敵の堅守が彼女を燃やす(VS諏訪水照)
文字数 5,932文字
諏訪水照 000 0|0
裾花清流 000 0|0
4回まで終わったが、試合は完全な膠着状態に入っていた。
放ったヒットは裾花清流が漆原礼の1本、諏訪水照は戸張真冬のセーフティーバントと新田涼音が第2打席に放ったセンター前ヒットの2本。
両チーム合わせて3本だけという貧打戦だった。
澪が5回表のマウンドに上がった。
諏訪水照は早いカウントから積極的に振ってくる。おかげで球数を最小限に抑えられているのだ。
湖山朱夏は1打席目よりもバットを短く持った。
そして澪の初球ストレートを果敢に狙っていく。
遅れたが、朱夏のバットはボールを芯で捉えていた。
ライナーがセカンドの頭上を越えてライト前ヒットになった。
竜田監督が送りバントのサインを出した。
6番島崎が初球を確実に当てて転がす。
ワンナウト2塁になった。
7番の
澪は外角のスライダーを投じる。
空振りでワンストライク。
2球目は外角低めいっぱいにストレート。
荻原は見送ったが、主審の「ストライク!」のコールに意外そうな顔をした。
今の涼音は、下級生から恐怖の対象として見られている。
2年生で物怖じせずに発言するのは1番の戸張真冬くらいだ。同じ2年の荻原は涼音の叫び声を苦手にしている。
悠子がインコース高めのサインを出した。
外角低めはバッターの目からもっとも遠い位置。そこを続けられたあと、一番目線に近い内角高めを使われるとバッターは手を出してしまいやすい。
澪が狙い通りのところにストレートを投げてきたが、荻原は懸命に振ってファールにした。
澪は内角低めにストレートを投じる。これまた悠子の構えたところだ。
荻原もスイングしたが、ボールはバットの上を通っていった。
空振り三振でツーアウト2塁に変わる。
おどおどした様子で8番の前山が右打席に入る。
前山も2年生だ。
キャプテンにプレッシャーをかけられて落ち着きがない。
しかし、裾花清流バッテリーの狙いをくじくように前山が粘った。
5球、6球とファールを重ねていく。
そのうちに澪のコントロールに乱れが生じ、ツーツーまでカウントが変動した。
澪は外角へスライダーを投じた。
前山が必死にバットを伸ばしてくる。
金属音が響いた。
ライナーが1、2塁間を強襲する。
長打力のない8番バッターということもあって、ライトの漆原優はライン側に寄り、さらに前進していた。
優は相手が右打者の時、キャッチャーの構えを見て1球ごとに守備位置を変えている。今は悠子が外角に構えていたこと、バッターが澪の投球に対し振り遅れ気味なことを加味した位置取りだった。
ちなみに左バッターの場合は体で隠れてミットが見づらいため、動かない。見る努力をしないとも言う。
涼音は1点取れなかった悔しさを感じていたが、同時に別の感情も覚えていた。
鈴はセットポジションを取った。
まだ高校に入って3試合目。それでも、かなり落ち着いてマウンドに上がれるようになってきた。
足を上げて1球目。
デッドボールコースにボールが行く。
智花が踏み込んで振ってきた。
芯を食ったボールがピッチャー返しになる。
打球が鈴の右足、すぐ横を抜けていった。
鈴は振り返る。
――視界に奈緒が飛び込んできた。
捕球した奈緒は、セカンドベースのカバーに入った桜にボールをトスした。桜が捕りつつベースを踏んで、1塁ランナーをフォースアウトにする。
鈴は窮地を脱した。
鈴は奈緒と並んでベンチに戻った。
味方の堅守が、本当に心強い。
裾花清流は7番赤羽夕日からだ。
ここまで打線は1安打のみ。
佐竹智花はストレートとスライダーの球速にほとんど差がなく、見極めが非常に難しい。ここまで誰も三振していないが、芯を外されて内野ゴロの山だ。
夕日がバットの先端にボールを当ててファーストゴロに倒れた。
次のバッターは鈴だ。
恵が動かないので、代打はない。
鈴が2イニング目のマウンドに上がる。
先頭バッターの戸張真冬は左打者だ。
左打者と右のサイドスローでは、一般的に打者有利と言われる。球の出所が見やすいからだ。
2球目は外へのスローボールだ。
カーブを狙ってきた真冬は姿勢を崩されながらも当てた。打球がふらふらっと上がり、サードの後方に落ちる。
鈴は気を取り直してセットポジションを取った。
ランナーは足の速い真冬だ。
ここは盗塁を仕掛けてくるかもしれない。
悠子はカーブのサインを出した。
2番、右打者の秋村に対し、外角に変化球を投じる。秋村はバントの構えから引いてボール。
竜田監督がサインを出している。
悠子はサインそのものではなく、サインを見ている相手ベンチの視線を追っていた。
サインはわからなくても、周りの反応から察することはできる。実行する本人のことが心配になってつい視線を送ってしまう選手もいるのだ。
悠子がサインを出し、鈴は頷く。
クイックモーション。――真冬が走った。
鈴の投球は外角ボールゾーンへのストレートだった。
やや高め。
悠子が捕球してすぐ送球に移れる絶妙なラインだ。
素早い持ち替えから全力の2塁送球。
ベースカバーに入った奈緒が真冬の足にタッチする。
塁審がアウトを宣告した。
新田涼音の表情を窺った悠子は目を見開いた。
鈴の腕は相手の迫力によって萎縮してしまった。
カーブを投げたつもりが、すっぽ抜けのスローボールになってしまう。
涼音が振り抜いた。
打球が左中間を破る。センターの奥まで転がった打球を神村青葉が拾って即座に返球してくる。
ツーアウトながらランナー2塁となった。
鈴はセカンドランナーに目をやって、それからモーションに移った。
初球はカーブでストライク。
2球目はストレートを見送ってボール。
上田第一の打者にもいい当たりを浴びている。
しかし、悠子は使うことを決めた。
鈴はグローブの中で縫い目を軽く確認した。
セットポジション。
ふー、と息を吐いて、それから投げ込んだ。
外角を狙ったが、やや内寄りだ。真ん中低めへ落ちていく。
小川のバットがシンカーを捉えた。
またもピッチャー返し。
今度は鈴の両足の間を打球が抜けていく。
桜も奈緒も追いつけずボールがセンター前へ抜ける。
全力ダッシュをかけてきた青葉がボールを拾い上げ一瞬で持ち替える。無駄のない動きから低い返球が伸びていく。
ボールはホームの手前でワンバウンドし、ヒザを落とした悠子の顔あたりに跳ねた。
悠子が半身をホームに流しながらキャッチする。
捕りながら体がタッチに行っている。
新田涼音がヘッドスライディングしてきたが、彼女の手がホームに届く前に、悠子のミットが腰に触れていた。
その声からは、今まであった必死さが消えていた。
涼音は確かに感じていた。
度重なる裾花清流の好守備に、対抗心を燃やしている自分がいる。
打ち崩してやりたい。
あんな風に守ってみたい。
そんな感情が、久しぶりに野球を楽しいと思わせてくれる。