これからは私に任せなさい!

文字数 1,948文字

 翌日の放課後、裾花清流のグラウンド。
るる~る~♪
今日の優先輩、なんだか楽しそうですね。
昨日、お父さんが謝ってくれたから。
あ、やっぱりわかってくれたんですね!
ええ。お前をそこまで追い詰めてたとは思わなかったって。あの子、あんまり感情出さないタイプだから気づけなかったみたい。
じゃあこれから、優先輩は安心して野球ができるんですね。
そうよ。期待してちょうだい。
いやー、よかったっす。あいつが落ち込んでると、同級生としてめっちゃ心配になるんで。
そういえば夕日、あなたにも感謝しなきゃいけないわね。
え? 自分、別に感謝されるようなことなんてしてないですけど。
マウンドに集まった時、優に真ん中勝負でいいって勇気づけてくれたんでしょう? すごく嬉しかったって、あの子が言ってたわ。ありがとう。
いやぁ、なんか勝負にいけてない感じがしたんで、開き直った方が楽じゃないかなって思っただけですよ。
でも、そういう気遣いが投手を助けるのよ。
へいへーい、またこそこそ人の話してんな~?
してたわよ。うちの妹はさらに本気出しますってね。
おー、任せとけ! これからの私にはもっと期待してくれていいぜ!
(一晩でこんなに変わるなんて……。お父さんがよっぽど怖かったんだろうなあ……)
 渡り廊下を女子生徒が走ってきた。
漆原さーん、用意できたよー!
すぐ行くわ!
どうかしたんですか?
新聞部の子に真修館の試合映像をまとめてもらったの。みんなで確認しましょう。
おお、助かりますね!

 野球部員全員が職員室の一角に集まった。

 職員室はグラウンドから近くテレビも二台あるので、データ分析をする時にはいつもこの場所を使うことになっている。

とりあえずポイントになりそうなところをまとめてみたよ。

 新聞部の岸川という生徒が解説してくれる。

 公式戦は地元のケーブルテレビが放送しているので、一試合まるまるデータが取れる。

 岸川は野球観戦が趣味らしく、映像の切り抜きがうまい。

 投手の変化球、ピンチの場面での配球、注意すべきバッターや戦術などが短い中にしっかり詰め込まれていた。

このエース、球速はそんなにないね。
でもインコースの使い方がうまい。これは右バッターの方が気をつけなきゃいけないんじゃないかな。

 真修館のエース今崎は左のオーバースロー。

 大きく振りかぶり、ゆったりしたモーションからキレのあるボールを投げる。

 しかしランナーを背負うと、ピッチングのテンポが一変する。クイックを多用して盗塁の隙を与えない。テンポを上げても制球力は落ちず、しっかり危機を脱している。

右バッターの胸元に遠慮なく投げ込んでるな……。
左にもほとんど同じじゃない? インコースの攻略がカギになりそうね。
こうやって考えると、どのピッチャーにも武器がありますね。

 東御女学院の白鳥にはスローカーブがあった。

 開桜の川船美咲には縦のスライダー。

 そして真修館の今崎はインコースのストレート。

そうね。長所を伸ばしてきたからこそエースナンバーを背負えるまでになったんでしょうし。
あら、私は全部中途半端なピッチャーだけど?
いい加減笑顔で自虐ネタ言うのやめない?
澪にはプロレベルの直球とコントロールがあるでしょ。鈴だって、腕のしなりや大きなカーブは立派な武器なんだからね。自信持ってちょうだい。
礼先輩……。
そうそう。またいつもみたいにネガティブになっちゃいかんよ? 今度からは私に頼ってくれていいからね~。
え、それって……。
うしろにもう一人ピッチャーが残ってるんだから安心して投げてってこと。私はもう完全に吹っ切れたからさ、任してちょうだい。
……はいっ!
(これなら、私が引退したあとの投手陣も大丈夫そうね……)
それじゃ、だいだい相手のイメージも頭に入ったし、グランドに出ましょうか。岸川さん、本当に助かったわ。

 全員がグラウンドに戻って練習の用意に入った。

優ちゃん、サウスポーの感覚掴んどきたいからバッティングのとき投げてくんない?
いいっすよ~。じゃんじゃんやりましょ。
優先輩、本当に楽しそう……。
これで鈴ちゃんも楽に投げられるんじゃない?
そうかもね。
よし! それじゃ、明日は悔しい思いしないようにしっかり投げ込んでおこうね!
うん、お願いねアサちゃん!

 練習の用意をしながら、漆原礼はそっと自分の手を見た。

 かすかに震えている。

(……明日勝てば野球部の歴史が変わる……)

 先輩たちが何度も挑み、逃してきたベスト4。

 あと一勝がどうしても届かないところにある。

 そして長野県の高校女子野球では、まだ公立校がベスト4入りしたことはない。上位を占めるのは常に私立校だ。

 真修館はその一角。


 ――絶対に負けたくない。


 この震えは、その強い感情から来ている。

(私たちの代でやってみせる。絶対にね……)
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登場人物紹介

朝山 鈴(あさやま りん)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。ピッチャー。

サイドスローの投手。しなやかな肩と肘を使った柔軟な投球を得意とする。中学時代は味方の守備に足を引っ張られ、試合に勝つことができなかった。

外浦 朝陽(とのうら あさひ)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。キャッチャー。

中学時代に鈴とバッテリーを組んでいて、朝山と朝陽でサンライズ・バッテリーと呼ばれていた。

結城 まこ(ゆうき まこ)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。セカンド。

ピッチャーのモーションを読み取り、持ち前の俊足で盗塁を確実に決める。だいたいテンションが高い。

広野 皐月(ひろの さつき)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。ショート。

打撃、守備ともに堅実なプレーを重視している。控えめであまり目立ちたがらないタイプ。

高池 凪(たかいけ なぎ)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。サード。

中学最後の大会で左腕を負傷し、まだ回復しきっていない。

松原 雅(まつばら みやび)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。

バットコントロール能力が高くボール球でもヒットにできる技巧派。外野ならどこでも守れる。

漆原 礼(うるしばら れい)

裾花清流高校3年生。左投げ左打ち。レフト。

野球部キャプテン。身体能力が高くセンス抜群。クールな振る舞いから、校内では男女問わず隠れファンが多い。

新海 澪(しんかい みお)

裾花清流高校3年生。右投げ右打ち。ピッチャー。

チームのエース。速球と緩いボールを使い分ける本格派右腕ながら、肩の調子に不安を抱えている。

岩見 悠子(いわみ ゆうこ)

裾花清流高校3年生。右投げ右打ち。キャッチャー。

正捕手で長距離バッターでもある。相手の様子を見ながら配球を決め、野手に守備位置の指示を出すチーム随一の頭脳派。

一ノ瀬 桜(いちのせ さくら)

裾花清流高校3年生。右投げ左打ち。セカンド。

俊足巧打、広い守備範囲を持つ攻守の要。ハイテンションで味方を盛り上げたりからかったり忙しい。

天城 奈緒(あまぎ なお)

裾花清流高校3年生。右投げ左打ち。ショート。

広大な守備範囲を持ち、一ノ瀬桜とのコンビで鉄壁の二遊間を構築している。出塁率も高い。

神村 青葉(かみむら あおば)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。センター。

2年生ながら4番を任されている。商店街のアイドル的扱いを受けているのでおっさん達が試合の応援に駆けつけてくる。

赤羽 夕日(あかばね ゆうひ)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。ファースト。

当たればでかいロマン砲。一方、守備は堅実で難しいバウンドもきっちり処理する。

漆原 優(うるしばら ゆう)

裾花清流高校2年生。左投げ左打ち。ライト。

キャプテン漆原礼の妹。やる気の波が激しく、いつもはぐだっとしているが試合では頭脳をフル回転させてプレーする。

水崎 美晴(みずさき みはる)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。サード。

バント職人。小柄だが強肩を持ち、深い位置からでもアウトが取れる。

緋田 恵(ひだ めぐみ)27歳

裾花清流高校野球部監督。

最初に赴任した高校を県ベスト4まで連れていくなど指導力の高さを評価されている。裾花清流高校は赴任2校目で2年目。

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