第18話 学徒と水使い#10
文字数 4,739文字
左腕を伸ばしたネクラ野郎の号令で、手前の黒い悪霊3体が身体を此方に向けると、宙を泳ぐように鋭く近づいてきた。意外と動きが素早い。私は其れを観察しながら、両手に宿った
初めて対峙する
攻めながら試す
。悪霊共と前のめりに対峙しながら活路を探す。かなり危険だけれど、私ならきっとできる。私は絶マキコ。絶ファタマと絶クォリ、暗殺者夫婦の子供だ。真崎の命令で襲い掛かる3匹の内、最初に接近しつつある悪霊が、恐らくあと1秒後に二つ先のビルのパイプ横を通り過ぎる。
其のタイミングに合わせて私は右手に持った苦無を振りかぶって投げた。苦無が私の指先を離れて標的目掛けて一散に飛んでいく。更に其れに追い打ちをかけるように左手に宿った
パイプ前を通る悪霊にドンピシャのタイミングで苦無が突き刺さった、と思ったが、其れは間違いだった。苦無は悪霊の身体を通り抜け、背後のパイプに深々と突き刺さっていたのだ。ガツンと云う鈍い音が小さく響く。同様に、其の後から着弾した炎もパイプにぶつかり四散した。
両手を広げた悪霊が私のすぐ眼の前まで迫る。其の時、此れまで薄暗く影が落ちてまったく分からなかった悪霊の表情が見えたが、其の無表情に見開かれた眼からは、意思というものが一切失われていた。
私は迫る悪霊に対して身体を低くして、地面を蹴り向かっていった。私の身体を捕まえるように悪霊の両手が襲い掛かったが、其れは私の頭上すぐ上を空しく空振りする。私は其の手を搔い潜るようにして走り抜けた。
予想はしていたが、やっぱり悪霊に対して物理的な攻撃は効かないようだった。生きている私たちが死者に対抗する術は今の所ない。だとすれば、
頭を上げた私に、遅れて迫っていた残りの2体が襲い掛かってくる。その内の1体が私の頭を掴み掛かるように黒い腕を伸ばす。私は半身になり其の腕をぎりぎりで壁側へ避けた。私の背中にコンクリートの冷たい壁面がぶつかる。其処へ別のもう1体が両腕を突き出して、鋭く延ばした爪で私の身体に風穴を開けようと飛び込んできた。立て続けの悪霊の攻撃に息つく暇もない。何時の間にか私の眼光は見開かれ、身体中が本能に近い感覚で動くのを感じる。
「… …ッツ」
私は壁面を蹴り宙に逃れると、悪霊が壁に突っ込んだ。勢い余った実体を持たない悪霊が、其の身体を壁の中にめり込せていた。めり込む際、ずず、と云う聞いた事のないような重く低い音が僅かに聞こえた。
ビルの外壁に足を揃えて、瞬間、ネクラ野郎の姿を見る。ネクラ野郎も此方を凝視した儘、私を迎え入れるように両腕を水平にクロスさせて構えた。私は壁を思い切り蹴って、ネクラ野郎目掛けて飛んだ。悪霊がダメなら後は問答無用で敵本体を叩く。分かり易くてその方が良い。
「食らえッ」
私は両手を振り下ろして苦無を飛ばした。私の飛ぶ速度を遥かに超えて、二本の苦無が標的に襲い掛かった。だが、構えた両腕の影に隠れた顔、奴の眼光が、つい
奴の眼の前に苦無が迫った時、ネクラ野郎の構えた左腕が空中を掻くように動いた。其れと同時に鉄と鉄が触れる耳障りな衝撃音が響いた。続いて直ぐ、右腕も同様の動きをして、音。弾け飛んだ二本の苦無がビル壁に跳ね返って落ちた。ムカつくが、奴は私の苦無を鉤爪で払い落したようだった。卑下していたが奴自身も
私は直ぐ眼の前にネクラ野郎を捉えた。狙いは最初の時と同様、奴の女のように青白い首筋だ。
其の狙いを感じ取ったのか、奴を庇護する残り二体の悪霊が地面から這い出てきて、其の真っ黒な鋭い爪で私に向かってきた。
襲い掛かってくる二体の悪霊の、動きに生じた僅かなズレを見極める。一体目の左右から飛んでくる腕を
「……ッ!!」
身体が流れてしまって、回避行動が間に合わない。私は奴の鉤爪の軌道を読み、首の前に苦無を構えた。顔のすぐ下で、苦無の刃と鉤爪が激しく衝突する。
「…くッ」
「ヒュー、すげぇ。流石、やるねェ」
目の端で、私の脇腹目掛けてネクラ野郎のもう片方の鉤爪が飛んでくるのが見えた。私は其の先を抑えるように、苦無を鉤爪に押し付ける。見かけによらずネクラ野郎の腕力は強いけど、耐えられない事はない。
「… …。… …くす。…只、手数ってモノは如何ともし難く…」
私の背後に嫌な感覚がにじり寄ってくるのが分かった。悪霊だ。私は瞬間、顔を動かさず目線だけを背後に向けて気配を伺った後、再びネクラ野郎に視線を戻す。ネクラ野郎は其の私の視線を受け取った後、返答するかのように顔を少しだけ傾け薄く笑みを浮かべた。
「お気をつけて」
「くそがッ」
私はネクラ野郎との
奴には悪霊という兵隊が居るから此方は数的に不利だ。しかも其の兵隊は攻撃を受け付けないときてる。そして、本体であるネクラ野郎自体の立ち振る舞いにも抜け目がない。単純だけど、とても厄介だ。
「だから、お気をつけて、ってば」
「あ?」
其の時、私の背中を裂くような衝撃が走った。
「ぎゃっ」
斬撃。私は痛む背中に手を回しながら、肩越しに背後を見た。其処には
「や、野郎… …」
私は背中の痛みを感じながら、背後の悪霊に応戦しようと身体の向きを変えようとした矢先、突如として両腕を掴まれてしまう。
「…!」
左右の腕を2体の悪霊ががっしりと掴んでいた。其の力は強固で、どれほど身体を動かしてもびくともしない。
「…クソッ!… …クソッ」
腕を掴んだ2体の悪霊が、2メートルほどの高さまで浮かびあがると、私の身体は成す術もなく宙づりにされてしまった。其の姿を見ていたネクラ野郎が、傍らに居る2体の悪霊を引き連れてゆっくりと私の方へ歩いてくる。
「捕まえた。くすッ。ホント、お転婆なんだから」
「クソがッ。…っくッ」
「無理だよ。コイツ等は馬鹿だけれど、身体は丈夫なんだ。まぁ、とっくの昔に死んでるから、丈夫ってのも、なんだか変だけど」
私は死に物狂いで足をばたばたさせた。左右の悪霊に向かって何度も蹴りを入れてみるも、其の身体は
「キミはほんと元気が良いね。でも、もうこうなったら、チェックメイトなんだって。絶姉妹は強いから、あんまこういう
ネクラ野郎は悪霊に眼をやりながら、奇妙に独り言ちて笑っていた。私は奴の言葉を悠長に聞いてる暇なんてない。暴れてやる。最後まで思いっきり暴れてやる。往生際が悪く、いつまでも悪霊への蹴りを止めない私をしばらく見ていたネクラ野郎が、呆れたように私を見上げ云う。
「… …… …しつこいな、ファイヤ・スターター」
私は死に物狂いで悪霊に対して蹴りを何度も食らわせていた。其れを凝視するネクラ野郎。
「… …ッっらッ」
私は突如としてネクラ野郎の方を向き、右足を振り上げた。其の反動でローファーが脱げ、ネクラ野郎に飛んでいくと、奴の額に見事に命中した。
「…ッツ!」
ネクラ野郎が命中した方の眼を瞑りながら、私の方を睨んだ。
「… …… …なにやッてんだよ、お前」
其の表情に、
ネクラ野郎が両手の平を力いっぱい合わせると、手の中で鉤爪の刃と刃がぶつかり合ってヒステリックな金属音が響いた。
「へへへ。ばーか」
引き裂かれた背中が疼くように熱く、痛みが少しずつ私の体力を奪っていくのが分かる。額から脂汗が一滴、零れた。
「… ……。… …詰まんねェコト、やってンじゃねーよ、てめェ」
「何、怒ったの?アレレ。そんなに、気に障ったんなら、謝るよ」
「… …。…何を云ってる」
「だから、あんたみたいなネクラ野郎は、一生アタシには勝てないってコトだよ」
「ブ、… ……ッハハハハ。面白いじゃん。…… …ヨシ、分かった。同級生ってコトで、もうちょい話がしたかったけど、望み通り、さっさと殺してやるよ」
ネクラ野郎がそう云うと、奴を庇護する2体の悪霊も、ネクラ野郎のテンションに呼応するかのように、背中を大きく
いかり肩
にさせて鋭い爪を此方に向けた。… …まだだ。もう少し。ネクラ野郎が私の眼の前に立って、表情を伺うように見上げる。其れから両腕を広げ、鋭い鉤爪を此方に向けた。
「それじゃあ、短い間だったけど此の辺でお別れだ、ファイヤ・スターター。戦ってみた感想は、ウワサに聞くほどじゃなかったってところかな。」
そう云って、また
「… ……… …」
私は、其のネクラ野郎の眼の前に向かって、ローファーが脱げて素足になった右足を持ち上げた。スカートからはみ出した
「…… …何の真似だ」
奴の顔に険しさが再び現れる。其れは奴の
「
私の足の裏で真っ赤な火の球が突如発生し、間髪入れず爆散した。小規模だがくぐもった衝撃音がビルの谷間へ響き渡る。咄嗟の事態で其の衝撃をまともに食らったネクラ野郎の顔面が、煙を上げながら跳ね上がるように後方へ弾き飛んだ。
其の瞬間、私を掴んでいた悪霊の腕が緩み、私は其の拘束から逃れ地面に着地した。
逃さない。私は其の低い姿勢の儘、力の限りダッシュしてネクラ野郎を追いかける。此処で畳みかけなければ、もうチャンスはない。
私は死に物狂いで走り、ネクラ野郎の身体が仰向けに倒れている所まで追い付いた。時間がない。此処で一気に決める。
「死ねぇえええええ!!」
私は両手の苦無を逆手に持って、力の限りネクラ野郎の首筋に振り下ろした。
其の時、私は見た。ネクラ野郎の両目は既に見開かれ、其の鋭い眼光はまだ死んでは居なかった。
「… …… …
ネクラ野郎の身体から、溶け出るように
もう一体のネクラ野郎
が姿を現し、私の首を締め上げた。