める者(グラスパー)に設定し、絶姉妹を取り憑かせた。


■竹田三四郎(たけだ さんしろう)

■90歳 ※昭和26年時24歳

■雷電の祖父

■研究者として、かつて国立脳科学技術研究所に所属していた。

■超能力(チカラ)の器としての才能を持つ。

■水川真葛(みずかわ まくず)

■※昭和26年時26歳

■国立脳科学技術研究所所属

■超能力(チカラ)の器としての才能を持つ。

■序開初子(じょびら はつこ)

■※昭和26年時23歳

■国立脳科学技術研究所所属

■超能力(チカラ)の器としての才能を持つ。

■夫を戦争で亡くす。子供が一人いる。

■不坐伊比亜(ふざ いびあ)

■※昭和26年時24歳

■国立脳科学技術研究所所属。所長の用心棒

■研究所設立以来の類まれなる念動力(サイコキネシス)を持つ。

その他

■一週間の能力者…一週間に一度しか能力を使えない超能力者の事。其の威力は絶大。

■獣の刻印(マークス)…人を化け物(デーモン)化させる謎のクスリ。クライン76で流通。

■限界増強薬物(ブースト)…快感と能力向上が期待できるクスリ。依存性有。一般流通している。

■体質…生み出す力、発現体質(エモーショナル)と導き出す力、端緒体質(トリガー)の二種。

■繋ぎ止める者(グラスパー)…死霊使いによって設定された、式神を使役する能力を持つ者。


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