朝の山に陽は見えるか

文字数 4,997文字

裾花清流 210 04|7

東  御 101 01|3

6回の表、裾花清流高校の攻撃は、8番、ピッチャー、朝山さん。
(打撃でも貢献しなきゃ)
 鈴が打席に入ろうとすると、スタンドから声援が響いた。
鈴ちゃーん!
打てー!
(あっ、クラスのみんなも来てくれてる……!)
(よぅし、打ってやる!)
(ちっこいからストライクゾーン狭そうね……)
(来いっ!)
(パァーン!)
ストライクスリー!
…………。
ま、落ち込むなって。あとはあたしらに任せときな。
は、はい。お願いします……。

 鈴はベンチに入った。

 バッティング練習でもいい当たりが飛ばせないレベルなので仕方ないとはいえ、情けなかった。

鈴ちゃん、気にしなくていいわ。私だって全然打てないもの。ピッチャーは打てなくてもおかしくないのよ。
その言い方はちょっと違う気がするんだけど……。
鈴ちゃんにはピッチングっていう重要な役割があるんだよ。バッティングは先輩たちに任せておこうよ。
でも、やっぱり打ちたかったなぁ……。
よく素振りしなきゃね。

 奈緒がスローカーブをとらえてセンター前に運んだ。

 続く桜に対してはボール先行で2ボール。

(さっきの連打で集中力切れてきたかな? コントロールが甘くなってるぜ)

 恵がサインを出した。桜と奈緒がヘルメットのツバに手を当てる。

 3球目。

 白鳥のモーションと同時に奈緒が走った。

(来た、盗塁!)
(もらった!)

 桜が外のストレートをスイングした。

 打球がレフトの左に飛ぶ。

 奈緒が2塁を蹴って3塁へ到達。

 1、3塁の形を作る。

エンドランだったか……。
(まずいですね、白鳥さんが完全に捕まってしまった。交代といっても、二番手以降はレベルがガクリと落ちるし……)
さあ、手を緩めてはいけませんよ。
(任せてください!)
 美晴に対しての初球――いきなり3塁ランナーの奈緒がスタートを切る。
(初球スクイズ!?)

 チェンジアップは低めに来たが、美晴がしっかり膝を落としてサード方向へ転がした。

 打球は切れない。

 サード島滝が拾うが、奈緒はもうホームに滑り込んでいる。

島滝さん1塁(ひとつ)
ああ!

 島滝がファーストへボールを送った。

 土屋真奈がキャッチ――同時に一色一葉が叫んだ。

サードです!

 ファーストへの送球を見て、2塁に進んだ桜が3塁までもを狙ってきた。

 土屋が送球するも、間に合わずセーフ。

 裾花清流がなおも3塁にランナーを置く形が続く。

(機動力には機動力ってね)
わー、桜先輩やるぅ! 足速い!
わたしたちも、いつかああいうことできるようにならなきゃいけないんだよね……。
美晴、ナイススクイズ! 大活躍だな!
う、うまくいってよかったです……。
美晴先輩すごいです! 今日バント三つ目ですよね!
うん。これだけは先輩たちにも負けないっていう自信あるし……。
 そこには、2番バッターとしての自負が感じられた。
(続くわよ――)

 さらに礼がカウント2ボール1ストライクからストレートを右中間にはじき返す。

 桜がホームイン、礼は一気にサードに向かってスライディング。

 9-3。

 点差を縮められた直後に再び突き放す。

(ダメだ、止められない……。あと1点でコールド圏内に入っちゃう……)
月子、元気出して。
ごめん……。最後の夏なのに……。
なに言ってるの。まだ終わってないよ。ゲームセットまではわからないのが野球でしょ。
……そっか、そうだよね。まだ攻撃のイニングは残ってる。
頑張ろうね!
うん!

 キャッチャーの湯浅姫香はマスクをかぶって座る。


 白鳥月子の父親は一流企業の社長だ。

 彼女もまた、一流大学を出て社交界へと入っていくことになる。

 自由にグラウンドを駆け回れるのもこれが最後。

 しっかりリードしてあげたいと思う。

4番、センター、神村さん。
お願いいたします。

 とはいえ、立ちはだかる壁はあまりに大きく、分厚い。

 青葉への初球ストレートはたやすく打ち返され、三遊間を破られる。

 礼がホームイン。

 10-3と7点差がつき、コールド圏内に入った。

な、7点差……!
次の回を0点で抑えればコールド勝ちだね。
鈴ちゃん、頼むぜ!
まあ点取られても大量リードに変わりはないし、気楽にね。
そ、そうだね。
……朝山さん。
あっ、凪ちゃん、どうかした?
えーっと……その、次は下位打線からだし、落ち着いてね。
……うん!
(声かけ慣れてないのかな……)
(ちょっと顔赤くなってるし。かわいいとこあるじゃん)
……なに?
いーえ、なんでもないでーす。
今、心の中でバカにしたでしょ。
なんのことかわからないっすねー。
(高池さんも変わってきてる……。いい感じだね)

 ベンチが盛り上がる一方、グラウンドでは悠子がフォアボールを選んだあと、優にタイムリーが出た。

 11-3とリードがどんどん広がる。

 さらに夕日もフォアボールを選んで、ツーアウト満塁。

 一巡して、再び鈴に打席が回ってくる。

(こんな大チャンスで回ってきたの初めてだ。なにがなんでも打つぞ!)
(この子で絶対に切る……)
(勝負っ!)
 ――と、意気込んだが……。
ストライクツー!
(あ、あっさり追い込まれてしまった……)
(とどめ、スローカーブで!)
よーし。

 白鳥が3球目にスローカーブを投げてくる。

 ――瞬間、鈴の目は見開かれた。

 鈴に対するスローカーブはこれが初めてだったのだ。

(軌道が――)
 鈴は迷いなくスイングにいった。
(――読める!)

 バットから快音が響いた。

 打球が白鳥の真横を抜けた。

 センター前に速い打球が飛んでいく。

 悠子がホームイン。

 外野が前だったため、セカンドランナーの優は3塁でストップした。

や、やったやった! ヒット打ったー!
おー! 鈴ちゃんナイバッチ!
鈴ちゃんやればできるじゃーん!
(先、越されちゃったわね……)
(もしかして、カーブの軌道が似てたから打てたのかな?)

 さらに奈緒がライト前に打って13-3。ついに10点差がつく。

 なおも満塁が続いたが、桜がショートゴロに倒れてチェンジになった。

鈴ちゃん、ナイスバッティング!
ありがと~!
はいグローブ。ここで決めようね!
うん、しっかり抑えてくるよ!

 鈴はマウンドへ向かった。

 この回は6番の土屋真奈からだ。


 恐れるものは、もうなかった。

 自分の体が、試合の空気に完全に溶け込んでいるのを感じる。

 鈴の緊張は、どこかに去っていったあとだった。

最終回まで試合を続けるためには、この回に4点必要です。なにがなんでもつなぎましょう!
 追い詰められた東御女学院も、キャプテンの一色一葉の声に「はい!」と大声で応えた。
(全力で行くぞっ!)

 鈴のボールは前のイニングよりキレを増した。

 先頭の土屋真奈はカーブとシンカーのコンビネーションで空振り三振に倒れる。

終わらせないよ。

 打席は7番、湯浅姫香。

 連打を浴びて上位打線に回せば何が起きるかわからない。

 なんとしてもここで切ってしまう必要があった。

(インコース徹底ね)
(こくり)

 鈴はストレートをバッターの膝元に投じる。

 湯浅が見送ってストライク。

 インコースに制球するのは得意だ。調子がいい今ならなおさら効果的に機能する。

 2球目。

 真ん中からインコース低めへ落ちていくシンカー。

 湯浅が空振り。2ストライク。

(最後までインコースか、外のカーブ使うか…………外だな)

 悠子のサイン通り、鈴は外角にカーブを投げた。

(月子のためにも――!)

 湯浅が体勢を崩しながらも食らいついてきた。

 強引に流し打ち、ファーストのすぐうしろにボールを落とす。わずかに及ばなかった夕日が拾うも、湯浅は1塁に足をつけている。

くそぅ、今日こんなのばっかりだな!
ポテン多いよね~。タイミング合ってないんだろうけど、運の問題かなぁ。
(運だけは向こうにあるんだよな。鈴に影響なければいいけど……)
(10点差あるんだ。まだ焦っちゃダメ……)

 8番塩入に対してもカーブとシンカーを使い分けていく。

 東御女学院の下位打線は澪からも打てていなかった。

 塩入も最後はインコースのシンカーを先端に当ててサードフライに倒れた。

鈴ちゃん、ツーアウトね! ゆっくりいこう!
はい!
9番、ピッチャー、白鳥さん。
(代打はなし。だったら、その期待に応えなきゃ)
白鳥さん! あとのことは考えず全力で振ってきてくださいな!
(次の1番は今日すごく運がいい人なんだよね)
(絶対ここで終わらせよう)

 鈴はアウトコースのストレートから入る。

 白鳥が踏み込んだ。

(直感で行く――!)

 真芯を食った速い打球が転がった。

 夕日と桜の間を破ってライト前へ。

 ツーアウトながら1、2塁でトップに返る。

(打てた……。初球からいってよかった……)
1番、ライト、篠原さん。
(先輩たちのためにスイングしましょう)
篠原さん、お願いします!
(まさか完璧にとらえられるとはね。嫌なバッターに回ったな……)

 鈴はセットポジションを取って、二人のランナーに目をやる。

 どちらも、鋭い眼光を飛ばしてくる。

 気迫で押されないよう、鈴も唇を引き結んで見返した。

 打席には三つの内野安打を放った篠原が立っている。

(この人の結果で全部が決まる。そんな気がする)

 もし打たれれば、流れはたちまち東御女学院に傾きそうな予感があった。

 だからこそ確実に仕留めるのだ。

 鈴は悠子のサインを見て、初球のカーブを投じた。

 篠原が振ってくるが空振りでストライク。

(合わせづらい……)

 2球目、鈴は外いっぱいにスローボールを投げた。

 篠原がバランスを崩す。

 それでもバットに当ててファールにした。

 ツーストライク。

 追い込んだ。

(勝つぞ!)

 鈴は手の中でボールをくるくる回す。縫い目を確かめる。

 そっとベンチに視線をやった。

…………。
(アサちゃん、やっと勝てる時が来たんだよ)

 中学野球は公式戦が多い。けれど、2年の夏から3年の夏まで、二人はずっと負け続けてきた。内容は振るわず、常に後味の悪い負け方ばかりだった。


 朝山鈴と外浦(とのうら)朝陽。

 二人の名前から、サンライズ・バッテリーというあだ名を先生がつけてくれたりもした。


 しかし、最後まで勝利の陽が昇ることはなかった。


 今度こそ、ここで実現させる。

 受ける相手が朝陽ではなくとも、二人の記念すべき勝利になる。

(インコースにシンカー)
(はいっ)

 鈴は足を上げた。

 右バッターのインコースへ渾身のシンカーを投じる。

 篠原が振ってきた。

 やや窮屈そうに腕を畳みながらも、芯で合わせようとしてくる。

 ――快音。

――わあっ!?

 強烈なピッチャー返しが鈴を襲った。

 顔のすぐ左側。

 反射的にグローブが出る。

 ボールはグローブの土手に当たって中空に跳ねた。

(――はじいた!)
(また……)
たあああああああっ!

 鈴は諦めていなかった。

 跳ねて地面へ落ちていくボールに対し、マウンドを駆け下り、頭から突っ込んでグローブを伸ばす。

 ボールが地面を叩く、わずかギリギリのところ。

 鈴のグローブが、打球をすくった。

な……。

 鈴は上体を起こしてグローブを掲げた。

 近づいてきた主審の右手が、挙がった。

アウト!

 場内が歓声に包まれた。

 裾花清流の仲間たちが笑顔でベンチを飛び出してくる。

 そして、東御女学院の選手たちが肩を落として整列に来る。

(ここまで運の良かった篠原さんが、最後に運に見放された……。負けるべくして負けた、というわけですね……)
鈴ちゃんよく捕ったぞー!
ホント、ナイスキャッチだよ。
ヒヤッとしたけどな。ファインプレーだぜ。
みんな、よく頑張ったわ。綺麗に整列してね。

 ホーム前に整列した両チームは主審のコールで一礼した。

 場内に温かい拍手が巻き起こる。

 裾花清流メンバーは、ホームに横並びになって校歌を歌う態勢を作る。

鈴ちゃん、最後すごかったね。
無我夢中ってやつかな。ボールしか見えてなかったよ。
……やっと、勝てたね。
うん……。長かった。
これが公式戦で勝った時の感覚かぁ……。まだよくわかんないけど。
私も。きっと実感はあとから湧いてくるんじゃないかな。
次も、頑張ろうね。
……うん。

 裾花清流の校歌が流れ始めた。


 耐えきれなくなって、鈴は左手をそっと伸ばした。朝陽の右手に触れる。

 朝陽が一瞬こちらを見て、それから戻した。

 鈴と朝陽は、手のひらを合わせて、この夏最初の校歌を一緒に歌った。


 高く昇った太陽が、いつになく目にまぶしい。

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登場人物紹介

朝山 鈴(あさやま りん)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。ピッチャー。

サイドスローの投手。しなやかな肩と肘を使った柔軟な投球を得意とする。中学時代は味方の守備に足を引っ張られ、試合に勝つことができなかった。

外浦 朝陽(とのうら あさひ)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。キャッチャー。

中学時代に鈴とバッテリーを組んでいて、朝山と朝陽でサンライズ・バッテリーと呼ばれていた。

結城 まこ(ゆうき まこ)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。セカンド。

ピッチャーのモーションを読み取り、持ち前の俊足で盗塁を確実に決める。だいたいテンションが高い。

広野 皐月(ひろの さつき)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。ショート。

打撃、守備ともに堅実なプレーを重視している。控えめであまり目立ちたがらないタイプ。

高池 凪(たかいけ なぎ)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。サード。

中学最後の大会で左腕を負傷し、まだ回復しきっていない。

松原 雅(まつばら みやび)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。

バットコントロール能力が高くボール球でもヒットにできる技巧派。外野ならどこでも守れる。

漆原 礼(うるしばら れい)

裾花清流高校3年生。左投げ左打ち。レフト。

野球部キャプテン。身体能力が高くセンス抜群。クールな振る舞いから、校内では男女問わず隠れファンが多い。

新海 澪(しんかい みお)

裾花清流高校3年生。右投げ右打ち。ピッチャー。

チームのエース。速球と緩いボールを使い分ける本格派右腕ながら、肩の調子に不安を抱えている。

岩見 悠子(いわみ ゆうこ)

裾花清流高校3年生。右投げ右打ち。キャッチャー。

正捕手で長距離バッターでもある。相手の様子を見ながら配球を決め、野手に守備位置の指示を出すチーム随一の頭脳派。

一ノ瀬 桜(いちのせ さくら)

裾花清流高校3年生。右投げ左打ち。セカンド。

俊足巧打、広い守備範囲を持つ攻守の要。ハイテンションで味方を盛り上げたりからかったり忙しい。

天城 奈緒(あまぎ なお)

裾花清流高校3年生。右投げ左打ち。ショート。

広大な守備範囲を持ち、一ノ瀬桜とのコンビで鉄壁の二遊間を構築している。出塁率も高い。

神村 青葉(かみむら あおば)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。センター。

2年生ながら4番を任されている。商店街のアイドル的扱いを受けているのでおっさん達が試合の応援に駆けつけてくる。

赤羽 夕日(あかばね ゆうひ)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。ファースト。

当たればでかいロマン砲。一方、守備は堅実で難しいバウンドもきっちり処理する。

漆原 優(うるしばら ゆう)

裾花清流高校2年生。左投げ左打ち。ライト。

キャプテン漆原礼の妹。やる気の波が激しく、いつもはぐだっとしているが試合では頭脳をフル回転させてプレーする。

水崎 美晴(みずさき みはる)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。サード。

バント職人。小柄だが強肩を持ち、深い位置からでもアウトが取れる。

緋田 恵(ひだ めぐみ)27歳

裾花清流高校野球部監督。

最初に赴任した高校を県ベスト4まで連れていくなど指導力の高さを評価されている。裾花清流高校は赴任2校目で2年目。

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