スナイパー級技巧派左腕(※1回限定)

文字数 4,222文字

 四月の第三週、日曜日。

 裾花清流のグラウンドには浅間(あさま)青雲(せいうん)高校の女子野球部がやってきていた。

 練習試合はすでに開始されていて、スコアボードにも点数が並んでいる。


裾花清流 001|1

浅間青雲 11 |2

ボールフォア!
(ダメ……今日は腕が振れない……)

 新海澪の頬を汗が伝って落ちる。

 前回の上田第一高校戦とは打って変わって、3イニングですでに50球が近づいていた。

ツーアウトね! 落ち着いて守ろう!
おー、ガンガンこいよー!
バシッとさばきますよー!

 バックの声援を受けて、澪は47球目を投げ込んだ。

 ストレートが甘いコースに入り、バッターに芯で捉えられる。

 打球は左中間に飛んだが、漆原礼の反応が早かったためすぐ落下点で押さえることができた。

 裾花清流ナインがベンチに戻ってくる。

新海さん、お疲れさまでした。次の回から交代ですよ。
すみません、もうちょっと行きたかったんですけど……。
まあ向こうのバッターも見極めがよかったしな。しょうがない。
優さん、次の回からは貴女にマウンドを任せます。
マジっすか。鈴ちゃんじゃなくて?
朝山さんはそのあとです。この回の攻撃は7番からですから、6番の貴女は安心してブルペンに入れますね。
さっき岩見先輩で終わってれば……。
さすがにキレるよ?
優、いいからさっさとブルペン行きなさい。――朝陽、こいつをよろしくね。
はいっ!
 しぶしぶブルペンに行く優を見て、礼は深いため息をついた。
……緋田先生、もっと怒ってもらってもかまいませんよ。
優さんをですか?
チームの空気を乱しすぎです。周りに迷惑がかかるので。
ですが、そちらの事情もあるのでしょう?
 優が、礼と比較されてばかりの生活に耐えきれなくなり、やさぐれてしまったこと。緋田恵は姉妹間の事情を知っている。
でも、試合に家庭の事情は持ち込めません。強く言ってやってください。もう私の注意には耳も貸さないので。
つっても、別に空気悪くなってはないしいいんじゃね?
優ちゃんのふざけ方はなんか許せるよね~。でもイワミーは耐えられない?
そんなことはないよ。さっきのも冗談だし。
なんだかんだでちゃんと練習も試合もこなしてくれてるし、私は好きよ。
チームメイトの声はこんな感じですが、礼さん?
……みんなが気にならないっていうならいいですけど。

 金属バットの音が響いた。

 先頭打者の赤羽夕日がセカンドゴロに倒れる。

では松原さん、お願いします。
行ってきます!

 8番の澪に、代打で松原雅が送られる。

 雅は2球で追い込まれたが、そこからファールで食らいつき、最終的にフォアボールを勝ち取った。

やるじゃん。今年の1年はレベル高いな。

 続く奈緒がきっちり送りバントを決める。

 ツーアウトながらランナーを2塁まで進めると、

もらった!
 トップバッターの桜が右中間に打球を運び、同点に追いつく。
(スパーン!)
(優先輩もけっこうスピードあるんだよな。これだけ実力あるのに投げたくないなんて……)
 優がブルペンで15球ほど投げ込んだ頃、美晴がライトフライに倒れてスリーアウトチェンジになった。
出番が来てしまったか……。じゃあ行ってくるね。ありがと朝陽ちゃん。
頑張ってください!

 漆原優がマウンドに上がった。

 ライトの守備には、代打で出場した雅がそのままつく。

集中ね。まず先頭切るよ。
できる範囲でがんばりやす。

 プレイがかかる。

 浅間青雲の先頭打者は右バッターだ。

 優はノーワインドアップから、シャープな腕の振りで1球目を投げ込む。

 バッターの膝元いっぱいに決まってストライク。

 次のボールは、モーションをやや速めにしてスライダー。これもインコースギリギリに入ってストライク。

(遊び球はなしね)
(ういー)

 優はゆっくり足を下げ、そこから一気にスピードを上げてストレートを投げる。

 バッターの胸元にまっすぐが決まって見逃し三振。

(ぜ、全部インコースいっぱいだった……。なんなのあのコントロール……)
 青雲の打者が青い顔になってベンチへ下がっていく。
(やる気なさそうに見えても、1球ごとにテンポ変えてバッターのタイミングずらしたり、ちゃんと考えながらやってるんだよね)

 次の打者に対しても、悠子の構えたところに鮮やかにボールが決まる。悠子のリードは徹底してインコースだ。それに優がしっかり応えてみせる。

 このバッターもインコースのストレートに差し込まれてサードゴロに倒れた。

す、すごいよアサちゃん。悠子先輩のミット全然動かないもん。
構えたところに完璧に行ってるよね。
私より速いのにあんなにコントロールいいなんて……。
あ、追い込んだ。っていうかこの回、まだ1球もボールになってなくない?
あ、確かにそうだね! 全部ストライクゾーンにボールが行ってるんだ!
向こうのバッター、全然インコースに対応できてないからね。あのレベルなら抑えられても別に不思議じゃないでしょ。
(高池さん……なんか言い方きついな)
(バッターのレベルが低いんじゃなくて優先輩がすごいんでしょーが)

 三人目のバッターも追い込まれてから1球ファールにしたものの、最後はインコースのチェンジアップに手を出して空振り三振に倒れた。

 優は相手打線を9球であっさり片づけて戻ってきた。

優先輩、ナイスピッチです!
まずまずって感じだね~。
大事なのは次の回からだよ。
うへ~、まだあるのか~。
(あんなにやる気なさそうなのに……不思議な人だな)
 優のピッチングに感動した鈴だったが、すぐに違和感で上塗りされることになる。
ボールスリー!
あれ……? 一気にボール三つ……。
なんか、急に荒れてきたような……。

 次の回の守備で、優は先頭打者に対しいきなりボール球を三つ続けた。

 最後はなんとかショートゴロに打ち取ったが、次のバッターに対しても甘いコースにボールが入り、痛打される。

 ここもセカンド桜の好守備でアウトにできたものの、前のイニングとは投球内容がまったく違う。

これが優ちゃんの課題なのよね。
あ、前に言ってた急に崩れ出すっていう……?
たぶん、マウンド上での集中力が長く続かないタイプなんだと思うわ。だから2イニング目以降の調子がまったく読めないの。
博打っぽいですね。
(そっか……。これがあるからピッチャーがもう一人必要だったんだ)
 浅間青雲の4番バッターがセンターに大きなフライを打ち上げる。神村青葉が背走してキャッチ。スリーアウトになった。
朝山さん、準備しておいてください。優さんは3イニング目で大崩れする可能性があるので。
わかりました!
 守備陣がベンチに戻ってくる。
危なかった~。
守ってる方はハラハラして楽しいけどね。
それはお前だけだ。いい当たりが多くて心臓に悪いぞ。
……まあ、ランナーを出さなかっただけよしとしましょう。

 裾花清流も追加点が奪えず、2-2の状態が続く。

 優は3イニング目に入ったが、さらに球が荒れていった。先頭バッターはサードライナーに仕留めたものの、6番、7番に連続フォアボールを出してしまう。

(やべーなこれ。まったく入らんわ)
しっかり守ってやってよー!
 悠子のかけ声に守備陣が「おー!」と応じる。
(今日の分の制球力は使い果たしたよ……。交代してくんないのかな~)
…………。
(うわ、行けって感じの顔してる)

 優はため息をつき、セットポジションを取った。

(さっさと終わらせてやる!)

 優は全力のストレートを投げた。

 そしてバッターの足に命中した。

 三連続四死球でワンナウト満塁である。

ピッチャーの交代をお願いします。

 恵がベンチから出てきて鈴の登板を告げた。

 雅がベンチに下がり、優はライトへ戻る。

 ある意味ではさっさと終わった形になったが……。

………………。

…………。

……。

裾花清流 001 100 1|3

浅間青雲 110 003 X|5

はあ……。
鈴ちゃん元気出してよ。負け投手は私なんだしさ。
でも、あそこで抑えていれば勝ち越せてたかもしれないので……。
 満塁でマウンドに上がった鈴はツーアウトこそ取ったものの、相手の1番バッターに右中間へ走者一掃のタイムリーツーベースを許した。それが致命傷になったのだった。
ほら、私なんてやらかしたっていつもこんな感じよ? 鈴ちゃんもそう落ち込まないでさ、次また一緒にがんばろーぜ。まぁ私はあんまり投げたくないけどね~。
「なははは」と笑って、優は部室へ走っていった。
(ホント、自由だなぁ)
 その姿を見ていたら、重くなっていた気分が少し楽になってきた。
…………。
 部室に戻ろうとした鈴は、高池凪が試合用ヘルメットを倉庫へ運んでいるのを目にした。
高池さん、片づけはあとで1年生みんなで……。
午後は守備練でしょ。どうせヘルメットはもう使わないんだし。
そうじゃなくて、高池さんだけに片づけやらせるわけには……。
いいじゃん。どうせ練習できないの私だけなんだし、このくらい好きにさせてよ。

 そっけない返しに、言葉が出てこない。

 凪は入部してからずっとこんな調子だ。

 いつも憮然とした顔で、ただ道具の用意、片付けをこなしている。

あのさ……。
いいって、私のことなんて。早くお昼食べて午後の用意しなよ。
…………。
……なに?
う、ううん、なんでもない……。

 追い返されて、鈴はとぼとぼ部室に戻った。

 部室前では優が広野皐月を捕まえて何か話していた。

あ、鈴ちゃん、どうしたの?
高池さんと話そうと思ったんだけど……。
突っぱねられたのね。あの子ガールズの頃から無愛想だったからな~。
そういえば、クラスでも一人でいることが多いような……。
私みたいに肩の力抜いてやればいいのにね~。真剣すぎるのも考えものだよね~。
で、でもなんとか仲良くなりたいです。
まあこれから一緒にプレーしてくわけだしね。あの子が練習に戻ってこれればそっからいくらでも話題作れると思うよ。もうちょい辛抱かな。
そ、そうですね! 一つのプレーでも話のタネになりますもんね!

 鈴はあらためて、漆原優という人物を不思議だと思った。

 無気力に部活をやっているように見えて、真剣。

 適当に生きているように見えるけれど、ちゃんと周りを見ている。考えている。

私、優先輩がいてくれてよかったなって思います。
ん~? 急にどしたの~?
今日、あらためて思ったので。これからも色々教えてください!
そんなご立派な人間じゃないよ? でもまぁ、困ったことあったら話してくれてもいいよ~。
はいっ!
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登場人物紹介

朝山 鈴(あさやま りん)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。ピッチャー。

サイドスローの投手。しなやかな肩と肘を使った柔軟な投球を得意とする。中学時代は味方の守備に足を引っ張られ、試合に勝つことができなかった。

外浦 朝陽(とのうら あさひ)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。キャッチャー。

中学時代に鈴とバッテリーを組んでいて、朝山と朝陽でサンライズ・バッテリーと呼ばれていた。

結城 まこ(ゆうき まこ)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。セカンド。

ピッチャーのモーションを読み取り、持ち前の俊足で盗塁を確実に決める。だいたいテンションが高い。

広野 皐月(ひろの さつき)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。ショート。

打撃、守備ともに堅実なプレーを重視している。控えめであまり目立ちたがらないタイプ。

高池 凪(たかいけ なぎ)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。サード。

中学最後の大会で左腕を負傷し、まだ回復しきっていない。

松原 雅(まつばら みやび)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。

バットコントロール能力が高くボール球でもヒットにできる技巧派。外野ならどこでも守れる。

漆原 礼(うるしばら れい)

裾花清流高校3年生。左投げ左打ち。レフト。

野球部キャプテン。身体能力が高くセンス抜群。クールな振る舞いから、校内では男女問わず隠れファンが多い。

新海 澪(しんかい みお)

裾花清流高校3年生。右投げ右打ち。ピッチャー。

チームのエース。速球と緩いボールを使い分ける本格派右腕ながら、肩の調子に不安を抱えている。

岩見 悠子(いわみ ゆうこ)

裾花清流高校3年生。右投げ右打ち。キャッチャー。

正捕手で長距離バッターでもある。相手の様子を見ながら配球を決め、野手に守備位置の指示を出すチーム随一の頭脳派。

一ノ瀬 桜(いちのせ さくら)

裾花清流高校3年生。右投げ左打ち。セカンド。

俊足巧打、広い守備範囲を持つ攻守の要。ハイテンションで味方を盛り上げたりからかったり忙しい。

天城 奈緒(あまぎ なお)

裾花清流高校3年生。右投げ左打ち。ショート。

広大な守備範囲を持ち、一ノ瀬桜とのコンビで鉄壁の二遊間を構築している。出塁率も高い。

神村 青葉(かみむら あおば)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。センター。

2年生ながら4番を任されている。商店街のアイドル的扱いを受けているのでおっさん達が試合の応援に駆けつけてくる。

赤羽 夕日(あかばね ゆうひ)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。ファースト。

当たればでかいロマン砲。一方、守備は堅実で難しいバウンドもきっちり処理する。

漆原 優(うるしばら ゆう)

裾花清流高校2年生。左投げ左打ち。ライト。

キャプテン漆原礼の妹。やる気の波が激しく、いつもはぐだっとしているが試合では頭脳をフル回転させてプレーする。

水崎 美晴(みずさき みはる)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。サード。

バント職人。小柄だが強肩を持ち、深い位置からでもアウトが取れる。

緋田 恵(ひだ めぐみ)27歳

裾花清流高校野球部監督。

最初に赴任した高校を県ベスト4まで連れていくなど指導力の高さを評価されている。裾花清流高校は赴任2校目で2年目。

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