その白球の行方は

文字数 4,115文字

裾花清流 002 002 1|5

真修館  110 000  |2

(この回で決まるんだ……)

 鈴は最終回、7回ウラのマウンドに立った。

 投球練習を終えて、ロージンバッグに触れる。

 真修館のベンチからはよく声が響いていた。向こうも当然、諦めてはいない。

2番、レフト、勝井さん。
……行くぞ。
(左バッターか。まずは外で様子見だね)
 鈴は初球のストレートを外角に投げた。判定はボール。大きく外れたため、バッターの見逃し方にも余裕があった。
(次はカーブか……)

 低めを意識して投げる。

 カーブは左バッターの外角から真ん中低めへ落ちていく。

 勝井が振ってきた。

 スイングは芯を食ったが、打球はセカンド正面だ。

ほいっ!
ナイスセカン!

 勝井は全力疾走を見せたが、桜の守備には乱れがない。

 がっちり捕球してファーストへ送る。

 余裕を持ってアウトを奪った。

よっしゃ! ワンナウトー!
あと二つ、丁寧に行こうね!

 内野が軽快にボール回しをして、美晴から鈴にボールが返ってくる。

(よし……落ち着いてる)

 鈴はこれまでほど震えを感じていなかった。

 力みがないとは言えない。

 それでも、今回は点差があり、経験も重ねてきた。

 鈴はこの大会の中で確実に成長してきている。

3番、センター、五藤さん。
(ゆみ)、頼むぞ。なんとか出塁してくれ。
そうだね。このままじゃ終われない。

 3番の五藤弓が左打席に入った。

 真修館は2、3番だけ左が続いている。

(低め徹底)
(うん)
 初球、カーブが外角いっぱいに決まった。試合も最終盤に入ったからか、主審のストライクコールにも力が入る。
(今度はインコースだね)

 左バッターの膝元へ、大きく曲がるカーブが走る。

 五藤が振るも、合わずに空振り。

 これで追い込んだ。

(くっ……見えてるはずなのに合わない……)
(インコース続けよう!)

 カーブ2球のあと、一転してストレート。

 しかしこれはインコースの低めに外れてボールになった。

 カウントは1ボール2ストライク。

(危ない……。しかしコントロールいいピッチャーだな)
(これで決める)
(こくっ)

 4球目。

 外角に緩いボールが投じられた。

(う、これは――)
ストライクスリー!!
や、やったぁ!

 最後のボールは外角のシンカーだった。

 鈴はスローボールも交えて投球してくる。

 それが五藤の瞬時の判断を鈍らせていた。

 結局彼女は、中途半端なスイングで空振り三振に倒れたのだった。

(強気なリード……。外浦さんは本番に強いタイプね)
ごめん……。
……まだだ。ここからつなげばいい。
(あと一つ……)
(初めてのベスト4が……)
(今年こそは絶対に……)
4番、ライト、波河さん。
(こんなところじゃ終われないぞ)
(澪先輩からホームラン打った人だ。要注意だよ)

 鈴は深呼吸をしてタイミングを整える。

 歴代の先輩たちが跳ね返されてきた壁を、いよいよ打ち破る時がやってきた。

 だが、目の前にいるのは真修館最強の4番バッター。

 この打者の一打で流れが変わる可能性も充分にありえた。

(慎重に……)

 外角へストレート。

 波河桃絵が見送る。ストライク。

 観客が歓声を上げる。

 鈴は朝陽のサインに頷き、2球目を投じる。

 外のカーブ。

 桃絵が動いた。

 迷いのないスイングで流し打ち。

 高い打球がライトへ飛んだ。

やば、入るか……?
 優がフェンスギリギリまで追いかけていく。
(届け)
(入らないで――)

 ボスッと音がして、打球がフェンスを直撃した。

 芝生を転がるボールを、優が慌てて追いかけていく。

 返球の間に、桃絵は2塁に到達していた。

 ツーアウトから意地の一打。

 真修館のスタンドが盛り上がる。

(狙われてたか……)
(カーブの率が高めだったからな)
よし! 行ってきます!
千鶴、お願いね!
任せたよ!

 場内に西森千鶴の名前がコールされると、真修館のスタンドはますます熱気を増した。

 チームを支えてきたキャプテンに打席が回った。

 誰もが彼女に期待をかけているのだ。

(焦るな、焦るな……)

 鈴は自分に言い聞かせる。

 あと一人打ち取るだけだ。

 慌てる必要などどこにもない。

 こういう場面では、自分のペースを乱すのが一番危険だ。

(まずは鈴ちゃんの気分を落ち着かせないと)

 朝陽は外に構えた。

 鈴の初球はストレートだ。外角に外れてボールになる。

 少し高めに浮いた。ストライクゾーンにこの球が来ていたら捉えられていただろう。

 打たれた直後は、メンタルに影響が出やすい。

 すぐに勝負には行かず、一呼吸置いてもらうためのボールだ。朝陽は鈴の動揺が出やすい場面をよく理解していた。

(これで勝負に行ける)
(シンカーだね)

 西森千鶴はバットコントロールがうまい。

 おそらく空振りは取れないだろうと朝陽は読んでいた。

 ならば味方の守備に任せればいい。

 打たせるためのシンカーだった。

(――負けないッ!)

 千鶴がシンカーに合わせてきた。

 ライナーが美晴の頭上を越えてレフト線に落ちる。

 塁審が「フェア」をコールする。

 礼が走ってくる。

 そして、波河桃絵がサードベースを蹴る。

(これで終われ――!)
(間に合うッ!)
くっ!

 桃絵がヘッドスライディングでホームへ飛び込んできた。

 礼からの返球を朝陽が捕ってタッチに行くが、わずかに遅かった。

 主審が「セーフ!」と声を上げると、歓声は一段と高まった。

1点返した!
やれやれ。ギリギリだったな。
 得点が5-3となり、打席には6番の今崎史織が入る。
史織、今日の責任とか考えなくていいから。自分が後悔しないように全力で振ってくれ。
……うん。そうする。

 歓声に後押しされ、史織がバッターボックスに入った。

 応援歌が一段と大きく鳴り響く。

(史織……お願い)
 塁上の西森千鶴も祈りをかける。
(まだ2点ある……)
へーい、鈴ちゃーん。
さ、桜先輩……。
この人に長打食らっても1点差になるだけだし、次から下位打線よ? 自分の力だけでどうにかしようとか思わないでよね。
そ、そうですね。私、すぐ力んじゃいますもんね……。
ま、ここでビシッと決めちゃえばかっこいいけどね。うしろはあたしらがしっかり守るから、安心して打たせてちょーだい!
はい!

 守備位置に戻っていく桜を見て、鈴は笑顔を取り戻した。

 終盤に試合が動くと、普段以上に焦りが出てくる。

 そこに桜が、うまく間を置いてくれた。

(私は私のピッチングをしよう)
(さあ来なさい……。絶対打ってみせる……)

 鈴はサインを見て、一つ頷く。

 初球のストレートは左バッターのアウトコースに外れてボール。

 2球目のカーブも外れる。

 ワンバウンドするが、朝陽が体で受け止める。

(鈴……あとは貴女に任せるしかない。頑張って……)
 レフトの礼は、見守ることしかできない。
(なんとか外でストライクほしいな)

 朝陽はストレートのサインを出す。

 外角のやや高め。

 今崎史織が見送った。

 主審が右手を挙げて「ストライク」を宣言する。

(見送った? 甘かったからヒヤッとしたけど……何か狙ってるのかな)
…………。
 朝陽は史織の様子を窺うが、そこからどの球を狙っているかは読み取れない。
(もしかして、これ?)
(アウトコースだね)

 鈴が4球目を投げ込む。

 外へ逃げていくシンカー。

 史織の体が動いたが、見送った。外れてスリーボール。

(やっぱりシンカー待ちだ)
(誘われた……。今のでバレたかも)

 鈴がマウンドをならして間を取る。

 今日一番の歓声が体を揺さぶる。

 グラウンドに立つ誰もが、その重圧を感じているはずだ。

(これで打たせれば……)
(決めるぞ)

 サインに頷いた鈴は、モーションに入った。

 外角のボール。

 緩やかな軌道から、曲がってストライクゾーンへ入ってくる。

(やっぱり――)
 史織は迷いなく踏み込んだ。
(――当たりだ!)

 快音。


 アウトローのカーブを、史織は左中間へ運んだ。

 大きな打球が伸びていく。

抜けるぞ!
いや、際どい……!
礼先輩……!

 礼と青葉が同時に打球へ迫っていく。

 深めに守っていた分、礼の方が近い。

(捕れる。これを捕って――)

 礼は打球へ向かって飛び込んだ。

 ボールが落ちてくる。

 礼のグローブが伸びていく。

(私たちは上に行く!)

 ダイビングキャッチを試みた礼が芝生の上を滑る。

 塁審が駆け寄ってきた。

…………。
あ……。

 一瞬の静寂。


 礼が起き上がった。

 右手のグローブを高々と掲げる。

 その中には、確かに白球が収まっていた。

アウト――!

 球場を地鳴りのような歓声が包んだ。

 狂喜する裾花清流スタンドと、落ち込む真修館のスタンド。

 真修館の選手たちがベンチからゆっくり出てくる。

 裾花清流の選手たちは、大喜びでホームへ向かった。

お見事でした、礼先輩。
 センターの青葉が手を差し伸べてくれる。礼はそれに掴まって立ち上がった。
勝ったのね……。
はい。歴史の更新ですよ。
よかった……。

 礼はそれだけつぶやいた。

 この瞬間をイメージした時、もっと感情が爆発するかと思ったが、いざ勝ってみると、ホッとしたという気持ちの方が先に来る。

 それだけ張り詰めた空気の中にいたのだ。

礼先輩、ありがとうございました!
超ファインプレーでしたね!
 ホームに戻ってきた礼と青葉を、鈴たちは笑顔で迎えた。
二人とも、最高の仕事だったわ。こちらこそありがとう。
礼、ナイスキャッチ。
ありがとう。――悠子の夏、つなげられてよかったわね。
……本当にね。

 整列し、挨拶と握手を交わした両チームに、場内からは惜しみない拍手が送られた。

 それを全身に浴びながら、裾花清流の選手たちはホームに横一列で並ぶ。

姉貴、超かっこよかったじゃん。
言っとくけど、平たい分よく滑ったとかないから。絶対にないから。
まだなんも言ってないんだけど。
…………。
あー、ごめんごめん。今後は自重しますよ。

 校歌が流れ始めた。

 全員が声を張り上げて歌う。

 夏、3回校歌を歌うのは自分たちの代が初めてだ。

 礼は、言葉を噛みしめるように声を出した。

(まだ次があるけど……きっと今日が一番、忘れられない日になりそうな気がする)

 いつもの微笑はそこにはない。

 いっぱいの笑顔で歌う、明るい礼の顔が太陽に輝いた。

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登場人物紹介

朝山 鈴(あさやま りん)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。ピッチャー。

サイドスローの投手。しなやかな肩と肘を使った柔軟な投球を得意とする。中学時代は味方の守備に足を引っ張られ、試合に勝つことができなかった。

外浦 朝陽(とのうら あさひ)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。キャッチャー。

中学時代に鈴とバッテリーを組んでいて、朝山と朝陽でサンライズ・バッテリーと呼ばれていた。

結城 まこ(ゆうき まこ)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。セカンド。

ピッチャーのモーションを読み取り、持ち前の俊足で盗塁を確実に決める。だいたいテンションが高い。

広野 皐月(ひろの さつき)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。ショート。

打撃、守備ともに堅実なプレーを重視している。控えめであまり目立ちたがらないタイプ。

高池 凪(たかいけ なぎ)

裾花清流高校1年生。右投げ右打ち。サード。

中学最後の大会で左腕を負傷し、まだ回復しきっていない。

松原 雅(まつばら みやび)

裾花清流高校1年生。右投げ左打ち。

バットコントロール能力が高くボール球でもヒットにできる技巧派。外野ならどこでも守れる。

漆原 礼(うるしばら れい)

裾花清流高校3年生。左投げ左打ち。レフト。

野球部キャプテン。身体能力が高くセンス抜群。クールな振る舞いから、校内では男女問わず隠れファンが多い。

新海 澪(しんかい みお)

裾花清流高校3年生。右投げ右打ち。ピッチャー。

チームのエース。速球と緩いボールを使い分ける本格派右腕ながら、肩の調子に不安を抱えている。

岩見 悠子(いわみ ゆうこ)

裾花清流高校3年生。右投げ右打ち。キャッチャー。

正捕手で長距離バッターでもある。相手の様子を見ながら配球を決め、野手に守備位置の指示を出すチーム随一の頭脳派。

一ノ瀬 桜(いちのせ さくら)

裾花清流高校3年生。右投げ左打ち。セカンド。

俊足巧打、広い守備範囲を持つ攻守の要。ハイテンションで味方を盛り上げたりからかったり忙しい。

天城 奈緒(あまぎ なお)

裾花清流高校3年生。右投げ左打ち。ショート。

広大な守備範囲を持ち、一ノ瀬桜とのコンビで鉄壁の二遊間を構築している。出塁率も高い。

神村 青葉(かみむら あおば)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。センター。

2年生ながら4番を任されている。商店街のアイドル的扱いを受けているのでおっさん達が試合の応援に駆けつけてくる。

赤羽 夕日(あかばね ゆうひ)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。ファースト。

当たればでかいロマン砲。一方、守備は堅実で難しいバウンドもきっちり処理する。

漆原 優(うるしばら ゆう)

裾花清流高校2年生。左投げ左打ち。ライト。

キャプテン漆原礼の妹。やる気の波が激しく、いつもはぐだっとしているが試合では頭脳をフル回転させてプレーする。

水崎 美晴(みずさき みはる)

裾花清流高校2年生。右投げ右打ち。サード。

バント職人。小柄だが強肩を持ち、深い位置からでもアウトが取れる。

緋田 恵(ひだ めぐみ)27歳

裾花清流高校野球部監督。

最初に赴任した高校を県ベスト4まで連れていくなど指導力の高さを評価されている。裾花清流高校は赴任2校目で2年目。

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