「負けたら悔しい」と「勝てたら嬉しい」

文字数 3,421文字

 5月も終わりにさしかかり、夏の大会の抽選会が近づいてきた。

 裾花清流高校は守備をより堅固にする態勢に入っている。

次、まこ!
お願いします!

 礼がセカンドに速いノックを打つ。

 結城まこが正面に回り込んで押さえ込み、1塁に送球――する体勢だけ作る。

いいよ~まこちゃん! 反応よくなってきてる!
はい、ありがとうございます!
今度は桜!
よっしゃ来い!

 礼はセカンドベース付近に打球を放つ。

 桜が追いついて逆シングルでキャッチ。反転しながら送球の体勢に移る。

(でもこんな守備見せられたらあたしなんて霞んで消えるよね~)

 一ノ瀬桜の武器は打球に対する反応の速さと、バウンドに合わせられる柔軟性だ。

 バッターのスイングを見て、インパクトの瞬間には直感で動き始めている。

 だからこそ速い打球にも追いつけるし、時には正面に回り込むことすら可能なのだ。

ラスト2球!

最後まで集中ですよ!

お願いします!

 一方、反対方向では緋田恵がショートの二人、天城奈緒と広野皐月に対してノックを行っていた。

 皐月がイレギュラーした打球を押さえ込み、送球の体勢を作る。

今のはかなり上手かったぞ。顔面に飛んできても目さえ閉じてなきゃ意外に反応できるから、とにかく意識するんだ。
はいっ。
天城さん、19球目ですよ。
お願いしまーす!

 桜が移動したのを確認して、恵がセカンドベース寄りにボールを打つ。

 奈緒が体を伸ばして捕球し、走りながらくるりと一回転してファーストへ送球する――ふりをする。

(すごいな。全部のプレーが一つの流れになってるって感じ……)

 送球するふりだけなのは、ファーストがいないからだ。

 ショートの後方では、ファーストの赤羽夕日が、サードの水崎美晴と送球練習を行っている。

 サードベースからファーストベースまでと同じ距離で二人が立ち、美晴が転がっているボールをダッシュしながら拾い、投げる。その繰り返しだ。

美晴ー、そろそろ疲れてきてないか?
平気! もうちょっとだけやろう!

 美晴が決められた地点にボールを置き、三歩ほど下がる。

 微妙な距離から走り出し、拾って送球――これは体勢がやや乱れてショートバウンドになった。

 が、夕日がうまく合わせてしっかりキャッチする。

 体力や体勢によって軌道も変化するので、これは様々な送球を受けるファーストの練習にもなる。

先生、20本終わりました。
こちらもです。――では少し休憩しましょう!
ふ~、礼ちゃんってば速いのばっか打ってくるから疲れちゃうよ~。
 桜はその場にごろっと横になった。
まこちゃんも休める時はちゃんと休もうね。無理は怪我のもとだぜ。
は~い、そうしま~す。
 まこは桜の隣に座り込んだ。
……なんていうか自由ですよね、ここの野球部って。
ん~、そうかな?
あたしの中学だと、フェアゾーンで休んでたら怒られましたよ。試合で使うフィールドなんだから外で休め!――みたいな。
あ~、あたしの中学もそうだったよ。でも緋田先生は休みたいと思った場所で休めばいいってタイプだから。
緋田先生は指導力あるって聞いたから練習も厳しいって覚悟して来たんですけど、そうでもないんですよね。
先生は根性論とか信じてない派だから。適度に休んで、万全のコンディションで練習しなきゃ意味ないって考え方だね。
確かに、疲れてる時にむりやり体動かしても身についてる感じしないなって思う時あります。
長時間ただ量だけこなしてんのと、事前に課題設定して短時間で集中的にやるんじゃ全然違うからね。あたしも昔は何時間も練習しまくらなきゃ頑張ってるとは言えないみたいな考え持ってたよ? でもそれって故障する危険上がるからね。
あたし、まだそう思う時ありますよ。なんか練習時間短くない? って不安になりますもん。
ま、あたしらも最初は不安あったけどね。でもきっちり練習してきっちり休むって分けた方がコンディションいいんだよ。それで試合の成績だって出てるでしょ?
……ですね!

 緋田恵は、休憩中のグラウンドを見渡している。

 二遊間はこのチームの守備を固める重要な部分だ。そのため他のポジションより守備練習を徹底させている。

 とはいえ、恵は千本ノックのような練習はさせない。

 それはただ選手を潰すだけだと思っている。


 一歩目を速く。

 取ってからを速く。

 不規則なバウンドから目をそらさない。

 なるべく正面に入る。


 目的意識を持って臨む100本でも充分だと恵は考える。

 それは現役時代、周りで故障する仲間を見てきたからこその考え方だ。

(自分の受けた指導をそのまま生徒に伝えるのが正解とは限らない)

 甲子園に出場した高校の監督にも、「現役時代はつらいことしかなかった」「強豪校には練習量で勝つしかない」と言う人がいる。

 恵はそれを否定も肯定もしないが、つらいだけの部活なら、途中でリタイアする選手が出てくるのも当然だと思う。


 男子の高校野球人口は年々減少してきているという。

 練習が厳しすぎるところにも問題があるのではないか――とは、プロ野球選手からも指摘されている部分だ。


 恵は高校時代、必死で数だけこなしてきた。

 素振り1000本、ノックも数百本は当然で、ミスすれば回数が上乗せされる。体が悲鳴を上げ、辞めたいと思いながらも意地だけで最後まで続けた。家に着けば疲労のあまりすぐに寝てしまい、食事も不規則になって家族を心配させた。

 あの頃は、たくさん練習すれば上手くなると信じてひたむきに打ち込んだ。しかし、それだけやっても最後の大会は初戦敗退だった。

(この子たちにそんな思いはさせたくない)

 初戦で敗れた時、恵は高校野球の監督になることを決意した。


 こんな悔しさを選手たちに味わってほしくない。

 なんのための3年間だったのかなんて、思ってほしくない。


 選手には、野球は楽しいものだと思い続けてほしい。

 楽しくやってこその野球だと、うしろの世代に伝えていってほしい。


 だからこそ、いつも楽しくプレーできる環境を、恵は作ろうとしてきた。

鈴ちゃん、シュートのキレどんどんよくなってるよ!
ホント!? そろそろ実戦で使ってみてもいい頃かな?
(……少しは、彼女らの力になれているのかしらね)

 楽しそうに投球練習する二人を、恵は微笑みながら見つめている。


 恵はとにかく選手が前向きでいられるように考えてきた。

 試合中にかける言葉もそうだ。

「スライダーに手を出すな」「スライダーは見送っていこう」では、同じ意味でも印象が変わってくる。

 前者の方が、選手の心理にかかるプレッシャーが大きくなるのだ。

 そうした些細なところからでも選手の力を引き出せるよう、頭を回転させる。

先生、そろそろ再開しますか?
そうですね、始めましょうか。

 裾花清流高校は、冬場の練習メニューを選手たちが自分で考えて決める――という慣習がある。

 恵はそれを受け入れ、今年の冬も礼に任せた。

 漆原礼は統率力のあるキャプテンだ。新チームをよく導いてきた彼女に、恵は絶対的な信頼を置いていた。

 だから、まさか故障者を出すような厳しいメニューを組んでいるなんて思いもしなかった。

 払った犠牲は大きく、ちゃんと見てやらなかった後悔も抑えきれなかった。

 だからこそ、残ったメンバー全員とよく対話して、方針を確立させた。

 何度も同じ失敗はしない。

 心に誓った。

 それでも高池凪のような案件も起きるし、課題は尽きない。

4セット目、集中していきましょう!
オッケー、どっからでも打ってこーい!

 ノック100本にしても一気には行わない。

 20本を5セットにして、二人交互に受けてもらう。

 なるべく集中力を維持させるためだ。

 集中力が切れると怪我につながりやすい。

 夏の大会にチームのピークを持っていくためには、全員が万全の状態でいられることがベスト。

 新海澪のように予期できなかった不調もあるが、今のところ最小限で抑えられている。

こちらも始めますよ!
お願いしまーす!

 恵はノックを打ちながらも、頭の中では夏の大会のことを自然と考えている。

「負けたら終わり」と言うつもりはない。

「長い夏にしましょう」とだけ言うだろう。

負けたら悔しいだろう? だから負けないように練習を頑張るんだ。

 高校生の恵たちに対し、あの時の監督はそう言った。

 けれど恵は違う言葉を選ぶ。

 選手にかける言葉は、最初の時からずっと同じだ。

勝てたら嬉しいし、楽しいでしょう? そのために練習を頑張るんですよ。
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登場人物紹介

朝山 鈴(あさやま りん)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。ピッチャー。

サイドスローの投手。しなやかな肩と肘を使った柔軟な投球を得意とする。中学時代は味方の守備に足を引っ張られ、試合に勝つことができなかった。

外浦 朝陽(とのうら あさひ)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。キャッチャー。

中学時代に鈴とバッテリーを組んでいて、朝山と朝陽でサンライズ・バッテリーと呼ばれていた。

結城 まこ(ゆうき まこ)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。セカンド。

ピッチャーのモーションを読み取り、持ち前の俊足で盗塁を確実に決める。だいたいテンションが高い。

広野 皐月(ひろの さつき)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。ショート。

打撃、守備ともに堅実なプレーを重視している。控えめであまり目立ちたがらないタイプ。

高池 凪(たかいけ なぎ)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。サード。

中学最後の大会で左腕を負傷し、まだ回復しきっていない。

松原 雅(まつばら みやび)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。

バットコントロール能力が高くボール球でもヒットにできる技巧派。外野ならどこでも守れる。

漆原 礼(うるしばら れい)

裾花清流高校3年生。左投げ左打ち。レフト。

野球部キャプテン。身体能力が高くセンス抜群。クールな振る舞いから、校内では男女問わず隠れファンが多い。

新海 澪(しんかい みお)

裾花清流高校3年生。右投げ右打ち。ピッチャー。

チームのエース。速球と緩いボールを使い分ける本格派右腕ながら、肩の調子に不安を抱えている。

岩見 悠子(いわみ ゆうこ)

裾花清流高校3年生。右投げ右打ち。キャッチャー。

正捕手で長距離バッターでもある。相手の様子を見ながら配球を決め、野手に守備位置の指示を出すチーム随一の頭脳派。

一ノ瀬 桜(いちのせ さくら)

裾花清流高校3年生。右投げ左打ち。セカンド。

俊足巧打、広い守備範囲を持つ攻守の要。ハイテンションで味方を盛り上げたりからかったり忙しい。

天城 奈緒(あまぎ なお)

裾花清流高校3年生。右投げ左打ち。ショート。

広大な守備範囲を持ち、一ノ瀬桜とのコンビで鉄壁の二遊間を構築している。出塁率も高い。

神村 青葉(かみむら あおば)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。センター。

2年生ながら4番を任されている。商店街のアイドル的扱いを受けているのでおっさん達が試合の応援に駆けつけてくる。

赤羽 夕日(あかばね ゆうひ)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。ファースト。

当たればでかいロマン砲。一方、守備は堅実で難しいバウンドもきっちり処理する。

漆原 優(うるしばら ゆう)

裾花清流高校2年生。左投げ左打ち。ライト。

キャプテン漆原礼の妹。やる気の波が激しく、いつもはぐだっとしているが試合では頭脳をフル回転させてプレーする。

水崎 美晴(みずさき みはる)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。サード。

バント職人。小柄だが強肩を持ち、深い位置からでもアウトが取れる。

緋田 恵(ひだ めぐみ)27歳

裾花清流高校野球部監督。

最初に赴任した高校を県ベスト4まで連れていくなど指導力の高さを評価されている。裾花清流高校は赴任2校目で2年目。

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