その白球の行方は
文字数 4,115文字
裾花清流 002 002 1|5
真修館 110 000 |2
鈴は最終回、7回ウラのマウンドに立った。
投球練習を終えて、ロージンバッグに触れる。
真修館のベンチからはよく声が響いていた。向こうも当然、諦めてはいない。
低めを意識して投げる。
カーブは左バッターの外角から真ん中低めへ落ちていく。
勝井が振ってきた。
スイングは芯を食ったが、打球はセカンド正面だ。
勝井は全力疾走を見せたが、桜の守備には乱れがない。
がっちり捕球してファーストへ送る。
余裕を持ってアウトを奪った。
内野が軽快にボール回しをして、美晴から鈴にボールが返ってくる。
鈴はこれまでほど震えを感じていなかった。
力みがないとは言えない。
それでも、今回は点差があり、経験も重ねてきた。
鈴はこの大会の中で確実に成長してきている。
3番の五藤弓が左打席に入った。
真修館は2、3番だけ左が続いている。
左バッターの膝元へ、大きく曲がるカーブが走る。
五藤が振るも、合わずに空振り。
これで追い込んだ。
カーブ2球のあと、一転してストレート。
しかしこれはインコースの低めに外れてボールになった。
カウントは1ボール2ストライク。
4球目。
外角に緩いボールが投じられた。
最後のボールは外角のシンカーだった。
鈴はスローボールも交えて投球してくる。
それが五藤の瞬時の判断を鈍らせていた。
結局彼女は、中途半端なスイングで空振り三振に倒れたのだった。
鈴は深呼吸をしてタイミングを整える。
歴代の先輩たちが跳ね返されてきた壁を、いよいよ打ち破る時がやってきた。
だが、目の前にいるのは真修館最強の4番バッター。
この打者の一打で流れが変わる可能性も充分にありえた。
外角へストレート。
波河桃絵が見送る。ストライク。
観客が歓声を上げる。
鈴は朝陽のサインに頷き、2球目を投じる。
外のカーブ。
桃絵が動いた。
迷いのないスイングで流し打ち。
高い打球がライトへ飛んだ。
ボスッと音がして、打球がフェンスを直撃した。
芝生を転がるボールを、優が慌てて追いかけていく。
返球の間に、桃絵は2塁に到達していた。
ツーアウトから意地の一打。
真修館のスタンドが盛り上がる。
場内に西森千鶴の名前がコールされると、真修館のスタンドはますます熱気を増した。
チームを支えてきたキャプテンに打席が回った。
誰もが彼女に期待をかけているのだ。
鈴は自分に言い聞かせる。
あと一人打ち取るだけだ。
慌てる必要などどこにもない。
こういう場面では、自分のペースを乱すのが一番危険だ。
朝陽は外に構えた。
鈴の初球はストレートだ。外角に外れてボールになる。
少し高めに浮いた。ストライクゾーンにこの球が来ていたら捉えられていただろう。
打たれた直後は、メンタルに影響が出やすい。
すぐに勝負には行かず、一呼吸置いてもらうためのボールだ。朝陽は鈴の動揺が出やすい場面をよく理解していた。
西森千鶴はバットコントロールがうまい。
おそらく空振りは取れないだろうと朝陽は読んでいた。
ならば味方の守備に任せればいい。
打たせるためのシンカーだった。
千鶴がシンカーに合わせてきた。
ライナーが美晴の頭上を越えてレフト線に落ちる。
塁審が「フェア」をコールする。
礼が走ってくる。
そして、波河桃絵がサードベースを蹴る。
桃絵がヘッドスライディングでホームへ飛び込んできた。
礼からの返球を朝陽が捕ってタッチに行くが、わずかに遅かった。
主審が「セーフ!」と声を上げると、歓声は一段と高まった。
歓声に後押しされ、史織がバッターボックスに入った。
応援歌が一段と大きく鳴り響く。
守備位置に戻っていく桜を見て、鈴は笑顔を取り戻した。
終盤に試合が動くと、普段以上に焦りが出てくる。
そこに桜が、うまく間を置いてくれた。
鈴はサインを見て、一つ頷く。
初球のストレートは左バッターのアウトコースに外れてボール。
2球目のカーブも外れる。
ワンバウンドするが、朝陽が体で受け止める。
朝陽はストレートのサインを出す。
外角のやや高め。
今崎史織が見送った。
主審が右手を挙げて「ストライク」を宣言する。
鈴が4球目を投げ込む。
外へ逃げていくシンカー。
史織の体が動いたが、見送った。外れてスリーボール。
鈴がマウンドをならして間を取る。
今日一番の歓声が体を揺さぶる。
グラウンドに立つ誰もが、その重圧を感じているはずだ。
サインに頷いた鈴は、モーションに入った。
外角のボール。
緩やかな軌道から、曲がってストライクゾーンへ入ってくる。
快音。
アウトローのカーブを、史織は左中間へ運んだ。
大きな打球が伸びていく。
礼と青葉が同時に打球へ迫っていく。
深めに守っていた分、礼の方が近い。
礼は打球へ向かって飛び込んだ。
ボールが落ちてくる。
礼のグローブが伸びていく。
ダイビングキャッチを試みた礼が芝生の上を滑る。
塁審が駆け寄ってきた。
一瞬の静寂。
礼が起き上がった。
右手のグローブを高々と掲げる。
その中には、確かに白球が収まっていた。
球場を地鳴りのような歓声が包んだ。
狂喜する裾花清流スタンドと、落ち込む真修館のスタンド。
真修館の選手たちがベンチからゆっくり出てくる。
裾花清流の選手たちは、大喜びでホームへ向かった。
礼はそれだけつぶやいた。
この瞬間をイメージした時、もっと感情が爆発するかと思ったが、いざ勝ってみると、ホッとしたという気持ちの方が先に来る。
それだけ張り詰めた空気の中にいたのだ。
整列し、挨拶と握手を交わした両チームに、場内からは惜しみない拍手が送られた。
それを全身に浴びながら、裾花清流の選手たちはホームに横一列で並ぶ。
校歌が流れ始めた。
全員が声を張り上げて歌う。
夏、3回校歌を歌うのは自分たちの代が初めてだ。
礼は、言葉を噛みしめるように声を出した。
いつもの微笑はそこにはない。
いっぱいの笑顔で歌う、明るい礼の顔が太陽に輝いた。