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文字数 4,387文字
山京学園 31|4
裾花清流 32|5
2回のウラ、2点を挙げて逆転した裾花清流の攻撃はまだ続いている。
1アウト2塁で3番の神村青葉に打順が回った。
裾花清流のブラスバンドと商店街応援団の声援が合わさってすさまじい音が球場内に響いている。
その中で、青葉が右打席に立った。
ホームベースをバットでなぞり、ゆっくり構える。
色部薫が左手から初球を投じる。
アウトコース低めに決まってストライク。
青葉はまったく反応しない。
2球目。
薫が緩いボールを投げてきた。
アウトコースに外れそうに見える――しかし、青葉は踏み込んだ。
青葉の体勢はやや崩れた。
それでも、曲がってきたスライダーを芯で捉えた。
打球はライナーになってセカンドの頭上を襲う。
九条真帆が半身で追っていく。
それをセカンドランナーの礼が見ている。
礼は一気に加速した。
真帆がジャンピングキャッチを試みるが、届かない。その先にボールが落ちる。
礼はサードベースを蹴った。
真帆がボールを拾ってホームに投げ返すが、体勢が不安定で勢いのある送球はできなかった。
スライディングした礼が左手でホームベースに触れる。
主審が「セーフ!」とコール。
6対4。裾花清流にもう1点が追加された。
青葉が1塁で右手を挙げると、スタンドが「ナイバッチ!」「よく打った!」と大騒ぎする。
勢いのあるチームは、不思議と運に味方されたりする。
アウトかと思われたフライがポテンヒットになったり、ファールになりそうな打球がギリギリ線を割らなかったり。
真帆は、わずかに届かなかった距離の分だけ、相手に押されているのを感じた。
悠子に対し、山京学園バッテリーはスライダーから入ってきた。真ん中低めに入ってストライク。
続く2球は低めに外れて2ボール1ストライク。
悠子はストレートを狙って構える。
薫がモーションに入り――予想通りの直球を投げ込んできた。
やや内角寄りのボールを、悠子は全力で引っ張った。
――しかし、打球はサードの正面に飛んだ。
ダブルプレーでチェンジになった。
山京学園ナインが勢いよくベンチに戻っていく。
それを見ながら、鈴はマウンドへ向かった。
悠子がストレートのサインを出し、インコースに寄った。
鈴は「ふう」と息を吐き出し、1球目を投げ込んだ。
瞳が振ってきた。
差し込まれて窮屈なスイングになる。
が、バットの芯を外れたせいで弱いゴロがサード方向へ転がった。
美晴が猛ダッシュをかけてくる。
素手で拾って1塁に送るが、瞳の足が速かった。
内野安打でノーアウト1塁。
鈴は視線でファーストランナーを牽制し、1球目を投じた。
真ん中から右バッターの内角に食い込むシュート。
水上真澄が見送った。
デッドボールになりそうなところまで曲がり、ボール。
2球目のシュートは内角いっぱいに入った。
1ボール1ストライク。
鈴はアウトコースにストレートを投げた。
少し高めに入ったボールを水上真澄が打ってくる。しかしタイミングが合わずファールになった。これで追い込んだ。
鈴は水上真澄に対し4球目を投げ込んだ。
再び内角にシュート。
真澄も窮屈な体勢でのスイングになった。
バットの根元に当たったボールがキャッチャーフライになる。
悠子がしっかり押さえて1アウト。
真澄はベンチに戻ると、すぐシュートの情報を全員と共有した。
監督の引木圭とキャプテンの九条真帆の間にできた溝は深い。
真帆の世代は2年生の春に監督交代を経験している。
前監督が慢性的な体調不良に悩まされて引退し、新たに山京学園OGの引木圭が就任した。
前任より三十歳以上若い二十代半ばであることと、前監督との方向性の違いが選手に不信感をもたらした。
積極性を売りにしていた前監督と、堅実さを求める引木圭。
ひっくり返った方針に納得のいかない者は多かった。
キャプテンに真帆を指名したのは圭だが、新主将は対立心を隠そうともしなかった。積極策の好きな選手は真帆を支持した。そうでない選手は圭の側についたかというとそうでもなく、中立の立場を取った。
名門校のネームバリューゆえに能力の高い選手が入ってきて、それで勝ち上がることはできているが、歯車は狂いに狂っている。
この局面ですら、それは変わらない。
引木圭は真帆たち3年生の様子を横目に窺った。
確実に得点圏にランナーを進めることは、立派な作戦の一つ。
しかし前監督は強攻策を多用していた。
ゆえに3年生らは、この場面での送りバントを消極的と受け取るかもしれない。
これ以上、試合中に溝が深まるのはまずい。
迷った末、圭は「打て」と指示を出した。
鈴は深呼吸し、セットポジションを取った。
クイックから投球。
左バッターの体に当たりそうなコースにボールが行く。
薫は身を引きかけたが、そこからボールが曲がり、インコースいっぱいに食い込んでくる。
判定はボールだったが、薫の表情は厳しい。
鈴はインコースにストレートを投げ込む。
低めを突いたボールに、薫が空振りする。
鈴の表情は明るくなっていた。
バッターがシュートに戸惑っているのが伝わってくる。
自分の投球が通じている。
今日初めて、その感覚を覚えた。
気持ちがどんどん前向きになり、ためらいのない腕の振りにもつながっていく。
大きな変化のカーブが内角低めに落ちていく。
薫のスイングは空を切った。空振り三振。
ボールをキャッチした瞬間、悠子はファーストへ鋭い送球を放った。
ファーストランナーの瞳がリードを大きく取っている。
その隙を見逃さなかった。
夕日がかけ声とともにタッチに行く。
瞳は頭からベースに戻ったが、夕日のファーストミットがその手を阻んだ。
最悪の形にも、真帆は淡々とした指示を出してベンチを出ていった。
守備陣もそれに続いていく。
上級生に囲まれて笑顔を見せる鈴。
その姿を見ながら、澪も気持ちを高めていた。
山京学園からの初勝利。
初の決勝進出。
その瞬間に、澪がマウンドに立っていられるように。
医師に球数制限をかけられた澪が、最終回のグラウンドに残っていられるように。
澪は、緋田恵のそんな思いを感じるのだった。