朝の山に陽は見えるか
文字数 4,997文字
裾花清流 210 04|7
東 御 101 01|3
鈴はベンチに入った。
バッティング練習でもいい当たりが飛ばせないレベルなので仕方ないとはいえ、情けなかった。
奈緒がスローカーブをとらえてセンター前に運んだ。
続く桜に対してはボール先行で2ボール。
恵がサインを出した。桜と奈緒がヘルメットのツバに手を当てる。
3球目。
白鳥のモーションと同時に奈緒が走った。
桜が外のストレートをスイングした。
打球がレフトの左に飛ぶ。
奈緒が2塁を蹴って3塁へ到達。
1、3塁の形を作る。
チェンジアップは低めに来たが、美晴がしっかり膝を落としてサード方向へ転がした。
打球は切れない。
サード島滝が拾うが、奈緒はもうホームに滑り込んでいる。
島滝がファーストへボールを送った。
土屋真奈がキャッチ――同時に一色一葉が叫んだ。
ファーストへの送球を見て、2塁に進んだ桜が3塁までもを狙ってきた。
土屋が送球するも、間に合わずセーフ。
裾花清流がなおも3塁にランナーを置く形が続く。
さらに礼がカウント2ボール1ストライクからストレートを右中間にはじき返す。
桜がホームイン、礼は一気にサードに向かってスライディング。
9-3。
点差を縮められた直後に再び突き放す。
キャッチャーの湯浅姫香はマスクをかぶって座る。
白鳥月子の父親は一流企業の社長だ。
彼女もまた、一流大学を出て社交界へと入っていくことになる。
自由にグラウンドを駆け回れるのもこれが最後。
しっかりリードしてあげたいと思う。
とはいえ、立ちはだかる壁はあまりに大きく、分厚い。
青葉への初球ストレートはたやすく打ち返され、三遊間を破られる。
礼がホームイン。
10-3と7点差がつき、コールド圏内に入った。
ベンチが盛り上がる一方、グラウンドでは悠子がフォアボールを選んだあと、優にタイムリーが出た。
11-3とリードがどんどん広がる。
さらに夕日もフォアボールを選んで、ツーアウト満塁。
一巡して、再び鈴に打席が回ってくる。
白鳥が3球目にスローカーブを投げてくる。
――瞬間、鈴の目は見開かれた。
鈴に対するスローカーブはこれが初めてだったのだ。
バットから快音が響いた。
打球が白鳥の真横を抜けた。
センター前に速い打球が飛んでいく。
悠子がホームイン。
外野が前だったため、セカンドランナーの優は3塁でストップした。
さらに奈緒がライト前に打って13-3。ついに10点差がつく。
なおも満塁が続いたが、桜がショートゴロに倒れてチェンジになった。
鈴はマウンドへ向かった。
この回は6番の土屋真奈からだ。
恐れるものは、もうなかった。
自分の体が、試合の空気に完全に溶け込んでいるのを感じる。
鈴の緊張は、どこかに去っていったあとだった。
鈴のボールは前のイニングよりキレを増した。
先頭の土屋真奈はカーブとシンカーのコンビネーションで空振り三振に倒れる。
打席は7番、湯浅姫香。
連打を浴びて上位打線に回せば何が起きるかわからない。
なんとしてもここで切ってしまう必要があった。
鈴はストレートをバッターの膝元に投じる。
湯浅が見送ってストライク。
インコースに制球するのは得意だ。調子がいい今ならなおさら効果的に機能する。
2球目。
真ん中からインコース低めへ落ちていくシンカー。
湯浅が空振り。2ストライク。
悠子のサイン通り、鈴は外角にカーブを投げた。
湯浅が体勢を崩しながらも食らいついてきた。
強引に流し打ち、ファーストのすぐうしろにボールを落とす。わずかに及ばなかった夕日が拾うも、湯浅は1塁に足をつけている。
8番塩入に対してもカーブとシンカーを使い分けていく。
東御女学院の下位打線は澪からも打てていなかった。
塩入も最後はインコースのシンカーを先端に当ててサードフライに倒れた。
鈴はアウトコースのストレートから入る。
白鳥が踏み込んだ。
真芯を食った速い打球が転がった。
夕日と桜の間を破ってライト前へ。
ツーアウトながら1、2塁でトップに返る。
鈴はセットポジションを取って、二人のランナーに目をやる。
どちらも、鋭い眼光を飛ばしてくる。
気迫で押されないよう、鈴も唇を引き結んで見返した。
打席には三つの内野安打を放った篠原が立っている。
もし打たれれば、流れはたちまち東御女学院に傾きそうな予感があった。
だからこそ確実に仕留めるのだ。
鈴は悠子のサインを見て、初球のカーブを投じた。
篠原が振ってくるが空振りでストライク。
2球目、鈴は外いっぱいにスローボールを投げた。
篠原がバランスを崩す。
それでもバットに当ててファールにした。
ツーストライク。
追い込んだ。
鈴は手の中でボールをくるくる回す。縫い目を確かめる。
そっとベンチに視線をやった。
中学野球は公式戦が多い。けれど、2年の夏から3年の夏まで、二人はずっと負け続けてきた。内容は振るわず、常に後味の悪い負け方ばかりだった。
朝山鈴と
二人の名前から、サンライズ・バッテリーというあだ名を先生がつけてくれたりもした。
しかし、最後まで勝利の陽が昇ることはなかった。
今度こそ、ここで実現させる。
受ける相手が朝陽ではなくとも、二人の記念すべき勝利になる。
鈴は足を上げた。
右バッターのインコースへ渾身のシンカーを投じる。
篠原が振ってきた。
やや窮屈そうに腕を畳みながらも、芯で合わせようとしてくる。
――快音。
強烈なピッチャー返しが鈴を襲った。
顔のすぐ左側。
反射的にグローブが出る。
ボールはグローブの土手に当たって中空に跳ねた。
鈴は諦めていなかった。
跳ねて地面へ落ちていくボールに対し、マウンドを駆け下り、頭から突っ込んでグローブを伸ばす。
ボールが地面を叩く、わずかギリギリのところ。
鈴のグローブが、打球をすくった。
鈴は上体を起こしてグローブを掲げた。
近づいてきた主審の右手が、挙がった。
場内が歓声に包まれた。
裾花清流の仲間たちが笑顔でベンチを飛び出してくる。
そして、東御女学院の選手たちが肩を落として整列に来る。
ホーム前に整列した両チームは主審のコールで一礼した。
場内に温かい拍手が巻き起こる。
裾花清流メンバーは、ホームに横並びになって校歌を歌う態勢を作る。
裾花清流の校歌が流れ始めた。
耐えきれなくなって、鈴は左手をそっと伸ばした。朝陽の右手に触れる。
朝陽が一瞬こちらを見て、それから戻した。
鈴と朝陽は、手のひらを合わせて、この夏最初の校歌を一緒に歌った。
高く昇った太陽が、いつになく目にまぶしい。