第50話 それぞれの断章#7
文字数 7,077文字
初めて超能力と云うモノを目の当たりにした勤務初日、俺たちは
だが、だからと云って其れが今後、俺たちにどう影響を及ぼしていくのかなんて想像もつかない。
「おいーッ!三四郎ってばよぅ!」
「…… …… …」
そんな或る日の昼過ぎ、研究所の広大な敷地の中庭で資料に眼を通していると、水川が何時もの調子で現れた。相変わらず、此の男の底抜けの明るさには感心する。
同じ研究所に居るが、水川と序開の常駐している研究室は俺とは別室だ。だから、通常であれば徐々に交流がなくなっても可笑しくは無い。だが、別室になっても水川はこうやって日に一度は必ず俺の元へやってくる。元々が
「無視するんじゃねーよ。」
「…… …。なんで此処にいるって分かった。」
「そりゃア、こんなに
「研究室に居たらお前に邪魔されて、マトモに論文も読めねェからだ」
「そんなモン、家帰ってから読めって。研究所ココじゃ、皆と熱い交流をするのが肝要だろ。じゃないと新しいアイデアも何も浮かンでこねーよ」
「… ……ハァ。…… …で、序開は?」
「ハツコは研究室に籠りッきりだよ。… ……ッタク。アイツもアイツで、お前とおんなじで実験にしか興味が無ェ。顔は可愛いのに、ホント面白味の無ェ女だよ」
此処で研究を始めてもう半年が経過して居たが、思った程の成果は得られなかった。其れもそのはず、既に何人もの優秀な研究員が、
そんな研究の繰り返しの生活の中で、唯一あった変化と云えば、水川と序開が交際を始めたコトだ。水川の軽口に対して、直ぐ様序開が其れを窘めると云った二人の姿は、意外な程に収まりが良く
「序開が遊んでくれなくて、お前も物足りないンじゃないのか?」
「… …マッタクだぜ。……
「ハハ。アイツは根っからの研究者気質だろうし、仕方が無いさ。気長に付き合っていくしか無かろうよ。」
「… …だな。…… …ア、そうそう。今日さ、街に繰り出そうかとハツコと話して居たんだよ。お前もモチロン行くよな?なんだかんだで入所以来、家と研究所の往復だったから、外で三人で飲むコトなんて無かったじゃないか。勤務初日のトキみたいに、久々にゆっくりと飲まないか。」
「… …ああ。確かにそうだな。いいぜ、行こう。」
俺は資料を閉じて答える。其れから俺たちは中庭の隅に設置されている長椅子に腰を下ろした。
「…… …ところでよ、三四郎。……お前は
「… …… …… …」
前かがみで座りながら水川は煙草を深く吸った。其れから顔だけを此方に向け、何処か期待するような表情で俺の返答を待っている。
「…… … …どう…って、どういうコトだよ。」
「なんだよ、お前はなんとも思わないのか。たったの小さな人間が、まるであんな力を持ち得るんだぜ?俺は、此処で過ごせば過ごすほど、日に日に胸の高鳴りが抑えられなくなるよ。」
「… …… ……」
「オイオイオイ、マジかよ。お前だって最初にアレを見たトキは、子供みたいに眼玉をキラキラさせてたじゃねェか」
水川が少しく落胆したかのように云う。何度も深く吸った煙草の灰がボロボロと地面に落ち、みるみる内に其の身を削っていく。
「…… … …… …マァ、
「だよな。」
「…… …だが此の研究が、あんな、取返しのつかない戦争に繋がっていくコトを考えると、本当に此の研究が正しいコトなのか、時折考えてしまう。」
俺はなんとは無しに、片倉が熱弁する愛国論を思い出して居た。
「… …
「… ……ああ。」
「…… … …俺はさ、三四郎。結構、片倉サンの云うコトには共感してるんだ。… …勿論、戦争は良く無いコトさ。だけれど、抑止力としての力を持つコトも、必要なんじゃねーか?此れ以上、俺たちの大事な国を、他国に壊されないように。罪も無い人たちが、なす術も無く死ぬコトの無いように、奴らに対抗する術を持って置くコトも必要さ。」
「…… … …… …」
「…… …。… …マァ、詰まり、俺たちが今そんなコトを考えても、仕方ねェってコトだよ。そう云うコトを考えるのは、御国のお偉い方々の仕事さ。だろ?俺たちの仕事は、此の謎に包まれた
「… … …ああ。…… … …そうだな。」
確かに、水川の云う通りだ。俺が感じている心の揺らぎは、極めて私的な心情だ。そんなコトに気を揉んでいても、何の生産性も無いコトくらいは俺にも分かる。事実、俺自身が此の研究に惹かれているのは確かであり、だとすれば、研究員として俺が出来るコトは、此の職務を全うする他無い。
「…… …あれ?」
「…… …」
俺の隣で、水川が遠くを見て声を上げた。
「…… …ハツコだ。どうしたんだろう」
水川の視線を追いかけてみると、丁度俺たちの居る所から対角線上の出入口から、序開が此方に向かって歩いてくるのが見えた。両手をそれぞれ白衣のポケットに突っ込こんで、神経質そうに歩を進めている。
「
「息抜きにでも来たんじゃないのか?」
「… …かなぁ。おーい。」
水川が大げさに手を振ると、序開は辺りを見回しながら恥ずかしそうに、止めてよ!と、此方に向かって叫んだ。其れから直ぐ、俺たちの座っている長椅子の前に辿り着く。
「お前、研究は?」
「…… …。… …少し、休憩です。」
「……ふーん」
序開は休憩、と云ったが、彼女が休憩時間にゆっくりと中庭で、お友達と談笑するなんて奴では無いコトは、俺も水川も良く知っている。とすれば、序開が此処迄
「んで、見るからに用事があるような顔して、一体どうしたんだよ。」
俺が問いかけると、序開は見透かされたと云うように眉を上げて、少しく驚いた顔をした。
「竹田さん、水川さん。今日、
「… …出征式だって?… ……
「俺も、聞いてねーケド」
「… ……そう、ですよね。」
序開が云う
「
「俺たちみたいな下っ端も、見に行って良いモンなの?」
水川が訝し気に云う。
「其れは、大丈夫みたいです。式には参列できませんが、仕事に支障が無い程度で、周りから見学しても良いそうなので。」
「へェー。そいつァ、景気が良いモンだな。確か、二三年振りなンじゃねーの?」
「確か、それくらいだと先輩方も云っていました。」
「…… …。然し、一体誰なんだろう?俺たちの携わって居ない
幾ら俺たちが末端の研究員であるとは云え、そのような重要な情報が共有されない所内の体質に、俺は些か疑問を感じた。
「マァ、細かいコトは良いじゃねェか!面白そうだし、とりあえず、見に行こうぜ!外野からで恐縮だが、盛大にお祝いしてやるぜ」
「そうだな。」
「ちょ、
水川が俺の手を引っ張り上げて長椅子から立たせると、水川はそそくさと先を歩き始めた。其れから突然、くるりと此方を振り向いて云う。
「… …てか、何処でやってるの?」
「正面玄関を出た所の広場ッ」
「オッケー!お前等、早く早く!」
研究所の正面玄関を出ると、広い敷地が続いて居る。此処は特に用途は決まって居ないものの、稀に今回のような式典や、車両等が停まる駐車場となる。敷地が広い為、軍用車両や戦車等が何台も駐車出来ると聞いたが、未だそのような車両が停まっている所は見たコトが無い。そして、此の敷地の一番外側。正門近くで、俺たちは不坐に襲われたのだった。俺たちはあの勤務初日以降、殆ど不坐の話題を口にするコトは無かったが、恐らく皆、正門を
正面玄関を出ると、広場の中央にはパイプ椅子が整然と並び、ざっと百名程の主要研究員たちが座っている。だが、其れをぐるりと取り囲むように居る野次馬の方が遥かに数が多かった。俺たちのような末端の研究員のみならず、
そんな中、主要研究員たちの座っている席の前方には、研究所の上層部数名と軍関係者と思しき2名程が横一列になり、同じくパイプ椅子に座っていた。そして、其の中央には、今回軍に入隊するコトとなった
「オイオイ、なんと、女かよ」
「…… …優秀な方なんですねぇ。」
水川の呟く横で、序開も懸命につま先立ちしながら云った。野次馬たちの頭の隙間から、なんとか其の姿を確認しているようだった。
「
国立脳科学技術研究所所長、榊恩讐。普段、研究所に居る姿は殆ど見たコトが無い。のみならず、俺たちが入所した際も、此の男と面と向かって話をしたコトは無かった。だからどんな人物なのか全く分からないので、周囲の状況やウワサから想像する他なかったのである。だが不坐と云う男を子飼いにしている時点で、俺たちは所長に対してある種の警戒心を持って居た。
そんな中、パラパラと盛大な拍手が送られ、
「…… …あら。」
「…… … … …ん。どした?、ハツコ」
序開が眼を細めて穴の空く程に
「…… … …、アレって… ……入所した日に最初に見学させて頂いた、着物の女性じゃありませんか?」
「… ……へー。… … ……ん?」
序開の言葉を空に聞いていた水川が、然しなんらかの記憶が眼の前の
「…… …あ。ホントだ。…… …あの、ホラ。アノ女性だろ。」
「…そ、そうです。えーっと… ……」
「… …き、…… 岸、そう!…… …岸サン、だ。確か。あの人、初日に
序開と水川は興奮したように声を上げた。
岸と云う女性は、俺たちが勤務初日、
「…… …ああ。確かに、あの女性だ。」
俺は自分でも意外な程に、暗い声で呟いた。其れが余りにも場違いだと感じたのか、水川が俺の顔を伺うように此方を振り向く。
「… ……?…… …どうしたンだよ、お前?」
水川が心配するように聞いてくる。黙って居ても仕方が無いので、俺は心に広がる疑問を口にした。
「…… …確かに、あの女性は岸さんだと思う。…… … …だけれど、何処か… ……。少し雰囲気が違うような気がしてさ。其れが妙に気になって。」
「…… … …雰囲気だって?」
「…… … …ああ。何と云うか、依然会った時とは、表情がまるで違うと云うか。今眼の前に居る彼女の顔が、とても冷たく見えてさ。以前会ったトキは、もっと穏やかで慈しみを持った表情をして居た気がするんだが……。… ……マァ、彼女と一度しか会って居ない人間に、一体何が分かるんだって話だが。」
俺は一旦疑問を口にしてみたが、発してみて、其の自身の曖昧な言葉に羞恥の念がこみ上げる。
「… ……あー、
俺は二人に謝罪するのような気持ちで言葉を続ける。だが、意外にも序開が俺の言葉に続いて口を開いた。
「…… … …、イエ、竹田さん。… … …あなたの
「… ……オイオイ、ハツコまで一体、何を云い出すんだよ」
折角の昂揚した気分が台無しとなった水川が不満げに云うが、尚も序開は話を続ける。
「…… …。… …
くま
。なんだか、とても体調が悪そうに見えますよね… …」序開が云うように、今、俺たちの眼の前に立っている岸と云う女性は、以前出会ったトキとは全く印象が異なっていた。今彼女は大勢の所員の前で、此れからの自身の生活についての抱負や夢を語っている。本来であれば、其処には様々な希望や不安等の感情が宿るハズだ。だが、滔々と語り続ける彼女の言葉には、其れが一切感じられなかった。其の姿はまるで、冷たく淡々と、決められた抑揚を決められた調子で語る、
「… …。…… …あー、マァ。そう云われて見れば、そうかも知れないなァ。ウン。確かになんだか体調は悪そうだ。だけれどさ、ソリャア、そういう日も生きてりゃ、何度かはあるだろう?… …これからのコトを考えすぎて心身が病んだのかもしれない。ア、そもそも、こんなに大勢の人前で話すコトが、心底苦手だとか?」
「う、うーん。… …そう云われて見れば、そうかもしれませんケド… …」
だが、俺と序開は此れ以上、此の話に言及するのは止めるコトにした。所詮俺たちの感じた其れ等は、まるで根も葉もない印象の話に過ぎなかったからだ。序開も口ではそう云っていたものの、やはり初めて見る出征式に心を奪われ、何時の間にか他の野次馬達と同様、式の動向を必死で追いかけていたのだった。
そうして1時間程で、出征式は滞りなく無事終了した。その後、俺は水川たちと終業後に街に出るコトを約束し、其々の研究室へと戻って行った。
だが、俺と序開が感じた奇妙な違和感を、もう一度思い出させるかのように、再び岸と云う名を聞くコトになるのは、其れから数日後のコトだった。