夏の足音

文字数 3,377文字

 大会、一週間前。

 野球部は部室で練習の用意をしていた。

お疲れさまです。あの、部室棟の向こうに軽トラが止まってるんですけど……。
うちに用のある人が来てるの?
はい、キャプテンを呼んでほしいって。
……誰かしら?
礼ちゃん、あたしらは先に行ってるよ~。
私も先に行きます!
私も行くかな~。

 四人が部室を出た。

 右手、軽トラの方から中年の男が歩いてくる。肩幅の広い、力のありそうな人物だ。

おう。
げ、親父……。
めずらしい。お父さん、何か用?
野球部に飲み物の差し入れを持ってきたんだが、どこに持ってけばいい?
……ありがとう。とりあえず、部室の前に置いてもらえればあとはこっちで動かすわ。
あいよ。
 礼、優の父親は、軽トラの荷台からスポーツドリンクの箱を抱えて部室の前まで持っていった。
お父さんも体格いいですけど、スポーツやってたんですか?
元高校球児よ。初戦敗退の常連だったらしいけどね。
そんじゃ、あとは任せたぜ。もうすぐ大会だし、何かできればと思ってな。
助かるわ。
 父親は優を睨むように見た。
オメーはちゃんとやってんだろうな。
……やってる。
礼の足引っ張るんじゃねぇぞ。
……うん。
 漆原父は軽トラに乗り込み、すぐに発進していった。
私のことなんてどうでもいいってか。まあ知ってるけど。
優……。
いいじゃん、あんなのいつものことだし。練習いこーぜ。
 優が真っ先にグラウンドに出ていった。
……優先輩、いつもお父さんからはああいう感じで?
ええ。何をやってもお父さんは私と優を比べたがるの。あの子がいつもだるそうにしてるのもそのせいだし……。
みんな違ってみんないい、じゃないんですね。

……貴女は優しいわね。私が引退したあとも、鈴がいれば優は大丈夫な気がするわ。

わ、私は優先輩とお話しするのも好きですし、一緒にプレーするのも楽しいので! だから、どうにかならないのかなぁって思っちゃいました……。
まあ、すべては大会の内容で決まるでしょうね。優が家族に本気を見せつけてくれれば……。
おーい! 人の話してんのはわかってんだぞー! 早く来いよー!
 優にしてはめずらしい、いらだたしげな声が飛んできた。
とりあえず、行きましょう。
はい……。

 チームは確実に仕上がってきている。

 選手の動きもよく、打撃陣も快音を連発している。

 新海澪の肩を除けば、不安を抱えている選手はいない。

ここ狙ってきて。
はいっ!

 今日の鈴は、悠子とブルペンに入っていた。

 右打者のインコースに食い込むようにシュートが曲がる。

 悠子はさすがに慣れたもので、球速のあるシュートもいい音を響かせてキャッチする。

これ、ゲッツーほしい時は使っていきたいね。打たせたい時はシュート、空振り狙う時はシンカーって感じで。
うまく制球できれば狙えそうです! だいぶストライクゾーンに集まるようになってきましたし!
そうだね。ちゃんと腕を振って投げれば、強豪校相手でも通用するよ。――さあ、ラスト10球いこうか。

 鈴の投球精度は日増しに高まっていた。

 元々コントロールはいい方だったので、力みさえなければ確実にストライクが取れる。

 不安要素があるとすれば、公式戦特有の緊張感だろう。

 中学とは観客も応援団の数も違う。

 それだけ雑音も増え、本来の力が発揮できないピッチャーも多い。

(球場のマウンドをイメージしながら……)

 頭の中に映像を思い浮かべながら投げる。

 そのたびに悠子のミットが快音を響かせる。

よし、今日の分は終わり。休憩したら澪と一緒に走り込みね。
わかりました!

 ブルペンで投げ終わる頃には打撃練習も終わる。

 それから野手は走塁練習に入るので、鈴と澪は学校の外周を走るのだ。

軽くストレッチした?――それじゃあ出発しましょう。
お願いします!

 二人はゆっくりしたペースで走る。

 普段はもう少し速く、もう少し長く走るが、大会が近い今は軽めの調整だ。

こうやって鈴ちゃんと走れるのもあとちょっとね。
そんな、澪先輩がその気になったら私はいつでもつきあいますよ!
じゃあ引退したあとでも来ていい?
もちろんです!

 引退したあと、という言葉が3年生から聞こえるようになってきた。全国制覇するチームでも、8月上旬までにはみんな引退してしまう。

 そうした言葉が出てきてもおかしくない時期だが、やはり鈴はさみしさを拭えない。


 あまり雨の降らない梅雨になったが、毎日蒸し暑い。

 走っていると自然と汗が噴き出す。

 澪も汗を流しながら、しかし呼吸を乱すことはなく走り続ける。

(いっぱい走り込んできたんだろうなぁ……)

 一歩一歩が力強く、姿勢もぶれない。

 このしっかりした土台があるからこそコントロールと球威が輝くのだ。ここに至るまでには、相当地道なトレーニングがあったに違いない。

(私も、3年生になった時には澪先輩みたいなピッチングができるようになれるのかな)
 そうなれることを信じて、鈴は澪の背中を追いかける。
じゃ、あとは頑張ってね!
ええ、感謝します。
 練習後、部室にやってきた女子生徒から、礼が束になったプリントを受け取った。
それ、なんですか?
東御(とうみ)女学院のデータ。この時期になるといつも新聞部が協力してくれるの。うちはマネージャーもいないし、偵察が出せるほど人数に余裕もないし。
相手投手はどのようなタイプなのでしょう?
エースは右投げの白鳥(しらとり)さん。ストレートとスローカーブのコンビネーションで空振りを取るタイプのピッチャーみたいね。
スローカーブか。だったらそれ使いそうなタイミングで盗塁やってみるのもありだな。
あたしも行けるんならガンガン走りたいな~。守備はどんな?
キャッチャーはそこまで強肩というわけでもないみたい。悠子と比較した場合、と書いてあるわね。
ふふん、つまりイワミーから盗塁できるあたしなら余裕ってわけだ。
そうやって甘く見てると刺されるよ。
打順までは確認できなかったみたいだけど、島滝(しまたき)さん、森村さんの二人が特に飛ばせるバッターらしいわ。
たぶん今週のどこかで参加チーム紹介みたいなのが新聞に載るだろうし、そこで照らし合わせてみよう。
そうね。ちなみに去年の秋は2回戦で諏訪水照に6-4で負けている。直近の練習試合の結果は不明……。
佐竹さんから4点取ったんですか。
そのへんはなんとも言えないところね。ピッチャーは一冬しっかりトレーニングすると春に大化けすることもあるし、去年の結果はあまり当てにしない方がいいと思う。
春の公式戦があればもうちょっと情報が集まりそうですけど……。
まあ、そこは大人の事情だから私たちではどうしようもないわね。
で、どーすんの? スローカーブ打つ練習やる?
私、カーブ遅いので練習になるかもしれません!
気持ちは嬉しいけれど、白鳥さんはオーバースローだからね。サイドスローのカーブに慣れるとかえって戸惑う可能性もあるし……。
でも、軌道見るくらいはやってもいいんじゃない? 一回だけ目を慣らしとこうよ。
そうね……。先生と相談して、許可が下りたら明日は鈴に投げてもらいましょうか。
しっかり準備しておきますね!
いいな~。
え?
鈴ちゃんはすっかり夏モードって感じになってるよね。あたしはまだちょっと実感ないかも。もうすぐ大会始まるなんてさ……。
あー、それわかる気がする。三ヶ月なんてあっという間すぎて……。
ホントに、すぐここまで来ちゃったって感じするね。
あたしも1年の頃はそうだったかもな~。でも大丈夫。大会さえ始まっちゃえば自然に切り替わるから。
女子は男子より夏の始まりが早いものね。ほとんどの子はそう感じるんじゃないかしら。
鈴ちゃんは最初の試合からずっと投げてる分、責任感強くなってるのかもね。
そうかもしれないです。
大丈夫? 肩に力、入ってない?
はい! 力んでもダメだって、色んな人に教えてもらったので!
みんな精神的にも余裕がありそうね。あと一週間だし、ここで怪我だけは絶対にしないように。いい?
みんなが「はーい」と返事をした。
それじゃあ今日はこれでおしまい。着替えて帰りましょう。
アサちゃん、今日は帰りにいつもの公園に寄っていかない?
いいけど、なんで突然?
澪先輩のあとをしっかり抑えられるように、できる限り練習を……。
……ねえ、やっぱ肩に力はいってるでしょ。
…………。
 鈴はうつむいて着替え始めた。
そうかも……。
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登場人物紹介

朝山 鈴(あさやま りん)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。ピッチャー。

サイドスローの投手。しなやかな肩と肘を使った柔軟な投球を得意とする。中学時代は味方の守備に足を引っ張られ、試合に勝つことができなかった。

外浦 朝陽(とのうら あさひ)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。キャッチャー。

中学時代に鈴とバッテリーを組んでいて、朝山と朝陽でサンライズ・バッテリーと呼ばれていた。

結城 まこ(ゆうき まこ)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。セカンド。

ピッチャーのモーションを読み取り、持ち前の俊足で盗塁を確実に決める。だいたいテンションが高い。

広野 皐月(ひろの さつき)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。ショート。

打撃、守備ともに堅実なプレーを重視している。控えめであまり目立ちたがらないタイプ。

高池 凪(たかいけ なぎ)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。サード。

中学最後の大会で左腕を負傷し、まだ回復しきっていない。

松原 雅(まつばら みやび)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。

バットコントロール能力が高くボール球でもヒットにできる技巧派。外野ならどこでも守れる。

漆原 礼(うるしばら れい)

裾花清流高校3年生。左投げ左打ち。レフト。

野球部キャプテン。身体能力が高くセンス抜群。クールな振る舞いから、校内では男女問わず隠れファンが多い。

新海 澪(しんかい みお)

裾花清流高校3年生。右投げ右打ち。ピッチャー。

チームのエース。速球と緩いボールを使い分ける本格派右腕ながら、肩の調子に不安を抱えている。

岩見 悠子(いわみ ゆうこ)

裾花清流高校3年生。右投げ右打ち。キャッチャー。

正捕手で長距離バッターでもある。相手の様子を見ながら配球を決め、野手に守備位置の指示を出すチーム随一の頭脳派。

一ノ瀬 桜(いちのせ さくら)

裾花清流高校3年生。右投げ左打ち。セカンド。

俊足巧打、広い守備範囲を持つ攻守の要。ハイテンションで味方を盛り上げたりからかったり忙しい。

天城 奈緒(あまぎ なお)

裾花清流高校3年生。右投げ左打ち。ショート。

広大な守備範囲を持ち、一ノ瀬桜とのコンビで鉄壁の二遊間を構築している。出塁率も高い。

神村 青葉(かみむら あおば)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。センター。

2年生ながら4番を任されている。商店街のアイドル的扱いを受けているのでおっさん達が試合の応援に駆けつけてくる。

赤羽 夕日(あかばね ゆうひ)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。ファースト。

当たればでかいロマン砲。一方、守備は堅実で難しいバウンドもきっちり処理する。

漆原 優(うるしばら ゆう)

裾花清流高校2年生。左投げ左打ち。ライト。

キャプテン漆原礼の妹。やる気の波が激しく、いつもはぐだっとしているが試合では頭脳をフル回転させてプレーする。

水崎 美晴(みずさき みはる)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。サード。

バント職人。小柄だが強肩を持ち、深い位置からでもアウトが取れる。

緋田 恵(ひだ めぐみ)27歳

裾花清流高校野球部監督。

最初に赴任した高校を県ベスト4まで連れていくなど指導力の高さを評価されている。裾花清流高校は赴任2校目で2年目。

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