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文字数 4,387文字

山京学園 31|4

裾花清流 32|5

 2回のウラ、2点を挙げて逆転した裾花清流の攻撃はまだ続いている。

 1アウト2塁で3番の神村青葉に打順が回った。

(ここからは右の強打者が二人続く……。制球ミスは命取りになるな)
(これ以上はやりませんよ)

 裾花清流のブラスバンドと商店街応援団の声援が合わさってすさまじい音が球場内に響いている。

 その中で、青葉が右打席に立った。

 ホームベースをバットでなぞり、ゆっくり構える。

(ここまであまり貢献できていませんし、打たないと……)

 色部薫が左手から初球を投じる。

 アウトコース低めに決まってストライク。

 青葉はまったく反応しない。

(落ち着いて、平常心で)

 2球目。

 薫が緩いボールを投げてきた。

 アウトコースに外れそうに見える――しかし、青葉は踏み込んだ。

(曲がってくる――!!)

 青葉の体勢はやや崩れた。

 それでも、曲がってきたスライダーを芯で捉えた。

 打球はライナーになってセカンドの頭上を襲う。

 九条真帆が半身で追っていく。

 それをセカンドランナーの礼が見ている。

(これは――)
(――捕れない!)

 礼は一気に加速した。

 真帆がジャンピングキャッチを試みるが、届かない。その先にボールが落ちる。

 礼はサードベースを蹴った。

 真帆がボールを拾ってホームに投げ返すが、体勢が不安定で勢いのある送球はできなかった。

 スライディングした礼が左手でホームベースに触れる。

 主審が「セーフ!」とコール。

 6対4。裾花清流にもう1点が追加された。

 青葉が1塁で右手を挙げると、スタンドが「ナイバッチ!」「よく打った!」と大騒ぎする。

やったー!
いい判断だったわね! 青葉ちゃんも上手かった!
そんな……。
薫、いいボールだったから自信持ちなさい! 運が悪かっただけだよ!
 帯刀(おびなた)友里(ゆうり)が薫を励ますうしろで、真帆が自分のグローブを軽く叩いた。
(相手の勢いに呑まれている……。よくない流れだわ)

 勢いのあるチームは、不思議と運に味方されたりする。

 アウトかと思われたフライがポテンヒットになったり、ファールになりそうな打球がギリギリ線を割らなかったり。

 真帆は、わずかに届かなかった距離の分だけ、相手に押されているのを感じた。

4番、キャッチャー、岩見さん。
(相手ピッチャーはいきなりマウンドに上がったところだし、ここでたたみかけたいな)
(今度こそ、抑える!)

 悠子に対し、山京学園バッテリーはスライダーから入ってきた。真ん中低めに入ってストライク。

 続く2球は低めに外れて2ボール1ストライク。

(ストライクがほしいカウントだな。まっすぐ入れてくるかな)

 悠子はストレートを狙って構える。

 薫がモーションに入り――予想通りの直球を投げ込んできた。

 やや内角寄りのボールを、悠子は全力で引っ張った。

よっしゃ!

 ――しかし、打球はサードの正面に飛んだ。

 城取(しろとり)瞳がワンバウンドで打球をキャッチ。セカンドに送球すると、真帆がすばやくファーストに転送。

 ダブルプレーでチェンジになった。

あー、やっちゃった……。
 1塁を駆け抜けた悠子は思わずつぶやいた。
よーし、切れた!
薫、ナイスピッチ! 反撃するわよ!

 山京学園ナインが勢いよくベンチに戻っていく。

 それを見ながら、鈴はマウンドへ向かった。

(追いついてもらって、今度はリードまでもらったんだ。絶対抑えるぞ!)
 3回表、山京学園の攻撃は5番の城取瞳からだ。
(ちょーっとよくない雰囲気だよねえ。早いうちに追いつかないとね)
(この人にもタイムリー打たれてるんだよね……)
(まず私が切り替えなきゃ。鈴が力を発揮できるようなリードをしないと)

 悠子がストレートのサインを出し、インコースに寄った。

 鈴は「ふう」と息を吐き出し、1球目を投げ込んだ。

 瞳が振ってきた。

 差し込まれて窮屈なスイングになる。

 が、バットの芯を外れたせいで弱いゴロがサード方向へ転がった。

あっ――
サード!
はい!

 美晴が猛ダッシュをかけてくる。

 素手で拾って1塁に送るが、瞳の足が速かった。

 内野安打でノーアウト1塁。

(こ、この回も……)
(……まだ、運には見放されていないようね)
6番、センター、水上(みなかみ)さん。
お願いします!
(このバッターにも一打席目は打たれてる。ゲッツー取れれば最高なんだけど)
(初球からシュート……)

 鈴は視線でファーストランナーを牽制し、1球目を投じた。

 真ん中から右バッターの内角に食い込むシュート。

 水上真澄が見送った。

 デッドボールになりそうなところまで曲がり、ボール。

(シンカーじゃなかった……?)
(送りバントはなさそうだな。――もう1球ちょうだい)
(はい!)

 2球目のシュートは内角いっぱいに入った。

 1ボール1ストライク。

(この変化球の情報はなかった。ここまで隠し続けてきたの?)
(一度外角使おうか)

 鈴はアウトコースにストレートを投げた。

 少し高めに入ったボールを水上真澄が打ってくる。しかしタイミングが合わずファールになった。これで追い込んだ。

(とどめは……)
(そこですね)

 鈴は水上真澄に対し4球目を投げ込んだ。

 再び内角にシュート。

 真澄も窮屈な体勢でのスイングになった。

 バットの根元に当たったボールがキャッチャーフライになる。

 悠子がしっかり押さえて1アウト。

(いいね。腕も初回より振れてるし、その分ボールにパワーが乗ってきた)
今のボール、なんでした?
たぶんだけど、シュート。かなりキレてるよ。
……そんなデータありましたっけ?
覚えたばっかで不安があったんじゃないかな。それがなくなったから投げるようになったとか。
……とりあえず、警戒していきます。

 真澄はベンチに戻ると、すぐシュートの情報を全員と共有した。

あたしがサードライナーになったのもその球か。多投してきたら攻略が面倒になるよ。
なんとも言えないところだけど、追い込まれる前に打つ方針は変えなくていいと思う。
(よく見ていけと指示を出したはずなんだがな……)

 監督の引木圭とキャプテンの九条真帆の間にできた溝は深い。

 真帆の世代は2年生の春に監督交代を経験している。

 前監督が慢性的な体調不良に悩まされて引退し、新たに山京学園OGの引木圭が就任した。

 前任より三十歳以上若い二十代半ばであることと、前監督との方向性の違いが選手に不信感をもたらした。

 積極性を売りにしていた前監督と、堅実さを求める引木圭。

 ひっくり返った方針に納得のいかない者は多かった。


 キャプテンに真帆を指名したのは圭だが、新主将は対立心を隠そうともしなかった。積極策の好きな選手は真帆を支持した。そうでない選手は圭の側についたかというとそうでもなく、中立の立場を取った。


 名門校のネームバリューゆえに能力の高い選手が入ってきて、それで勝ち上がることはできているが、歯車は狂いに狂っている。

 この局面ですら、それは変わらない。

7番、ピッチャー、色部さん。
(なんか長く話し込んでたな。シュートの情報共有かな)
(ここから下位打線……ツーアウトにしてまで得点圏に送るべきか……)

 引木圭は真帆たち3年生の様子を横目に窺った。

 確実に得点圏にランナーを進めることは、立派な作戦の一つ。

 しかし前監督は強攻策を多用していた。

 ゆえに3年生らは、この場面での送りバントを消極的と受け取るかもしれない。

 これ以上、試合中に溝が深まるのはまずい。

 迷った末、圭は「打て」と指示を出した。

(了解です)
(攻撃でも冒険してるし、こっちもやってみようか)
(そ、そこですか……?)

 鈴は深呼吸し、セットポジションを取った。

 クイックから投球。

 左バッターの体に当たりそうなコースにボールが行く。

ちょっ――

 薫は身を引きかけたが、そこからボールが曲がり、インコースいっぱいに食い込んでくる。

 判定はボールだったが、薫の表情は厳しい。

(これがシュート……! 想像以上に曲がる……)
(次はストレート)

 鈴はインコースにストレートを投げ込む。

 低めを突いたボールに、薫が空振りする。

(コントロールいいな。なんて1年だ……)
(最後はここだよ)
(いきます!)

 鈴の表情は明るくなっていた。

 バッターがシュートに戸惑っているのが伝わってくる。

 自分の投球が通じている。

 今日初めて、その感覚を覚えた。

 気持ちがどんどん前向きになり、ためらいのない腕の振りにもつながっていく。

 大きな変化のカーブが内角低めに落ちていく。

 薫のスイングは空を切った。空振り三振。

やった――
(――刺せるっ!!)

 ボールをキャッチした瞬間、悠子はファーストへ鋭い送球を放った。

 ファーストランナーの瞳がリードを大きく取っている。

 その隙を見逃さなかった。

(やばっ!)
はいっ!

 夕日がかけ声とともにタッチに行く。

 瞳は頭からベースに戻ったが、夕日のファーストミットがその手を阻んだ。

アウト!
ゆ、悠子先輩……!
やったぜ、ナイス牽制!
(やられた……)
(三振ゲッツー……。攻撃が噛み合わなくなっている……)
逆転は次の回に持ち越しね。さあ行きましょう!

 最悪の形にも、真帆は淡々とした指示を出してベンチを出ていった。

 守備陣もそれに続いていく。

 一方、裾花清流は笑顔でベンチに戻っていった。
やっとスコアボードに0がついたな。
さすが悠子、よく見てたわね。
悠子先輩の弾丸送球、さすがっす! ちょっと手がしびれたくらいっすよ。
ま、アウトは取れる時に取っとかなきゃね。
悠子先輩、ありがとうございました!
鈴もナイスピッチだったよ。最後のカーブ、すごくよかった。
シュートも通じてる気がします!
うん。でも、次の回からはほぼ使わないよ。
え?
相手のベンチに情報が行けばそれでオッケーなんだよ。ここで初めて使ってきた変化球って、嫌でも気になるでしょ。向こうはどうしてもシュートを意識する……。
つまり、必要以上に考えさせるってことですね!
正解。あとはシンカーをコントロールできればもっと簡単にアウトが取れるはずだよ。
今の鈴ちゃんなら大丈夫よ。
はい、今の回はうまく投げられた気がするんです。次の回もきっといけます!
ふふ、前向きな言葉が自然に出るようになったわね。その勢いで投げてちょうだい。
任せてください!
(あとは私が終盤に備えるだけね……)

 上級生に囲まれて笑顔を見せる鈴。

 その姿を見ながら、澪も気持ちを高めていた。

(鈴ちゃんを先発させたのは作戦の意味もあるだろうけれど……)

 山京学園からの初勝利。

 初の決勝進出。


 その瞬間に、澪がマウンドに立っていられるように。

 医師に球数制限をかけられた澪が、最終回のグラウンドに残っていられるように。


 澪は、緋田恵のそんな思いを感じるのだった。

(きっと、いい形で出番は来る。私は鈴ちゃんを信じてる)
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登場人物紹介

朝山 鈴(あさやま りん)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。ピッチャー。

サイドスローの投手。しなやかな肩と肘を使った柔軟な投球を得意とする。中学時代は味方の守備に足を引っ張られ、試合に勝つことができなかった。

外浦 朝陽(とのうら あさひ)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。キャッチャー。

中学時代に鈴とバッテリーを組んでいて、朝山と朝陽でサンライズ・バッテリーと呼ばれていた。

結城 まこ(ゆうき まこ)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。セカンド。

ピッチャーのモーションを読み取り、持ち前の俊足で盗塁を確実に決める。だいたいテンションが高い。

広野 皐月(ひろの さつき)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。ショート。

打撃、守備ともに堅実なプレーを重視している。控えめであまり目立ちたがらないタイプ。

高池 凪(たかいけ なぎ)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。サード。

中学最後の大会で左腕を負傷し、まだ回復しきっていない。

松原 雅(まつばら みやび)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。

バットコントロール能力が高くボール球でもヒットにできる技巧派。外野ならどこでも守れる。

漆原 礼(うるしばら れい)

裾花清流高校3年生。左投げ左打ち。レフト。

野球部キャプテン。身体能力が高くセンス抜群。クールな振る舞いから、校内では男女問わず隠れファンが多い。

新海 澪(しんかい みお)

裾花清流高校3年生。右投げ右打ち。ピッチャー。

チームのエース。速球と緩いボールを使い分ける本格派右腕ながら、肩の調子に不安を抱えている。

岩見 悠子(いわみ ゆうこ)

裾花清流高校3年生。右投げ右打ち。キャッチャー。

正捕手で長距離バッターでもある。相手の様子を見ながら配球を決め、野手に守備位置の指示を出すチーム随一の頭脳派。

一ノ瀬 桜(いちのせ さくら)

裾花清流高校3年生。右投げ左打ち。セカンド。

俊足巧打、広い守備範囲を持つ攻守の要。ハイテンションで味方を盛り上げたりからかったり忙しい。

天城 奈緒(あまぎ なお)

裾花清流高校3年生。右投げ左打ち。ショート。

広大な守備範囲を持ち、一ノ瀬桜とのコンビで鉄壁の二遊間を構築している。出塁率も高い。

神村 青葉(かみむら あおば)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。センター。

2年生ながら4番を任されている。商店街のアイドル的扱いを受けているのでおっさん達が試合の応援に駆けつけてくる。

赤羽 夕日(あかばね ゆうひ)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。ファースト。

当たればでかいロマン砲。一方、守備は堅実で難しいバウンドもきっちり処理する。

漆原 優(うるしばら ゆう)

裾花清流高校2年生。左投げ左打ち。ライト。

キャプテン漆原礼の妹。やる気の波が激しく、いつもはぐだっとしているが試合では頭脳をフル回転させてプレーする。

水崎 美晴(みずさき みはる)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。サード。

バント職人。小柄だが強肩を持ち、深い位置からでもアウトが取れる。

緋田 恵(ひだ めぐみ)27歳

裾花清流高校野球部監督。

最初に赴任した高校を県ベスト4まで連れていくなど指導力の高さを評価されている。裾花清流高校は赴任2校目で2年目。

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