第39話 リバーサイド、アンダーザブリッジ#5
文字数 3,897文字
「一つ、聞いても良い?」
「良いよ。」
「マキコお姉さんはさ、なんで身体が透けてるの?幽霊なの?」
震吉がアタシの腕に眼を近づけながら、興味深げに質問する。アタシは震吉に向かって両腕を上げて襲うような仕草をすると、中学生は大袈裟に驚いてころころと笑った。
話をしていた中で、どうやら震吉は中学一年生、おそらく13歳くらいのようだった。此れも確定的なものではないけれど、体格や物の考え方からかなりの幼さを感じたからだった。つい此の間までは小学生だったかのような雰囲気だ。翻って小林は確か今、中学二年生だ。マァ、あいつはトミーさんの付き人としてかなり特殊な境遇だし、其の所為で同年代よりもかなりマセて居るから、単純に比較は出来ないのだけれど、一年しか違いが無いにも関わらず震吉と小林には年齢以上の思考の成熟度の差があるように見えた。
「そうだねー。簡単に云うと幽霊みたいなモンかなぁ。」
アタシが手の平を広げると、震吉が自分の手の平を合わせるように上からぽんぽんと乗せてくる。
「でも、触るコトができるよ」
「触るコトができる幽霊なんだよ。」
「へー。其れに、空も飛べるんだよね。僕を助けに来たトキ、空から降りて来たでしょ」
「そだよ。空の上でフワフワ寝っ転がってたトキ、川沿いを歩いてるアンタを見つけたんだよ。空飛べるのはとっても気持ち良いんだから。」
「良いなァー。僕も、空を飛べるようになりたいなァ」
そう云いながら震吉は身体を仰向けにして寝転がった。頭の後ろで腕枕を作って、空を恨めしそうに眺めている。震吉の眼の中には青い空が映り込んでいた。アタシも震吉につられて片肘をついて横向きに寝転がってみる。
「どの辺で寝てたの?」
震吉が寝転がりながら呟くように云う。
「えーっと、そうだなァ。あ、あそこ。今、すごい勢いで雲が流れてるところあンじゃん。あの辺かな。いっつも此の川に来たら、そうやってフワフワ浮かんで街の風景をぼーっと見るのが習慣なの。空の上から見下ろしてると、車も歩いている人もみいんな小さくってさ。見てるだけで面白いんだ」
「…… …… …」
「… ……」
震吉が何時の間にか眼を瞑っている。すっかり安心しきっている様子だった。アタシもなんとなく微睡んでしまう。橋の上で行われている平日の街の喧騒も、此処迄は響いてこない。幻聴のように遠くに聞こえるような車の排気音も、人込みのざわざわも、微睡むアタシたちには程よいBGMのようだ。
「… …震吉、寝たの?」
「…… …。… ちょっと寝てたかも」
アタシは震吉の無邪気そうな横顔を見ながら此れからのコトを考える。記憶を失っていると云っていたけれど、だとすると何処か保護してもらえるアテはあるのだろうか。もし何処も行くアテが無いのだとしたら竹田に事情を話して暫く世話して貰う?だけど、明日からは竹田のおじいちゃんに会いに行く為にアタシたちは関西に行かなければならない。こんな慌ただしいトキに子供一人を世話してる暇なんてないのが実情だ。
「…… …アンタさ、此れからどっか行くアテあンの?」
アタシ一人で取り留めの無いコトを考えていても仕方が無いので、とりあえずは震吉に聞いてみた。
「…… …… ……」
屹度アタシの問いは、今後のコトを否が応でも考えさせられる無慈悲な問いだろう。震吉にしてみれば、そんな面倒でイヤなコト等考えず、何時までも此の橋の下でダラダラと遊んでいたいのだ。そういう気持ちを滲ませるかのように、震吉はアタシの言葉なんてまるで聞こえていないかのように、何も答えなかった。
「アンタの住んでる家とか、親御さんは?」
「… …覚えてない… …」
「そっか… …」
「…… …… …」
「わかった。んじゃ、アタシがなんとかしてやるよ。」
「えっ!?」
震吉が驚いたように声を上げた。若干の期待も含ませて。
「アンタが安心して住めるところが見つかるまで、アタシと一緒に居たら良いよ。」
「ほ、ほんと!?」
「うん、ホントだよ。だから、そんなに寂しそうな顔しないで。」
流石に此れでハイ左様なら、というのは少し酷だと思ったので、アタシはこうなったら最後迄、責任を持って震吉の面倒を見ようと云う気持ちになっていた。と云っても、アタシが出来るコトと云えば、竹田に頭を下げてお願いするコトしか出来ないワケだけれど。慌ただしくてとてもじゃないけど面倒を見きれないと竹田に断られたら、後は小林やトミーさん、其れから真崎辺りにお願いするとかしかないか。警察や公的施設と云うのも頭には浮かんだけれど、其れは最終手段にしようと考えていた。
「落ち着いてゆっくり過ごしてれば、何か思い出したりするかもしンないじゃん。」
「うん!… …マキコお姉さんッ」
「…わわっ」
震吉がアタシのお腹に手を回すようにして抱きついてきた。幼い子供のような其の純粋な反応にアタシは少し戸惑ってしまう。
「… …ありがとう、マキコお姉さん… …」
眼を瞑ってぽつりとそう呟く震吉。屹度、例えようもない不安の中に此の子は一人居たのだろう。アタシは震吉の頭をゆっくりと撫でてみた。
そうと決まれば、あまり悠長なコトはしていられない。何時の間にか昼も過ぎてしまっている。其れに、此れは式神となった為に備わったモノだが、竹田もヨウコもどうやら既に起きているようだった。そういうコトも大雑把ではあるが認識できるのだ。早めに竹田とヨウコに震吉の事情を説明して、反応を見る。ダメならば別の手立てを考える。いずれにせよ、明日の関西遠征までにはなんとかしなければならないのだ。
「よし、それじゃ、そろそろ行こっか。」
「そろそろって、何処へ?」
「アタシの住んでる所。マァ、厳密に云えば、今はアタシも其処に居候してるンだけどね。其処にアンタも住まわせてもらえるか、お願いしてみる。だから、此れから一緒に行くんだよ。居候先のヤツはさ、ぶっきらぼうだけれど、悪いヤツじゃないからさ。なんとかしてくれると思うよ」
相談の結果、実際どうなるかは行ってみないとなんとも云えないのだけれど、震吉を出来るだけ不安がらせるコトが無いように言葉を選んだ。其れに、あのバカだったら、なんとかしてくれるんじゃないかという、根拠は無い楽観も何処かにあった。
アタシが努めて明るく云いながら立ち上がると、震吉もそそくさと其の場に立ち上がって、薄汚れた自身の学生服を何度もハンカチで
其れからアタシ達は土手の坂道をゆっくりと上った。
土手の上にも川と並行して道がある。川沿いの道と違い、此方の方が生活道として地元の人が使っているようだった。とは云っても今日は平日。今は前方にも後方にも人は歩いていない。
「何時もは飛んで此の川まで来るからさ、一瞬で来れるんだけど。歩くとなったら15分くらい掛かるかも。」
「はい。僕、歩くのは好きなので大丈夫です」
「そっか。じゃあ、此の道をぼちぼち歩きながら行こっか」
「はい!」
アタシ達はもうすっかり打ち解けていて、お互いの好きなモノや嫌いなモノの話等を取り留めも無く話しながら歩いた。震吉は本当に良く笑っていた。
「あぁ、面白いですね!マキコお姉さんはッ」
「あんたも中々のモンだよ。あーあ。めっちゃ笑った。… …あ、そろそろ、此の道を下りて右折しないと
土手の道から階段を下りる為、アタシが先行して歩いて行こうとした時、突如として猛烈な突風に見舞われた。
「… …うわっ」
其の風は、眼を開けて居られないような、唐突で激しい風だった。ヘタすると身体毎飛ばされかねないような暴風の中で、なんとかアタシは両足を踏ん張って耐えた。
「… ………震吉、アンタ大丈夫ッ!?」
風はつむじ風のようだった。一瞬でウソのように消えていった突風。アタシは髪を抑えながら後ろを振り向いて震吉に話しかける。
が、其処には震吉の姿は無かった。今の激しい突風で震吉の小さな身体は吹き飛ばされてしまったのか。アタシは下り掛けた階段を駆け上がり、土手の道へと出て川沿いを土手から見渡した。
土手の道にも、川沿いの道にも、何処にも震吉は見当たらなかった。アタシは一瞬呆然としたものの、其れでも暫くは震吉の名前を叫びながら近辺を探した。だけど、其れから震吉の姿を見つけるコトはできなかった。一体どういうコトなんだろう。まったくもって理解が及ばない。アタシは狐にでも摘ままれてしまったのだろうか。今の今まで居た震吉が居ない。だけれど、そんあハズは無い。アタシの身体は覚えている。アイツの手の平の感触や、アイツが腰に抱きついてきたトキの感触。絶対に幻なんかじゃない。
其れからはどれくらい居たのか分からないけれど、一時間ほど管を巻いていたのだろうか。震吉と居た橋台に一人で座ったり、周辺を歩いたりして取り留めの無い時間を過ごした後、アタシは何かを諦めたような気持ちで帰宅した。