第49話 それぞれの断章#6
文字数 7,301文字
椅子に座って腕を組んでいる
「お前、起きてたのかよ」
「俺を除けモンにして、面白そうな話してンじゃねーよ。」
水川の威勢の良い言葉を受けて、俺は降参したかのように無言で
「暫くの間は、アイツも仏門を志していた。マァ、今となっては、其の時のヤツの心中にどんな思いが渦巻いていたのかは、知る由も無いのだが。」
其処まで云うと、阿川は少し会話を止めて視線を床へ向けた。まるで過去の記憶を手繰るような、もの悲し気な顔をしている。
「…… …
「…… … …」
「其れから伊比亜はゆっくりと傷の回復に専念し、一年程、正道高野で生活を続けて居た。其れ迄の生活とは正反対の生活に戸惑いながらも、アイツはなんとか適応しようと努力をしていたようだ。」
「…… … ……そもそも、
先を話そうとする阿川の言葉を遮り、俺は疑問を口にした。阿川の口が一度仕切り直すように閉じ、改めてゆっくりと話し始める。
「… …伊比亜を恨む者たちからの報復だ。監禁され、拷問を受けて居たらしい。」
「… …か、監禁、拷問だってェ?」
水川が思わず声を上げる。
「伊比亜は大阪の貧民街の生まれだった。其処は、弱いヤツや馬鹿なヤツ等、真っ先に食い物にされるような場所だった。相手のコトを決して信用しては
「… …… …」
「… …身体の傷が癒えた頃、伊比亜は正道高野の修行に加わり始めた。過酷な修行であるにも関わらず、伊比亜は歯を食いしばりながら耐え抜いていたんだ。」
「… … …… …へッ。あンだけ強い
水川が腑に落ちないと云うように声を上げる。
「…… …伊比亜は当時、今程の
「…… … …なんだって?」
かつての不坐の
其の時、部屋の扉が開き
「只今、戻りました。」
「お。有ったのかい」
「はい。
壁に向いている机の上に、一升瓶を置きながら序開が云った。
「
一早く、阿川が反応したのが嬉しかったのか、片倉は酔い眼で得意げに俺たちの方を向いた。
「話しが盛り上がってますからね。此処で酒が無いッてんじゃア、寂しいじゃないですか。ですので、禁じ手を使いました。此の酒は、研究所の有志でカンパして買ってたモノです。まだ結構残ってるでしょう。なあに、僕がまた買い戻しておきますから、問題ありません。此れで残りの時間、心良く迄飲みましょう。ホラホラ、序開サン。今、阿川さんが、大事な話していますからね。こっちで一緒に聞きましょう。」
片倉が人懐っこそうな声を上げて序開に椅子をあてがい、手招きをした。序開が椅子に座るのを横目で見ながら、俺と水川は阿川の話に集中する。
「…… …修行と云うモノは、何も
「… …… … …」
「…… … …環境と云うモノは、何時までも人間の心を蝕み続けるのだろうか。修行に加わって二年程は、アイツも真剣に取り組んでいるように見えた。だが或る時期、神仏の
「…… … …… ……」
食い入るように聞く俺たちのコト等、まるで忘れ去ってしまったかのように、阿川は自身の過去を思い出して居た。其の視線は誰にも向けられるコト無く、何処か中空を
「伊比亜は。… …… …其の兄弟子の命に手を掛けて、正道高野から消えた。… …… …背後から心臓を一突きだった。… ……。… ……其れから月日が流れ、それらの忌まわしい記憶が風化しようとして居た矢先、一つのウワサを耳にする。… …伊比亜が国の研究機関に在籍していると云うウソみたいな話だった。… ……其れを聞いて、俺は率先して、研究所への視察を買って出るコトにしたんだ。果たして、ヤツは此の研究所の用心棒のような存在になって居た。然も、強大な
「… ……。… … …元々
「… …… …法力については、確かに優秀な能力を発揮していた。だが、其れもあくまで通常の範疇だった。だが、研究所に来てからのヤツの能力は、明らかに常軌を逸したモノだったんだ。」
「… …… …一体、研究所で何があったんでしょう… …。… …此の研究所の実験によって其れ程の成果が得られた、と云うコトなのでしょうか?」
序開も話の内容に加わるかのように、浮かんだ疑問を誰に云うとも無く口にした。
其の時一瞬、奇妙な
間
があった。阿川と、其れから隣に居る片倉の様子が、少し硬直するようにも見えたが、其れが一体何を意味をするのかは分からない。「… ……恐らくは、国立脳科学技術研究所で行われている投薬実験が、ヤツの身体に有効に働いたのだと思われる。」
「… … ……投薬実験?」
俺の言葉の後、阿川の説明に片倉が補足のように付け加える。
「… …… …投薬実験は、此の研究所で行われている覚醒手段として用いられる方法の一つだ。勿論、身体に過剰な負担を強いるような薬は使って居ないし、副反応も無いコトは実証済みだ。投薬により、ドーパミン、ノルアドレナリン、アドレナリン等の分泌をコントロールする。簡単に云えば、人工的に無我の境地のような状況を作って、
「… …… … …ですが、其れって、日頃から他の
序開が漬物を一枚口に運びながら云った。
「… …ああ、その通りだ。何故、不坐だけがあれ程迄の覚醒を遂げたのかについては、未だ解明出来て居ないと云うのが正直な所だ。認めたくは無いが、ヤツの中に眠る才能がそうさせたのかも知れない。」
「…… …あの強大な不坐の
「…… …被験者には重大な問題がありますが、実験結果自体に着目すれば、すごい成果ですね… …」
「… ……ちぇッ、ヤツの能力を覚醒させてしまうだなんて。研究所も、余計なコトしやがる。」
俺たちは片倉の話について三者三様の反応を見せたが、其れに対して片倉は口惜しそうな顔を召せた。
「被験者である不坐の人格は一先ず置いておいて、だ。… …研究所での一番の成果である、被験者の経過状況が、全く把握出来て居ないなんてな。そんなモノを果たして、成果と呼んで良いモノか…… … …」
「…… … ……其れで、不坐が研究所に居た事実に対して、正道高野であるアンタたちはどう云う反応だったんだ?」
俺は片倉の補足説明で脱線しそうになった話の内容を、修正するかのように阿川へと質問した。阿川はグラスに注いだ酒に眼を落しながら、ぼおっと気の抜けた顔をしている。
「…… … …。其れは、竹田。お前自身が今日、眼の前で見ていただろう?
ぽつりと呟くように呟く阿川。今日、不坐との
「… …… …そうだとすると、正道高野と国立脳科学技術研究所の関係にも影響があるのでは?正道高野の仇である不坐を囲うなんて行為は、とりわけ、
「… …… … ……現場と上の考えが違うなんてコトは、良くある話だ。上層部には上層部同士の思惑や取引関係があるのだろう。正道高野と研究所。これらの関係については、今もマッタク変わりは無い。… ……とは云え、正道高野の僧の中には、上層部の考え方に異を唱える者も少なからず居る。」
俺の指摘に対しても、阿川は感情を殆ど動かさず、淡々と答えた。其の様子は、まるで何かを諦めてしまっているかのようにも見える。
「… ……最初にお前等に云ったろう?不坐には極力、関わるなと。そういう特殊な立場に居るのが、アノ不坐と云う男なんだ。だから、俺たち現場の研究者は、奴のコトは極力考えない。面倒臭い上層部たちのコト等気に留めず、研究のコトにだけに集中して居れば良いんだよ」
片倉が酒をぐいと飲みながら、努めて明るく話した。が、其の言葉に水川が素早く云い返すように云う。
「関わるなったって、そんな無茶な。俺たちは、正門の前で待ち伏せされて襲われたンだぜ。そんな状況で、どうやって危機回避すりゃア良いんだよォ」
「… ……今後は、不坐を見たら、踵を返して逃げるコトだな」
「え、えぇー… …」
「… …其れで、えっと… ……器、でしたっけ。不坐がそう云いながら、何処か
「… ……そう。…不坐は、俺たちに対して何等かの興味を見せていたんだ。… … …ナァ、阿川。アンタはヤツの云った言葉の意味が分かるんだろう?」
不坐はあの時、研究所から出てくる俺たち三人の姿を見て、『俺たち三人と組む』と云う提案が閃き、正門の前で待ち伏せしていたのだと云った。俺たちが器として相応しいのだと云う。あれほどの
「… … …想像の範疇を出ないが……」
ゆっくりと前のめりになり、両手でグラスを持ちながら阿川が話し始める。
「… … ……恐らく、お前等三人は、
「…… …何?」
「…… …は、ハァッツ!?」
「…… …」
阿川の言葉に、俺と水川は思わず大きな声が漏れた。序開も漬物を摘まみ、口に運ぼうとした箸を止めて、阿川の次の言葉を待って居る。
「… …… …残念ながら、俺にはお前等にそう云った才能があるのかは、判別がつかない。だが、伊比亜はお前等の中に、
「… …マジかよ… …」
思わず水川が息を呑む。
「……器、と云う言葉から想像するに、お前達の中に眠るモノは、所謂、研究所で云う所の
「…… …
「そうだ。
引き受ける
「……
「… … …お前たちの中に器が存在する。とすれば、後は、其処に流し込む水さえあれば、全てが揃う。… …… …不坐はそのように考えているのだろう。」
俺たちが
「な、なんで、俺たち三人が、そんな才能を、持って居るんだよ。」
狼狽えるような、だが同時に、何処か興奮したような面持ちで水川が阿川へ質問した。が、其れに対しては横から片倉が口を挟む。
「…… …其れについては、幾つか仮説があるが、恐らくは間違いないだろうと云うのが現場での考えだ。詰まり、お前たちのような優秀な者たちが持つ聡明な頭脳は、膨大な情報処理能力を有している。
俺と序開は、まるで死刑宣告でも受けたかのように黙りこくってしまった。想像の斜め上を行く阿川の回答。まさか俺たちが、
今日一日、研究所内を見学して、初めて
不図隣を見ると、序開もかなり思いつめた表情をして居る。俺には計り知れないが、心持ちとしては、俺と大して変わらないような暗澹としたモノなのだろう。唯一水川だけが、俺と序開の表情を伺うようにしながらも、少年のように眼を輝かせて居た。
「マァ、阿川サンが云う所の、肝心の『水』が何処にあるのかもワカランのだけれどね。其れに、或いは其れを見つけたとして、お前等に移植するなんて芸当も、今の研究所の技術力では不可能だよ。」
序開の箸の動きに対抗するように、片倉の箸が漬物を大量に掴み、一気に口へと運ばれていく。
「えぇええ… …、そ、そうなの?」
片倉の言葉を聞いた水川が、心底落胆した声を上げる。喜んだり落ち込んだりと、目まぐるしく一喜一憂するお目出度い男だ。
「… ……。… …… … …で、アンタは此れからどうするんだ?
俺はワザと阿川を挑発するように云う。が、阿川の表情は少しも変わらない。
「… ……。… ……どうも、せぬよ。」
「… …… …… …」
片倉も箸を進めながらも、阿川の次の言葉を待つように黙って居た。
「… … ……俺は正道高野の人間なのでね。寺を出て行った者のコト等、ウチの範疇外だ。伊比亜の起こした
「… … ……確かにその通りだ。だが、本当にそう思っているのか?…… …今日、不坐と戦ったトキ、アンタが若僧に叫んだ言葉を、俺は覚えているぞ。『此奴の後始末は、俺ががつけなきゃならないんだ』と。…… … …屹度、アノ言葉こそが、アンタの本心なんだろう。」
「… …… … …。… …… …… …」
阿川は暫く、俺の顔を凝視した後不意に顔を背け、再び
「… …… …」
「…… … …」
「…… ……。 … … …イヤな野郎だ。」
紫煙を吐き出しながら、誰にも聞こえないようなか細い声で、阿川が呟いた。俺だけが其の声を聞いていたようだった。
微妙に空気が重くなったのを察したのか、片倉が大声を上げて俺たちを鼓舞するかのように叫び始めた。内容は、此れからの俺たち三人の門出に乾杯、だとか、祝辞を延々と述べているのだった。序開は微かな不安を拭い去るように相変わらず漬物に手を伸ばし、水川は自分が