第62話 それぞれの断章#19
文字数 7,268文字
「…… … …… …喜緒、
「……… …
喜緒たちへの俺の返事に
彼等が倒されたならば、
「…… …… …私が合図しますから、其れを契機に、
喜緒の顔を一筋の汗粒が、首筋へと流れていった。喜緒の視線の先には類まれなる
「… ……行くぞ、尺丸ッ!」
喜緒が足を前後に大きく開き、数珠を持った右手を祈るように胸の前に立てた。
「……応ッツ!!……」
喜緒の号令に合わせて尺丸も力の限り両の
鋭い銃撃音が突如として山中に鳴り響く。
「…… …!」
俺は突然のコトに其の場を動くコトが出来なかった。只、一つ
「きゃあああああッ」
序開も其れに気が付いた途端、恐怖のあまり叫び声をあげる。喜緒と尺丸も事態に気づき一斉に此方を振り向いた。俺は混乱した頭で辺りを見回した後、直観的に
其処には片手で拳銃を構えた
真願が薄く笑みを浮かべながら口を開いた。
「…… … ……坊さんッてのは、戦闘中でも
「竹田さんッ!… …怪我は!?」
喜緒が俺の下へ近づこうとしたが、其れを俺は右手で制した。
「
大丈夫、と俺は自身に言い聞かせるように云った。だが其の実、俺は大層肝を冷やしていたのだった。
喜緒と尺丸も其のコトに気がつき、表情が強張る。悠長に等して居られない、とでも云うように、込めた二人の足が鋭く地面を蹴った。
「漸く、やる気になってくれたかい!」
鬱蒼と茂る木々の間から差し込んだ陽の光に手を
「器は
「ハッ!
其の言葉に横目を向けながら真願が軽口を返す。瞬間、拳銃を保持する右腕が不意に振り上げられ、同時に銃撃が山中に響き渡った。
「… …ッツ!!」
其れとほぼ同時に鋭く硬質な反射音。尺丸が驚愕の表情と共に立ち止まってしまう。
「尺丸ッツ!!」
俺は思わず声を上げてしまう。だが、どうやら尺丸には命中していないようだった。尺丸本人も自身の身体に触れながら、傷が無いかを何度も確認していた。注意深く見てみると、尺丸の直ぐ背後の喜緒が途切れるコト無く念仏を唱えている。咄嗟に
「……すまないッ」
「… ……私が、お前の身体を守る。お前は十分に
「… …応ッ!」
尺丸は喜緒に向けていた顔を再び真願へと向ける。其の顔には確固たる決意が滲み出ていた。
「…… …ハァアアアアッ」
尺丸が弾けるような音を立て胸の前で合掌し真言を唱える。其れから合わせた両の掌を離し、ゆるやかに腕を下げると腰の横で拳を作った。
「…… …増長天王よ…… …… … …我が拳に其の
「………!」
尺丸の全身が薄く光り、其の光が両拳に集まっていった。俺も序開も其の光景に眼を奪われていると、腰に構えた尺丸の右腕が不意に突き出される。
「ハアッッツ!!」
瞬間、響き渡る轟音。
真願と不坐の居た所に眼を向けると、奴等の立っていた地面が爆発するように抉れ、弾け飛んだ砂や草木が宙を舞って居た。途轍もない衝撃だった。
「キャアッッッツ」
序開の叫び声で我に返った俺は、反射的に彼女の手を引き後方へと誘導する。俺はもう一度振り返り、爆発した方向に眼を向けた。まるで手榴弾でも使用したかのような抉れた地面。此れが尺丸の
「… ……奴等は!?」
俺は土埃の中に真願と不坐の姿を探す。すると目の端で、離れたところに着地する姿形が見えた。膝をつき右手に銃を構えた真願の姿だった。
「… ……ゆくぞッ」
次の瞬間には、既に尺丸が駆けだしていた。真願を正面に見据え脱兎の如く走る其の姿は、僧の時とは程遠い、歴史で伝え聞くような忍者の様相だった。
「…… …竹田さんッ!… …今の内にッ!」
眼の前の喜緒が顔だけを此方に向けて叫ぶ。俺は混乱した頭を振り絞り、喜緒の眼を見て力強く頷いた。
「行くぞ、序開ッ」
「……はい」
「良しッ。…… …こっちだ。」
俺は辺りを必死で見渡しながら、喜緒に指示された獣道を探す。辺り全体何処を向いても緑一色な中を、なんとか人が通った形跡のある個所を見つけるコトができた。俺は序開に向かって顔で合図を送る。序開の足がゆっくりと動き出すのを見計らって、彼女を庇いつつ俺も歩を進めた。
「喜緒ッ!!」
俺は反射的に喜緒の名を呼んだ。喜緒が此方を振り向き、動き始めた俺達の姿を見て強く頷いた。
其れから俺と序開は獣道に向かって走り始めた。曲輪はかなり広く、まだ獣道まで三十
「ハアッ、ハアッ、ハアッ… …クッ… ……」
駆け出した足が地を蹴る度に、全身に痛みが走る。
「…… ……竹田さんッ、此れ」
序開が走りながら声を掛ける。其の手には水筒が握られていた。
「… ……尺丸さんから頂いた茶です。少し頂きましたが、まだ十分に入っています。私はもう大丈夫ですから、どうぞ」
俺は序開の其の言葉で、燃えるように渇く喉を自覚した。礼も早々に受け取った茶を貪るように飲むと、みるみる内に全身に生気が満ちていく。
「…… ……… …、ハァ。… …… …助かったよ、有難う。」
「… ……頑張りましょう」
「…… …あぁ」
足元に眼を移すと、序開のスカートや靴も既に泥土で薄汚れていた。彼女も想像を絶する恐怖を体験しているハズだ。だが、そんな状況にも関わらず、序開は何時も俺のコトを気遣い助けとなってくれていた。俺は此れまで何度、彼女の言葉で正気を保つコトが出来ただろう。
「…… … …本当に有難う、序開… …」
呟くように云った俺の言葉に前を向いていた序開の顔が、また此方を向いた。
「… …… …私たち、まだ生きなければ、なりませんから」
切迫した表情で、其れでも薄く微笑みながら序開が云う。そうだ。序開も俺も、どうにかして家に帰らなければならない。大事な人の為に、こんなところで死ぬワケには
転がる石や窪んだ地面、走り抜けるには全く悪条件な此の曲輪を、其れでも俺達は必死で駆け続けた。向こうに見える獣道が、少しずつ近づいてくる。
「…… … …ハァ、ハァッ。… …… … …もう、少しだ。」
もう少し。
「ハアッ… ……ハアッ… …ハアッ」
心臓が早鐘を打ち、呼吸が絶え間なく肺に酸素を供給している。息が切れて苦しくて、今にもぶっ倒れてしまいそうだ。獣道迄は後、十数
「………ッッツ!」
爆発するような轟音と共に、獣道の両脇にある木々が次々となぎ倒されていった。
木々の地に近い幹の部分が、途轍もない力で捩じ切られるように砕け散り、自重に耐えきれず倒れていく。俺と序開は突然の事態に足が
「… …くッ」
「きゃあああッ」
俺は直ぐに顔を上げ正面に眼を向けた。薄く砂煙に覆われた中、獣道の入口には倒木が覆い被さり、封鎖されているのが見えた。そして、其の前に立っている男。
「…… …フン。… ……」
「… ……… …不坐… …」
「…… … …よう、久方振りだな。… …こうやって、面と向かうのはよ」
そう云いながら不坐は右腕で口元を無造作に拭い、地面に向かって唾を吐いた。
「… …… … ……… … … …」
「… ……ちッ。山ン中で
不坐が独り言ちるように云う。奴の一挙手一投足に眼を奪われながらも、俺と序開はふらつきながらも立ち上がった。
「…… …… …ハアッ、ハアッ、ハアッ… … ……… …」
恐怖で身体中が震える。今眼の前に立つ此の
「…… ……んで?… ……てめェはどうしたいンだ?… ……此の前のトキのように
「… …… …… ……」
此の前のトキ、とは、俺が国立脳科学技術研究所に赴任したばかりのトキのコトだ。あの時は、後先のコトも考えず俺は、此の男に素手で戦いを挑んだ。無論、全く歯が立たなかったが、あのトキは阿川と喜緒、尺丸の介入でなんとかコト無きを得た。
「……そういえば、刃室の馬鹿が世話ンなったそうだな」
「… …… … …… …… ……」
「アイツを打ち負かしたんだってな。中々やるじゃねェか。あんな馬鹿でも、一応は研究所の輩出した能力者の一人なんだがな」
「…… … … …………」
「…… …… … …まさか、てめェン中に器だけでなく、
腰に手を当てながら、何が可笑しいのか俯くようにして不坐が小さく笑う。
どうする。どうすれば、此の状況を打開できる。俺と序開は生きなければならない。だが、此の状況で俺達二人が生き残る術はあるのか。
俺は必死で背後を振り返り向こうに眼をやった。縋るように、反射的に、俺は喜緒と尺丸に眼を向けたのだった。だが、其処には思いもよらない光景があった。
「…… …ッ!?… …… ……」
其処には、弾けるように戦う二人の人影が居た。一人が喜緒で、もう一人は
「…… ……尺丸ッ!!」
俺は大声を上げずには居られなかった。叫んだ俺の声に序開の身体がびくりと反応し、序開も振り返り声を上げた。
「… …尺丸サンッ!!」
どういうコトだ。何故、尺丸が倒れている?あれ程の
其の時、俺たちの心を見透かしたように不坐が言葉を吐いた。
「…… … …アノ坊主共じゃ、
「…… …なにッ!」
振り向いた俺の顔に笑みを向けながら、不坐が続ける。
「確かに、
「… ……不坐ッ、…貴様ッ……」
「…… … …… …意外と持ち堪えてはいるが、あの坊主も時間の問題だな。… ………… ……もう一時も経たぬ間に、死ぬぞ」
俺の心の中に、激しい怒りの感情が沸き上がった。だが、不坐はそんな俺の言葉等まるで意に介さない。可笑しくて仕方がない、とでも云うように終始笑みを漏らしている。
「… ……黙れッツ!!」
俺は自分の状況等も忘れ不坐に向かって叫んだ、まさに其の時。
山中を切り裂くような銃声が響き渡った。俺と序開が瞬間、振り返る。眼に入って来たのは、喜緒が背中から此方に向かって倒れてくる光景だった。逆さまに見えた喜緒の顔、其の眉間に今、くっきりと刻まれた一発の銃創。
「喜緒ーッツ!!」
絶叫する俺の隣で、序開が両手で口を
ゆっくりと地面に倒れていった喜緒。其の向こうには、顔中を汗で濡らし、息を切らせた真願正一が立っていた。倒れ込む喜緒に
「…… …よくやったぜ、
俺と序開に聞こえるように、不坐が云った。
「…… … ……… …………」
「…… ……それで、どうするンだ?… ……此れで、てめェ等の庇護者は居なくなった。誰も守ってはくれん。助けは来ない。其れでも、まだ、何か考えているのか?」
「…… …… …… …… ………」
遠方では、喜緒の身体を足蹴にしながら真願がゆっくりと此方に近づきつつあった。不坐は蓬髪に手櫛を入れながら、引き続き言葉を紡ぐ。
「…… …… … …まだ、多少の時間はある。俺は遊んでやっても構わねェぜ?…… ……其れに、興味がある。… …てめェの其の
「…… ……!… ……… …」
俺の、
「…………! … … …… ……」
序開が言葉には出さないが、驚きの表情で俺を見た。
「… ……… ……… …確か、
「…… … ……… …竹田さん… ……… …」
「…… …… …… …」
生き残る術。俺達が生き残るには。
「…… …… …… …序開。」
「………… …はい。」
俺達が二人共、生き残る為には。そう考えていたが、やはり、其れは叶わないのかも知れない。其れでも、最善の選択は無いものか。俺は必死で、考えを巡らせる。
「…… ………… …… …お前を、逃がす。」
俺は入所初日に不坐と対峙した際に云った言葉を、再び序開に云った。
「…… ……そんな…」
「… …………… …。………… … ……… …困ったコトにな。俺の中にも、奴等と同じ、妙な力があったらしい… ……… ……」
「…… …… …… ……………」
「…… …… ………散々、水川を問い詰め、思いとどまらせようとしていた俺がよ。其の実、此の
「… …………… …… ……竹田さん…… …」
「…… …… … ……だからさ、俺は、良い。…… ……水川やお前にどう思われようと、構わない。只、俺は此の
「…… …… …… ………… …そんな!……… ……あなたは!?… ……あなたに迄、何かあったら、私……… …」
序開が縋るように俺に云う。だが、もう時間が殆ど無い。決断をしなければならない。
「……序開、良いか。俺の云うコトを聞いてくれ。俺も無暗に死のうだなんて、思わない。お前をなんとか逃がして、俺も直ぐに後を追う。獣道は防がれているが、迂回してでも良い。なんとか麓の車道迄、走り抜くんだ。」
俺は序開の両肩を掴み、力の限り云った。掴んだ手に力が入り、痛みで序開が眉をしかめる。
「………… …… ……… …… ……竹田さんも、必ず、追ってきてくれるんですね」
「… …… …ああ。」
承諾の返事。其れが、どれほど無謀で荒唐無稽なコトなのか、語りながらも俺は十分理解していた。序開を逃がした後、此の化け物のような連中を躱して俺も追いつくなんて、そんなコト出来るワケが無い。だが、今は序開の気持ちを落ち着かせるコトが重要だった。其の為には、どんな嘘でもつくつもりだった。
俺は序開を傍らに寄せながら、顔を上げた。不坐は腕組みをしつつ、変わらず笑みを湛えている。背後からは真願正一が