第38話 リバーサイド、アンダーザブリッジ#4
文字数 4,028文字
ヤツの
戦況を有利に進めている手ごたえを感じた刈り上げ男が、死角からの連撃を続けながら声を上げた。
「
「… … …あんま、調子に乗らない方がイイんじゃない?」
「云ってろッ」
見えない所からの鋭い正拳突きは、流石に全て躱しきるコトが不可能だった。幾つかイイのを貰いそうになるが、頭だけは守り切っていた。肩や腹等に鋭い突きを食らうコトもあったけれど、此処まで急所だけはなんとか外すコトができた。
此の状況を覆す為には、もう少しヤツの能力についての理解が必要だ。透明になる、とは一体どういうコトか。
テレビや漫画に出てくる透明人間みたいに、ヤツの身体自体が物理的に消失しまう。そんなコトを刈り上げ男がやっているのだとしたら、アタシがヤツに触れるコトは恐らく不可能だ。物理的に存在しない刈り上げ男に攻撃するコトなんて出来無いから、此れはもうお手上げ。アタシの負けだ。だけれど、実際にはアタシはヤツの身体に触れるコトができる。ヤツの打撃を受け流す時に、ヤツの拳の形を感触として感じるコトができる。其れが意味するコトは、刈り上げ男は物理的には此の世に存在していると云うコト。
物理的には存在しているのに、眼には映らない
。此の状況をアタシ達は良く知っている。此れは光学迷彩。視覚的、或いは光学的に対象を透明化する技術のコト。自然界ではカメレオンやイカ、タコ等の保護色を変える擬態などにみられ、其れをヒントにして主に軍事方面で開発が進んでいた。そして、現在では軍事方面に限らず他の様々な分野でも研究開発が行われ、日々革新的な技術が生まれている分野だ。平たく云えば、刈り上げ男の
「… …
アタシは宙に右手を振り上げ摘まむような仕草をすると、指先の間に火種が生まれた。其れを口元へもっていき、そっと吹き付ける。大体の当たりをつけて刈り上げ男が居る方向へ小さな炎が飛んでいくと、果たして炎が物理法則に従って対象物に燃え移った。
「… …あぁッ!?… ……。 ……あッ!… …あ、熱ッ!!あちィ!!」
ヤツの着ているアウターに炎が燃え移ったようで、其の辺りがぼぉっと赤く燃えている。あたふたと動き、なんとか服を脱ごうとしている人間の輪郭が炎に形作られて見えた。
「あんた、丸見えになってるケド」
「… ……えっ…」
パニックに陥った人間に向かって急襲を仕掛けるのは簡単だ。勝負の中では一瞬の隙で今までの流れが総崩れになってしまう。刈り上げ男も其の例に漏れず、アタシの攻撃をなんとか躱して正拳突きを返してきたけど、単純な動きは読みやすかった。あ、ヤツの能力もパニックと共に速攻で解除されてしまったのだ。集中力が途切れるのが早すぎて笑った。刈り上げ男の顎にアタシの腰を切った割と良い拳が入って、ヤツは糸が切れた人形のようにがっくりと項垂れ昇天した。後は、仲間の男共が引きずるように刈り上げ男を助け上げながら、「覚えてろッ」と云う絵に描いたような悪役の科白を吐いて逃げてしまったのが、つい15分ほど前。アタシ達は今は橋の下まで移動して、橋台へ凭れて座っていた。
「どう、
アタシは立てた片膝の上に顎を乗せた儘、中学生の様子を伺う。
「…… ……」
男共を追い払ってから、中学生は殴られた顔面を川の水で浸したハンカチでゆっくりと拭いていた。ガタガタと震えて丸まっているのを暫く待って、漸く起き上がるコトができたのだった。落としていた学生帽は既に拾い上げ被っている。
「…… …有難うございます… …」
「いっつも、アイツ等にあんなコトされてンの?」
「…… …… …。」
中学生はハンカチを頬に当てながら、視線を地面へ落としている。
「……そう云うコトがあるような、無いような… …。…… …本当に僕には記憶が無いんです。」
「… …ふーん」
「…… …… ……。… …もし、」
「うん?」
中学生が意を決したようにアタシの方をゆっくりと見た。
「…… …もし、僕が奴等の云うように、本当に『カスイ』って名前で、奴等と仲間だったとしたら、なんか、ごめんなさい」
「は?なんでよ」
「… …いや。だって… …。お姉さんには、関係ない事なのに、内輪揉めに巻き込んだみたいになるから… …。… …」
「… …… …。… ……」
「……。… …?… …。お姉さん?」
…… …… ……お姉さん!!
お、驚いたァ。アタシのコト、お姉さんだって。一瞬誰のコトを云ってるのか分からなくて、中学生の眼を見ながら思考が停止しちゃったよ。お姉さん。此のアタシがお姉さん。ぶ、ぶふふっ。う、嬉しい。お姉さんなんて、なんだか一気に綺麗になった気がするじゃないか。お姉さんって云ったら、そりゃア、ヨウコの方がぴったりな気がするけれど、勿論アタシだってそうなる資格はあるハズさ。だけれど、まさかそんなコト、他人から云われる日がくるなんて!… … …綺麗なお姉さん、綺麗なお姉さん。ぶ、ぶふふっ。
「… …あ、あの。…… … …大丈夫ですか?」
「あ、あァ、ウン。だ、大丈夫… …」
「アンタがさ、カスイだとかカスイじゃないとか、そういうの、あんま関係無くない?」
「え?」
「実際どうなのかは、もう分からないケドさ。例えばアンタが『カスイ』って名前の人間で、奴等の仲間だったとしても、辛かったのには変わりは無いワケでしょ」
「…… ……」
「其の状況から抜け出せたんだったら、其れってイイコトじゃない?」
アタシは中学生の方へ向いて笑顔を見せた。中学生は暫くアタシの顔を呆然と見ていた後、また下を向いて思いつめるように声を出す。
「… …そう、ですね… …」
「でしょ。辛いコトなんて、我慢するモンじゃないよ。辛いトキはさっさと逃げ出して良いし、悲しいトキは思いっきり泣いちゃえば良いんだって」
「…… ……。……はい!」
今迄、思いつめていた中学生の顔が、見違えるような笑顔で云った。どうやら、少しは元気を取り戻したらしい。
「そういやさ、アンタ、めっちゃ綺麗な丸刈りね。」
「あ、ハイ。」
「最近は結構珍しいじゃん。そんな丸刈りさせるような学校」
「そう、なのかな。」
「ちょっと触らせなさいよ」
「はぁ」
実はアタシ、昔から男子の丸刈りの感触が結構好きだったりするのだ。だけれど、まともな学校に云ったコトがないので、殆どそういう男の子に遭遇したコトが無い(小林もコイツと同様、中学生のはずだけれど、アイツはサラサラとした七三分けで、なんだか最初に会った時から妙に澄まし顔だったし)。なので、アタシの人生の上で丸刈りの男の子は結構貴重だ。良いじゃないか。此れが今日、チーマー共から救った報酬ってコトで。いやはい、構わないですよ。其れで今回の件は手を打たせて頂きましょう。
アタシの命令で中学生が学生帽を脱ぐと、眼の前には綺麗な輪郭をしたまあるい頭が出現した。中々見事である。其れではさっそく味合わせて頂こうと、アタシは中学生の頭を両手で触れてみた。
「… …おお!…… …此のじょりじょり感… …此れは中々… ……」
「…… …… ……。もう良いですか」
「いや、まだ… …」
「…… … …」
「ふむふむ… ……。此処は、… …おお、なるほど… …」
「…… … … …… …。……あれ?」
「… …うーむ… ……… …」
「… …… … ……。… …あッ!」
突然、アタシの手の中で声を上げる中学生。
「な、なになに!?どしたッ。アタシ、何か法律に触れるようなコトした!?」
「いや、そうじゃなくて。… ……此れ。」
アタシは手の中に納まったお月様のような丸刈り… …ではなく、其の丸刈り頭の手の中に納まって此方に向けられている学生帽を見た。学生帽の裏面を中学生が見えやすいように広げている。アタシは不思議な顔で其の広げられた部分に顔を近づけてみる。其処には、学生帽の氏名記入欄があり、丁寧な文字で書かれているモノがあった。
『
アタシは其の氏名から眼を離して中学生の顔を見る。中学生がアタシの顔を正面に受け止めながら、満面の笑顔を作った。
「アンタ、震吉じゃんッ!!」
「はいッ!!」
アタシと震吉は思わず両手を繋いで
「なんだよ、やっぱ
「はいッ!」
「誰だよカスイって。適当なコト云ってンじゃねーよ。ってコトは、やっぱアイツ等とアンタ、全然関係がないんじゃないの?」
「うーん、其処については僕の記憶が曖昧な所為で、なんとも云いかねるんですが… …」
「てか、アンタの其の震吉って名前、偉く古風ね。」
「おかしいでしょうか?」
「ううん。レトロで良いんじゃない?」