鈴のために

文字数 3,146文字

 両チームのエースがさらに1イニングずつをきっちり抑える。


裾花清流 210 0|3

東  御 101 0|2

みんな、いい調子よ。ここで突き放しましょう。

 守備を終え、ベンチに戻ってきた礼が声をかける。

 チームの雰囲気はよかったが、澪の表情だけが冴えない。

次の回はいけないわよね……。
まあ、そうだね。鈴を回の途中から上げるのはよくないし。
3回に球数が増えてしまったのが痛かったですね。ですがいいピッチングでしたよ、新海さん。
はい……。
皆さん、次の回から朝山さんに投手交代します。ここで点を取って朝山さんを援護しましょう。
 この回の先頭は奈緒だ。
さっきはやられたが今度は打つぞ。
頼むぜ奈緒ちゃーん。
おう。桜、送りバントの用意しとけよ。
え~、やだよ。あたし打ちたいもん。シングル打ったら自分で盗塁してちょーだい。
お前って奴は……。
早く打席行きなよ。

 ぶつぶつ文句を言いながら、奈緒が左打席に入った。

 プレイがコールされる。

 鈴は、ベンチから味方の攻撃を見つめている。

スー、ハー、スー、ハー……。
 いつもの深呼吸で気持ちを落ち着かせようとする。
緊張してる?
はい、やっぱり……。
まあ、マウンド上がっちゃえば他のことは考えられなくなるから、無理に落ち着こうとか考えなくてもいいんじゃないかな。
それで、大丈夫でしょうか。
鈴はここ一番で開き直れるだけのメンタルの強さがあるよ。だから心配する必要はない。私が断言する。
……ありがとうございます、悠子先輩。

 快音が響き、全員がグラウンドを見た。

 奈緒の打球が左中間を破ってツーベースになった。

ほら、また点入りそうだよ。応援しよう。
はい! 声出していきます!
桜先輩ぎゃんびゃれ……
また噛んでる……。
うぅ……直らない……。
(ここは強攻ですよ)
(う~っす)
(また嫌なバッターが来たな)

 白鳥月子は慎重な投球を心がける。

 しかし初回のデッドボール未遂と鮮やかなレフト前ヒットのイメージがあり、警戒が必要以上に強くなる。

 初球でストライクを取ったものの、連続で際どいコースが外れてスリーボール。

(スローカーブでいこう)
(空振り取れれば……)

 しかし低めを狙ったスローカーブは下に行きすぎ、ホームベース上でワンバウンドした。湯浅姫香がしっかり受け止めるが、これでフォアボール。

 ノーアウト1、2塁になった。

(さあ、バント職人の腕の見せどころですね)
(狙いはファースト方向……)

 白鳥の初球ストレートに対し、美晴が送りバントを試みる。

 内角に来たボールだが、素早く体勢を引いて1塁方向、線上に転がす。ボールは切れそうに見えたがラインは割らない。

 白鳥が出てきて取り、1塁をアウトにする。

 ワンナウト2、3塁。

(あの2番、なんてバントうまいの……)
(同じ2番としてちょっと自信なくしますね……)
美晴、ナイスバント。さすがにうまいね。
ありがとうございます! バントしか取り柄がないのでここだけはちゃんと決めなきゃと思って……。
3番、レフト、漆原礼さん。
(この人はスローカーブにタイミングが合ってない)
(変化球勝負だね)
(今日は2打席ともフライアウトを取られている……。そろそろスローカーブに対応しないとまずいわ)

 初球、外角にストレートが外れてボール。

 礼はこの球をミスリードと読んだ。次の変化球のために、緩いボールをあえて見せてきた。

 礼はスローカーブに狙いを絞る。

 

(打ち取ってやる――)
(来た、スローカーブ!)

 外寄り低めに来たスローカーブを、礼が流し打ちする。

 打球がサードの頭を越え、サード、ショート、レフトの真ん中に落ちる。

 奈緒が打球を確認してからスタートしてホームイン、2塁から見ていた桜が一気に3塁を蹴ってホームまで返ってきた。

 ここで5-2と点差が開く。

礼先輩が打った!
やったぁ! 今日調子悪そうだったから心配だったんだ。
鈴ちゃん、これで余裕持てそうだね。
うん!

 ワンナウト1塁で4番、神村青葉がバッターボックスに入った。

 鳴り物の音が急に増えて、スタンドが騒がしくなる。

青葉ちゃーん! かっ飛ばせぇー!
商店街の誇り! ぶちかませー!
ユニフォーム姿もやっぱりかわいい!
(皆さん、いま到着されたのですね……)
(なんなの、あのおっさんたち……。試合中にかわいいなんて言うもんじゃないわ)

 吹奏楽部がアフリカンシンフォニーの演奏を始める。

 それに合わせて、青葉応援隊がおはじきの入ったペットボトルを振って鳴らす。

(ふん……。あんな応援で調子を崩されるもんか……)
 しかし影響はあったらしく、ストレートが内寄りに甘く入った。
(――高い!)

 青葉がフルスイングで打球をレフトへ運ぶ。

 深めに守っていたレフトの頭上を越えて、ワンバウンドでフェンスに当たる。

 1塁ランナーの礼は打球を目で追って2塁、3塁を一息に蹴っていく。

 ホームイン。

 スコアは6-2に変わる。

 青葉も2塁まで行き、1塁側スタンドが大騒ぎだ。

(応援はありがたいですが……あまり下の名前は出してほしくないですね……)
さあ、ビッグイニングを作りましょう!
(鈴のためにも、ね)
(月子の投球はそこまで変わっていないのに……相手に勢いがつきすぎている……)
 悠子がスローカーブを打って1、2塁間を破る。青葉が3塁を回ってホームにスライディング。さらに1点が追加され、7-2となる。
(先輩たちが援護してくれる……。これなら、安心して入れるよ)

 鈴は足の震えが治まっていくのを感じていた。

 6番の優がフォアボールを選んで出塁。

 ワンナウト1、2塁で赤羽夕日に打順が回る。

振り回さないようにしなきゃな。
 第二打席の夕日は、スイングが大きくなって空振り三振に倒れていた。
(うちは月子しか頼れるピッチャーがいない。ここで一発をもらったらおしまいだよ……)
(これ以上、点はやらない。絶対に抑えてみせる)

 白鳥月子の投球に気迫がこもった。

 力のあるストレートが内角低めに決まってストライク。

 次のボールも同じコースに投げ込んで夕日の空振りを奪う。

 スタミナの計算を考えない、全力の投球だった。

(なんか……ギア上げてきたか?)
夕日先輩、頑張ってくださーい!
(……そうだ、びびっちゃいられないんだよ。鈴のために1点でも多く取っておきたいんだ)

 夕日のバットを持つ手に力がこもる。

 白鳥がモーションに入った。

(スローカーブ狙い!)
(チェンジアップで勝負――!)
うっ――

 外角のチェンジアップに夕日が体勢を崩された。

 打球がファーストへ飛ぶ。

 ファースト土屋が捕球してセカンドへ転送、2塁フォースアウト。ベースカバーに入ったショート塩入がファーストに送り返してくる。夕日が1塁を駆け抜けるより先に、ファーストミットにボールが収まっていた。

アウトッ!
よしっ、狙い通り!
白鳥さん、よく粘りました!

 東御女学院の守備陣が引き上げていく。

 一方、ダブルプレーを食らった夕日は落ち込んだ表情でベンチに戻った。

すいません……。
仕方ないわ。守備に引きずらないようにね。
ういっす……。
鈴、準備はいい?
大丈夫です!
あとは任せたわ。
頑張ってね!
……行ってきます!

 もう一回だけ深呼吸すると、鈴はベンチを飛び出した。

 まっすぐマウンドへ向かう。

裾花清流高校、選手の交代をお知らせします。ピッチャー、新海さんに代わりまして、朝山さん。ピッチャーは、朝山さん。

 場内にコールされる自分の名前を聞きながら、鈴はロージンバッグに触れる。


 大丈夫。

 できる。


「よしっ」と声を出してから、ホーム、悠子の方に向き直る。

 悠子が胸を叩いた。

 自信を持ってこい、と言ってくれている。

(中学みたいな思いはもうしたくない。全力でぶつかるぞ)
 強い気持ちを胸に、鈴は投球練習を始めた。
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登場人物紹介

朝山 鈴(あさやま りん)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。ピッチャー。

サイドスローの投手。しなやかな肩と肘を使った柔軟な投球を得意とする。中学時代は味方の守備に足を引っ張られ、試合に勝つことができなかった。

外浦 朝陽(とのうら あさひ)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。キャッチャー。

中学時代に鈴とバッテリーを組んでいて、朝山と朝陽でサンライズ・バッテリーと呼ばれていた。

結城 まこ(ゆうき まこ)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。セカンド。

ピッチャーのモーションを読み取り、持ち前の俊足で盗塁を確実に決める。だいたいテンションが高い。

広野 皐月(ひろの さつき)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。ショート。

打撃、守備ともに堅実なプレーを重視している。控えめであまり目立ちたがらないタイプ。

高池 凪(たかいけ なぎ)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。サード。

中学最後の大会で左腕を負傷し、まだ回復しきっていない。

松原 雅(まつばら みやび)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。

バットコントロール能力が高くボール球でもヒットにできる技巧派。外野ならどこでも守れる。

漆原 礼(うるしばら れい)

裾花清流高校3年生。左投げ左打ち。レフト。

野球部キャプテン。身体能力が高くセンス抜群。クールな振る舞いから、校内では男女問わず隠れファンが多い。

新海 澪(しんかい みお)

裾花清流高校3年生。右投げ右打ち。ピッチャー。

チームのエース。速球と緩いボールを使い分ける本格派右腕ながら、肩の調子に不安を抱えている。

岩見 悠子(いわみ ゆうこ)

裾花清流高校3年生。右投げ右打ち。キャッチャー。

正捕手で長距離バッターでもある。相手の様子を見ながら配球を決め、野手に守備位置の指示を出すチーム随一の頭脳派。

一ノ瀬 桜(いちのせ さくら)

裾花清流高校3年生。右投げ左打ち。セカンド。

俊足巧打、広い守備範囲を持つ攻守の要。ハイテンションで味方を盛り上げたりからかったり忙しい。

天城 奈緒(あまぎ なお)

裾花清流高校3年生。右投げ左打ち。ショート。

広大な守備範囲を持ち、一ノ瀬桜とのコンビで鉄壁の二遊間を構築している。出塁率も高い。

神村 青葉(かみむら あおば)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。センター。

2年生ながら4番を任されている。商店街のアイドル的扱いを受けているのでおっさん達が試合の応援に駆けつけてくる。

赤羽 夕日(あかばね ゆうひ)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。ファースト。

当たればでかいロマン砲。一方、守備は堅実で難しいバウンドもきっちり処理する。

漆原 優(うるしばら ゆう)

裾花清流高校2年生。左投げ左打ち。ライト。

キャプテン漆原礼の妹。やる気の波が激しく、いつもはぐだっとしているが試合では頭脳をフル回転させてプレーする。

水崎 美晴(みずさき みはる)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。サード。

バント職人。小柄だが強肩を持ち、深い位置からでもアウトが取れる。

緋田 恵(ひだ めぐみ)27歳

裾花清流高校野球部監督。

最初に赴任した高校を県ベスト4まで連れていくなど指導力の高さを評価されている。裾花清流高校は赴任2校目で2年目。

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