大会前夜

文字数 3,043文字

はい、お疲れさまでした。いよいよ明日は開会式、あさってにはもう初戦です。体調を整えて、いい夏を過ごしましょう。

 全員が勢いよく返事をした。

 大会前日。

 最後の練習が終わり、緋田恵の周りにみんなが集まっていた。

では、明日は堂々とオリンピックスタジアムに向かいましょう。出発は8時半です。遅刻しないように。
(今日は早く寝よっと……)
 部室に戻ると、みんな帰る準備を始める。
そーいやあのチーム紹介さあ、緋田先生うまくやったよね。
なんかありましたっけ? 無難な内容すぎてちょっとがっかりしたんすけど。

 水曜日の信州毎日新聞に、夏の大会出場校の紹介記事が載っていた。

 ベンチ入りメンバーの背番号、投打の利き腕、学年、身長、出身中学といったデータが掲載されたものだ。

ほら、ミオっちの球数制限のことは書かれてないっしょ。
あー、確かに。ばらしちゃったらカットで交代狙われるかもしれませんしね。
私のこともそうだけど、奈緒ちゃんの情報もうまく伏せてくれたわね。
それ私も思いました。奈緒先輩ってかなり重要なバッターですし。
実はあたしもホッとしてる。余計なこと書かれたら変に力みそうで……。
そうね。キーになるバッターだって意識が強くなりすぎるのはよくないかも。
緋田先生もやるよね~。当たり前のことだけ書かせて、重要な情報は全部隠してる。
だよね。1番が俊足なのも中軸に長打力があるのも一般的だし。
私も、ばらされたのカーブだけでよかったです!
シンカーは練習試合したチームから情報が流れてるかもしれないけど、シュートだけは大丈夫そうよね。
うん、だからシュートは本当に使いたいところでしかサイン出さないことにしてる。基本的にはこれまでと同じでいくよ。
右バッターの内角にシュート使うなら、美晴ちゃんは注意だね。根元に当たってサード飛ぶかもしれんし。
大丈夫。速い打球を捕る練習はしっかりしてきたから。
お前も成長したよな。横で見てるとよくわかるよ。
物足りなくなっちゃいましたけどね……。
え?
えーっと、まあとにかく今日は早めに帰ろうよ。明日遅刻とか本当にシャレにならないよ。

 それぞれに荷物を片づけ、部室を出た。

 挨拶を交わして、各自の帰り道につく。

いよいよ最後の大会っすな~。
なんだかんだであっという間だったな。

 桜と奈緒は、二人で帰り道を歩いていた。

 長野駅までは同じ道だ。

あたしは普段通りできると思うけど、奈緒ちゃんは大丈夫かな~。なんか心配だな~。
あんまり軽く見てもらっちゃ困るな。プレーで安心させてやるよ。
そーだね、楽しみにしてる。でも引退したら奈緒ちゃんからかうネタ減っちゃうねぇ。それはさみしいかも。
……まったく、お前はホントいつでも変わらないよな。
そう見える?
どうだろな。いつも同じテンションだからお前は読みづらい。でも……。
 奈緒は間を置いた。
そのテンションで本心隠してる時、あるよな?
……さあ、どうだろね。
あ、いま実は弱気っぽいのがなんとなくわかった。お前も緊張してんだな?
さあね~、どうでございましょうね~。
 二人はじゃれあいながら暗くなった道を進んでいく。
(……なんとなく、橋の上でぼんやりしたい気分だ)

 岩見悠子は陸上部の女子と雑談をしてから学校を出た。

 近くには丹波島橋があって、真下を犀川(さいがわ)が流れている。

 家とは方向が違うが、そちらへ足を向けた。

……あれ?
あら、悠子じゃない。家は反対方向でしょ?
そういうあんたもでしょ。何やってるの?
ちょっと、黄昏れてたというか。
やっぱりそういう気持ちにもなるよね。
私、たまに一人でここにいるんだけどあんまり気づかれないのよね。
こっち来ない人の方が多いし。私のこれも気まぐれだから。
 二人は並んで、犀川とその向こうにそびえる山々を眺めた。もう暗くなって、ほとんどのものがシルエットにしか見えない。
……今度こそ、バッテリーを組むのは最後になるかもね。
……かもね。進路もまだ決まってないし、この先も野球を続けるかはわからないし。
どうかしら、私って中学の頃より成長したと思う?
当たり前でしょ。澪は高校でグッと伸びたよ。
できれば、試合が終わるまで悠子と組んでいたいけど……。
上限、今は60球以内だっけ? それで完投するのは難しいね。
残念ながらね。でも、1球でも多く貴女に捕ってほしいから、全力でコントロールするわ。
……なんか重くない?
そう? でもこれは正直な気持ちだし、それがチームのためにもなると思うから。
じゃあ、私も澪のために打つよ。……って返せばいい?
訊かれても困るけど……でも悠子が球場でホームラン打つところは見たいわ。楽しみにしてる。
うん、じゃあ張り切ってスイングしようかな。――でもその前に。
なに?
もうしばらく、二人で黄昏れてようか。
……ふふっ。
 漆原礼、優の姉妹は、いつもと同じように家に向かって歩いていた。
大会か……。親父、今夜はなに言ってくるかなぁ。
気にしすぎないで早めに寝なさい。いつまでも起きてると絶対絡まれるから。
姉貴は? 戦勝祈願に一杯やんの?
やるわけないでしょ。戦う前に終わっちゃうじゃないの。
なんか目立たなくなる方法ないかな。私ってミスさえしなきゃスルーされる風潮あるし、雅ちゃんがスタメンでライト入るとかどう?
無理でしょ……。あんたにはちゃんと9番もらえるだけの力があるんだから。
でも9番と7番の間にはでかすぎるハードルあるからなー。
そう言われても……。
ま、この時期にあんまし姉貴を困らせるのもよくないよね。ネガるのはこんくらいにしとくわ。
……なんていうか、その……。
姉貴のせいじゃないって。だいじょーぶ、そんなヤワなメンタルしてないから。
(でも、こういう子は一回崩れると……)
どしたの?
なんでもない。とにかく、今日はすぐに寝ましょう。
だねー。

 鈴と朝陽は帰り道の途中、互いの家の近くにある小さな公園でキャッチボールを始めた。街灯が妙に明るいので、夜でもボールが見える。

 そのため、二人は中学時代からここを自主トレ場所にしていた。

鈴ちゃん、あんまり速い球投げちゃダメだよ。
わかってる。軽めにしておくよー。
……いよいよだね。
うん。私、先輩たちのこと好きだし、長く一緒にできるように頑張るよ。
そうだね。……正直、私は鈴ちゃんがうらやましいよ。
私が試合で使ってもらえること?
それ。私も、試合で活躍して先輩たちの力になりたかった。だってこんなに優しくしてもらえたんだもん。協力したいに決まってるよ。
アサちゃん……。
ま、ブルペンキャッチャーも大切な仕事だよね! 鈴ちゃんを絶好調でマウンドに送り出すのが私の役目! 出番まで一緒に頑張ろうね!
ありがとね、アサちゃん……。
初戦、どうなるかな。
私は勝てるって思ってるよ。澪先輩のボールがそう簡単に打たれるわけないもん。
じゃあ、あとは鈴ちゃん次第か。
あ、そ、そっか……。実はボコボコに打たれたことないから、そうなったら立ち直れるか心配なんだよね。

 鈴は連打を浴びてビッグイニングを作られたことがない。

 エラーが絡んだあとにヒットを打たれ、小刻みに加点されるパターンがほとんどだった。

もしやばそうに見えたら、私が先生から許可もらって伝令に行くよ。
アサちゃん、サラッとそう言ってくれるの本当に嬉しいよ。でも、なるべく自力で頑張るね。
そうだね、裾花清流に朝山鈴ってすごいピッチャーがいるぞ! って周りの高校にアピールだよ!
よーし、あと少し、しっかり調整するぞ。
じゃ、もうちょっとだけやったら帰ろうね!
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登場人物紹介

朝山 鈴(あさやま りん)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。ピッチャー。

サイドスローの投手。しなやかな肩と肘を使った柔軟な投球を得意とする。中学時代は味方の守備に足を引っ張られ、試合に勝つことができなかった。

外浦 朝陽(とのうら あさひ)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。キャッチャー。

中学時代に鈴とバッテリーを組んでいて、朝山と朝陽でサンライズ・バッテリーと呼ばれていた。

結城 まこ(ゆうき まこ)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。セカンド。

ピッチャーのモーションを読み取り、持ち前の俊足で盗塁を確実に決める。だいたいテンションが高い。

広野 皐月(ひろの さつき)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。ショート。

打撃、守備ともに堅実なプレーを重視している。控えめであまり目立ちたがらないタイプ。

高池 凪(たかいけ なぎ)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。サード。

中学最後の大会で左腕を負傷し、まだ回復しきっていない。

松原 雅(まつばら みやび)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。

バットコントロール能力が高くボール球でもヒットにできる技巧派。外野ならどこでも守れる。

漆原 礼(うるしばら れい)

裾花清流高校3年生。左投げ左打ち。レフト。

野球部キャプテン。身体能力が高くセンス抜群。クールな振る舞いから、校内では男女問わず隠れファンが多い。

新海 澪(しんかい みお)

裾花清流高校3年生。右投げ右打ち。ピッチャー。

チームのエース。速球と緩いボールを使い分ける本格派右腕ながら、肩の調子に不安を抱えている。

岩見 悠子(いわみ ゆうこ)

裾花清流高校3年生。右投げ右打ち。キャッチャー。

正捕手で長距離バッターでもある。相手の様子を見ながら配球を決め、野手に守備位置の指示を出すチーム随一の頭脳派。

一ノ瀬 桜(いちのせ さくら)

裾花清流高校3年生。右投げ左打ち。セカンド。

俊足巧打、広い守備範囲を持つ攻守の要。ハイテンションで味方を盛り上げたりからかったり忙しい。

天城 奈緒(あまぎ なお)

裾花清流高校3年生。右投げ左打ち。ショート。

広大な守備範囲を持ち、一ノ瀬桜とのコンビで鉄壁の二遊間を構築している。出塁率も高い。

神村 青葉(かみむら あおば)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。センター。

2年生ながら4番を任されている。商店街のアイドル的扱いを受けているのでおっさん達が試合の応援に駆けつけてくる。

赤羽 夕日(あかばね ゆうひ)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。ファースト。

当たればでかいロマン砲。一方、守備は堅実で難しいバウンドもきっちり処理する。

漆原 優(うるしばら ゆう)

裾花清流高校2年生。左投げ左打ち。ライト。

キャプテン漆原礼の妹。やる気の波が激しく、いつもはぐだっとしているが試合では頭脳をフル回転させてプレーする。

水崎 美晴(みずさき みはる)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。サード。

バント職人。小柄だが強肩を持ち、深い位置からでもアウトが取れる。

緋田 恵(ひだ めぐみ)27歳

裾花清流高校野球部監督。

最初に赴任した高校を県ベスト4まで連れていくなど指導力の高さを評価されている。裾花清流高校は赴任2校目で2年目。

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