プライドが選手を殺すこともある
文字数 4,089文字
上田第一高校、浅間青雲高校との練習試合から時間が経ち、五月に入っていた。
裾花清流高校の女子野球部はしばらく基礎を固める態勢に入り、地道な練習を続けている。ゴールデンウィークに組まれている練習試合では1年生を積極的に使っていくと緋田恵は宣言した。そのため新入部員たちも熱心に基礎練習に打ち込んでいる。
月曜日は自主練習日だ。
選手たちはグラウンドに散らばってそれぞれの課題に挑戦していた。
あーあ、男子野球部は春の大会真っ盛りだってのに、うちらは暇だよね~。
しょうがないだろ、会場の問題が解決しなきゃ無理だって。
女子野球部に春の大会がない最大の問題は、会場の都合がつけられないところにある。
長野県が広いといっても球場は数えるほどしかない。
男子野球部は四月下旬から春の地区予選が始まり、五月は県大会、六月には北信越大会がある。
それを回避して四月上旬から大会を始めると、1年生が入ったばかりの新体制を確立する間もなく公式戦になってしまう。
先に会場を押さえられているため、女子高野連は動けずにいる。
夏の大会が六月下旬から始まるのも、やはり会場が重なるのを避けるためだ。全国大会も、男子の地方大会終盤から甲子園大会が始まる間の数日で行われる。
甲子園の歴史は長い。
時期が重なると、ここ十数年でようやく全国的に普及してきた女子野球はどうしても注目度という点で劣ってしまう。それを避けるための措置だ。
このスケジュールと会場の問題は、男子女子関係なく、高校野球に関わる大人達の頭を悩ませていた。
鈴ちゃん、だいぶマウンドさばきが様になってきたわね。
ええ。最初の頃に比べると表情にも余裕が出てきているし。
鈴は3塁側のブルペンで軽めの投げ込みをしていた。
内野ではセカンドの結城まことショートの広野皐月が、漆原礼にノックをしてもらっている。
ういっす! バウンドとか伸び方の感覚も掴めてきました!
これからは試合でも出番があると思うわ。それをイメージしながら練習するのよ。
そして1塁のファールゾーンでは、松原雅が神村青葉とトスバッティングをしている。青葉がトスして、雅が一心にネットへ打ち込む。
そうですか? 一応、インパクトの瞬間までボールから目は離さないようにって意識してるんですけど……。
なるほど。ずっとそれを意識し続けてきたのなら、このミート力も納得です。
自分も早く青葉先輩みたいに飛ばせるバッターになりたいです!
高池凪はグラウンドの隅、野球部倉庫の前で金属バットを軽く振っていた。時折動きを止め、自主練風景を眺めていたが、やがて意を決したように動き出した。
鈴は凪に対し、いまだに「高池さん」を使っている。
凪だけはどうしても名前で呼びづらい雰囲気があるのだ。
そろそろ復帰してもいいって医者に言われたの。いいでしょ、やろうよ。
やっとよくなってきたから、早く実戦の感覚を取り戻したいだけ。――これまで満足に練習できなかった私の気持ちもわかってよ。
――いいよ、高池さんが大丈夫だっていうなら、相手になる。
それだけ言うと、凪はさっさとバッターボックスに向かって歩いていった。
鈴ちゃん、無理に引き受けなくてもよかったんじゃない?
でも、高池さんはこの一ヵ月ずっとボール拾いとか道具の片づけ中心だったし、気持ちはなんとなくわかるんだ。
あの言い方はどうかと思うけどね。鈴ちゃんを都合のいいバッティングピッチャーみたいに……。
落ち着こう、アサちゃん。それより、この勝負はアサちゃんにマスクかぶってほしいな。悠子先輩は澪先輩とキャッチボールしてるし、邪魔しちゃうかも。
先輩達の了承を取りつけて、鈴と凪の対決が行われることになった。
体を動かし終えたメンバーだけが守備に入った。
セカンドにまこ、ショートに皐月、レフトに奈緒、ライトに桜という布陣だ。四人いれば、あとは飛んだところでヒットかアウトかがおおむね判断できる。
おいおい、なんか空気悪くなってきたけど大丈夫かよ。
(ほんとーに変わってないな。私よかよっぽど問題児じゃん)
(あいつ、どーも周りを見下してるみたいで好きになれないんだよね。上手いのは本当なんだろうけど……)
鈴と朝陽がやる気になってる以上はやらせるしかないわ。それに止めても、凪はあれこれ理屈をつけて結局続行させる。そういう子だから。
もちろん。私がうしろについて、ちゃんと線引きさせてもらう。
きっぱり言って、礼がホームへ移動した。
彼女が審判を担当するのだ。
凪が右打席で構えた。左足のかかとを浮かせて、小刻みにリズムを取る構えだ。
(ブルペンで充分投げ込んでるし、初球からカーブ使おう)
鈴は朝陽の要求通り、アウトコースにカーブを投げた。
凪はバットを動かさず、余裕を持って見送った。
(いい見逃し方するな。やっぱり強豪校から声がかかるような選手は基礎的なところから違うってことか……)
本人に対する苛立ちはあっても、野球の腕前は別として考える。怒りはあっても、対戦中はあくまで冷静に。
その精神が外浦朝陽というキャッチャーを作ってきた。
(2球ともアウトコース。そろそろ内角を使ってくるはず)
鈴はセットポジションを取った。
グローブの中でボールを軽く回し、縫い目を確認する。
足を上げてモーションに入った。
投球。
狙い通りのコースにボールがいった。
凪が踏み込む。
完全にシンカー狙いのスイングだ。
バットはボールをとらえたが、やや先端だった。鈍い音がしてショート正面にボールが転がった。
鈴はマウンドを駆け下りてホームへ走った。
凪は左の肘あたりを押さえてうずくまっている。
ちょっと、体勢を崩しただけ……。心配するような、ことじゃないから……。
なに言ってるの。顔が真っ青だよ。お医者さんが治ったって言ったとか、本当は嘘なんでしょ。
他の1年生がどんどんうまくなっていくから焦ったのね。バカなことを……。
ガールズでさ、今みたいに無理してつぶれた子を見たことあるでしょ。それが自分の選手生命を殺すって考えられなかったの?
そこに、いつものお気楽そうな優の姿はなかった。
後輩を諭す、先輩の厳しい表情があった。
……みんなに、置いていかれるのが、怖いんです……。
ちょっと待って。話より治療が先でしょ。保健室に運ぶ?
いえ、まず緋田先生に報告。先生は車を持ってるし、病院に連れていってもらうべきね。
凪の制服も必要ね。病院に行ったらそのまま家に帰ることになるはずだから。
わ、わたし取ってきます! 同じクラスだからどの荷物かすぐわかるので!
礼からカギを預かった皐月が全力疾走で部室棟へ向かう。
凪、歩けそう? 倉庫に担架があるから、必要なら出すわ。
故障してんの左なんでしょ? もしかして右も触ったらまずい?
悠子が緋田恵を連れて駆けつけてきた。
自主練の日なので、恵は私服姿のままだった。
1塁ベンチの裏に車を持ってきますから、高池さんをそこまで連れてきてください。あとは私が病院に連れていきます。
横につきましょう。よろけた時はわたくしが支えます。
最後はほとんど涙声だった。
優に支えられて、凪は歩き出す。
痛みのあまり一人では歩けないようだった。
私も煽るようなことばっかり言っちゃった。あれだけ自信たっぷりだったから、本当に治ったんだと思って……。
はっきり言っとくけど、これはお前らの責任じゃないぞ。誰がどうこうって話じゃない。
責任の話はなし。とにかく、今日はこれで引き上げるわ。凪とは、あとでちゃんと対話をしましょう。
……もしかしてだけどさ、治りかけた頃に無理に練習再開して長引かせてきたんじゃない? だって中学最後の大会って去年の夏でしょ?
確かに、治っててもおかしくない期間のはずだけど……。
そう。自分が下手でいることが耐えられないのよ。だから無理をしてしまう。
でも、自分以外はみんな毎日練習してるんだし、焦る気持ちもわかるけどね。
……話していてもキリがないわ。あとは緋田先生に任せるしかないし、私達はグランド整備を始めましょう。
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