第59話 それぞれの断章#16
文字数 7,486文字
「……… …きッ、…… …貴様ッツ!!」
掴まれていた胸倉が解放され俺は必死で深呼吸するも、唾液が気管に入り激しくせき込んでしまう。
「… …ゲッ……ゴホッツ、ゴホッツ… …ゴホッツ」
「…… … …… … ……其の、貴様の眼に映った、其れはなんだッツ!!」
「……ゴホッツ、ゴホッ… ……」
俺は地面へ顔を落しながら、目線だけを刃室に向けた。刃室の両腕が手刀に構えられ、此方を警戒しているのが分かる。
「…… …ハァッ、ハァッ、ハァッ… ……」
「…… … …貴様ッ。…… …… …。…… ……こんな情報、聞いていないぞ。… ……
超能力の素養もあったのかッ
。」刃室の言葉には焦りが色濃く反映されていた。が、俺は疲労と出血の所為で、最早、刃室の言葉も朧気に聞こえてくるのみだった。
「…… … ……ハァッ、ハァッ、ハァッ… …… …」
「… …… ……クソッ。マッタク、厄介な野郎だッ。… ……… …トんだ予想外の
独り言ちる刃室の額から、一筋の汗が流れ落ちるのが見えた。
「…… ……おい、貴様。おとなしく従わぬのならば、最早、五体満足は保証できんぞッ」
「… ……… …ハァッ、ハァッ、ハァッ… … ……」
俺は朦朧とした意識で、刃室の方へと一歩足を進めた。踏みしめた靴が地面を擦る。刃室は其の俺の足に眼を落した後、顔を上げ俺を睨みつけた。
「…… …… …… ……愚かな。其の傷だらけの身体で尚も抗うつもりか。
刃室はそう云うと、足を前後に開き左肩を此方に向けて構えた。身体の側面を見せるように立つ此の構えは間違いなく空手だ。只、一つ違うのは、矢張り最初と同様、両手が手刀に構えられている。
「… …
刃室の右手が正拳突きのように素早く放たれた。突き刺す手刀がまるで凶器に見える。其の鋭さを其の儘に、弾けるように
「… ……ゲホッッツ… …… ……」
俺の血液を巻き散らしながら鎌鼬が通り過ぎ、俺はしこたま地面へと全身を叩きつけられた。衝撃で一瞬呼吸が出来なくなる。
「……ゲッ… ……ガッハッ… …… …」
血のりと砂埃に塗れた身体。明らかに
「…… … …どうしたァ。
其れ
はマヤカシかァ?」刃室が挑発するように云う。だが発する軽口とは裏腹に、奴の挙動には一部の隙も見当たらない。恐らく今の刃室こそ、軍人としての本来の性能なのだろう。
俺は両腕に力を込め、俯せになった身体をなんとか持ち上げる。刃室の言葉を頭の中で反芻しながら、俺は無意識に右の
『三四郎。オメーのコトも話せよ。
『… …
『阿川さんが、大層お褒めになってましたヨ。アイツは中々強いッ!、なんて。』
『…… …マァ、生まれつき身体がデカイもんだから、力はあったんだよ。大学時代、アマチュアボクシングの大会もあって優勝したんだが、肩を痛めちまった。其れからは、身体をほぐす程度しかやってない』
『優勝だって!?……大したもんだな、お前って奴は。俺は運動神経についてはテンでダメでさ。走っても仲間の内で最下位。野球してても
『水川さんの走り、本当に遅いですものね。
『其れは無い!断じて、無いぞ!』
『うふふ』
『…… … …… …三四郎。…… …… … ……俺は、…… …… …。……… … …俺は、
『カツエッ!!何処だァアアア!此処に居るんだろう!… ……お前等ッ!…… …カツエに一体何をしたんだッッ!!』
『… ……あなたが、あの時、身を挺して
『…… … …。…… …簡単なコトでは無いだろう。… ……何故なら、
超能力とは其の人間本人が持つ生命のエネルギイに他ならないからだ
。其れは、極めて個人に由来するモノであって、他人がおいそれと引き継げるモノじゃ無い』頭の中で様々な人間の言葉が浮かんでは消えていった。そして不図、
既に刃室は俺に追撃を図ろうと、虚空に向かって手刀を突きだす寸前だった。左腕の手刀が鋭く伸び、其の後、流れるように右腕が突き出される。其の全てがゆっくりと走馬灯のように俺の眼の前で展開していた。刃室の口が卑しく開いて何かを叫んでいるように見えたが、俺には何も聞こえなかった。只、血に濡れた視界の中で、奴の姿だけがくっきりと俺の眼に映っていた。其の突き出された刃室の両腕から二連の狂暴な鎌鼬が生み出され、地面を容赦なく抉り物凄い速度で襲い掛かってくる。
俺の瞳に閃いた小さな白い火花。其の光は、只の偶然なのか。… … ……或いは其れは
「…… … ……。… …… …
今正に、眼前に迄大きな鎌鼬が迫り、俺に襲い掛かろうとしていた。
「… …………… …… ……ウ、…… …… …ウォオオオオオオオオオッツ!!」
俺は無我夢中で襲い来る鎌鼬に向かって右手を突き出した。無数の殺傷による発熱の所為なのだろうか、身体中をマグマのような血液が駆け巡るのを感じる。脳全体が此れ迄体験したコトの無い程に脈打ち、胸を何度も叩きつけるように心臓が早鐘を打っていた。今迄感じたコトの無い、何か特異なモノが体内で生み出されつつあった。そして唐突に、
身体中を駆け巡る何かが右手に集まっていくような感覚があった後、
「…… … ………… …… …… … ……オオオオオオオオオオッツ!!」
其の大きな電撃が俺の意識と呼応し、伸ばした右腕から龍のように伸び弾けるように飛んでいった。夜の闇を照らし、空気と反応した白い火花をまき散らしながら、眼前で鎌鼬と電撃が激しくぶつかり合った。雷鳴が轟くような物凄い爆発音が辺りに響き渡り、広場を灰色の煙が覆い尽した。砂埃が飛び交い、俺は直視するコトも叶わず、思わず眼を瞑ってしまう。
「…… ……くッ ……」
眼の前は煙で視界が塞がれて何も見えない。刃室は今、一体何処にいる。奴が此の砂埃と煙に紛れて死角から鎌鼬を放つか、或いは距離を詰め打撃での猛攻でも食らえば、俺は一巻の終わりだ。そう考えつつ俺は俯せた身体の儘必死で周囲を警戒するも、奴の気配は周囲には無い。
「…… … ………… ……」
無言の儘、徐々に晴れていく煙の向こうを凝視していると、やがて人影が見えてきた。果たして其れは刃室の姿だった。奴は依然として、先ほどと変わらない場所で
「……… … …… ………」
俺は不信に思いつつも、俺は刃室の表情を伺った。刃室の顔は今や、奇妙な驚愕の表情で固着していた。警戒態勢は其の儘に、俺の姿を只呆然と見つめている。
「…… … ……… … ……」
「… ……… … ……」
「…… … ……き、貴様…… … …。………… …なんと云う… … …コトだ。… …… … …此れ程までの
「…… … …… … …… …」
闇よりも深い刃室の怒りが、此処迄伝わって来るようだった。其の姿を正面に見据えつつ、俺は傷だらけの身体を地面からゆっくりと持ち上げ、ふらつく足を踏みしめながら立ち上がった。
「…… …… …ハァッツ、ハアッツ、ハアッツ… …… … こんな
俺は今しがた電撃を発した
「……… … ……貴様にッツ… ……貴様のような者に、…… …其の
刃室が眼を見開いて叫んだ。其れと同時に、気が狂ったように刃室の両腕が何度も振り上げられる。まるで
「…… …… … ……うっ… ……… …」
突然の激しい頭痛が俺を襲う。脳に再び駆け巡る、波打つような血液の躍動。瞳の中に映る白い閃光が、迫り来る鎌鼬を照らすように光った。
「… ……オオオオオオオオオオオオオオッツ」
全身から弾けるように電撃が発生した瞬間、俺の下へ鎌鼬の群れが一斉に襲い掛かった。
「… ……ハァッ、ハアッツ、ハアッツ… …… ……」
両腕をゆっくりと下ろし、俯きがちに俺は刃室に眼を向ける。
「…… ……… …… ……… …。… …… …… ……… ……」
其処には絶句と云う表現が相応しいほどの、刃室の姿があった。
「…… …ハァッツ… …… …ハァッツ…… …… ……ハアッツ」
「……… …… …なん… ……と云う… … …コトだッ… ………… …こんな… ……」
奇妙なコトに
「……ハァッツ、ハアッッツ……… …… …ハアッ……… ……」
「…… … ……こッ…… ……… …此れは…… …此の儘では… ……マズイ… ………。口惜しいが…… …… … ……… …
「… ……ハァ、ハァッツ… …… …… ………… …… …… …… ………逃がさない… …… …… ……」
「…… …!!」
刃室の顔が驚愕の表情を浮かべる。
「…… …… … …ハァッツ、ハアッツ…… … ……アンタのような、人の命の尊さを感じるコトも無い人間は… …… …… …俺が… …… …俺が… …… ……」
俺の身体の内側が再び高熱を帯びる。右腕全体に電撃が発生するが、其の
「………… …!!…… … ………待ッ!…… …待てッツ!!… …… …待てッツ!!」
「ハアッツ、ハアッツ………ハアッツ…… …ハアッツ…… …… …」
「…… …わ、分かッたッ!!…… …待てッ、止めろッツ!…… …止めてくれっ!…… …俺は、まだ死ぬワケには行かないんだッ…… … …」
「…… … …… ………ハァッツ、ハアッツ、ハアッツ…… … …… …」
「… …… …い、良いだろう。…… …
「…… … … ………ハァッツ…… ……ハアッツ… ……ハアッツ…… …」
「…… … … …… … … ……」
「…… …… ……ハァッ、ハァッツ…… …ハァッツ…… ……… …… ……… …此の… …… ……屑野郎がッ…… … …」
刃室が俺の言葉を聞くなり、踵を返して必死で駆けだした。逃げる刃室の姿が、徐々に夜の闇へと消えていく。其の姿が微かに広場の街灯に照らされるのみだった。
「…… … …… …… …… … …食らえッツ」
俺の右腕から稲妻程の規模の電撃が、爆発するような勢いで吐き出された。まるで龍のように伸びていく其れは、夜空に火花のような残像を幾つも作っては消えていく。襲い掛かる電撃のうねりと衝撃音に、刃室が走りながら顔だけを此方へ向けた。焦りの表情は其の儘に、電撃と奴との距離が、みるみる内に縮まっていく。太い電撃の塊が刃室の上空へと立ち昇り、其処から一散に落下していった。蒼白の刃室の顔面と、見開かれる眼。
「…… …は、……ハアッツ、ハアッツ、ハアッツ……ハアッツ…… ……う…… …う… ………うわあああああああッツ!!」
『……… …。… … … ……あなたがッ!…… … …… …あなたが、冷静さを失ってどうするんですかッ!…… …… … …私達三人の中で、此の研究所を変えるコトの出来る人が居るとしたら、其れは、竹田さん、あなただけなんですッ!… ………だから、どうかッ。…… …どうか、あなただけは、考えるコトを止めないで下さいッ』
俺は眼を見開き、瞬間的に右腕を振り払い、必死で電撃の軌道を変えた。其の直後、稲妻が地面を穿つように雷鳴が鳴り響いた。途轍もない衝撃音だった。
「…… …… …ハァッ… …… …… …… …ハァッツ… ………… …ハアッ…… …」
気が付くと顔面を滝のように汗が滴っていた。血と埃と汗に塗れた身体。虚ろな目線で、俺は遠方の闇夜に微かに浮かんだ刃室を見つける。電撃は刃室から少し離れた位置に落ち、地面を真っ黒に焦がしていた。刃室は地面に尻もちをついた儘、一歩も動けずに固まっているかのようだった。
「…… … …… … ……ハアッツ…… … …… ………ハアッツ… …… … ……ハアッツ… ………… ……。…… … …あ… …… ……危なかった……… ……」
例えるならば、
「… … ……ハアッツ、ハアッツ、ハアッツ………」
俺は袖で額の汗を拭いながら、ゆっくりと刃室の下へと歩き始める。刃室は腰が抜けたのかは不明だが、尚も地面の上で座っていた。必死で手足を動かしながら、奇妙に
「…… …アッ… ……アッ… ……ハッ、く… …来るなッ… ……… …来るな」
身体中の傷が再び痛み始めた。全身が疼くように脈打つのを感じる。俺は漸く刃室のいる場所迄、近づくコトが出来た。刃室が恐怖に彩られたような表情で俺を見上げる。
「…… …ハァッツ、ハアッツ…… …ハアッツ」
「… …… … …… ……… …… … … ……」
俺は立ち止まり、刃室の姿を見下ろした。だが、今更追いついたとは云え、特に此の男をどうこうすると云う考えも浮かばなかった。此処から立ち去る気があるのならば、早々にでも立ち去ってほしいと思っていた。もう、ぶっ倒れそうな程に、俺に体力は残っていなかった。
「…… …… ……ハァッツ…… …ハアッツ…… …… …ハアッツ」
「…… …… …… …… … …」
其の時、不意に後方から、此方に近づく足音が聞こえた気がした。足音が聞こえた方向に、振り向こうとしたトキ、僅かな銃声と共に俺の右肩に鋭い痛みが走る。
「…… …
「…… …… …… …… ……アンタ… ……」
其処には、所員の
「………ひっ… …ひっ… ……ひっ」
「…… …… … ……」
片倉。俺と水川、序開が異動してきた勤務初日、所内の案内役として出会った男だ。そして、阿川とも仕事を通じての間柄のようだった。だが、最初のひと月ほどは幾度か交流があったものの、其れ以降は所内でもほぼ出会うコトが無くなっていた。
「………… … …… …… …… …………アンタ、何故、こんなコトを」
「…… …ひっ…… …ひっ…… …す、すまんッ。…… …すまんッ…… ……… …」
「…… …… … …」
「… …… … ………… …どうにも、ならんのだ。… …… …… …仕方ないんだッツ…… ……仕方ないんだッ… ……」
俺は其の片倉の発した言葉を夢のように聞きながら、眠るように意識を失った。