四強を賭けて

文字数 4,317文字

 蒸し暑いグラウンドに快音が響いた。

 低いライナーを、赤羽夕日がダイビングキャッチする。

おー、ナイスファースト!
オッケー、ツーアウトツーアウトー!!
危なかった……。

 新海澪は、大きく息を吐いて汗を拭った。

あと一つっすよ! 落ち着いていきましょー!

 夕日からボールを受け取り、澪はロージンバッグに手をやった。

 そっと、電光掲示板に視線を送る。

裾花清流 002 0|2

真修館  110  |2

 ベスト4を賭けた準々決勝が、上田県営野球場で展開されていた。


 現在、4回ウラ。

 ツーアウトでランナーは3塁だ。

 今のファーストライナーが抜けていれば勝ち越しを許していた。

4番、ライト、波河(なみかわ)さん。
重要な場面だ……。ミスれないぞ……。
(要注意だよ……)

 第一打席で、澪は4番波河にホームランを打たれていた。

 長打力があるのはわかっていたが、予想以上に飛ばされてしまったのだ。

(外、徹底ね)

 甘いボールは見逃してくれない。

 澪はアウトコースいっぱいを意識して投げ込む。

 初球はストライク、2球目のスライダーはファール。

 追い込んだが、慌てず、外に逃げるスライダーで空振りを誘う。しかしまったく乗ってこない。

 二つ外れてカウントは2-2になった。

(次あたり入れてくるかな)
(恐れずにいこう!)
(わかった)

 澪は渾身のストレートをインコースに投じた。

 いいボールが行った。低めいっぱい。

(ストライクだ――)

 波河は窮屈そうにスイングした。

 それでも鋭い当たりになった。

あっ――
 バシッと音がした。
澪先輩、ナイスピッチです!
よし、いいぞ美晴!

 波河の当たりはサードライナーに終わり、チェンジになった。

 裾花清流の守備陣が戻ってくる。

 これまでの二試合より気温が高かった。

 みんな噴き出す汗を拭っている。

そろそろ今崎さんをとらえたいですね。
ですね~。マジでインコースきついからな~。

 事前に情報は得ていたが、裾花清流は真修館のエース、今崎史織(しおり)のコントロールに悩まされていた。

 球速はそこまででもないが、インコースギリギリを徹底的に突いてくる投球の糸口を見いだせない。

 3回には礼の2点タイムリーが飛び出したが、今日はまだ長打が出ていない。

肘を畳む意識が重要ね。多少窮屈になってもヒットゾーンに飛ばせればオーケーよ。格好を気にしてる場合じゃないわ。
そうだね。三巡目だし、そろそろ対応していかないと。
5回の表、裾花清流高校の攻撃は、9番、ショート、天城さん。
さて、今度は打つぞ。
(このバッターには四球出しちゃったのよね……)

 今崎史織はじっと奈緒を睨んだ。

 奈緒も負けじと睨み返す。

 史織が初球を投げた。

 インコースいっぱいに決まって球審の右手が挙がる。

(ホントに徹底してきやがるな)
(今までの試合を見た限り、このバッターはあえて9番に置かれている可能性が高い。本当は上位を打てるバッターのはずだ……)
 真修館のキャッチャー、古瀬(ふるせ)真悠(まゆ)は、裾花清流の試合を見て自分なりに分析していた。
(次も中ね)
(このっ!)

 またもインコースのストレート。

 奈緒がスイングするが、根っこに当たってファール。

 今崎史織は、デッドボールを恐れずどんどん内に投げ込んでくる。裾花清流はこの制球力に押し込まれていた。

(遊び球はないよ)
(了解)

 史織の3球目。

 緩いボールが内角、ストライクゾーンに入ってくる。

 奈緒はスイングにいったが、バットが空を切った。

 主審が「ストライクスリー!」とコールする。

(内角いっぱいにこのチェンジアップはきつい……)
奈緒先輩まで三振しちゃうなんて……。
コントロール良すぎるね……。

 二人が話している間に、桜がセカンドゴロに倒れた。

 これもインコースのボールに詰まらされた形だ。

ダメだ、思うようにスイングできーん!
今日も厳しいっすね。なんでこんないいピッチャーとばっか当たるんだろうな~……。
……なんでこっちを見るの。運ばっかりはどうしようもないでしょ。
 続く美晴もピッチャーフライに倒れ、あっけなくスリーアウト。
新海さん、勝負どころです。朝山さんを回の途中から投げさせるか、頭から行かせるかでは全然違いますよ。
はい、絶対にこの回は投げきります。
 澪が5回ウラのマウンドに上がった。
(失点はしてるけど、早いうちに打ってくれてるから助かってると言えば助かってる)

 真修館は経験豊富な3年生が多く並んでいる。

 澪は持ちこたえている方だ。

1(三)長村怜奈 右打 3年
2(左)勝井美加 左打 3年
3(中)五藤弓  左打 2年
4(右)波河桃絵 右打 3年
5(一)西森千鶴 右打 3年(主)
6(投)今崎史織 左打 3年
7(遊)門田円香 右打 3年
8(捕)古瀬真悠 右打 3年
9(二)北川理江 左打 2年
 5回の真修館は、キャプテンの西森千鶴(ちづる)から始まる。
お願いします!

 千鶴の声に気合いが入った。

 負けられないのは真修館も同じだ。

 昨年の夏は、決勝まで駒を進めながら山京学園に敗れた。

 ベンチ入りメンバーは、みんなその悔しさを覚えている。

 今年こそ優勝し、神宮へ行く。

 そのために一年間、必死に練習してきた。

(どこから長打が出てもおかしくない。丁寧にいかなきゃ)

 澪は外のスライダー、ストレートと投げて1-1とする。

 3球目にストレートを続ける。

 ここで西森千鶴が踏み込んできた。

(――いける!)

 千鶴は逆らわずライト前に打球を運んだ。

 先頭打者が出塁、真修館のベンチが盛り上がる。

 スタンドの応援団も大声援を送っている。

 裾花清流のスタンドとは規模が違った。吹奏楽部の人数も、ベンチ外の選手のメンバーも多い。その分、音の迫力が桁違いだ。

(打たせてもらえるかな)

 6番、今崎史織は監督のサインを見る。


 ――行け、だった。

(よしっ!)

 攻めのピッチングを得意とする史織は、バントより打ちたい派だった。

 送りバントが必要な場面でも、できることなら打たせてほしいと思っている。

(ここも外ね)

 澪は、左バッターの史織に対し外角を攻めていく。

 ボールが二つ続いたが、コーナーは突いている。3球目のストレートでストライクを奪い、次のボールをファールにさせて追い込んだ。

(こいつは外ばっかりだな。もっとインコース投げてこいよ)

 史織はインコースを打つのも得意だった。

 しかし、裾花清流バッテリーは徹底してアウトコースを使う。

 5球目。

 外角低めいっぱいにチェンジアップが落ちる。

 史織がスイングして速い打球が飛んだ。

――っしゃあ!

 三遊間への打球を、奈緒が逆シングルでキャッチ。

 身をひねってセカンドへ送球する。2塁フォースアウト。

 すかさず桜がファーストへ送ってダブルプレーが完成する。

 今度は裾花清流のスタンドが大盛り上がりだ。

くっ……! あれでゲッツー取られるなんて……。
(やられた……。やっぱりこの二遊間はレベルが高すぎる……)

 真修館のメンバーは試合映像を見て、一ノ瀬桜、天城奈緒の二遊間コンビの脅威をよく理解していた。

 それでも、実際に好プレーを見せつけられると気勢を削がれる。

(あと一つ!)
 澪は持ち味の速球を使って、7番門田(かどた)円香(まどか)を空振り三振に打ち取った。
素晴らしい……。期待以上です。
次の回から私か……。
鈴ちゃん、楽しくいこうね!
そうそう。打つ方は先輩たちがなんとかしてくれるよ。
(私が先に崩れるわけにはいかない!)

 今崎史織のピッチングにも熱がこもった。

 礼、青葉を立て続けに内野フライに打ち取る。

だいたい見抜けたと思ったんだけど……。
振ってみると想像と違う感覚になりますね……。
(また投手戦になりそう……。私が打たれたら悠子先輩にも優先輩にも迷惑かけちゃうし、頑張らないと……)

 鈴がそう考えた時、悠子がインコースのストレートをレフト前に引っ張った。

 ツーアウトながら、久しぶりに会心の当たりが出た。

(またあの子を厳しい状況でマウンドに上げさせたくないしね。優、頼むよ)
とりあえず、ランナーためる方向でいきますか。
 優が左バッターボックスに立った。悠子のリードはやや大きめだ。
(まさか走る気じゃないでしょうね)

 史織が牽制球を送る。悠子がさっと戻った。

 それでも気になるのか、もう一つ牽制を入れてきた。

(いいぞ。もっと私のことを気にしろ)

 盗塁する気はまったくない。

 これは悠子ができる最大のリードだった。

 大きく出て、刺せるかもしれないとピッチャーに思わせる。注意を自分に向けて、バッターへの集中力を失わせる。

 少しでも優の助けになりたかった。

史織! ツーアウトだよ! バッター集中だよ!
あ、うん……。
あれだけリードしていればピッチャーも気になるでしょうね。
相手が嫌がることをよくわかってる。さすが悠子ね。
(いけないいけない。私としたことが……)

 ふー、と息を吐き、史織がモーションに入った。

 インコースへのストレート。

 だが、これまでよりほんのわずかに中へ寄った。

 優はそのわずかを見逃さない。

(もらった!)

 金属音が響いた。

 打球が右中間へ飛んだ。ライトが追いつくか微妙な位置だ。

落ちろ~!

 ライトが追いついた――が、打球はワンバウンドでグローブに入った。

 フェアだ。

3塁(みっつ)もらった!)

 ツーアウトなので悠子は迷いなく走っていた。

 セカンドベースを回って一気にサードを狙う。

 視界には三塁手の長村怜奈(れな)、そのうしろにベースコーチの皐月がいる。

 長村はグローブを構えている――。

スライ! スラーイッ!

 皐月がスライディングしろとジェスチャーをよこしている。

 悠子が足から滑り込む。

 ――サードの長村が悠子の正面に入ってきた。

うっ――
あっ――

 鈍い音がして、悠子と長村怜奈が交錯した。

 ライトからの送球が逸れ、取りに行った長村のところに悠子が滑り込んできたのだ。

 タイミング的にはアウトだったが、長村がボールをこぼしていた。

 塁審が「セーフ!」とコールする。

あ、あれ? 悠子先輩、起きないよ……?
まさか……。

 3塁塁審が「タイム」を宣言した。

 長村がどいても、悠子は仰向けに倒れたままだった。

 塁審がしゃがんで声をかけている。

悠子……!
悠子先輩っ!

 澪と鈴、ピッチャーの二人がベンチを飛び出した。

 全員が出ようとしたが、礼が止める。

大勢で行ってはダメ! ひとまず澪と鈴に任せましょう!
すぐにドクターが出てくるはずですから、大勢いるとかえって混乱します!

 恵の言う通り、バックネット裏からドクターが出てきて走っていった。


 場内は異様なざわめきに包まれ始めた……。

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

朝山 鈴(あさやま りん)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。ピッチャー。

サイドスローの投手。しなやかな肩と肘を使った柔軟な投球を得意とする。中学時代は味方の守備に足を引っ張られ、試合に勝つことができなかった。

外浦 朝陽(とのうら あさひ)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。キャッチャー。

中学時代に鈴とバッテリーを組んでいて、朝山と朝陽でサンライズ・バッテリーと呼ばれていた。

結城 まこ(ゆうき まこ)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。セカンド。

ピッチャーのモーションを読み取り、持ち前の俊足で盗塁を確実に決める。だいたいテンションが高い。

広野 皐月(ひろの さつき)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。ショート。

打撃、守備ともに堅実なプレーを重視している。控えめであまり目立ちたがらないタイプ。

高池 凪(たかいけ なぎ)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。サード。

中学最後の大会で左腕を負傷し、まだ回復しきっていない。

松原 雅(まつばら みやび)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。

バットコントロール能力が高くボール球でもヒットにできる技巧派。外野ならどこでも守れる。

漆原 礼(うるしばら れい)

裾花清流高校3年生。左投げ左打ち。レフト。

野球部キャプテン。身体能力が高くセンス抜群。クールな振る舞いから、校内では男女問わず隠れファンが多い。

新海 澪(しんかい みお)

裾花清流高校3年生。右投げ右打ち。ピッチャー。

チームのエース。速球と緩いボールを使い分ける本格派右腕ながら、肩の調子に不安を抱えている。

岩見 悠子(いわみ ゆうこ)

裾花清流高校3年生。右投げ右打ち。キャッチャー。

正捕手で長距離バッターでもある。相手の様子を見ながら配球を決め、野手に守備位置の指示を出すチーム随一の頭脳派。

一ノ瀬 桜(いちのせ さくら)

裾花清流高校3年生。右投げ左打ち。セカンド。

俊足巧打、広い守備範囲を持つ攻守の要。ハイテンションで味方を盛り上げたりからかったり忙しい。

天城 奈緒(あまぎ なお)

裾花清流高校3年生。右投げ左打ち。ショート。

広大な守備範囲を持ち、一ノ瀬桜とのコンビで鉄壁の二遊間を構築している。出塁率も高い。

神村 青葉(かみむら あおば)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。センター。

2年生ながら4番を任されている。商店街のアイドル的扱いを受けているのでおっさん達が試合の応援に駆けつけてくる。

赤羽 夕日(あかばね ゆうひ)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。ファースト。

当たればでかいロマン砲。一方、守備は堅実で難しいバウンドもきっちり処理する。

漆原 優(うるしばら ゆう)

裾花清流高校2年生。左投げ左打ち。ライト。

キャプテン漆原礼の妹。やる気の波が激しく、いつもはぐだっとしているが試合では頭脳をフル回転させてプレーする。

水崎 美晴(みずさき みはる)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。サード。

バント職人。小柄だが強肩を持ち、深い位置からでもアウトが取れる。

緋田 恵(ひだ めぐみ)27歳

裾花清流高校野球部監督。

最初に赴任した高校を県ベスト4まで連れていくなど指導力の高さを評価されている。裾花清流高校は赴任2校目で2年目。

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色