桜は花開く
文字数 5,803文字
開 桜 000 000|0
裾花清流 000 000|0
最終回、7回表の開桜の攻撃。
ワンナウト1、3塁という重大な局面を迎えている。
バッターは代打の左打者、本郷。
カウントは2ボール1ストライク。
ここで緋田恵が投手交代を宣言した。
漆原優は重たい足でマウンドへ向かった。
どうあがいても投げるしかないのだ。
マウンドでは、落ち込んだ表情の鈴が待っていた。
鈴は優にボールを託してマウンドを降りた。
ベンチに戻っていく鈴に、裾花清流のスタンドから拍手が送られる。温かい拍手が、かえって鈴にはつらいものに感じられた。
投球練習が終わり、プレイがかかった。
すでに2ボール。二つ外せば満塁になってしまう。
優はクイックでストレートを投げ込んだ。
アウトコースに大きく外れてスリーボールになる。
満塁になる可能性が出てきて、観客がいっそうざわつく。
開桜の応援団もすさまじい勢いで声援を送っている。
悠子は祈るような気持ちでサインを送った。
優は外いっぱいを狙って投げるが、低めに完全に外れてしまった。
主審がタイムをかけた。
内野陣がマウンドに集合する。
みんなで「おー!」と声を合わせた。
守備陣が散っていき、優と悠子だけが残った。
悠子は、代打倉橋の様子をうかがった。
線はシャープだが、素振りの様子から長打が打てるバッターだと予測した。
スクイズはせず、打ってくる。そんな気がした。
だが万が一ということもある。
ファーストの夕日とサードの美晴はやや前寄りに守る。
礼には祈ることしかできない。
優はプレートから離れ、ロージンバッグに触れた。センター方向を向いて天を仰ぐ。
まだ4球しか投げていないのに呼吸が上がる。
足がカクカクと、小刻みに震えている。
自分の体じゃないかのようだった。
悠子は、ここまでのサインがすべてストレートなのを思い返した。
――試してみる価値はある。
悠子がミットを叩いて「さあ来い!」と声をかけてきた。
いいから投げてこいという意志を、優は感じた。
優は大きく息を吐き、スライダーを投げた。
やや真ん中寄りだったが、低めいっぱいに決まった。
ストライクが取れたことで、優の気分は若干だが楽になった。
2球目もスライダーだ。
外角やや高めだったが、倉橋が見送った。
優はセットポジションを取る。
ふう、と息を吐き出す。
それから足を上げた。
外角にスライダー。
――真ん中に寄った。
倉橋がスイングした。
快音。
打球が優の左足の横を抜けた。
優は振り返った。
桜が追いつきそうだが捕りづらいバウンドだ。
打球が跳ね、回り込んだ桜の顔めがけて飛んだ。
桜は後方に倒れながら捕った。
――そして、倒れきる直前、ほぼ仰向けの状態からセカンドへ送球した。
山なりのボールを奈緒がキャッチ、セカンドフォースアウト。
奈緒は全力でファーストへ送球する。
矢のような球が夕日のミットを鳴らしたのと、バッター倉橋が駆け抜けたのはほとんど同じタイミングだった。
選手たちが円陣を組んで声を出す。
それを、緋田恵は見つめていた。
先頭打者、雅が左バッターボックスに立った。
雅はさほど緊張していなかった。
もともと緊張感には強いタイプだ。初めての練習試合でいきなり打席に立たされても平然とヒットを打っている強心臓の持ち主。
それは、この場面でも変わらなかった。
川船美咲が初球を投げる。
外角低めを狙ったボールが、少し高くなった。
攻撃時の落胆が、美咲のメンタルにわずかだが影響を及ぼしていた。
それを、雅が逃さず振っていく。
逆らわない流し打ちで三遊間を破るレフト前ヒット。
9番の奈緒に回った。
8、9、1番と左バッターが三人つながっていて、右投手に対してはやや有利。ここが勝負どころなのは間違いない。
美咲がスライダーを投げてきたが、奈緒は変化をよく見極めて送りバントした。打球は1塁方向に転がる。ファーストの草壁真尋が出てきて処理。1塁をアウトにしてワンナウト2塁と状況が変化した。
開桜がタイムを取り、内野陣が集まった。
彼女らが話し合っている間に、桜はいったんベンチへ引き返す。
開桜のタイムが終わった。
桜はバッターボックスへ歩いていく。
ランナー1、2塁にして水崎美晴と勝負する手もあったが、ゲッツーが取れなければサヨナラのランナーを得点圏に置いて好打者の漆原礼と勝負することになる。
敬遠して結局負けたとなれば後悔は計り知れないものになるだろう。
だったら、勝負したい。
一ノ瀬桜からは三振も二つ奪っている。
勝算はあった。
2球目も外角低めのストレート。
スイングするが空振り。
ツーストライクになった。
ベンチのみんなも驚いた顔をしていた。
優がこんな大声を出すところを、誰も見たことがなかったのだ。
美咲の足が上がった。
右腕から放たれる渾身の1球。
桜が踏み込み――
バットが音を響かせた。
強く転がった打球が1、2塁間を破る。
言われるまでもなく3塁コーチャーの皐月が全力で右腕を回している。
雅がサードベースを蹴って一気にホームへ突っ込む。
ライト太刀川雪乃から好返球が送られてくる。
浅上桐子が構えた位置へボールが一直線。
両チームが整列し、挨拶と握手が交わされる。
緊迫した好ゲームに、客席からはスタンディングオベーションが巻き起こる。
拍手はなかなか鳴り止まず、終わるまで裾花清流の校歌は流れなかった。
ホームに横一列に並んだ裾花清流のメンバーは、晴れ晴れした表情をしている。
両チーム通じて唯一ホームに返ってきた雅は、感極まって大泣きしていた。